骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2016-12-16 13:20


絵画で心の病気を治そうと闘ったひとりの女性精神科医の実話『ニーゼと光のアトリエ』

東京国際映画祭グランプリ、主演女優賞W受賞、監督が語る「作らなければならない作品」
絵画で心の病気を治そうと闘ったひとりの女性精神科医の実話『ニーゼと光のアトリエ』
映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero

1940年代にリオデジャネイロで、電気ショック療法など暴力的な治療法が使われていた当時の医療の現場で、絵画で患者の心を表現させる「芸術療法」を取り入れようと闘った女性精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラを描いた映画『ニーゼと光のアトリエ』が12月17日(土)より公開。本作は2015年の第28回東京国際映画祭でグランプリを受賞、ニーゼを演じたグロリア・ピレスも主演女優賞を受賞した。

webDICEでは、ホベルト・ベリネール監督とプロデューサーのホドリーゴ・レチェルのインタビューを掲載する。


実在の精神科医ニーゼのパワフルな人生

──実在の精神科医ニーゼ・ダ・シルヴェイラの映画を撮ろうとしたきっかけは?

ホドリーゴ・レチェル(以下、レチェル):私の友だちが彼女の人生や仕事について書かれた本を読んでいて、その本の取材をしたのがきっかけです。取材中に、「これって映画になるんじゃないか」と思って。私たちはよくドキュメンタリーを製作しているので、最初はこの映画もドキュメンタリーにしようとしましたが、ニーゼの人生があまりにもパワフルなので、これはフィクションでもイケるかなと。

映画『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督とプロデューサーのホドリーゴ・レチェル ©2015TIFF
映画『ニーゼと光のアトリエ』ホベルト・ベリネール監督(左)とプロデューサーのホドリーゴ・レチェル(右) ©2015TIFF

──監督は最初から決まっていましたか?

レチェル:私たちは同じ会社のパートナーなので、彼が関わることは決まっていましたが……。

ホベルト・ベリネール監督(以下、ベリネール監督):でも、最初から私が監督に決まっていたわけではありません。私は撮影監督で、他の人が監督をする予定でした。しかし話を進めていくうちに、その監督が、この映画を作るにはあまりに責任が重すぎるといって辞めてしまったのです。当時、私は他の映画にも関わっていたのですが、それでも『ニーゼと光のアトリエ』は作らなければならない作品だという想いが強かったので監督を引き受けました。

──監督が降りるほど重い責任のある作品を引き継いだプレッシャーは?

ベリネール監督:大きかったです。それに実際、大変でした。なにしろ、この話が出てから完成まで13年、私が監督に決まってから11年経っていますから。何度も何度も脚本を書き変えて、非常に深い話なのでなかなかフィットする脚本にならなかったのです。私たちは、脚本ができ上がる11年の間に、他の映画を5本作っているんですよ。それでも諦めずにやり続けたのは、それだけこの題材が大事な映画になると思ったからです。というのも、ニーゼという人物は私たちにとって重要な人でありながら、あまり知られていないからです。

映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero
映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero

病院のスタッフと一緒に寝食を共にしながら撮影

──実際に撮影を開始したのは?

ベリネール監督:2011年の中頃に脚本ができ上がって、2012年の1月に撮影を開始しました。それでも4年かかっています。その間に、実際に統合失調症の患者のいる病院で2~3ヵ月を過ごしました。病院のスタッフと一緒に寝食を共にし、統合失調症の患者さんも一緒にリハーサルをしたりしていました。彼らと過ごすことによって、実際に患者たちがどんな行動をするのかというのも分かりました。

映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero
映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero

──ブラジルのスター女優、グロリア・ピレスがニーゼを演じることになった経緯は?

ベリネール監督:最初は他の女優さんで決まっていたのですが、健康上の問題が生じて降りてしまいました。そこで、グロリアに話を持っていったら非常に喜んで快諾してくれました。彼女は第一線で活躍する特別な女優であり、いろいろなプロジェクトをやっている多忙の人。でも、そのプロジェクトとプロジェクトの合間を縫って、彼女が自由になった時にリハーサルから撮影に入りました。

映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero
映画『ニーゼと光のアトリエ』より、ニーゼを演じたグロリア・ピレス © TvZero

ドキュメンタリーのように
俳優のアクションにカメラがついていく撮り方

──患者の生態などがとてもリアルで圧倒されました。ドキュメンタリータッチのリアルさにドラマ性を加味するバランスは?

ベリネール監督:脚本の中に全部、台詞が書かれているシーンもあれば、状況だけ設定してあるシーンもあります。例えば、作業療法の部屋では全部、順撮りをしています。シーンリハーサルをし、そこに一人ひとりのドラマがわかっているコーチみたいな人がいます。演じる俳優それぞれが、動いたりしゃべったりしていく。

映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero
映画『ニーゼと光のアトリエ』より © TvZero

ひとりは、最初はあまりしゃべらないけれど、そのうちにいろんな物が汚れていって、そういう時はこんなしゃべり方をするとか。別の患者はこんなふうに動くとか。リハーサルでひとつの流れを作り、その後に撮影するのです。それもドキュメンタリーのように、アクションが起こる前にカメラが動くのではなく、アクションにカメラがついていく、カメラが動いていくというやり方をしました。

──ラストにニーゼご本人が登場しますが?

レチェル:1970年代初頭に製作されたブラジル人のレオン・フィッシュマンという人が撮ったドキュメンタリー『無意識のイメージ』があって、それは本作にも登場する患者さん3人を撮ったトリロジーです。その中にニーゼ本人が映っているのです。しかも、そのドキュメンタリーの本編ではカットされていたニーゼのインタビュー映像が、再販されたボックスセットの中に収録されていたので、使わせてもらいました。

(オフィシャル・インタビューより 取材/構成 金子裕子 日本映画ペンクラブ 2015年東京国際映画祭にて)



ホベルト・ベリネール(Roberto Berliner) プロフィール

1978年に映画、ビデオ業界で仕事を始める。『Born to be Blind』(04)『Pindorama』(08)『Herbert de Perto』(09)『Ruckus at the Circus』(13)などのドキュメンタリーを監督してきた。2014年に初めての長編劇映画『Julio Sumiu』を手掛けた。本作が2作目の劇映画である。

ホドリーゴ・レチェル(Rodrigo Letier) プロフィール

本作を製作したプロダクション会社Tv Zeroのエグゼクティブ・プロデューサー。ドキュメンタリー『LINGUA - Vidas em Português』(02)『A Pessoa é para o que Nasce』(04)などのプロデュースを担当。2011年の劇映画デビュー作となるマルクス・バルディーニ監督の『サンパウロ、世界で最も有名な娼婦』はブラジルで200万人を動員するヒットとなった。




映画『ニーゼと光のアトリエ』
12月17日(土)渋谷ユーロスペースほか全国順次公開

1940年代のブラジル。精神病院で働くことになった医師のニーゼは、患者に対するショック療法など、暴力的な治療が日常茶飯事になっている現実を目の当たりにし、衝撃を受ける。男性医師ばかりの病院で身の置き場も少ないニーゼだったが、患者を病院の支配から解放するため、患者たちに絵の具と筆を与え、心を自由に表現する場を与えようと試みる。

他の医師たちの反発に遭いながらも「医療の現場でよく聞き観察すること」「患者ではなく顧客だと考えること」という言葉を実践したニーゼの気高さと行動力を体現したグロリア・ピレスの演技の熱演に注目してよしい。そして手持ちカメラの臨場感は、ニーゼと一緒に国立精神医療所で過ごしているような感覚を観客に与える。

監督:ホベルト・ベリネール
出演:グロリア・ピレス、シモーネ・マゼール、ジュリオ・アドリアォン
プロデューサー:ホドリーゴ・レチェル
撮影監督:アンドレー・オルタ
美術:ダニエウ・フラックスマン
編集:ペドロ・ブロンズ
英題:Nise - The Heart of Madness
配給:ココロヲ・動かす・映画社○
2015年/ブラジル/109分/カラー/ヴィスタ

映画公式サイト

■渋谷ユーロスペースにて公開記念トークショー開催

12月17日(土)14:30の回上映後
ゲスト:東ちづるさん(女優・タレント)、中津川浩章さん(画家・アートディレクター)

12月18日(日)14:30の回上映後
ゲスト:倉光修さん(臨床心理士・放送大学教授)

渋谷ユーロスペース公式サイト


▼映画『ニーゼと光のアトリエ』予告編

キーワード:

ニーゼと光のアトリエ


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