映画『リベリアの白い血』より
リベリアとニューヨークを舞台に、ある移民の葛藤を描く映画『リベリアの白い血』が8月5日(土)よりアップリンク渋谷にて公開。webDICEではニューヨークを拠点に活動する福永壮志監督のインタビューを掲載する。
リベリアのゴム農園で働く主人公・シスコは、労働環境の改善のために農園のストライキに参加するが、逆に妻からなぜ仕事に行かないのかとなじられる。仕事を求め従兄弟のいるニューヨークでタクシー運転手として働くことになるが、そこでも彼の戸惑いは消えない。福永監督はこの物語を貧困や移民といった社会問題としてだけでなく、アイデンティティの模索や、生きていくうえでの根源的な不安といった、より普遍的なテーマとして描いている。今回のインタビューでも語られているように、この作品はリベリアで政府公認の映画組合と共に制作された初めての映画となっている。
映画って、物語を観るなかで、自分と生まれた環境が全然違う人々に対しても思いやりや情を持って、その人の人生の一場面を体感することができる、その人の気持ちになれる力を持ったものだと思います。この『リベリアの白い血』も、そういう風に偏見なく観てほしいですね。(福永壮志監督)
できるだけ普遍的なテーマを描きたい
──まず、映画制作にいたるまでのバックグラウンドを聞かせてください。
今作の撮影監督である村上涼君が自主で制作していた、リベリアのゴム農園で働く労働者を描いたドキュメンタリーがまずあって、彼は僕の妹の旦那さんで義理兄弟なので、横でそういう話を聞いていました。
映画『リベリアの白い血』福永壮志監督
自主制作だったので、途中から僕は編集で手伝って、そこで初めてゴム農園で働いている過酷な労働条件や、生活環境を知って、その中でひたむきさと尊厳をもって働いている労働者の姿にすごく心打たれました。
ゴムの原料のラテックスの制作の現場についてはどこかで聞いたことあるような気はしたけど、ちゃんと映像で見るっていうことが今までなくて。それを見たときに、日常なにげなくものの使っている裏側にこういう世界があるというのをすごく考えさせられました。
僕は以前から移民の話を作りたいと考えていたのですが、リベリアのゴム農園の彼らの状況が頭に焼き付いていたので、そのふたつの違う世界をひとつの物語としてまとめることで伝えられるものがあるのではないかと思いました。
もちろん最初は、日本人の自分がリベリア人の話をしていいのかという自問自答ももちろんありました。それで悩んだ後に、自分もニューヨークにずっといて、日本人というアイデンティティを持ってやっているし、それを意識するときもたくさんあるけれど、それ以上に、できるだけ普遍的なテーマを一人の人間として描きたいというのが強くあります。
そうしたテーマであれば、自分で自分の前に境界線をひく必要ないじゃないか、と。もちろんちゃんと移民の歴史については尊敬を持ってテーマに取り組んだし、ちゃんとリベリアに行って現地の人をキャスティングして現地のライターと一緒に脚本を書いて、「こういうことは言わない」とか直したりして作り上げました。
映画『リベリアの白い血』より
リベリアでロケハンのまま撮影へ
──リサーチはどうしていったのですか?
ニューヨークにはリベリアから来た移民の人が結構いて、そういう人たちにできるだけ会ってインタビューして、いろいろな経験や話を聞き、もちろん本などでもいろいろ勉強しました。あとはリベリアに行った時に、プランテーションや話の主題になる場所に行って、話を聞いたりしました。
──そのときにキャスティングもしたのですか?
そうです。最初はキャスティングとロケハンで2週間の予定だったんですけど、キャストとロケーションがちゃんとしたものが見つからないと現実的に実現不可能なプロジェクトだったから、まずそれを見つけられるかを見にいこうということで僕は行きました。
コーディネーターはアメリカで知り合った人に紹介してもらったので、映画組合にもつながって、僕が行く前にもうすでに宣伝がされていました。観光で行く場所ではないし、ましてや誰かが映画を撮りに来ることはまずないので、現地の皆さんが喜びをもって対応してくれました。なにかを作ろうというテンションが高くて、組合とコーディネーターの協力もありロケーションもキャスティングもすごくいいものが見つかりました。
これは撮れるなと、そのとき初めてちゃんとした確信を持ったんですけど、それと同時に、現地の人にしっかり伝えてもこちらの要求通り動かない事もあり、高まってきているものをそのままにしておきたかったので、このままリベリア部分だけでも撮ろうということになりました。僕は残り、結局撮影もいれると3ヵ月くらいいたんですけど、僕はそのまま細かいキャスティングやロケーション・ハンティングを続けました。
キャストが決まり、ニューヨークのクルーが来るまで、リハーサルを現地のコーディネーターと僕だけで準備しました。最初のキークルーである撮影監督、プロデューサー、アートディレクターの3人がまず他のクルーが来る1週間前に来ました。僕はすでに準備したロケーションに彼らを連れて行って見せて、プロダクション会議をして、残り4~5人がニューヨークから来てから撮影開始。そこから3週間ですね。
──すごいですね(笑)。
だから僕が一人でいる間はずっと、「ニューヨークから来た日本人がなんかやってるけどホントに撮れるのか」と言われたり(笑)。
映画『リベリアの白い血』より
──知らない土地だから、撮影しながら変えていかないといけないことも多かったと思います。
そうですね。その場で変わったとこもあるし、あと雨季に入りかけていたから雨で撮れない日もあったし、雨が降っても無理やり撮ったシーンもあります。例えば、釣りのシーンも本当は外で撮るはずでしたが、雨だったので橋の下で雨宿りしている設定に変えました。
──どの俳優も、現地でアマチュアをオーディションして起用したとは思えない存在感と表現力です。どのように俳優たちと接して制作していったのですか?
まずオーディションの最初の2日でかなりの人が来ました。もう200人とか。それは僕が来る前に映画組合がテレビやラジオで「国際的なプロジェクトのオーディションがあるぞ」と宣伝しまくってくれていたから。
でも俳優経験どころか映画に興味がある人もなかなかいないということで、その後は数が伸びなかったんですが、色々な人をみて、素質がある人というのはやっぱり見て違うんですよ。経験がゼロの人でもそういう人はいたし、ローカルで制作された作品に出たことがあって、ある程度技術がある人もいた。ただ、全体的に大げさな演技が多くて。というのもリベリアや西アフリカで観られている映画ってハリウッド系か、アフリカで作られているものでもどうしても昼ドラのようだったり、大げさな演技で分かりやすいストーリーが多いんです。そういうのを普段見ているから、それが演技だと思っていたり、アートハウス系の映画に接する機会もあまりない。
僕が求めているものとはちょっと違ったので、最終的にキャスティングを決めてからは、ニューヨークのクルーが来るまでのあいだ、1週間以上リハーサルをやりました。しかも毎日ひたすら抑える演技。自然な演技を叩き込んで、大げさにやろうとするのを抑えることを最後までしました。同時に「このキャラクターの内面はこうだから、それを表現するためには身振り手振りじゃなくて、表情とか気持ちで持っていって」とか。僕は演技の勉強をしたことはないですが、僕が思う範囲で俳優と一緒に作っていきました。
映画『リベリアの白い血』リベリアでの撮影の様子
──主人公・シスコをはじめそれぞれのキャラクターの中で壮絶な過去や感情がうごめいていると感じられるシーンが多くありますが、その俳優にはそれぞれ内で起こっていることを説明したのですか。それとも脚本だけを与えてセリフだけで?
脚本を読んでもらったうえで、どう思っているのかを聞いて、頭ごなしにでなく、「自分はこう思う」と提案するというか、疑問を投げかけながら話していきました。そして、その疑問をそれぞれの中で消化してもらうという感じでしたね。
──では映画は何かしら俳優のパーソナルな過去なども反映されているということですか?
そうだと思います。脚本は僕が初稿から第2稿、第3稿まで書いた後、製作を担当するアメリカ人のドナリ・ブラクストンと一緒に仕上げましたが、現地とのギャップについては現地のライターと一緒に見直して、直しを入れました。そこからさらにリハーサルの段階で俳優たちに「自分ならこう言う」「自分はこの方が言いやすい」など積極的に意見を出してもらって、セリフを変えていきました。役をもっと実際の人物に近づけるというか、歩みよる作業もしたので、それが俳優たちが自然にできるように手伝ったとは思います。
映画『リベリアの白い血』より
亡くなった撮影監督、村上涼さんへの思い
──ニューヨークに移動して、撮影の村上涼さんが亡くなられますよね。福永さんにとって家族でもあり、制作パートナーであり、監督として撮影監督というのは重要な存在だと思いますが、その彼がいなくなった。それでも続けないといけなかったとき、どのように、現場に戻り、どのように撮影を継続されたかを話してもらえますか?
涼君が亡くなったのが2013年なんですけれど、その後は映画どころか普通の生活もまともにできない、何もできない状態だった。それを経て、やっと向き合えるようになった時に、最初は涼君ありきの映画だったから、リベリアの部分だけでなんとか編集してもう終わらせてしまおうという考えもありました。でも、そんなことをしたら、涼君に怒られるなと。それは許されないだろうと思って。ちゃんと仕上げないと涼君にも面目ないし、自分も、始めた者としてそこで止めてしまったら本当に負けだなと。彼のためにも自分のためにも、仕上げないといけない、と思ったんです。
映画『リベリアの白い血』福永壮志監督と撮影監督の村上涼さん
そこからまたクルーを集めて、新しい撮影監督を迎え入れました。ニューヨーク部分の撮影は何度か一緒に短編とかを撮ったことがあるオーウェン・ドノバンでした。彼は涼君のことも知っていたし、彼にリベリアの映像を見てもらって、こういうスタイルでやっていたという意志も継承してもらえるように撮影前に準備してもらいました。あとはキックスターターでクラウドファンディングもやって、ニューヨーク部分の資金を集めたり、そのときの涼君を知っていた人や周りの人に手伝ってもらいました。
今回の公開でもそうですけれど、涼君が亡くなったことを出すかどうかはすごく迷ったところでした。もちろん関わっていた人たちは残っていたし、そういう意志を何とか引き継いでちゃんと形にしたいというのもあったし……。そこは家族と相談して、ちゃんと隠さないで、彼の死以降、こういうプロジェクトとして仕上げようとしているから協力してください、という姿勢でやりました。
そのあとに、映画以外で自分が出来る限りのことはやろうと、乗り越えるプロセスに一歩踏み出せました。
映画『リベリアの白い血』より
残っていた作品、例えば最初のドキュメンタリーは制作途中で止まっていたんですけれど、フッテージを集めて、涼君が一緒に監督をしていた人のところへ持って行き、再編集して短編ドキュメンタリー『Notes from Liberia』に仕上げました。彼の回顧展のようにウェブサイトで彼が生涯撮ったものをちゃんと一つにまとめてだしたり、写真集もいま形にして出そうとしていたり。彼の残した作品というのは大事にしようと思って出来る限りの事はしました。
写真集の前書きでも書きましたが、そうすることは、彼の不在を受け入れるプロセスにもなったし、彼には子供たちもいるので、彼らが大きくなり作品を知りたいと思った時にそういう作品を見られる状態にしておきたかったんです。
──今回の映画を観た人も、村上さんの他の仕事を知ることができるわけですね。
はい。今回の映画で少しでも、彼がどういう人だったか、どういうことをやっていたか、気にかけるきっかけを持って、少しでも知ってもらえたらと思いますね。そのための準備をしてきたし、もうすぐ4年が経ちますが、今でもまだ彼についての文章を書いたりすることは簡単なことではありません。でもそこで一生懸命隠すより、ちゃんと真実を出して彼のことを知ってもらいたいという気持ちの方が強いんです。
『グローリー/明日への行進』エヴァ・デュヴァネイ監督が推薦
──この映画はアメリカでも劇場公開されましたが、そのきっかけになったのが、『グローリー/明日への行進』のエヴァ・デュヴァネイ監督。彼女からはどういう反応があったか教えてもらえますか?
まずロサンゼルス映画祭で最高賞であるUSベスト・フィクションという賞をもらいました。ロサンゼルス映画祭を運営している団体は「フィルム・インディペンデント」という非営利の映画を支援することを目的とした、インディペンデント・スピリット賞も運営している大きな団体です。東海岸だと「インディペンデント・フィルムメーカー・プロジェクト」があり、そのどちらかなんですけど、エヴァはその「フィルム・インディペンデント」の委員なんです。僕の作品を目にかけてくれて連絡があり、配給のオファーがありました。
最終的にエヴァから電話をもらって、そこで「美しい映画だ」と言われました。
映画『リベリアの白い血』より
──インディペンデント・スピリット賞でもジョン・カサヴェテス賞にノミネートされましたね。あのアワードはインディペンデント精神を持ったアメリカ映画の最高峰だといっても過言ではないと思いますが、そのときはどういう気持ちでしたか?
もちろんすごく大きいアワードだというのは知っていたし、選ばれた時は信じられなかったんですけど、正直、派手な催しは得意ではないので、スターを見てもテンションそんなに上がりませんでした。ケイト・ブランシェットやショーン・ペンなどがいましたが、なにより他にノミネートされていた作品が、トッド・ヘインズの『キャロル』など錚々たるもので、インディーといっても、予算からしたら僕のインディーとは全然違いますが、今のアメリカの名前の通りインディースピリットを持った作品の集まり。なので、賞がどうこうというより、そこに作品がノミネートされたということの意味が大きかった。
スターがまったくいなくて無名の監督の1本目がノミネートされたというのは光栄としか言えないです。ジョン・カサヴェテス賞は、予算が50万ドル以下の作品のカテゴリーなんですけど、「それこそ本当にインディーだ」「いつもこの賞に一番注目している」と言ってくれる人もいました。
インディペンデント・スピリット賞にノミネートされたと言うと、アメリカではロサンゼルス映画祭で賞を獲ったというよりも全然反応が違うんですよね。もちろんジョン・カサヴェテスも尊敬していますし、ずっとアメリカでやってきたことがそこで一つ報われたと感じました。
──最後に、日本での公開にむけて思うことがあれば教えてください。
一般論ですが、日本では「外国人」という言葉に象徴されてるように、日本と日本以外とか、普通とか普通じゃないとか、そういう線を引きたがるというか、グループにしてそれで物事を見る傾向にあると思います。でもそうすると何か物事の見方を遮ってしまうこともあると思うんですね。僕はもともとそこが性に合わなくて、というか慣れなくて日本を出ようと思ったところもあったんです。
普遍的なテーマを描きたいのなら、このリベリア人の話を僕がやってもいいはずだと思えたように、そういう色眼鏡なしで、リベリア人の話だとか日本人が作ったとかそういうことじゃなくて、本当にその裏にある人の強さとか、内面にあるもっと深いところに目を向けて欲しい。批評家のロジェー・エバートが「映画は思いやりを促す装置だ」というようなことを言っていました。僕も本当にそれはすごく同意するところで、映画って、物語を観るなかで、自分と生まれた環境が全然違う人々に対しても思いやりや情を持って、その人の人生の一場面を体感することができる、その人の気持ちになれる力を持ったものだと思います。この『リベリアの白い血』も、そういう風に偏見なく観てほしいですね。
(オフィシャル・インタビューより)
福永壮志 プロフィール
北海道出身でニューヨークを拠点にする映画監督。2015年に初の長編劇映画となる本作『リベリアの白い血』(原題:Out of My Hand)がベルリン国際映画祭のパノラマ部門に正式出品される。同作は世界各地の映画祭で上映された後、ロサンゼルス映画祭で最高賞を受賞。米インディペンデント映画界の最重要イベントの一つ、インディペンデント・スピリットアワードでは、日本人監督として初めてジョン・カサヴェテス賞にノミネートされる。2016年には、カンヌ国際映画祭が実施するプログラム、シネフォンダシオン・レジデンスに世界中から選ばれた六人の若手監督の内の一人に選出され、長編二作目の脚本に取り組む。
映画『リベリアの白い血』
8月5日(土)よりアップリンク渋谷にてロードショー
リベリア共和国のゴム農園で働くシスコは過酷な労働の中で家族を養っていた。仲間たちと共に労働環境の改善に立ち上がるが、状況は変わらない。そんな時シスコは従兄弟のマーヴィンからニューヨークでの生活のことを聞き、より良い生活のために愛する家族の元を離れ、自由の国アメリカへ単身で渡ることを決意する。NYのリベリア人コミュニティに身を置き、タクシードライバーとして働き出したシスコ。移民の現実を目の当たりにしながらも、都会の喧噪や多種多様な人々が住むこの地に少しずつ順応していく。しかし、元兵士のジェイコブとの予期せぬ再会により、リベリアでの忌々しい過去がシスコに蘇ってくるのだった……。
監督:福永壮志
撮影:村上涼/オーウェン・ドノバン
音楽:タイヨンダイ・ブラクストン(ex.BATTLES)
出演:ビショップ・ブレイ/ゼノビア・テイラー/デューク・マーフィー・デニス/ロドニー・ロジャース・べックレー/ディヴィッド・ロバーツ/シェリー・モラドほか
製作総指揮:ジョシュ・ウィック、マシュー・パーカー
製作:ドナリ・ブラクストン/マイク・フォックス
原題:Out of My Hand
配給・宣伝:ニコニコフィルム
2015年/米国/88分/リベリア語・英語/ビスタサイズ/5.1ch/カラー/DCP