2016年東京国際映画祭のために来日したアマンダ・シェーネル監督(右)、主演のレーネ=セシリア・スパルロク(左)
9月16日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほかにて公開となる、映画『サーミの血』。本作は、北欧スウェーデンの美しい自然を舞台に描かれるサーミ人の少女の成長物語であり、差別に抗い生き抜く姿に心打たれる感動作である。サーミ人とは、ラップランド地方、いわゆるノルウェー、スウェーデン、フィンランドの北部とロシアのコラ半島でトナカイを飼い暮らし、フィンランド語に近い独自の言語を持つ先住民族。映画の主な舞台となる1930年代、スウェーデンのサーミ人は他の人種より劣った民族として差別された。
昨年の東京国際映画祭に出品され、審査委員特別賞と最優秀女優賞をダブル受賞。webDICEでは、その際に来日したアマンダ・シェーネル監督と主演レーネ=セシリア・スパルロクに話を聞いた。
単なる作り話ではなく、自分の一族の年長者たちから発想を得た部分が大きい
──あなたのお父さんはサーミ人で、お母さんはスウェーデン人だそうですね。
アマンダ・シェーネル(以下、シェーネル):そうです。言語について言えば、スウェーデン人になりたかった祖父母がサーミ語を話すことをやめてしまったので、家ではサーミ語を話すことはありません。学校の母国語の授業で、サーミ語を読むことはしましたが。でも、父方の家族のほとんどは今もトナカイ猟師なので、私も親戚の家でトナカイを屠畜するところなどを見て育ちました。あと、父が(ウメオ大学の)サーミ研究センターに勤めている関係で、サーミ人が集まる大きなお祭りを小さい頃から手伝ったりしていました。そのお祭りは、サーミの芸術家による作品展示や戯曲の上演などもあって、サーミ文化を世界に紹介する催しでもあります。
──すると、この映画は事実をもとにしている部分もあるのですね。
シェーネル:はい。単なる作り話ではなく、私の一族の年長者たちから発想を得た部分が大きいのです。存命している老齢の親類の中には、自分もサーミ人なのにサーミを嫌う者がいます。つまり、アイデンティティを変えた者と、留まった者との対立が、私の一族の中にまだあるのです。両者は互いに話をしません。それと、数年前に祖父母と、彼らの兄弟姉妹や彼らと同じ寄宿学校に行った人たちをインタビューしました。その時に聞いた話も、この映画の中に生かしました。映画で描かれていることの中には、サーミの血を引くものなら誰でも、今も実際に体験することがあります。例えば、パーティーでヨイクを唄わされることなど、私もよくあります。
エレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクは、2016年東京国際映画祭で最優秀女優賞を受賞
タイトルに“血”という言葉を入れたのは、思春期の少女の可愛らしさより、残忍でヒリヒリするような側面を伝えたかったから
──主人公エレ・マリャは、単にスウェーデン人に同化したかったのではなく、自分の人生を自由に生きたかったように感じました。
シェーネル:同化はあくまで制度の一部であって、彼女がすべてを捨てる決断をした理由は、今の場所にいることが耐えられない、自分のルーツ以外への切望、といった思いの積み重ねもあったと思います。何もかもから離れ去るなどという辛く困難なことは、相当に強い意志がないとできませんから。私が掘り下げたかったのは、エレ・マリャがこの世界で誰になれるか、自分の居場所をどうやって見つけられるかでした。
──エレ・マリャは典型的なサーミ人というより、どちらかというと特別なサーミ人だったのではないかと思うのですが、なぜタイトルを『サーミの血(Sami Blood)』にしたのですか?
シェーネル:おっしゃるとおり、私は彼女についての映画を作りたかったわけで、サーミ人についての映画にしたかったのではありません。確かに衣装や小物などの細部は、サーミの血を引く人たちが見れば本物か嘘かわかるので忠実性が大事でしたが。サーミ文化を学ぶ教育映画ではないので、当初しばらくは、『私は今や別人(I am another now)』というタイトルにしていました。「別人になってしまったから家に帰るのは難しい」という彼女の妹へのメッセージです。
でも、それより色んな質問を誘発するタイトルの方がやっぱりいいなと思ったんです。『サーミの血』と聞くと、その血にどんな意味があって、どんな重要性があるのか、人からどう見られるのか、という疑問が沸きますよね。私自身、普段からしょっちゅう、どれだけサーミの血を引いているのかと質問されて、「それ関係あるの?」と聞くと「ある」と言われますし。それと、タイトルに“血”という言葉を入れたのは、残忍でヒリヒリするような側面を伝えたかったからです。少女の成長物語ではあるけれど、可愛いすぎるタイトルや、『私は今や別人』のような詩的なタイトルにはしたくなかった。
劇中のサーミ人のキャラクターは全員本物のサーミ人がキャスティングされた
アイヌについてよく知らない日本人が多いと聞いたが、スウェーデン人の多くもサーミのことをよく知らない
──Reindeerは日本語でトナカイと言いますが、それはアイヌ語に由来しているといいます。アイヌについてご存じですか?
シェーネル:はい、知っています。
──サーミとアイヌの状況はよく似ています。
シェーネル:そうですね。アイヌについてよく知らない日本人が多いと聞きましたが、それも似ています。スウェーデン人の多くはサーミのことをよく知らない。サーミについて学校で習うのは、教科書に出てくる1行だけです。この映画のパイロット版(『Stoerre Vaerie(Northern Great Mountain)』という短編)を作った時もいろんな国で上映後に必ず、観た人から「これは私自身についての映画です」と話しかけられました。
──どの国や文化にも差別はあり、普遍的な問題ですね。スパルロクさんは、エレ・マリャのどこが好きで、どこが嫌いですか?
レーネ=セシリア・スパルロク(以下、スパルロク):彼女が自分のやり方をつらぬくところが好きです。それから、妹を守るところも。故郷を離れるのはいいと思わなかったけれど。
シェーネル:登場人物たちについて、キャストと客観的に話し合うことはなかったですね。私が決めて限定したくなかったし、俳優たちに役を育てていってほしかったので。素人が多かったのですが、彼らは役にたくさんのものを加えてくれました。レーネにしても、妹のミーアにしても、生き生きとした存在感が出ていると思います。
エレ・マリャ役レーネ=セシリア・スパルロクとニェンナ役ミーア=エリーカ・スパルロクは実の姉妹
ノルウェーでは同化が進んだ80年代以降は、サーミであることを誇りに思う傾向が強くなった
──スパルロクさんは、現在なぜエレ・マリャのように街に出ず、村に留まっていることを選んだのですか?
スパルロク:ノルウェーでは同化が進んだ80年代以降は、サーミであることを誇りに思う傾向が強くなったと思います。
──スパルロクさんはノルウェー国籍のサーミ人なんですか?
スパルロク:片親がノルウェーのサーミ人、片親がスウェーデン人で、住んでいるのはノルウェーです。
シェーネル:サーミはフィンランドとロシアにもいますが、南部サーミ人が住むのはノルウェーとスウェーデンです。
──監督はコペンハーゲン在住ですね。
シェーネル:7年前にスウェーデンからコペンハーゲンに引っ越しました。仕事のために住んでいますが、週末はパニックになります。自然がなくて、1人になれる場所がないので。
──スパルロクさんは街に住みたいとは思わないですか?
スパルロク:街は好きですが、引っ越そうとは思わないです。
シェーネル:トナカイ放牧は、途中で止められないんです。常にやることがあって。
スパルロク:そう、放っておくことはできない。
──スパルロクさんが東京にいる間は、誰がトナカイの世話をしているんですか?
スパルロク:両親と姉と、私の代わりに私のボーイフレンドがやってくれています。
──家族で何頭のトナカイを飼っているんですか?
スパルロク:その質問は、「あなたはいくら貯蓄を持っていますか?」と聞かれているのと同じなので、答えられません。
──あぁ、すみません。
シェーネル:レーネは最初、東京には行かないと言っていたんです。トナカイの世話があるから。
スパルロク:はい。でも、両親が「行ってきなさい」と応援してくれて。
▼エレ・マリャ役のレーネ=セシリア・スパルロクのinstagramより
映画に出てくるサーミ人は全員本物のサーミ人
──監督はどうやってスパルロクさんをキャスティングしたんですか?
シェーネル:撮影の2年前からキャストを探し始めました。私自身、北部サーミ語がわからないので、南部サーミ語で作るつもりで南部サーミのネイティブを見つけたいと思っていたんです。サーミ語は9つあって、話す人口が一番多いのは北部サーミ語です。南部サーミ語は9つの中でも少数で、ネイティブスピーカーは500人くらいしかいませんが、流暢に話せる人はもっといると言われています。南部サーミ人で、できれば姉妹で、トナカイ遊牧のこともわかっていて、演技ができて、という子を見つけるのは、絶対無理だろうなと思っていました。見つけられなければ、北部サーミの子に南部サーミ語を覚えてもらうしかないだろうと。でも、幸運にも、サーミ人の共同プロデューサーが、「ぴったりの姉妹がノルウェーにいるよ」と教えてくれたんです。
──老年のクリスティーナ役の方はサーミ人ですか?
シェーネル:そうです。彼女もトナカイ遊牧民です。彼女は画家でもあって、サーミ・コミュニティで知らない人がいないくらいの有名人です。スウェーデン映画でたまにサーミ人ではない俳優がサーミ人を演じていますが、そうはしたくなかったので、この映画に出てくるサーミ人は全員本物のサーミ人です。年長のサーミ人に出演を依頼するのは、やや大変でした。彼らにとって映画や写真は、民族学的な資料や人種調査のために撮らせてくれと、外国人が頼んでくることがほとんどなので、私たちに対しても懐疑的だったからです。それは、もっともなことだと思います。だから、私やプロデューサーがどこの家族出身であるかを説明して納得してもらいました。
クリスティーナ/エレ・マリャ役のマイ=ドリス・リンピ
──スパルロクさんは完成した映画を観てどうでしたか?
スパルロク:2回観ましたが、自分をスクリーンで観るのに慣れていないから、「何やってるんだろう」と恥ずかしくなりました(笑)。妹が泣くシーンでは泣いてしまいました。私自身、寄宿学校に行くために家を離れなければならず、辛かった時の状況と重なって。
──オファーがあったらまた映画に出演したいですか?
スパルロク:さぁ、どうでしょう……。楽しかったし、もしかしたら、また出るかもしれません。でも、トナカイ放牧も続けたいと思ってるので、両立できたらいいです。ずっとトナカイ放牧で育ってきたので、その暮らしをやめてしまうと、多分、自分じゃなくなる気がすると思うんです。
シェーネル:主人公がなぜこんなに強いのか、とよく聞かれるのですが、サーミ人は、タフであるように親から教育されます。寄宿学校に入るのも強くないとダメだし、弱いといじめられるし。トナカイ放牧業も、ケガや死亡事故が多い、最も危険で過酷な仕事のひとつですから。撮影前、レーネとミーアの二人から個別に、「台本に泣くシーンがあるけど、私は涙は出ないと思う」と言われました(笑)。当時、ミーアはまだ11歳でしたけど。私もトナカイ放牧で育った父から、よく「泣くな」「涙はただの目の汗だ」と言われました。
聞き手/浅井隆(アップリンク)
2016年11月2日、アップリンク渋谷にて
アマンダ・シェーネル Amanda Kernell
1986年、スウェーデン人の母親とサーミ人の父親の元にスウェーデンで生まれる。2006年以降、数本の短編映画を監督。2013年、デンマーク国立映画学校の監督学科を卒業。『サーミの血』(2016)のパイロット版である短編『Stoerre Vaerie』(2015)は、サンダンス映画祭でプレミア上映され、またヨーテボリ国際映画祭2015の短編観客賞、ウプサラ国際短編映画祭2015の最優秀短編賞など、いくつかの賞を受賞している。
レーネ=セシリア・スパルロク Lene Cecilia Sparrok
1997年、ノルウェー生まれ。サーミ人。『サーミの血』(2016)が映画初出演。ノルウェーのヌール・トロンデラーグ県で、家族とトナカイの飼育に従事している。南サーミ語を話せる俳優を探していたアマンダ監督にその才能を見出される。
映画『サーミの血』
2017年9月16日(土)より、新宿武蔵野館、アップリンク渋谷ほか全国順次公開
1930年代、スウェーデン北部のラップランドで暮らす先住民族、サーミ人は差別的な扱いを受けていた。サーミ語を禁じられた寄宿学校に通う少女エレ・マリャは成績も良く進学を望んだが、教師は「あなたたちの脳は文明に適応できない」と告げる。
そんなある日、エレはスウェーデン人のふりをして忍び込んだ夏祭りで都会的な少年ニクラスと出会い恋に落ちる。トナカイを飼いテントで暮らす生活から何とか抜け出したいと思っていたエレは、彼を頼って街に出た――。
監督・脚本:アマンダ・シェーネル
音楽:クリスチャン・エイドネス・アナスン
出演:レーネ=セシリア・スパルロク、ミーア=エリーカ・スパルロク、マイ=ドリス・リンピ、ユリウス・フレイシャンデル、オッレ・サッリ、ハンナ・アルストロム
配給・宣伝:アップリンク
(2016年/スウェーデン、ノルウェー、デンマーク/108分/原題:Sameblod)
公式サイト