骰子の眼

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東京都 渋谷区

2016-11-11 15:45


3D技術の新たな扉は演技と物語に開かれている―ヴェンダース監督が語る『誰のせいでもない』

ジェームズ・フランコ&シャルロット・ゲンズブール主演、「罪悪感」を描く人間ドラマ
3D技術の新たな扉は演技と物語に開かれている―ヴェンダース監督が語る『誰のせいでもない』
映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

ヴィム・ヴェンダース監督の新作『誰のせいでもない』が11月12日(土)より2D/3D同時公開される。webDICEではヴェンダース監督のインタビューを掲載する。

カナダのモントリオール郊外を舞台に、スランプに陥っていた小説家が起こした自動車事故をきっかけに、彼をとりまく人々の人生の変化を描いている。主人公の小説家トマスをジェームズ・フランコ、トマスが起こした自動車事故に巻き込まれた子どもの母親ケイトをシャルロット・ゲンズブールが、トマスの恋人サラをレイチェル・マクアダムスが演じている。インタビューでも語っているように、ヴェンダース監督は、トラウマを抱え生きていく主人公の10年間の物語のなかで登場人物の揺れ動く心理を美しいモントリオールの自然とともに描写。そのうえで物語を語る上での3Dの必然性、という命題に取り組んでいる。

「罪悪感」が私を惹きつけた

──ビョルン・オラフ・ヨハンセンが送ってきた脚本を初めて読んだとき、あなたを惹きつけたものは何でしたか?

それは「罪悪感」というものです。脚本に書かれていたのは、事故をおこした男が有罪かどうかというような話ではなく、作家や映画監督の創作活動に、実生活を利用すること、あるいは“ 食い物にする”ことによる罪悪感についての物語でした。他人の経験や苦しみを物語や映画に変えて、自らの仕事に使うことが許されるのか?この映画では、結果的に事故のトラウマがトマスを良い作家へと導きます。一つの出来事が彼に自己啓発をもたらし、それが仕事に活かされたのです。このようなとき、私たちにはどういった責任が発生するのでしょうか?これはとても根本的な問題です。事故を起こしたという直接的な意味に限らず、その出来事でつながった見知らぬ人との関係は一体何なのか?その人たちはその後の人生でどれだけ影響を受け続けるのか? これらは、トマスに限らず、私たちに関わる普遍的な問いかけです。

ヴィム・ヴェンダース監督 ©PeterLindbergh2015
ヴィム・ヴェンダース監督 ©PeterLindbergh2015

──トマスはあなたの別人格(アルターエゴ)と言えますか?

創作活動と現実の中で良心の呵責が生まれるという点では、イエスです。しかし、私がこの脚本をとても気に入ったのは、トマスが明らかにフィクショナルな人物像で、私が外側から観察できる人物だったからだと思います。私から若干の面を引き継いでいるかもしれませんが、私よりも『都会のアリス』のフィリップ・ヴィンターや、私の2大ヒーローである『さすらい』の“ カミカゼ”と“道の王”のほうが確実に近いでしょうね。あるいは、『パレルモ・シューティング』の写真家とか。トマスはどちらかと言えば内向的です。クリエイティブな人間で、作家で、“ミステリアス”。作家は全てを言葉に変える、この孤独で謎めいた仕事のために、恐らく出会いや会話の中で浪費できないのです。ペーター・ハントケ、ポール・オースター、マイケル・オンダーチェ、もしくはサム・シェパード、私の知っている作家たちもとても内向的で孤独で、私にとっていまだにミステリアスな存在なのです。トマスも謎めいた人物で、彼は自分に起こったことの多くを自分自身の中に留め、本の中だけで発展させます。しかし、映画として、単に動きのない男性を2時間見ていたいとは思いませんから、彼のリアルな感情を観客に提示したいと考えました。それがうまくいったのは、内面が“透ける”やり方でトマスを演じたジェームズ・フランコをキャスティングしたことで、観客がトマスを理解できたからでしょう。女性たちとの関係はトマスの心をほんの少し開かせます。場合によっては、ですが。とりわけトマスを自分の殻から引き出すのは、二人の子どもです。

──トマス役をジェームズ・フランコに決めた理由は何だったのですか?

彼に初めて会ったときの握手で、私は即座に彼がこの役に相応しいと心から確信しました。役者としてだけでなく、彼自身も作家であり、クリエイティブな人物なので、映画で描かれる根本的な葛藤を理解できるのです。しかし、事前に、俳優がカメラの前でどんな感じになるか、本当には知ることはできません。真実は撮影初日にのみ暴かれるのです。ジェームズは驚異的な存在感を持っていました。常に集中し、そして彼は常に現場にいたんですよ。撮影がない時も、近くで静かな場所を探し、読書していました。修士号の論文のため準備をしなければならず、撮影現場で朝から晩まで読書をし、20冊くらいの本を隅から隅まで読んでいましたね。撮影直前になって「ジェームズ、準備ができたよ」と伝えると、次の瞬間、彼は本を傍らに置き、トマスに戻るのです。

映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
映画『誰のせいでもない』より、トマス役のジェームズ・フランコ ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

アンドリュー・ワイエスのアプローチをモデルに

──トマスをとりまく3人の女性の役割を教えてもらえますか?

実際のところ4人なのですよ。物語の順に言うと、まずははじめにトマスが一緒に住んでいたサラ。彼女はある意味、この出来事で最も苦しんだ人物です。彼は彼女と2回破局します。それから男の子の母親、ケイト。彼女とトマスはこの物語の中で2回会うだけなので、深い関係になると思えないでしょうが、彼らの運命は互いに密接に絡み合い、特別な親密さや強い繋がりが彼らの間で発展します。それは、トマスの人生が、事故の生存者としてトラウマを抱え、青年に成長したクリストファーと密接に繋がっているからです。そしてアン。トマスの人生における新たな女性です。彼は家族として彼女とその娘のミナと共に生きる幸せを望みます。しかし、彼が自分の過去をこの二人から遮断している間は、それは嘘に基づいたものなのです。小さなミナは、物語の中でパワフルな存在感を示します。トマスとアンが同居し始めたとき彼女は7~8歳、物語の終わりでは15~16歳になります。4人の女性は紛れもなく出来事への対処がトマスより率直で、結果として彼に殻を破ることを強いるのです。女性はいつだって男性よりも遥かにダイレクトに物事に対処します。

映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.  映画『誰のせいでもない
映画『誰のせいでもない』より、トマスの恋人アン役のマリ=ジョゼ・クローズと娘ミナ役のリラ・フィッツジェラルド、トマス役のジェームズ・フランコ ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
映画『誰のせいでもない』より、トマスの最初の恋人サラ役のレイチェル・マクアダムスとトマス役のジェームズ・フランコ ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

──最初からケイト役にシャルロット・ゲンズブールを考えていたのですか?

当初、私たちは別の女優を考えていましたが、彼女は家庭の事情から辞退し、一からケイト役を考え直したとき、すぐにシャルロットが浮かんだのです。彼女と最初のシーンを撮ったとき、「ワオ! 他の誰がこの役をできるんだ?」と思いましたね。トマスは短い時間で、性別を超えたとても強い結びつきをケイトと築きます。わずかな時間しか一緒に過ごさないにもかかわらず、二人の運命は密接に絡み合い非常に親密になります。彼女は彼の助けになると考え、彼女の生活に彼をひととき招き入れます。それは非常に無欲な行動です。ケイトは孤独を感じず、あるいは苦痛なく一人で生きることができるような人間なのです。彼女は孤独をポジティブなものとして見つめることができ、そしてそれは非常に強力な特性です。私の眼にはこの映画の本当のヒーローはケイトです。

映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.  映画『誰のせいでもない
映画『誰のせいでもない』より、ケイト役のシャルロット・ゲンズブールとトマス役のジェームズ・フランコ ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

──レイチェル・マクアダムスはどのように本作に加わったのですか?

テレンス・マリックの『トゥ・ザ・ワンダー』と、あまり知られていないSF映画の『きみがぼくを見つけた日』を踏まえ、彼女がこの役柄に相応しいということはわかっていました。この2作品でレイチェルは、サラ役においても素晴らしい特性である巨大なポジティブ・エネルギーを放出しています。自然な自信とシンプルな良心を持っている、サラはそんな楽観的な人間で、実際、トマスが彼女のもとを去るとき、まるで天から追放されたように彼に感じさせます。ときに人は自分に対し、これまで自身に起こった最高のことをなぜ諦めたのかと問いかけることがあります。それでも人はそのことを人生のある地点で理解し進まなければなりません。サラと破局したことにより、トマスはアンとミナとの関係を築くチャンスを持つのです。

映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

──本作に重要なインスピレーションを与えた存在として、あなたはアメリカの画家、アンドリュー・ワイエスについて言及していますね。

アンドリュー・ワイエスは、ヨーロッパではさほど知られていません。私はあるとき、本で初めて彼を知り、すぐに好きになりました。そこには、光と場所を愛する一人の画家がいたのです! 写真撮影で言うと、きっと“スナップショット”と呼ばれるものでしょう。ワイエスは、はかない一瞬の印象を記録し、それをありえないほどの細部への注意と対象の人物への大きな愛で超現実的な絵画に変えることができるのです。雪の中で始まるという映画のアイデアに最初に取り掛かったとき、私は雪の描き方を本当に知っている画家はただ一人、アンドリュー・ワイエスだけだと思い至りました。そして彼の絵についてより詳しく勉強し、彼がこの映画のモデルとなったのです。雪の絵だけでなく、彼の光の描き方もその要因でした。人通りのない景色へとつながる道が窓の向こうに見え、遠くに海岸が広がるというこの素晴らしい絵があります。それだけです。開いた窓。しかし、そよ風が吹いてきて、カーテンが膨れ上がるのが感じられます。それがリアルに感じられるまで、画家がそのカーテンを描くのに何週間も費やしたことがわかるでしょう。そして絵を見るたびに、それは変化しているように見えるのです。ある意味で、絵画でのワイエスは、私にとって映画での小津安二郎なのです。そしてまた、非常にミニマリスティックで切り詰められ、とても献身的でありシンプルです。私たちの美術チームはワイエスの色を採用し、撮影監督のブノワ・デビエは彼の光へのアプローチを取り入れました。

3Dには物事や人間を引き立たせる能力がある

──映画の中で重要な役割を果たす時間の経過について、話してもらえますか?

ビョルン・オラフの1作目の脚本で、彼の時間の跳躍の扱いが面白かったことにすでに気づいていました。まるで自分がリアルタイムで見ているかのように時が経ち、それから突然数年が過ぎ、次の現実の断片へと進むのです。この跳躍と省略は、時間、年齢を重ねること、忘却、トラウマの変化だけでなく、罪悪感や、あなたから離れない過去を描く、ひとつのエキサイティングな方法です。ある人物の2年後や4年後の様子を突然目にし、そこに全く説明はなく、観客はその間に何が起こったのか推測しなければなりません。そして2年後また起きた出来事を理解し、そして出来事がまた起こる。そういうことです。そこに説明はありません。

──今作は『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』に続き、3D版が制作されています。

『Pina』での最大の驚きは、贅沢なクレーン撮影やエキサイティングな屋外シーンの撮影でもありません。撮影の最後で私たちが撮った最もシンプルなショットこそ本当に意外な発見でした。ただ暗い壁を背にしてカメラの前に一人座る各メンバーのポートレートを数分ずつ撮影したのですが、私はそこで、これまでの自分の3Dに対する理解を超えるものを発見しました。私が経験したものの全て―“空間”や一定の“深み”がそこにあるだけでなく、今まで見たこともない新しいものがあったのです。カメラの前の人物のシンプルで自然な在り方(existence)と、透き通るような“存在感(presence)”は、従来の映画でも新しい3D映画でも、どちらに限らずこれまで私が見てきたものを超えていました。このように高められたpresenceで語られる物語は、文字通り人の心の奥深くに届くでしょう。『誰のせいでもない』では多くのことがキャラクターの内部で起こり、まさにこの心の深い奥を3Dで語るに相応しい物語でした。

映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.
映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

──3Dカメラでの撮影は、出演した俳優たちの演技にどのような影響を与えましたか?

3Dは俳優たちにとって大きなチャレンジでした。このシンプルに全てを見て、気づいてしまうカメラの眼から俳優は逃れることはできません。3Dカメラの真実を捉える感覚は鋭い。わずかな誇張をも無慈悲に暴くので、俳優たちに“存在すること”を強い、そして“ 演じないこと”を強いるのです。そのため、私は特に、強く自然体な存在感をまとう俳優に注意を払いました。

ジェームズ・フランコは極度のミニマリストで、彼のパフォーマンスを制御するため、私はただ小さなヒントを与えるだけで十分でした。撮影の間、私は俳優たちを勇気づけました。カメラに向かって見せるのではなく、ただ存在するように、と。登場人物たちをより本物に、そして“裸”にするために、私たちは一つのシーンを何度も繰り返しました。奇妙なことに、今までに私が見た3Dは、人物以外についてのものでした。特殊効果、アクション、冒険、コメディ、そしてほとんどがただの巨大なコミックでした。しかし3Dには物事や人間を引き立たせる能力があり、俳優たちにこれまでにない大きな力をカメラの前で発揮する信じがたいチャンスを提供します。そして、この映画の俳優たちは全員がそのチャンスを掴んだのです。私は、3D技術の全ての新たな扉は、演技に対し、物語に対して開かれていることを確信しています。

3Dカメラにはあまり自在さがないことは確かです。しかし一方で、3Dカメラは我々に自由を与えてくれます。例えば、この映画の中にはシングルの固定ショットはなく、カメラはほんのわずかでも常に動いています。なぜなら、空間的な知覚がより強調されるからです。私の正面に座るあなたを見るとき、私の目は三脚上に固定されているわけではありません。左右あるいは前方への小さな動きを作ることによって、より確かに存在を記録し、感じることができるのです。頭を固定して凝視するよりも、はるかに良い。私たちはこれを“スライダー”と呼ばれる小さな装具を使って実現しました。スライダーは、レールにカメラを乗せるのでなく、三脚の上で全角度を巧みに動かせる1メートル以上の余裕をカメラマンに与えてくれます。カメラマンは自分自身の小さな移動撮影レールを持つかのように、思うままの動きが可能になるのです。

──最後に、モントリオール郊外を物語の舞台にするにあたってのロケーションと3D撮影の関係について教えてください。

私の作品は、非常に強い場所の感覚から作られていて、ロケーションは常に作品のエネルギー源となりますが、3Dでは、これまで以上にロケーションを理解することが求められます。これは3Dカメラが空間と連動することに関係していて、この準備をするのに、はじめは一人で、次に絵コンテ作成者と美術担当、最終的には撮影監督と共に長い時間を費やしました。他のどんな映画でも、今回ほど長い時間をかけたことはありませんでした。冬、秋、春、そして夏、あらゆる景色の中で実質2年間を過ごし、どのシーンでカメラをどこに設置すべきかが自動的にわかるほどになりました。例えば、ケイトの家について。右手に小さな丘があり、反対側には、夏には美しい黄金色になる広大な大豆畑を臨むことが私にはわかっていました……畑の真ん中には古い大きな木と古びた納屋……ロケーションがシーンの大部分であり、私は“それ自体に演じさせる”ことを目指したのです。

(オフィシャル・インタビューより)



ヴィム・ヴェンダース(Wim Wenders) プロフィール

1945年生まれ。1970年代にニュー・ジャーマン・シネマのパイオニアの一人として国際的に注目されて以来、ドイツ映画界のみならず世界の巨匠監督として活躍を続けている。劇映画・ドキュメンタリー映画で数々の受賞歴を誇るほか、脚本家、プロデューサー、写真家、そして作家としても知られる。『ゴールキーパーの不安』(71)で商業映画デビュー。その後、ロードムービー三部作『都会のアリス』(73)、『まわり道』(75)、『さすらい』(76)を発表。『アメリカの友人』(77)で国際的な大成功を得て以来、次々に成功をおさめ、『パリ、テキサス』(84)ではカンヌ国際映画祭パルムドールと英国アカデミー賞、『ベルリン・天使の詩』(87)ではカンヌ国際映画祭監督賞、『ことの次第』(82)でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、『ミリオンダラー・ホテル』(00)ではベルリン国際映画祭銀熊賞など、数えきれない映画賞を受賞している。代表的なドキュメンタリー映画作品には『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(98) 、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(11) 、『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』(14)があり、いずれもアカデミー賞Rにノミネートされている。2015年ベルリン国際映画祭では、その生涯功績を称えられ、名誉金熊賞を受賞。本作『誰のせいでもない』がアウト・オブ・コンペティション部門で上映された。




映画『誰のせいでもない』ポスター
映画『誰のせいでもない』より ©2015 NEUE ROAD MOVIES MONTAUK PRODUCTIONS CANADA BAC FILMS PRODUCTION GOTA FILM MER FILM ALL RIGHTS RESERVED.

映画『誰のせいでもない』
11月12日(土)ヒューマントラストシネマ渋谷ほか
全国順次ロードショー

冬の夕暮れ。作家のトマスは雪が視界をさえぎる田舎道に車を走らせる。すると突然、丘からソリが滑り落ちてくる。車はブレーキをきしませて止まった。そこには車の前で虚ろに座り込んでいる幼い少年がいた。トマスは彼を家まで送るが、少年の母ケイトは弟がいないことに気付く……。この悲劇的な事故は、トマスの過失によるものではない。弟にあと少しの注意を払うべきだった小さなクリストファーの責任でも、そしてまた、もっと早く家に帰るように息子たちに言えたはずのケイトの責任でもない。事故はトマスの心に大きな傷を残し、そのせいで恋人サラとの関係は壊れてしまう。しかし事故のトラウマを抱えようやく書き上げた小説は、トマスに新しい扉を開かせることになった。11年後、トマスは作家として成功を収め、編集者アンとその娘ミナと新しい生活を始めようとしていた。一方、ケイトやサラもまたそれぞれの人生をゆっくりと歩み、すべては良い方向に進んでいると感じはじめた頃、当時5歳だったクリストファーからトマスのもとへ手紙が届く……。

監督:ヴィム・ヴェンダース
出演:ジェームズ・フランコ、シャルロット・ゲンズブール、レイチェル・マクアダムス、マリ=ジョゼ・クローズ
脚本:ビョルン・オラフ・ヨハンセン
撮影:ブノワ・デビエ
音楽:アレクサンドル・デスプラ
原題:Every Thing Will Be Fine
2015年/ドイツ・カナダ・フランス・スウェーデン・ノルウェー/118分
配給:トランスフォーマー

公式サイト

▼映画『誰のせいでもない』予告編

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