骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2017-04-28 15:50


フォークシンガー高田渡の最後のライブを記録した映画『まるでいつもの夜みたいに』

代島治彦監督「渡さんがギター一本で描いた、さまざまなオーラを放つ肖像“映画”」
フォークシンガー高田渡の最後のライブを記録した映画『まるでいつもの夜みたいに』
映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』 旧友・坂庭省悟のギターで歌う高田渡

フォークシンガー高田渡さんのドキュメンタリー映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』が4月29日(土)よりアップリンク渋谷にて公開される。

『三里塚に生きる』の代島治彦監督が2005年3月27日に東京・高円寺の居酒屋で行った高田渡さんのライブの模様を記録したこの作品は、高田さんが逝去した2005年に劇場公開する予定だったが、「あまりにも素の渡さんが写っていて、今見るのは辛い」というご親族の意向で劇場公開を見合わせていた。2017年の今年、渡さんの十三回忌をむかえ一区切りついたということで、許諾を得て公開されることになった。

webDICEでは公開にあたり、代島監督に、4月16日の渡さんの命日に行われたトリビュートライブでの先行上映について、そして、渡さんとこの映画への思いを綴ってもらった。

この映画はフォークシンガー高田渡が、ギター一本で描いた人生最後の肖像“映画”だとぼくは思う。すぐれた肖像画はさまざまなオーラを放つ。この高田渡の肖像映画もさまざまなオーラを放つものになったのではないだろうか。(代島治彦監督)

フォークシンガー高田渡の人生最後の単独ライブ

2017年4月16日。フォークシンガー高田渡が亡くなってから丸12年が経っていた。渡さんの命日には昔の音楽仲間やファンが集い、歌い、酒を呑むというのが恒例行事となり、毎年つづいている。今年の命日にも全国の小さな店からホールまで、いろんな場所で高田渡追悼ライブがあった。渡さんがよく歌っていた吉祥寺や下北沢のライブハウス、那覇・栄町市場の居酒屋「生活の柄」、釧路・白糠町「アイヌ文化拠点施設ウレシパチセ」(2005年4月16日、高田渡はこの土地から旅立った……)など。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』代島治彦監督
映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』代島治彦監督

命日の夜、ぼくは息子の高田漣さんが主催する「高田渡トリビュートライブ2017@青山CAY」の会場にいた。映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』が特別先行上映され、漣さんとぼくのトークが組まれていたからだ。「今日は父の命日です。日本中のいろいろな場所で行われる追悼イベントを駆け回り、いまごろ父は大忙しだと思います」と客席を笑わせる漣さん。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
4月16日命日に行われた高田渡トリビュートライブ2017@青山CAY」、映画の上映がはじまる

100名近い熱烈なファンに混じって、会場には渡さんの兄たちの姿があった。長男の驍(たけし)さんと三男の烈(いさお)さん。渡さんは四人兄弟の末っ子である。次男の蕃(しげる)さんは病気療養中で、この夜は来られなかった。「かわいかったいちばん下の渡がいちばん先に亡くなったのが、いまでも辛くてね。今夜、みんなと一緒に観させてもらいます」と驍さん。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
「高田渡トリビュートライブ2017@青山CAY」、まるでライブのような上映会

ギター一本背負って、電車に乗って、ライブ会場へ

映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』が一筋の光になってスクリーンに投影される。

2005年3月27日日曜日の午後、渡さんが吉祥寺のアパートからギター一本背負って三鷹駅へ歩く場面から映画ははじまる。「13歳のときに三鷹に引っ越してきたから、もうこの辺りで40年以上暮らしている。めんどうくさいから引っ越さないんだよ、めんどうくさいから」。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』より アパートから三鷹駅へ歩く

1957年11月、父・高田豊に連れられた4人兄弟は、故郷の岐阜県北方(きたがた)町から夜逃げ同然で上京した(同年9月に母を亡くしている)。上野の住宅困窮者の一時避難施設に入ったのち、深川の保護寮に移り、父・豊は日雇い労務者として働きはじめる。4年後、やっと当たった三鷹市の2DKの都営住宅に引っ越した。渡さんはそれから40年以上も三鷹・武蔵野エリアで暮らしつづけてきた。

映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』

三鷹市の中学を卒業するとすぐに渡さんは印刷会社へ就職した。やがてピート・シガーやウディ・ガスリー、ボブ・デュランといった米国のフォークシンガーに憧れ、独学でフォークシンガーへの道を歩み出す。1960年代の日本では、フォークもロックも英語の楽曲をそのまま原曲通りに英語で歌うスタイルが主流だった。しかし、自分の気持ちを歌で表現したい渡さんは日本語の歌詞にこだわり、谷川俊太郎、金子光晴、山之口獏といった大好きな詩人の詩を米国のフォークやブルースの曲にのせて歌うという、渡さん独自のフォークソングの世界を切り拓いていった。

映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』 1971年中津川フォークジャンボリーで歌う高田渡

自分が歩いてきた道を振り返っている自分がいる

驍さんと烈さんはどんな気持ちで映画を観ているだろうか。

スクリーンでは「まるでいつもの夜みたいな」渡さんの単独ライブがつづいている。5曲目の『鎮静剤』を歌い終えたあと、焼酎をちびりちびりやりながら、渡さんは珍しくしみじみと語りはじめた。

「古い歌をやったりする。そういうときに、ふっとね、自分が歩いてきた道を振り返っている自分がいるんです、どっかにね。そういうときに、ふっとね、明日逝ってしまうのかな、と思ったりしますね、ほんとに」。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
最後の単独ライブを行った居酒屋タイフーン

渡さんが亡くなったあとにあらめてこの夜のライブの選曲を振り返ると、初期3枚のアルバムに収められた楽曲が多いことがわかる。ファースト・アルバム『ごあいさつ』(1971年6月リリース)から『失業手当』『アイスクリーム』『コーヒーブルース』『しらみの旅』、セカンド・アルバム『系図』(1972年4月リリース)から『69シックスナイン』『鎮静剤』、サード・アルバム『石』(1973年6月リリース)から『ひまわり』。渡さんが19歳から22歳の間に作った楽曲だが、どれも人間臭いペーソスとユーモアが溢れていることに驚く。父・豊と4人兄弟が路頭に迷った放浪生活での悲しみ。中卒で働きながら味わった理不尽な社会への怒り。世の中の底辺をさまようなかで培われた渡さんの才能は10代後半で早くも開花している。

この夜、渡さんは2003年12月に53歳の若さで急逝した音楽仲間・坂庭省悟さんのギター「Martin D-45 1972製」を弾いていた。ぼくの勝手な妄想だが、坂庭さんのギターが渡さんに珍しくしみじみ過去を振り返らせたのかもしれない。坂庭さんと出会った京都移住時代(1968年~1971年)を懐かしんでいたのか、このあと渡さんは京都で作った『コーヒーブルース』を歌う。「三条へいかなくちゃ、三条堺町のイノダっていうコーヒー屋へね、 あの娘に逢いに、なに好きなコーヒーを少しばかり……」。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
居酒屋タイフーン店内

渡と再会できたという気持ちになりました

映画のラストシーンが近づいてきた。

「いつもは『生活の柄』を歌っておしまいということになっているんですが、もうそれもあきちゃったからね。今夜はもっと行き場のない歌を唄って終わりにしようと思います。長いこと、ありがとうございました」と言って、渡さんは『夕暮れ』を歌った。「夕暮れの町で、ぼくは見る、自分の場所からはみだしてしまった多くのひとびとを」。

四人兄弟のなかでも渡さんがいちばん父親と一緒にいる時間が長かった。深川でのどん底極貧時代、日雇い労働を終えた父・豊は毎日居酒屋に立ち寄る。酒に酔った父・豊を迎えにいくのが、末っ子・渡の日課だった。そこには「自分の場所からはみだしてしまったひとびと」がいた。三鷹市の都営住宅へ引っ越してから2年目、大好きだった父・豊が逝き、フォークシンガーを志す決意を固めた末っ子・渡は夢に向かってひとり巣立った。

『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
没後10年に出版された高田渡17歳から20歳にかけての日記『マイ・フレンド』

渡さんが長年住み慣れたアパートが映り、映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』は終わる。まるでほんもののライブが終わったときのような自然な拍手が客席から巻き起こった。

狭い居酒屋での単独ライブ。寿司詰めの客席で身動きもできず、最初から最後までずっと同じポジションから撮影する一台のカメラ。三脚は立てられないから、撮影はすべて手持ち。悪条件のオンパレード。でも、逆にそれが幸いした。臨場感が伝えられた。観るひとみんな、あの夜、あのライブの場にいたような気分になれる。

いちばん上の兄・驍さんと言葉を交わす。「映画はどうでしたか?」「渡と再会できたという気持ちになりました。ありがとう」。この映画はフォークシンガー高田渡が、ギター一本で描いた人生最後の肖像“映画”だとぼくは思う。すぐれた肖像画はさまざまなオーラを放つ。この高田渡の肖像“映画”もさまざまなオーラを放つものになったのではないだろうか。2017年4月16日命日の先行上映会でぼくはひそかに胸をなでおろした。

(文・写真提供:代島治彦)



代島治彦(だいしま・はるひこ)プロフィール

1958年生まれ。埼玉県出身。早稲田大学政経学部卒。1994年9月から2003年4月までミニシアター「BOX東中野」を経営。劇映画は『パイナップル・ツアーズ』(1992年/製作 ベルリン国際映画祭出品)、ドキュメンタリー映画は『まなざしの旅 土本典昭と大津幸四郎』(2010年/監督・編集 山形国際ドキュメンタリー映画祭クロージング上映)、『オロ』(2012年/製作・編集)、『三里塚に生きる』(2014年/製作・監督・編集 香港国際映画祭・上海国際映画祭など出品、山形国際ドキュメンタリー映画祭特別招待)、映像作品は『日本のアウトサイダーアート』(全10巻、紀伊國屋書店)がある。テレビ番組は『戦争へのまなざし〜映画監督・黒木和雄の世界〜』(2005年/NHK・ETV特集 ギャラクシー奨励賞)など多数を演出。編著書は『森達也の夜の映画学校』(現代書館)『ミニシアター巡礼』(大月書店)など。新作のドキュメンタリー映画『三里塚のイカロス』(2017年/製作・監督・編集)が公開待機中(チョンジュ国際映画祭正式招待、シアター・イメージフォーラムにて9月公開予定)。




映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』

映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』
2017年4月29日(土)よりアップリンク渋谷にて公開

出演:高田 渡、中川イサト、中川五郎
監督・撮影・編集:代島治彦
語り:田川 律/題字・絵:南 椌椌/ピアニカ演奏:ロケット・マツ
整音:田辺信道、滝澤 修/宣伝美術:カワカミオサム
配給協力:アップリンク、TONE
製作・配給:スコブル工房
2017年/カラー・B&W/デジタル/74分

渡さんの息子であるミュージシャンの高田漣さんをはじめ、渡さんに馴染みのある方々のトークショーも開催、詳細はアップリンク公式サイトまで

映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』公式サイト


▼映画『まるでいつもの夜みたいに~高田渡 東京ラストライブ』予告編

キーワード:

高田渡 / ドキュメンタリー


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