映画『僕とカミンスキーの旅』 © 2015 X Filme Creative Pool GmbH / ED Productions Sprl / WDR / Arte / Potemkino / ARRI MEDIA
『グッバイ、レーニン!』のヴォルフガング・ベッカー監督と主演のダニエル・ブリュールが再びタッグを組んだロードムービー『僕とカミンスキーの旅』が現在公開中。webDICEではヴォルフガング・ベッカー監督のインタビューを掲載する。
名声や金を得ようと野心を抱く若き美術評論家ゼバスティアンは、60年代のポップアート界で人気を博した盲目の伝説的画家カミンスキーの伝記を執筆しようと彼に近づき、新たな事実を知ろうと旅に連れ出す。わがままなカミンスキーに翻弄されながらも、彼の奔放で数奇な人生と生き方に惹かれていくゼバスティアン。アート業界とそこに群がる人たちを虚実ないまぜに描き、アートの持つ役割について問うドラマであると同時に、31歳と85歳という歳の離れた二人が奇妙な友情を育んでいくコミカルなバディムービーでもある。
「映画はヒトコマごとに嘘をつく」という言葉があるが、私自身も人に何かを思い込ませたり、欺いたりすることへの関心が強い。『グッバイ、レーニン!』も主人公アレックスがある目的で他人を誤魔化し、欺き、思い込ませようとする映画だった。この映画の主人公ゼバスティアンは自分の目的を達成するためなら、人を騙すことなど最初から平気な男だ。しかし上には上がいるんだ。(ヴォルフガング・ベッカー監督)
歳をとることの真意をついた原作小説
──ダニエル・ケールマンの原作小説「僕とカミンスキー」を読んで、すぐ映画化したいと思いましたか?
小説をとても楽しく読んだとしても、それだけで映画化しようと思うわけではないんだ。読んだ瞬間に、「すごい、ぜひ撮ろう」などとは考えない。たいていは何年か経って読み直してから意欲がわいてくるが、そのときは手遅れだ。映画化権はオプション契約で押さえられていて、ずっと後になって忘れた頃、ようやくオプションの期限が切れて映画化が可能になる。
映画『僕とカミンスキーの旅』ヴォルフガング・ベッカー監督 © 2015 X Filme Creative Pool GmbH / ED Productions Sprl / WDR / Arte / Potemkino / ARRI MEDIA
この小説はいわゆるベストセラーではなく、長年にわたって売れ続けるタイプの小説だ。ベストセラーの映画化は過大な期待が寄せられるため、なるべく多くの観客に合わせて撮る。その結果、期待は裏切られがちになる。筋をなぞるばかりで、映画自身の視点や勢いが欠けてしまうから。小説「僕とカミンスキー」には、幸いそのようなリスクはなかった。
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──映画化にあたって、どのような点が難しかったですか?
小説「僕とカミンスキー」の構成は、映画の古典的な3幕構成とは違う。小説ということになっているが、ちっとも小説らしくない。長編小説というより、むしろ“長くなりすぎた短編”だ。ドイツではノヴェラと呼ぶんだが、長い短編集なんだ。演劇のようで、ほとんどの事はカミンスキーの家で起こる。その後旅に出てロードムービーになる。映画では全体を8章に分けているが、原作は2幕しかないんだ。短いほうが語られていない空白が多く、そこを満たすことができるので創作意欲がわく。トーマス・マンのような長編小説だと、3分の2はカットする覚悟が要るからね。とはいえ、実際に映画化する段になると、思っていたよりずっと難しかったよ。
映画『僕とカミンスキーの旅』 © 2015 X Filme Creative Pool GmbH / ED Productions Sprl / WDR / Arte / Potemkino / ARRI MEDIA
ただ、ストーリー展開よりも登場する人物が中心なので、私の語り口には合っていた。通常、観客は好意の持てる登場人物の側に立って映画を観ることに慣らされている。ところがこの映画では、中心人物は二人とも好意を寄せにくいキャラクターなので、その点で工夫が必要だった。文学作品なら、恥知らずで良心のかけらもない性悪な主人公を書ける。読者は自分の好みに合わせて、不愉快さを適度に調節して読めるからね。登場人物を最初から終わりまで、突き放して書くことも可能だろう。しかし映画ではそんなふうに描くのは難しく、命取りになりかねない。
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──そもそも、この原作に惹かれた理由は?
いろんな理由がたくさんあるんだ。例えばどこを読んでも「歳をとる」という点に触れている。たぶん自分が歳をとってきたからかもしれないが。短い文章なのに、とっても機知にあふれた意味が込められていて。なのに著者のダニエル・キーマーは当時25歳ととても若かったんだ(笑)。こんなに若いひとが歳をとることの真意をついたような文章が何で書けるのかに驚かされたんだ。
それから、カミンスキーの人格にもひかれた。私生活では善人なのに、芸術家としての人生を送っている。彼の芸術家としての人生は、友人を利用し、家族を犠牲にし、究極のエゴイストなんだ。有名になるために、周囲の人はすべて彼中心に回らなければならない。原作の中では、映画以上に20世紀の輩出した最も重要な芸術家のひとりなんだ。
ところが人生の終わりには、彼にとってそういうことは一切意味がなくなる。最も愛した人を失い、その彼女をつきとめることができるんだが、落胆の何物でもなく、自分の中にあった最愛の人とは再開できなかった、みたいなものなんだ。彼女は4、50年前に彼を棄てた。全くの別人になってしまっていたんだ。
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“ポップアートの寵児”カミンスキーが生まれるまで
──架空の画家カミンスキーをどのように理解し、美術史に組み入れたのでしょうか。
カミンスキーは典型的なモダンアートには生まれが遅すぎて、むしろバルテュスと同じ世代だ。カミンスキーは若い頃にあらゆる美術の流れから影響を受けた。最初の師であるマティスのフォービスムから始まって、シュルレアリスムにも惹かれる。また若者らしいディレッタンティズム(学問や芸術を趣味として愛好すること)もあって、自分固有の表現を見つけるのはかなり晩年だった。
カミンスキーはまったくの偶然からポップアート展で有名になるが、これは大きな誤解によるものだった。ポップアートのつもりではなかった大きな絵が、ある点でそうも見えるというので一夜にして有名になった。それも絵のタイトルのせいだった。絵そのものと書き方に重点を置いていたカミンスキーの作品は、いわば目で見るための絵であり、コンセプトアートもしくはポップアートとは違う。ポップアートはそれまでのアートのコンセプトに対抗するものとして1960年代に重要なアートの流れとなったので、まさにカミンスキーはその関係で誤解されたんだ。
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──そのようにして、映画のなかでカミンスキーでっちあげるのは楽しい作業でしたか?
映画の始まりは原作とは全く違うんだ。原作でカミンスキーの具体的な活動については触れていないから、すべてを創り出すのは楽しかった。観た人にカミンスキーは架空の人物だと思ったのに、実在したのか?と思わせたかったから。ドイツのプレミアの前に、アート雑誌から取材をうけた。実在したような形で質問に答えたらインタビュイーは不安になった様子だった(笑)。
数か月前、実際にベルリンでスペースをかりてカミンスキー美術館で回顧展をやったんだ。映画で使った絵画と他にも何点もの作品を展示した。カミンスキー・ソサイエティーをでっちあげ英国人の友達がスピーチもした。ドイツ人の美術評論家が開会宣言もして。だからマスコミ関係者も実在した?と信じ始めたんだよ。でも2週間後にジョークでしたと発表したんだけど。
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伝記とは、神様にも真似できない過去の塗り替えだ
──カミンスキーは盲目の画家という設定でありながら、人を欺いたり錯覚を与える術を身につけていますね。
ネタバレは避けておこう。カミンスキーは本当に目が見えないのか、そのフリをしているのかは、この映画の大事なポイントだ。まさに、そのせいでゼバスティアンは伝記を書こうとして振り回されるはめになる。
「映画はヒトコマごとに嘘をつく」という言葉があるが、私自身も人に何かを思い込ませたり、欺いたりすることへの関心が強い。『グッバイ、レーニン!』も主人公アレックスがある目的で他人を誤魔化し、欺き、思い込ませようとする映画だった。それらはまったくの善意からだったが、時間が経つにつれてアレックス自身も思い込みが強くなり、母親に幻想を与えるために胡散臭いやり方で家族や友人を巻き込んでいく。一方、ゼバスティアンは自分の目的を達成するためなら、人を騙すことなど最初から平気な男だ。しかし上には上がいるんだ。
──この映画ではゼバスティアンとその他の登場人物の過去がほとんど明かされませんね。
そう。登場人物の行動や心理が、彼らの過去から説明されることはない。姿を現したかと思うと、すぐに消えてしまう。現れたその一瞬が勝負なんだ。唯一の例外はカミンスキーで、彼の過去については多くのことが語られる。しかし結局、どこまでが真実で、どこまでが伝説なのかわからない。伝記というものは、神様にも真似できない過去の塗り替えだ。20世紀の偉大な画家のひとりとされるカミンスキーは、「芸術に意味はない」と言い放つ。そこで私たちは唖然する。そうなると、映画の最初に出てくる客観的なドキュメント風のパートも信用できるのかと思わされるわけだ。
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僕とダニエル・ブルーリュは父と子みたいな友人関係
──カミンスキー役のヤスパー・クリステンセンはどうやってみつけたのですか?
最初はフランス人俳優をさがしていたんだけれど、80歳代でドイツ語が少し話せるフランス人俳優をね。それが不可能だったんだ。加えて80歳代の俳優さんは、長い台詞が覚えられなくなってるし、ロケの多い撮影も身体的に無理なんだ。エージェントがデンマーク人のヤスパー・クリステンセンを推薦したんだ。ナチ映画に出ていた彼の演技をみたら、少々のデンマーク訛りはあるんだが、ドイツ語が上手くてね。彼に会ったらとても気に入って、起用することにした。コーチについて練習してもらってフランス訛りのドイツ語にしてもらったんだ。ルックスはメイクで20歳老いてもらった。そのメイクには毎日3時間もかかったんだよ。
映画『僕とカミンスキーの旅』カミンスキー役のヤスパー・クリステンセンとゼバスティアン役のダニエル・ブルーリュ © 2015 X Filme Creative Pool GmbH / ED Productions Sprl / WDR / Arte / Potemkino / ARRI MEDIA
──12年ぶりのダニエル・ブルーリュとの仕事はいかがでしたか?
12年前の彼は凄く若かった。この前家を整理していたらあの時のカメラ・テストしたVHSテープが出てきたんだ。当時の彼は凄くシャイな青年で、初めてオーディションした時なんて、本当に不安げだった。すごく貴重だから保存しておこうと思った。当時はまるで父子みたいな関係だったんだ。その関係は12年ですっかり変わった。本作を作るときは同等の関係だった。彼は12年間の間に多くの映画を作ったから多く知識を得た。彼はスペイン、フランス、アメリカ、ドイツで映画を作り豊かな経験を積んだから。そのせいで映画つくりがずっと簡単になった。逆に複雑になった点もあったし。今でも僕とダニエルは父と子みたいな友人関係にあって、私生活でも付き合いがある。でも映画つくりに対する意見の違いもあり、それについては意見をたたかわせたよ。
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メインストリームの作品が用いるカタルシスを目指していない
──この作品には達磨大師のエピソードが盛り込まれています。「師よ、私には“無”しかありません」という若者に、「では、それを捨てなさい」と答える逸話ですが、これは本作を理解するカギなのでしょうか?
この映画はメインストリームの作品が好んで用いる心地よいカタルシスなど、最初から目指していない。そうした手法は、急いでこじつけた解決という感じを与えるからね。
だからゼバスティアンは旅の経験のおかげで急に生き方を根底から変えたり、別人になったりはしない。彼が行き着く先は、さしあたって困惑と空虚だ。そんなゼバスティアンに向かって、カミンスキーは「結構じゃないか。ようやく頭からゴミを掃き出したから、新しいものが入るスペースができただろう。これまで見ることの妨げだった邪魔ものが消えたかもしれん」と言う。これ見よがしのカタルシスではない。そこで達磨大師の話が大きな意味を持ってくるというわけだ。
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──『グッバイ、レーニン』の成功があなたにもたらした変化は何だったでしょうか?
あの映画が成功したとき、僕はもう若くなかった。だから僕の人生が大々的に変わることはなかった。若い時は、大きな成功で人格まで変わってしまうことがある。成功のうぬぼれたり、傲慢になってしまったり。それは僕には起こらなかったね。ダニエルも同様だよ。彼は若かったが、スターきどりになったことはなかった。地に足のついたナイスガイだよ。また僕の場合、アーティスティックな点でも考え方は変わらなかった。作りたい映画が変わることもなかったし。
──ハリウッドからのオファーも来たのではないですか?
ハリウッドで関係者何人かに会ったが、僕がハリウッドで映画を作る気があまりない、という印象を最初から与えたのかもしれない。ハリウッドは酷いところだと思うし、あそこに行ってすっかり変わってしまう人も多い。健康のためにも、心筋梗塞にならないためにもドイツにいるのが一番だと思う。
(オフィシャル・インタビューより)
ヴォルフガング・ベッカー(Wolfgang Becker) プロフィール
1954年、ドイツ、ヴェストファーレン生まれ。74年から79年までベルリン自由大学で、81年からはドイツ映画テレビアカデミー(dffb)で学ぶ。87年、卒業制作として「Schmetterlinge」を撮り、ハリウッドの学生アカデミー賞最優秀学生映画賞、ロカルノ国際映画祭の金豹賞を受賞。テレビの人気シリーズ「Tatort」の、「BLUTWURSTWALZER」(91)のエピソードで大成功を収め、94年、Xフィルム・クリエイティブ・プールの創立に参加。03年に監督した『グッバイ、レーニン!』は、60以上の国々に配給され全世界で6百万人が観る大ヒット映画となった。ドイツやヨーロッパの数多くの賞に輝き、04年アカデミー賞外国語映画賞ドイツ代表、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞にもノミネートされている。その他の作品に、「生きてゆく日々」(97)、短編映画「BALLERO」(05)、「ドイツ2009 - 13 人の作家による短編」(09)など。本作はベッカー監督にとって12年ぶりの長編最新作となる。
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映画『僕とカミンスキーの旅』
YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次ロードショー公開中
31歳の無名の美術評論家ゼバスティアンは金と名声ほしさに芸術家の伝記を書こうと思い立ち、スイスの山奥で隠遁生活を送る画家カミンスキーを訪ねる。カミンスキーはマティス最後の弟子でピカソの友人、そしてポップアート隆盛の60年代NYで“盲目の画家”として脚光を浴びた伝説的な人物だ。ゼバスティアンは新事実を暴く為、年老いたカミンスキーを言葉巧みに自宅から誘い出し、若き日に愛した女性のもとへ連れて行こうとする。しかしトラブル続きの旅はいつしか奇妙な方角にねじれ、思いがけない終着点に向かっていくのだった……。
監督・脚本:ヴォルフガング・ベッカー
原作:「僕とカミンスキー」ダニエル・ケールマン著(三修社刊)
出演:ダニエル・ブリュール、イェスパー・クリステンセン、ドニ・ラヴァン、ジェラルディン・チャップリン、アミラ・カサール
2015年/ドイツ、ベルギー/独語、仏語/123分/アメリカンビスタ/カラー/5.1ch
原題:ICH UND KAMINSKI
日本語字幕:吉川美奈子
R15+
配給:ロングライド
後援:ドイツ連邦共和国大使館、ジャーマンフィルムズ
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