映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
1930年代フランスを舞台に、ナタリー・ポートマンとリリー=ローズ・デップが降霊術のショーで金を稼ぐアメリカ人心霊術師を演じるドラマ『プラネタリウム』が9月23日(土)より公開。webDICEでは、レベッカ・ズロトヴスキ監督のインタビューを掲載する。
ズロトヴスキ監督はリアリティとファンタジーのはざまを縫うようなタッチで、妹と映画プロデューサーとの出会いを通して、霊感を持つ妹とその姉の関係、30年代の映画業界の裏側など多様なテーマを描いている。
「以前にも増して、私は創作活動や脚本の執筆、監督をしている最中、潜在意識の力というものを信じている。私が行き当たりばったりでやっているという意味じゃない。私の作品には、即興的な部分はほとんどないから。でも私は細やかに作り込んだセットで衣装を着た中でのキャラクターの思いつきを信じたかった。それはこの映画では重要なことだった。そしてこれみよがしの演技を避けたかった。そんなことをしたら、時代もの作品でなくなってしまうから」(レベッカ・ズロトヴスキ監督)
ヒッチコックのスリラーのようなプロジェクトが発端
──この作品のアイデアは、どのようにして出てきたのですか?
さまざまな潜在的な刺激があって、そこからふさわしいと思われるテーマが生まれてきたわけだから、その質問に答えるのはいつも難しい。そのテーマを3~4年検討を重ねて、映画のプロジェクトになった。今、私たちを取り巻いている、目に見えない政治的な状況が影響したのかもしれない。フランス在住の外国人女優を起用して、抗えない運命を背負ったキャラクターを描きたかった。フィクションでありながら、そんな人間がいてほしいと願うような人間よ。
映画『プラネタリウム』レベッカ・ズロトヴスキ監督
私たちが描いてきた、つかみどころのないフワフワした映画の世界に、ひと言言う必要があると感じた。確かマルグリット・デュラスだと思うけど、そんなことを考えるときは世の中がすごく混乱しているのだと言っている。「変化の縁にいる時は、気づきもしない」って。また別のレベルで、俳優たちと自分の作品をさらに踏み込んでみたいと思った。私が作った最初の2本の作品は、短期間で撮ったから、もっとやりたいという気持ちが芽生えていた。もっと掘り下げてみたいって。俳優たちをトランス状態に追い込んで、憑依されたような状態を描いてみたかった。といってもジャン・ルーシュの『狂気の主人公たち』(1954年)ほどじゃないにしても。まあ、例えプロジェクトが発展したとしても、あの作品ほどは大掛かりなものにはならないと思うけど。
──そういった思いがバーロウ姉妹という、熟練のスピリチュアリストの物語に発展したのですか?
ええ、トントン拍子に。19世紀後半に活動していたアメリカ人スピリチュアリストのフォックス三姉妹の運命が気になっていた。彼女たちは降霊術の世界で重要な役割を果たした、スピリチュアリズム(心霊主義)の先駆者であり、アメリカの伝説的な姉妹よ。彼女たちの成功は注目を集めたため、自分たちの教義を作り、それが世界中に広がり、数十万人の信奉者が誕生した。それはヨーロッパの知識階級にまで広がった。その中で、あまり知られてないエピソードに惹きつけられた。それはとある裕福な銀行家が亡き妻の霊を呼び出すために、姉妹の1人を雇ったの。私はこの話に魅せられた。それが全体としてヒッチコックのスリラーのようなプロジェクトのスターティング・ポイントだった。
──その銀行界の設定から映画プロデューサーへ変更しましたね。それはなぜですか?
自分の母国語であるフランス語の映画を作りたかった。その姉妹のヨーロッパ・ツアーが気になり始めた。今回の作品では2人だけにしたけど。姉妹の顧客が銀行家から映画プロデユーサーになったのは、金融の世界より映画の世界の方がスピリチュアリズムに対して数百倍、共鳴するところがあったから。19世紀のヴィクトリア女王の時代には興味がないから、1930年代に舞台を置き換え、組織的中傷の犠牲者となって失脚するユダヤ人映画プロデューサーを主人公にした。ちょうどその頃、アフリカ系フランス人のコメディアンのデュドネと彼の反ユダヤ主義による、悲しい出来事(テロ擁護の容疑で逮捕された)が起きて、そのことがあらゆる形の人種差別と同じように私の心に深く突き刺さったから。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
──もう1つの歴史的なインスピレーションが浮かんだのは、どんな経緯だったのですか?フランスの名門映画会社パテの映画プロデューサーのベルナール・ナタンがフランス政府に捕まり、ナチス占領軍に引き渡されていますよね。
その通り。でも、そのプロデューサーのことをこの作品に盛り込むために詳しく調べる必要性はなかった。でも彼が実在したのは事実よ。ルーマニア生まれのナタンは、フランスに帰化してクロワ・ド・ゲール勲章も授与された映画プロデューサーだけど、叩き上げの人だった。彼は1929年にパテ映画の経営権を握ったけど、その後、ユダヤ人排斥運動の犠牲になった。彼は地位を奪われたうえに、フランス国籍を剥奪され、フランス当局の手でドランシー収容所を経由してアウシュヴィッツ収容所に送られた。映画の世界ではドレフュス事件(1894年に起きた、当時フランス陸軍参謀本部勤務の大尉であったユダヤ人のアルフレド・ドレフュスがスパイ容疑で逮捕された冤罪事件)のことは、あまり知られていない。それにナタンは、ル・フランカール通りに土地を買って、映画スタジオを作った。今は私が4年間学んだラ・フェミス(高等映画学校)がある場所に。それなのに何の刻板もないどころか、彼が存在していたことを示す物もない。私の知りうる限りでは、誰一人、もしくはほとんど誰も彼の名前すら知らない。
彼は映画黄金期の10年間を通してフランス映画をプロデュースして、フランスにトーキー映画を導入して、フランスの映画製作に足跡を残した。彼の悲劇的な運命に私は興味を引かれ、映画を正義のための道具として使って描きたいとは思っていた。でもどんなに特異な運命でも、物語としては不十分だから、伝記映画じゃなくて。だから孫娘からの同意を得て、史実を元にするという制限付きながら、自由に描いた。この作品のすべてが、いえ、ほとんどはフィクションだった。生々しい要素(ポルノがらみの中傷、株主総会からの排斥など)は、純粋な想像上の産物だった。私はフォックス姉妹とベルナール・ナタンの出会いを想像して、バーロウとコルベン(イディッシュ語で「犠牲となった者」の意味)と名前を変えて、この奇妙な家族に落とし込んだ。ストーリーはそんな感じね。
アメリカでは俳優は感情は内面化させるよりも観客に見えるように演じる
──ナタリー・ポートマンがプロジェクトに加わったのは、どのタイミングですか?
かなり早い段階だった。彼女はほとんど気が付かないうちに最初からこの作品と関係していた。ナタリー・ポートマンとは10年前に、私のアメリカとフランスの架け橋となっている2人の親友の紹介で会った。正確には、私の『美しき棘』(10)の製作資金をフランス国立映画センター(CNC)が出すということが分かった日だった。彼女は守護星(ガーディアン・スター)の化身のように、早い段階から私の仕事に興味を持っていた。もちろん、私は彼女に映画に出てほしかったけど、どのプロジェクトもふさわしいものには思えなかった。彼女はアメリカに住んでいたし、私はアメリカ映画を撮りたくはなかったから。タイミングが悪かった。でも私たちの無意識のイマジネーションがいい仕事をしたと信じている。彼女がフランスに移住する気でいることは分かっていたし、自分では気づかないうちに彼女に提示できるテーマを全力で準備していた。私が彼女に出演をオファーすると、まだ脚本が仕上がっていないのに快諾してくれた。
何もかも驚くほど簡単に進んだ。彼女のような才能のあるスターを起用する複雑さとは対極をなす感じで。今はいかに自分がラッキーだったか分かるけど、あの時は、彼女がフランスに移住して、フランス映画に出演するっていう私たちのコラボは、絶対に失敗しようがないって気になってた。
映画『プラネタリウム』ナタリー・ポートマン ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
──ナタリー・ポートマンほどのスターがプロジェクトに加わることを早い段階に知って、映画製作に何か変化はありましたか?
いつも私はプロと呼べる俳優と仕事をしたいと思ってきたし、これまでもスターを起用してきた。タハール・ラヒム、レア・セドゥ、オリヴィエ・グルメなど。だから私のやり方からすれば、まったく新しい方法論ってわけじゃなかった。でもフランスのプロジェクトでアメリカ人スターが出演するっていうことは、ものすごい責任のようなものが生じる。フランス映画にアメリカ人女優を起用する必然性をどう落とし込むかって……。極めて映画的な問いが生じる。どっちの言語を話させるか?フランス人の観客やフランス人のファンにとって、どんな意味をなすのか?また常に俳優たちが一緒にセットに現れた時、どんな感情が沸き起こるのか考慮しなければならない。
ナタリー・ポートマンがプロジェクトに加わったことで、キャスティングにも影響が出てくるし、作品に対するスタッフのやる気も変わった。彼女は表現力が豊かで、どんな感情も演じることができる。そしてフランス人の演技方法とは全く違う。アメリカでは感情は内面化させるよりも観客に見えるように演じるという考え方だった。フランスでは、(ショーのように俳優が不自然に体を使う)アメリカ映画の正統派に対する、ある種の不信がある。まるでフランスのアート系映画での内面の演じ方への当てこすりのような感じのように見える。フランス映画では俳優というのは実質的に映画の共同作家だった。私は矛盾してないと思うし、それには反対じゃない。別のどんなアプローチだろうと刺激的でもあるし、補うものでもあるから。
──彼女が出演を承諾した後、どのようにして映画は作られたのですか?
ナタリーは個性が強くて、自分の運命を切り開ける女性だから、そういう部分がローラのキャラクター設定に役立った。女性キャラクターにおいて私が評価できる資質というものは滅多にお目にかかれない。自制心、気取りのなさ、行動力、それに野心なんかでは魅力は表現できず、むしろ心や知性や包容力を付け加えるべき。またこの映画は、ヒロインはある種の荒々しさやを捨て、情緒や感情が麻痺した状態で、この作品を通して、作品のために身を委ねることが強く求められる。私の他の作品でも、このことは功を奏していると思う。 それに加えて、我々はアメリカの大スターをフランス映画に起用して、特に中央ヨーロッパについて語らせた。ヨーロッパ中から集まった知識人がいる、国際都市のパリで。考えてみれば分かると思うけど、第二次世界大戦の前の時代は、恐ろしい状況だった。私たちが最初に映画について話し合った時、同時に2015年の最初のテロリズムの波(パリ同時多発テロ)が押し寄せて、自分が住んでいる国を外国人の目を通して見てみる必要があることに気づいた。だから彼女の目を通して、フランスやヨーロッパを観察した。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
潜在意識を大事にする共同脚本の作業
──お話を聞いていると、私たちが今、過ごしている時代が、30年代の後半と似ているとおしゃっているように聞こえますが……。
いいえ、そうとは言っていない。私はエコノミストでも歴史家でもないから、類似点と言っても、単純で早合点で不正確なもの。確かにポピュリズムの大きな波が押し寄せているし、モラル、宗教、政治とあらゆるところで、意識が恐ろしく低下しているけど、時代を重ねることはできない。もし30年代の集団的思考が表面的に現在と重なり、それが人々に考えるきっかけを与えるのなら、私的には問題ない。フィクションの世界では30年代は脅迫概念をテーマにしたスリラーの全盛期だったから。簡単に言えば、私たちは何か恐ろしいことが起こりそうだと感じている。天災が起こるんじゃないかと、頭の片隅に引っかかっている。こういうのは意味付け面でも雰囲気作りの面でも物語を作るのには強力なツールになるから、現在の状況を喚起するために私には必要だった。
──脚本家でフィルムメーカーのロバン・カンピヨが脚本家として関わったのは、その頃ですか? またあなたも他のフィルムメーカーのために脚本を書いています。共同脚本について、どのようにお考えですか?
基本的なアウトラインを持って、ロバンを訪ねた。「30年代のパリ、2人のアメリカ人女性がベルナール・ナタンから発想を得た映画プロデューサーと出会う」というアウトラインだった。おかしなことだけど、彼の『イースタン・ボーイズ’(2013年)という印象的で心を打つ映画を見て、ロバン・カンピヨに会おうと決心した。彼が脚本した『リターンド/RETURNED』は、すばらしく、パワフルな要素が詰まった途方もないファンタジーで、独創的で、そしてリアルなのにSFXを使っていないという、私が自分の作品でやりたかったことを実現した作品なのに。
ロバン・カンピヨに会って、この作品の話をすると、こう言われた。「君のプロジェクトに興味を持ったのは、まさにオペラ『モーゼとアロン』の物語だからだ。これは2人の姉妹の話で、片方は才能があり、もう1人は才能がないんだが、売り方を知っているんだよ」って。この『モーゼとアロン』というのは、モーゼは神の神託を理解できるけど伝える術を知らなくて、弁術家のアロンは神の声を捻じ曲げて話すという逸話は、すごく面白そうに思えた。これで女性たちの大枠ができた。秘儀の能力を持った姉妹。コミュニケーション能力がまったくない子と根深い誤解をする子の揺るぎない絆。2人の姉妹の愛情に私は掻き立てられ、『美しき棘』以来、また描き出したくなった。
──具体的にどのようにして共作されたのですか? ロバン・カンピヨがどんなアイデアを出したのですか?
4本の手で書けば、常に自分のルールを変えざるを得なくなってしまうもの。私は他の人のために書いたこともあるから、「ペンを握っていること」には慣れている。ロバンは最初と最後に参加した。最初は、作品全体の構成、バランス、意図、話の一貫性。最後には細かなディテール、つまり台詞について。これによって、全くシーンが変わってしまうから。ロバンは整然と作品を映画的なトリックから“守った”の。スペクタクルシーンを使いたい誘惑を退け、叙情的になりすぎないようにして、キャラクターに頼ることの危険性を説いてくれた。鈍くなりすぎるからって。ロバンはシーンをはっきりさせたり、スムーズにするよりも、あいまいにするべきだということを思い出させてくれた。ロバン・カンピヨのおかげで、映画はうまく発展し、潜在意識を大事にするものになった。
──その“潜在意識”というのは、どういう意味ですか?
以前にも増して、私は創作活動や脚本の執筆、監督をしている最中、潜在意識の力というものを信じている。私が行き当たりばったりでやっているという意味じゃない。私の作品には、即興的な部分はほとんどないから。でも私は細やかに作り込んだセットで衣装を着た中でのキャラクターの思いつきを信じたかった。それはこの映画では重要なことだった。そしてこれみよがしの演技を避けたかった。そんなことをしたら、時代もの作品でなくなってしまうから。例えば、(私の実の父が演じた)父親が現れ第一次世界大戦時の軍服を着た兵士たちの中でイディッシュ語を話す夢の中の空想的なシークエンスだった。このシーンは最後の最後まで何度も書き直した。サランジェにどんな衣装を着せようかとか、父親から彼にどんなことを言わせようかって。撮影の朝、ロバンがフローベールの『サランボー』の一節を読んでくれた。これは思いがけない場所で何度か映画の中で取り上げられているけど、あの映画の中に流れているテーマを話しているのよ(兵士の間でプライバシーはないものの、“戦前”の、比較にならないほどの強い絆が生まれる親密さについて)。長い1年間の執筆作業を終えた後も、最後の最後まで映画の中で真実を描くために、私たちには、このひと息つける場所が必要だった。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
ナタリーとリリー=ローズはあまりにも似ていた
──フランス人映画プロデューサーを演じたエマニュエル・サランジェをどのように思われましたか?
彼はすごく早くプロジェクトに参加したけど、ずいぶん回り道をした。そもそも始まりは『M』(1931年)に出演していたピーター・ローレの目だった。無実の男が告訴された時の。私にとってローレとサランジェの目は完全に重なっている。常にその目は私の想像上の映画の世界に現れる。
そのうえ、このことは理にかなっていると思った。私自身の過去からか、少なくとも映画業界から亡霊を呼び戻す必要があった幽霊の物語なの。エマニュエル・サランジェは『魂を救え!』(92) と『そして僕は恋をする』(96)以降、映画界から消えたことがないにもかかわらず、この現れては消えるトリックを提案した。私たちが20歳の時に置き去りにした彼が、デヴィッド・リンチ監督の映画のように白髪で再び現れる。
それに若い女性が演劇を通して、自意識に目覚めるという『エスター・カーン めざめの時』(00)について考えた。あの映画こそ、この映画を作っている間、頭にあった名作の1本だった。想像の世界(俳優はエマニュエル・サランジェ、監督はデプレシャン)から自然とエマニュエルのことを思い出して、最初のテスト撮影をしたら驚いた。彼はあの役のために会った最初の俳優だった。
映画『プラネタリウム』映画監督エマニュエル・サランジェ(右) ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
──そしてリリー=ローズ・デップが浮上したんですね。
あの役柄は欠くことができない。だってこの映画は、ほとんど同じ割合で、2人の姉妹と映画プロデューサーの3人の家族で成り立っている物語だから。ナタリー・ポートマンの妹というだけでなく、トランス状態に陥って、亡霊とコミュニケーションができる、そしてそれがリアルに見えるような若い女優を必要としていていた。
『美しき棘』(2010年)の時と同じように、素人を起用したくなかった。自分が演じたいんだということを自覚していて、女優としての人生を想像できる若い女性の中から、選びたかった。そして、私を安心させるようなある種の体つきや心っていうものがある。でも彼女たちの思春期を奪ってまで、実社会に引きずり込もうとは思っていない。映画というものは、たとえ大変でもある意味では予測不可能で面白いものだから。
それに言語の問題もあって、映画の中でケイトは英語を話しているんだけど、すぐにフランス語を習得する人間だから。
映画『プラネタリウム』リリー=ローズ・デップ ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
ナタリーがリリー=ローズ・デップの写真を、ある種ご指名的に送ってきた時、2人はあまりにも似ていたから、ピンと来た。彼女の何もかもが気に入った。驚くほどのスレンダーなボディの上に、一風変わった白鳥のようで意思の強そうな顔がある。だから女の子っぽいふくれっ面が不似合いだった。もう1つ気に入っていたのは、ナタリー自身が選んだってこと。彼女はすぐに面倒をみ始めた。架空の姉妹がそんな関係になるのがよかった。それにリリー=ローズ・デップはまだ若くて経験は浅いけど、彼女の名前は興奮と好奇心と欲望を掻き立てる。彼女は無名というわけではかなった。それもそのはずで、同じ年齢だった頃のナタリーがそうだったように、彼女は子供のセレブの世界で、他の人の願望で形作られている。世界ツアーをしている若きスピリチュアリストで、すでにその先天的な能力を持っていて、その意味を知っているという役を彼女に演じてもらいたかったから、申し分なかった。全てを兼ね備えていた。映画にすばらしいバランスをもたらしてくれた。というのも物語的に言えば、コルベンのキャラクターはすごくパワフルだったから、映画がアンバランスになるんじゃないかと危惧していた。魅力的でパワフルな2人の女優を姉妹の役に使うためには、演技のバランスを考えなければならなかった。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
──彼女とのミーティングはどんな感じでしたか?
リリー=ローズとすぐに会った。十数人もお付きがいない非公式の“フランス式”で。彼女はまだ1本しか映画に出ていない時で、ロサンゼルスに住んでいた。彼女1人だけでテストをすることが重要だった。その後で、ナタリーと一緒に姉妹役がうまくいくかを見たかった。
事実上のキャスティングをストップさせると、彼女が部屋に入ってきた。私たちは散歩に出かけ、映画の話や彼女の夢のこと、また役に求められている責任の話をして、その後、英仏両言語でいくつかのシーンをやってみた。彼女は2つの文化で育ち、2カ国語を話し、両方の国でやっていける二重の脳を持っていた。
私はケイトを、大人で意志の強い、きちんとしたキャラクターにしたかった。街から街、1つの国から別の国へ行っても、どうすればやっていけるかということがちゃんと分かっているような子だった。不景気であることや世の中の激変も分かっており、若すぎる頃から飲酒癖があり、子供のように大声で笑うこともでき、尊い贈り物であるかのように空を飛ぶ鳥を見上げる子だった。
この虚弱体質の非常に若い女優は、感情豊かな表現力もあり、サイレント映画時代のリリアン・ギッシュを彷彿とさせる。これは歴史物の作品の衣装を着るために髪型すら変える必要のない、非常に珍しいティーンエイジャーの1人である理由かもしれない。彼女は若いのに人を感動させるセンスを持っているから、この先、他の映画にも出演して、女優になっていくでしょう。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
模倣的に時代を再現しようとしないで、現代のツールで再発明しようとした
──この作品は、新しい技術で映画界に新しい刺激を加えようとするプロデューサーの物語です。『プラネタリウム』は映画自体が変わろうとしている時代が舞台ですが、今はフィルムからデジタルへ変わろうとしています。これも重なっていますね。
そうね。ゴシップやスキャンダルの現代の風潮の中、陰謀説がすべての考え方の元になってきている。映像に対する深い不信感もあるし。もちろん、これは人類学的な見地から見ればデジタル革命が原因の1つ。デジタルがフィルムと比較して何が優れているかということを言えば、カメラの前で本当に何が起きているのかということは関係ないってこと。でもあらゆる夢や亡霊を撮影することはできない。だからデジタル・フォーマットで幽霊を復活した。危機感を煽ったり、壮大な陰謀説や策略が巻き起こったとしても、私は手に持っているツールを使って、新しいストーリーを再発明する必要があると自分を納得させた。誹謗中傷、陰謀説、同性愛に対する嫌悪感、人種差別、反ユダヤ主義……、どれも同じ根っこを持ったフィクションの産物。吐き気を催す物語だった。この映画の真反対に位置するのは、作為的に作られたリアルに見える嘘を踏まえての見事なまでの完全なフィクション。だからこそ、そんな陳腐なものを遥かに凌駕するような映画を、デジタル技術を使って作った。
──だからアレクサ65という最新鋭のデジタルカメラを使って映画を撮ったのですか? 『リターンド/RETURNED』で使われたのは知られていますが、特にフランスでは、まだ珍しいですね。
ええ。学生時代の教えとは、大きく離れてしまった。いたるところでカメラをセッティングして、ノンストップで撮影することでごまかすな。それよりもフィルム・マガジンの最大撮影時間10~12分というプレッシャーの中で、撮影ポイントを選べと教えられた。撮影が刺激的で贅沢な瞬間だという考え方は、俳優たちをピリピリする状態にさせる。
これは私の直感だけど、カメラは生きているものを捉えるものじゃなくて、なくなっていくものを記録するものじゃないかって。だから一度だけ、魔が差してデジタル技術を使った。でもふさわしい技術を見つけ出すことができなくて、がっかりした。フィルムで撮ったのと同じ感情を生み出し、同じ手法でできるような技術がなくて。そしたらアレクサ65の話を聞いた。驚くべき解析データのおかげで、特に低光量の現場でもフィルムと同じクオリティを得られることができるって。十分な光がない時でも、このカメラは現実を最大限に捉えることができ、それにもかかわらず、よりリアルな映像に変えてくれる。そうなの、リアリティからハイパー・リアリティに変えると言えるかもしれない。これは時代物の映画の衣装係にとっては、どんでもないことになると思った。私たちは模倣的に時代を再現しようとしないで、現代のツールで再発明しようとした。運命のいたずらで、アレクサ65のメモリーカードは非常に大量のデータを保存するため、まるでフィルムのマガジンのように取り替えられなければならなかった。だから本物のフィルムで撮影している時と同じような興奮を覚えた。
映画『プラネタリウム』 ©Les Films Velvet - Les Films du Fleuve - France 3 Cinema - Kinology - Proximus - RTBF
──この映画では多種多様の大きなテーマや脅威が数多く描かれています。降霊術、姉妹関係、強い女性の姿、家族の作り方、ヨーロッパにおける急進主義とナチズム、30年代の映画事情などですが、どのようにしてこれらのテーマを結びつけたのですか? 意図的に、さまざまなテーマのドアを開けたのですか?
それは褒め言葉として受け取るわ。複雑かつ曖昧な架空の世界を作り上げて、2時間で描くというのは、バランスを取るのが至難の技だった。これはTVシリーズになる意見が優勢だったから、適当な長さの代案を出せる。いろいろロバン・カンピヨと検討して、私たちは脚本家のマニアルに従うより映画優先にすることにした。私たちはそれぞれのシーンを様々なレベルで解釈できるようにした。筋道の合理性、詩的かどうか、政治的な面など。観客にとって真実味があるかどうかは問題にしなかった。筋道の合理性というのは、どのようにして2人のアメリカ人スピリチュアリストはフランス人プロデューサーが幽霊を映像に撮る手助けをするのか。そのプロデューサーが自身の転落を引き起こす陰謀のターゲットとなっているのを知らずに。政治的な面というのは、急進主義がどんどんエスカレートしていく世界に、幸運と孤独によって一緒に居合わせた当座しのぎの家族の運命のことであり、詩的レベルでは、いかにして映画が盲信で閉ざされたドアの唯一の1つのドアを開け、私たちに幽霊を追い払わせるのかということ。
信念、希望、キャラクター同士の感情、映画、そして政治が密接に混じり合っている。映画の中でコルベンが蘇らせた幻覚や幽霊が、これらの事柄と絡み合う。あり得る話だけど、それよりも美的センスのいい、美しく文学の香りがする映画を作り上げたい。
──ジャンル分けするとしたら、どの分野に入る映画ですか?
アドベンチャー映画ね。私たちは、自然主義と様式化の間であまりにも多く批評的やストーリー的な面でジャンル分けを求めすぎていると思う。決めつけてほしくはない。フランスの詩人のブルトンはアンリ・ルソーを“魔法のようなリアリズム”と評している。物語のヒーローが歩いた長く詩的な道を終えると、私たちは自分たちの秘密を本当は知らないという映画のメッセージを受け取ることになるでしょう。
(オフィシャル・インタビューより)
レベッカ・ズロトヴスキ(Rebecca Zlotowski) プロフィール
1980年生まれ、フランス・パリ出身の映画監督・脚本家。2010年に発表した初の長編監督作『美しき棘』が、第63回カンヌ国際映画祭の監督週間部門で上映され、センセーショナルを起こす。ルイ・デリュック賞では新人作品賞を受賞。続く2013年の『グランド・セントラル』では、第66回カンヌ国際映画祭のある視点部門に出品され、フランソワ・シャレ賞を受賞しした。さらに、リュミエール賞では特別賞を授与された。2014年には、第67回カンヌ国際映画祭の批評家週刊部門のディスカバリー賞およびヴィジョナリー賞の審査員長に選出された。『プラネタリウム』はズロトヴスキの3本目の長編映画監督作品である。
映画『プラネタリウム』
9月23日(土)新宿バルト9、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国ロードショー
出演:ナタリー・ポートマン、リリー=ローズ・デップ、エマニュエル・サラン、アミラ・カサール、ピエール・サルヴァドーリ、ルイ・ガレル、ダーフィト・ベンネント、ダミアン・チャペル
監督:レベッカ・ズロトヴスキ
脚本:レベッカ・ズロトヴスキ、ロバン・カンピヨ
撮影監督:ジョルジュ・ルシャプトワ
プロダクション・デザイン:カーチャ・ヴィシュコフ
衣装デザイン:アナイス・ロマン
オリジナル音楽:ロビン・クデール
編集:ジュリアン・ラシュレー
提供:ファントム・フィルム/クロックワークス
配給・宣伝:ファントム・フィルム
宣伝協力:ブリッジヘッド
2016年/フランス・ベルギー映画/英語・フランス語/108分/シネマスコープ/カラー/字幕翻訳:松浦美奈
原題:PLANETARIUM