映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』より
オランダの自然保護区「オーストファールテルスプラッセン」を描いたドキュメンタリー映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』が10月29日(土)よりアップリンク渋谷で公開される。
リワイルディングとは、一度自然界で絶滅した動物種を、ふたたびその土地に放ち、失われた生態系を取り戻そうとする試みのこと。この作品は、オランダの首都アムステルダムから北東50キロの海沿いに位置する6000ヘクタール程の小さな自然保護区「オーストファールテルスプラッセン」に生きる生きものたちの1年を通してカメラに収めることで「野生」のあり方を問いかけている。webDICEでは、写真家の赤阪友昭さんがこの作品への思いを綴ったエッセイを掲載する。
希望の種としてのリワイルディング
― 自然の時間軸で大地を考える
文:赤阪友昭
2014年の夏、クマの撮影のために訪れたアラスカで、森に暮らす自然ガイドの友人から、とても美しい映像がある、と見せられたのがこの映画の予告編でした。舞台は、アムステルダム近郊の限られた土地に作られた自然保護区。その衝撃的な野生の美しさと、映像を見た時に感じたある既視感(デジャヴュ)から、ぜひその場所を見てみたいと思いました。図らずも、その夏に欧州へ向かう予定があったので、友人の紹介を受けて、この映画のカメラマンの一人に現地を案内してもらうことができました。それが、この映画の舞台であるオーストファールテルスプラッセンとの出会いでした。
赤阪さんによる昨年のオーストファールテルスプラッセンの写真 ©Tomoaki Akasaka
写真を生業とする者として、映像がしばしば嘘をつくことは知っています。実際よりも誇張されることや、撮影する人間の意図によって映像から伝わる内容は左右されることがあります。しかし、オーストファールテルスプラッセンはそうではありませんでした。本当に映像のままの姿がそこにあったのです。水辺に遊ぶ何千羽という水鳥や草原を疾走する馬の群れ、彼方に見える風力発電のプロペラを背景に赤鹿たちが草を喰んでいました。湿原はひとつの宇宙のようでした。そこが海の底から人間によって作られた干拓地だとは、とても思えませんでした。人が放棄したその土地には、隅々まで、野生のエネルギーが満ちていたのです。
映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』より
この映画に出会う前の数年間、福島県の被災地の自然をテーマに撮影を続けていました。取材地のほとんどが、放射性物質の影響がある地域で、時には立ち入り制限区域内へ許可を受けて入ることもありました。自然風景や野生生物を被写体とする撮影では、天候や光陰、そして生き物たちの生態に合わせて「待つこと」が基本となります。しかし、放射線量の高い場所では、待つことは即ち被曝の危険性を高めます。撮影の滞在時間を決めるのは、被写体ではなく、放射線の線量計と時計の数字でした。そして、大きな矛盾や問いを抱えながら、被災地で過ごした時間が見せてくれたのは、人が去った場所に戻ってくる豊かな自然の風景でした。
赤阪さんによる福島の写真 ©Tomoaki Akasaka
赤阪さんによる福島の写真 ©Tomoaki Akasaka
オランダのオーストファールテルスプラッセンで自然が作り出した風景と、津波の被災後に東北の沿岸部に戻ってきた自然の風景は、とても似ています。特に、湿地帯に繁茂する葦の様相などは瓜二つです。実は、どちらもが海だった場所から海水を取り除いて作り出した干拓地ですから、自然環境が似ていることは当たり前なのかもしれません。ですから、この映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』との出会いは、オランダと福島との出会いでもあると思うのです。これまで、干拓によって作られた土地を持つという以外に共通点のなかった二つの場所が、未来に向かって交差をはじめます。オランダの自然保護区を作り上げた野生と、放射能汚染により人が立ち入れなくなった場所を自然に戻していく野生はけっして異なるものではありません。
赤阪さんによる昨年のオーストファールテルスプラッセンの写真 ©Tomoaki Akasaka
私たち人間は、自然の中で生き延びるために、命を保障する枠組みを懸命に作り上げて来ました。そして、それを自分たちの力で成し遂げたと思い込んでいます。しかし、そうした生存圏そのものすら、野生の力がなければ成立することはありません。自然とは野生の営みの結果そのものです。人が手を放した場所は、いずれ自然へと回帰します。それは、放射能に汚染された場所も同じことです。では、人間がその場所から排除される時間はどのくらいなのでしょう?百年か、千年か、それとも一万年でしょうか。もし、この映画のように五十年で豊かな自然が戻るのであれば、百年も経てば人の痕跡は消え去り、千年も経てば放射能の影響も減少し、一万年も経てば、もし人間が生きていればそこを聖地と呼ぶことでしょう。放射性物質に汚染された土地を見るとき、人間の時間軸からみれば私たちはその土地を失ったようにしか見えないかもしれませんが、自然の時間軸からみれば、その土地を野生の力に託して膨大な年月をかけて人間が関わる前の状態に戻してもらうことになります。それは、ひょっとしたらずっと先の未来の子どもたちに、ものすごく豊かな自然を残せるチャンスになると考えることはできないでしょうか?
映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』より
私たちに欠けているのは、未来を考えるときに、人間の時間軸から自然の時間軸へシフトしてみる視点です。大地はけっして失われたのではなく、奪われたのでもありません。人間を除けば、あいもかわらずあらゆる生命体がその場所の上で遷移しつつ、すこしずつその土地を豊かにしてくれています。野生の力が働くかぎり、私たちの未来には希望が残されています。そのプロローグが、この映画『あたらしい野生の地―リワイルディング』です。
ひとつの提案があります。たとえば、この映画のように人間のためではなく野生の場として自然保護区を福島のどこかに残してみてはどうでしょうか。オランダのように人間の立ち入りをまったく禁止して、というのは難しいかもしれませんが、自然が原初の風景に戻るのをじっと見守る場所があれば、「人間は自然の中でどのように生きるのか」という問いに対する答えを与えてくれるように思います。
それはきっと、未来への希望の種のひとつとなるはずです。
赤阪友昭 プロフィール
1963年、大阪市生まれ。1996年、モンゴルでの遊牧生活及びアラスカ先住民の村での暮らしから撮影をはじめる。雑誌『Coyote』等に写真と文を掲載し、プラネタリウムの番組制作や国立民族学博物館での写真展など「継ぐべき命」をテーマに活動を続ける。2000年には、国際文化交流イベント『神話を語り継ぐ人々』を総合プロデュースし、札幌・熊野・東京にて公演。2008年には、三年をかけて故・星野道夫のためのアラスカにトーテムポールを立てた『星野道夫トーテムポールプロジェクト』を共同プロデュース。現在は、日本各地を訪れ、山や森の残された原初の信仰、縄文文化や祭祀を撮影・取材している。2009年から写真ギャラリー photo gallery Sai (大阪)を主宰。近著に『The Myth - 神話の風景から - 』がある。
『あたらしい野生の地―リワイルディング』
2016年10月29日(土)アップリンク渋谷他、全国順次公開
監督:ルーベン・スミット、マルク・フェルケルク
提供:チームRewilding
配給・宣伝:メジロフィルムズ
2013年/オランダ語/97分/カラー/シネスコ/オランダ