骰子の眼

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大阪府 大阪市

2016-10-13 23:30


大阪の映画館シネ・ヌーヴォの改修を応援、クラウドファンディング実施中

20年間咲き続けた劇団維新派製作の巨大な薔薇のオブジェも補修
大阪の映画館シネ・ヌーヴォの改修を応援、クラウドファンディング実施中
シネ・ヌーヴォの館内にて、支配人の山崎紀子さん

大阪府大阪市の映画館シネ・ヌーヴォが来年2017年1月で20周年を迎えるにあたり、館内改装工事を行う。要望の多い男性トイレの洋式化、看板や維新派が作ったオブジェの改修などを行う予定で、現在、クラウドファンディング・サイトMotionGalleryにて支援プロジェクトを実施している。webDICEでは、支配人・山崎紀子さんからのメッセージを掲載する。

今回のクラウドファンディング・プロジェクトは、2016年12月26日までの期間で、500万円を目標に資金を募る。集まった資金は、場内のリニューアル工事、トイレの改装工事、看板取り替え、玄関のオブジェ補強工事に使用される。支援は3,000円から可能で、1日劇場貸切券のついた30万円のコースまで、各コース様々な特典が用意されている。 詳しくはプロジェクトページまで。

▼シネ・ヌーヴォ誕生から20周年! 20周年を前に、これからの20年に向けて館内改装工事を行ないます。

シネ・ヌーヴォ誕生から20周年!
20周年を前に、これからの20年に向けて館内改装工事を行ないます。
文:山崎紀子さん(シネ・ヌーヴォ支配人)

大阪市内のまだ下町情緒が残る九条の町にシネ・ヌーヴォがオープンして、はや20年。「映画新聞」紙上で「映画館をつくろう!」と呼びかけたのは、1996年11月号でした。シネ・ヌーヴォはその3ヶ月後の翌年1月にオープンしました。驚くべきことにたった3ヶ月で映画館をオープンさせるだけの熱い支援と、それを実現する行動力があったのです。どれほど多くの人が自分の観たい映画を観ることのできる映画館を渇望していたのでしょうか。まさに、望まれて望まれて、祝福されてシネ・ヌーヴォは誕生したのです。1997年1月18日のことでした。

シネ・ヌーヴォ
シネ・ヌーヴォの外観

シネ・ヌーヴォの前身は遡ること1970年代、「シネマ・ダール」という自主上映グループです。大阪、京都を活動の拠点とし、『結晶の構造』『ポケットの中の握り拳』『バリエラ』などを全国の自主上映の皆さんと共同で自主輸入・自主配給、そして上映を続けていました。そんな中、運命の映画と出会います。1983年、小川紳介監督『ニッポン国古屋敷村』です。この上映運動(カタい!)の最中、マイナーな映画をまず知ってもらうことの必要性を感じ、自ら媒体を立ち上げよう!との思いから1984年、月刊「映画新聞」が創刊されました。

シネ・ヌーヴォ
玄関のオブジェ

それまでは紹介されていなかったドキュメンタリー映画やアート映画などを取り上げるとともに、いちはやく国内外の映画祭のリポートなど、全国の映画ファンへ届けていました。しかし、90年代に入りミニシアターの時代になると、映画新聞で取り上げた作品が劇場で上映されるようになってきました。すると、ミニシアターの少ない大阪では観たいけど観られない、そういう状態になってきました。今思うと、映画ファンの希求の思いが、映画館を生んだのは必然のような気もします。シネ・ヌーヴォはその思いに応える映画館でなくてはならないし、責任だと私は思います。

シネ・ヌーヴォ
映写室の編集台

私は2001年11月にシネ・ヌーヴォにアルバイトとして入りました。働き始めて15年になります。入って少し経ったころ、シネ・ヌーヴォ開館5周年特集が華やかに開催されました。その頃私は油彩画を描いては、仲間と発表するということが生活の中心だったのですが、この5周年の特集で侯孝賢の『憂鬱な楽園』を観てしまいました。物語なんて全然わからなかったのに、スクリーンから吹く熱風にいろんなものを吹き飛ばされました。そして映画が残ったのでしょうか。2008年に前任者の退職により、支配人に就任しました。7年勤めていたにもかかわらず、すべてが手探り状態で、いろんな方に教えてもらいながら、迷惑もかけながら、進んできました。そんな15年でした。

映画新聞も15年。シネマ・ダールを立ち上げ、1999年11月の休刊まで15年間にわたり発行し続けた映画新聞の発行人兼編集長であり、シネ・ヌーヴォ代表の景山理さん。積んできた経験も知識も、闘ってきた数も何もかもかなわない。映画新聞を読むと、それがとてもよくわかります。しかし、そんなことで萎縮している場合ではない!時代は動いている!これからの20年は私たち世代の20年なのです。かなわなくとも、20年の歴史を引き継ぎ、未来へ向かうのだと、そのための改装工事がいよいよ始まります。

シネ・ヌーヴォ
修復が行われる館内の床面

今回の改装工事は全館改装とかスクリーン数が増えるとかそんな大規模なものではありません。「床面、トイレ、看板、オブジェ」というピンポイントの改装です。

場内の床面は毎年年末にスタッフを中心に友人やお客さんにも手伝ってもらって、ペンキで色をつくり、はけとローラーで塗り足し作業をしていましたが、場所によっては劣化が激しく、追いついていない状態でした。匂いなどもとれにくくなっており、防臭効果のある塗料で清潔な床にしたいと思っています。

女性用トイレの洋式化は2004年に完了していたのですが、男性トイレは和式のままでした。高齢化が進み、お客さんには大変ご不便をかけたと思います。男性トイレの洋式化はスタッフ一同、切に望んでいたことのひとつです。

シネ・ヌーヴォ
シネ・ヌーヴォの館内

シネ・ヌーヴォの看板は上映する映画のショーケースのようなものです。住宅街の中にあるシネ・ヌーヴォは地域の人にとっては日常の隣りにある映画館。毎日通るこの道の、ふと目に入る映画のポスターは、日々の生活の中でちょっと異彩を放つものであればいいなと願っています。その看板も20年間の雨風で痛みが激しく、新しい看板に取り替える予定です。

そして、シネ・ヌーヴォの目印でもある、劇団維新派製作の巨大な薔薇のオブジェは20年間、お客様を迎え、私たちスタッフを見守ってくれました。壁にとりつけられた頑丈なものですが、補修作業を行い、さらに強く安全なものに、そして永遠にシネ・ヌーヴォのシンボルとして大輪の花を咲かせ続けて欲しいのです。

改装工事を行うことは、シネ・ヌーヴォを今まで以上に利用しやすい映画館にし、また新しいお客様を迎えられるように、少人数のスタッフが働きやすい場でもあるように、これからの20年に向けて様々な思いが込められています。

新作を上映しつつも、旧作の特集上映を柱としたここ数年、シネ・ヌーヴォでしか上映されない作品も多くなりました。16mm、35mmの映写機が現役で稼働する映画館が少なくなるなか、シネ・ヌーヴォは毎日、カタカタと映写機の音が響いています。まだ映画の扉を開いていない若い人たちが、どこかで新しい映画と出会い感動した何年か後に辿り着く、そこで半世紀以上前の映画に出会う、個性が爆発した新進監督の映画に出会う、そんな場所を守り続けたいのです。

そして、応援してくださる皆さまとこれからの20年、30年、40年をともに歩み、新たな映画を発見する喜びを分かち合えたら、こんなに素晴らしいことはないな、と思います。どうぞよろしくお願い致します。




山崎紀子(シネ・ヌーヴォ支配人)

1977年、大阪生まれ。 大阪美術専門学校にて3年間、油彩画を学ぶ。在学中に今はなき梅田花月の夜だけ映画館「シネマワイズ」にてアルバイト。2001年、シネ・ヌーヴォに入社。2008年、支配人に就任。以降、数々の特集上映企画に携わる。釜ヶ崎を舞台にした16mm劇映画『月夜釜合戦』(佐藤零郎監督)の宣伝担当。




■『シネ・ヌーヴォ誕生から20周年! 20周年を前に、これからの20年に向けて館内改装工事を行ないます。』MotionGalleryプロジェクトページ

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