映画『歌声にのった少年』より。©2015 Idol Film Production Ltd/MBC FZ LLC /KeyFilm/September Film
今年4月に日本公開された『オマールの壁』のヒットが記憶に新しいパレスチナ人監督、ハニ・アブ=アサドの新作『歌声にのった少年』が、9月17日(土)から全国公開となる。
本作の主人公は、紛争の絶えないパレスチナ・ガザ地区で暮らす少年。彼の夢は“スター歌手になって世界を変える”こと。仲良しの姉と二人の友だちとバンドを組み、拾ったガラクタで楽器を作り、街中で歌っていた。そして、弟の声が“最高”だと信じる姉は、「カイロのオペラハウスに出る」という目標を立てる。
この物語は、全米の人気オーディション番組「アメリカン・アイドル」の中東版「アラブ・アイドル」に出場し、2013年の“アラブ・アイドル”に輝いた、ムハンマド・アッサーフの実話である。アッサーフは勝ち抜くたびにパレスチナ国民の期待を一身に背負う存在となり、アラブで知らない人はいないスーパースターとなった。現在も歌手を続けながら、国連パレスチナ難民救済事業機関青年大使を務めるなど、平和への活動を続けている。
以下に、当ウェブマガジンの編集長であり、ハニ・アブ=アサド監督の前二作『パラダイス・ナウ』と『オマールの壁』の配給を手がけたアップリンク代表の浅井隆による監督インタビューを掲載する。
他の作品よりも主人公が自分に近い
──この映画の英題は『アイドル』ですが、アラビア語での原題は何ですか?
『Ya Tayr El Tayer』、英語に訳すと“Fly Bird, Fly(鳥よ、飛べ)”です。これは曲のタイトルで、アッサーフがコンテストにスカイプで出演した時に歌った曲です。アラブ圏以外の国では、この曲名がアッサーフの歌だとわからないし、『鳥よ、飛べ』じゃ子供向け映画だと思われるので『アイドル』にしました。
ハニ・アブ=アサド監督
──なぜ元のTV番組名どおり『アラブ・アイドル』にしなかったんですか?
著作権の問題で出来ませんでした。「アメリカン・アイドル」とか「カナディアン・アイドル」とか、一連の“アイドル”シリーズの番組フォーマットを世界で売ってる会社があって(英フリーマントルメディア)、その会社が許可してくれなかったんです。
──なるほど。アメリカで公開する際に“アラブ”をタイトルに付けると、ビジネス的にマイナスなのかと邪推しました。
いいえ、それが理由ではありません。逆に、「アメリカン・アイドル」が人気番組として浸透しているアメリカでは、『アラブ・アイドル』というタイトルにした方が興味を持ってもらえると思ったんですが、出来なかったんです。
映画『歌声にのった少年』より。©2015 Idol Film Production Ltd/MBC FZ LLC /KeyFilm/September Film
──これは監督のオリジナルの企画ですか? それとも、製作側の企画ですか?
個人的にアッサーフの「アラブ・アイドル」での優勝には感動していたし、なにより、困難な時代におけるアートの力を発見した思いでいました。だから彼の物語にとてもインスピレーションを受けていたのですが、映画化の話はプロデューサーのアリ・ジャファーから来たもので、それを引き受けたかたちです。
──『オマールの壁』は100%パレスチナの資本でしたが、この映画はどうだったんですか?
25%はパレスチナで、70%がアラブ世界から、5%くらいが英国からです。
──『オマールの壁』がニューヨークの国連本部で上映された時に、観客とのQ&Aでプロデューサーが「出資したけれど儲かっていない」と言っていましたが、『オマールの壁』はやっぱりリクープ出来ていないんですか?
悲しいことに出来ていません。自分でも『オマールの壁』はよく出来た映画だと思っています。でも、今はインディペンデント映画には厳しい時代ですから。僕たちの時代は、インディ映画を観に映画館へ行きましたよね。今の若者もインディ映画は好きだけれど、映画館ではなくオンラインやTVで観てしまう。逆に彼らは、アクション大作は劇場の巨大スクリーンで観ることを好む。だから、大作を映画館に観に行く人の数は増えているけれど、良質の小規模作品を映画館で観る人は減っています。
映画『歌声にのった少年』より。©2015 Idol Film Production Ltd/MBC FZ LLC /KeyFilm/September Film
──ご自身は、NetflixやHuluなどの動画配信サービスで映画を観ますか?
僕は古い人間なので、映画は映画館で観るのが好きです。たとえ自宅に大きなスクリーンでデジタル上映できる環境があったとしても、映画館の暗闇で他人と共有する集団体験には替えがたいからです。それに、映画館では一時停止したりできないので、集中して最後まで観れますから。
──TVドラマも観ませんか?
ドラマは観ます。好きなのは『ゲーム・オブ・スローンズ』『ハウス・オブ・カード』『ベター・コール・ソウル』『ファーゴ』などです。でも、本数が多すぎて観るのが追いつきません。
──もしNetflixが、アラブ圏の観客をターゲットにしたTVシリーズを撮ってくれと依頼してきたら、引き受けますか?
もちろん。すでにそういう話は来ています。でも、アメリカ人は打ち合わせばかりで実現していません。映画にしても、アメリカでは毎年すごい本数が作られるけれど、良い作品なんてごくわずかで大半はゴミ同然です。
映画『歌声にのった少年』より。©2015 Idol Film Production Ltd/MBC FZ LLC /KeyFilm/September Film
──この映画は、監督の作品の中で一番個人的な映画だそうですが、どんな点が個人的なんですか?
主人公が他の作品よりも自分に似ています。アッサーフはアートを通じて自分を表現するという意味で自分に近いし、普通に人生を楽しみたいけれど、こういう状況下ではパレスチナの声を代表せざるをえないという点でも僕と同じです。
──ムハンマド・アッサーフをキャスティングすることは考えなかったのですか?
もちろん考えて数週間リハーサルをしましたが、彼は優れた歌手ではあっても俳優には向いていませんでした。だから、演技が出来なくても本人を主演させるか、アッサーフに似ていなくても演技力のある俳優を使うかのどちらかで、迷わず後者を選んだわけです。
──監督にとって良い俳優の基準は何ですか?
良い俳優は、感情を独自に操作できます。たとえば「笑って下さい」と言われて、普通の人は上辺でしか笑えませんが、良い俳優は心から楽しい気持ちになって笑うことができます。アッサーフはもちろん、発声を操作して素晴らしい声で歌を唄えますが、彼にあの役を演じてもらうのは名案ではなかったのです。
ガザ出身の子役たちと撮影現場で。
──とおっしゃいつつ、監督ご自身も出演されていますが、自分の感情をコントロールできたのですか?
ほんの端役ですから(笑)。あれは緊急事態だったんですよ。あの役の俳優が、分離壁の検問に引っかかって現場に来れなくなって、急遽、僕が代わりにやったんです。あのシーンの撮影に使わせてもらった屋敷のオーナーから、あと3時間で終わらせろと言われたので。
──映ったご自分を見ていかがでしたか?
自分の演技を見るのは嫌です。二度とやりたくありません。
ガザでの撮影
──ガザでの撮影は数日間しか許可されなかったそうですが、ガザに入ってすぐは、監督もクルーも空爆の跡にショックを受けて撮影を始められなかったそうですね?
瓦礫の山を目にして、ここで多く人が死んだ事実を思うと、怒りがこみ上げてきました。怒りを爆発させるわけにもいかず、泣くしかできなかったんです。
──スタッフは初めてガザに入った人が多かったんですか?
ほとんどのスタッフが初めてでした。
映画『歌声にのった少年』より。©2015 Idol Film Production Ltd/MBC FZ LLC /KeyFilm/September Film
──劇中で子供時代のアッサーフが、エジプトの“マクドナルド”でアルバイトをしてお金を貯めるシーンがありますが、当時はガザとエジプトをつなぐあのようなトンネルがあったんですか?
実は、今もまだあります。昔ほどは多くなくて、長さも短いようですが。
──大人になったアッサーフがエジプトに行くときに使う偽のビザは、取材をもとに作ったんですか?
実際に彼は別の手段を取ったんですが、それを映画にしてしまうと本人にトラブルが生じるので、ビザを偽造するというもっとドラマっぽいシナリオにしました。現実には、彼は賄賂を渡したんです。
──全体のうち、どのくらいが実話なのですか?
アッサーフ本人は、「80%が実話で20%がフィクションだけれど、その20%があるからこそ重要な真実が伝わる」と語っていました。
──アッサーフが「アラブ・アイドル」で優勝したのは、『オマールの壁』がカンヌ国際映画祭の“ある視点部門”で審査員賞を受賞した3週間後ですね。監督はどこで観ていたんですか?
ナザレの自宅です。カンヌから幸せな気持ちで家に帰ってくると、姉がアッサーフのことを教えてくれたんです。彼の朗らかさや粘り強さに驚きました。彼が優勝する最終回を、たくさんの人たちとナザレの広場で観ました。その時の僕の嬉しそうな写真が今も残っています。カンヌでの受賞よりも嬉しかった。
ムハンマド・アッサーフ
──キャストにガザ出身の子供たちを採用していますが、撮影で彼らを西岸地区に連れて行くには、許可取りなど苦労されたのではありませんか?
妻に聞いてください。そのあたりの手続きは彼女がやってくれたのですが、とても大変でした。
アミーラ(本作プロデューサーで監督の妻):夫からはいつも難題を頼まれます(笑)。子供たちをガザから出す申請して許可が下りるまで何カ月も待ちました。撮影の4日前にやっと子供たちが西岸地区に入れたので、リハーサルすらできませんでした。
──それはイスラエル側の許諾ですか?
アミーラ:イスラエル、ハマス、ファタハの3つから取る必要があって、一番大変なのはイスラエルの許可です。ガザを封鎖しているイスラエルは、非常な緊急事態でない限り、ガザから誰も出そうとしません。イスラエルにとって映画は緊急ではないのです。
ハニ・アブ=アサド監督(左)と、本作プロデューサーで監督の妻アミーラさん。
──最後のアッサーフが優勝に至るまでのシークエンスは、YouTube上の個人が撮ったようなライブ・フッテージとフィクションとが混ざって、パレスチナのエネルギーを強く感じましたが、最初からあの演出を考えていたのですか?
実際の映像を観たときに、「あぁ、これを再現するのは無理だ」と思ったんです。たとえどんなにいい役者が演じたとしても、どうしても嘘っぽくなってしまうだろうと。本物の映像を使った方がずっとパワフルになるし、観客も実話であることをリアルに感じられると考えました。
(インタビュアー/浅井隆)
ハニ・アブ=アサド監督プロフィール
1961年、イスラエル北部のナザレ生まれ。オランダで飛行機技師として数年働いたのち、映画界入り。主な作品に『エルサレムの花嫁』(02/未)、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート、ゴールデン・グローブ賞外国語映画賞受賞、カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞に輝いた『パラダイス・ナウ』(05)、ハリウッド映画『クーリエ 過去を運ぶ男』(11)、2度目のアカデミー賞外国語映画賞ノミネート、カンヌ国際映画祭ある視点部門審査員賞ほか数々の賞を受賞した『オマールの壁』(13)などがある。
映画『歌声にのった少年』
9月24日(土)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国順次ロードショー
紛争の絶えないパレスチナ・ガザ地区で暮らすムハンマド少年。彼の夢は“スター歌手になって世界を変える”こと。仲良しの姉ヌールと二人の友だちとバンドを組み、拾ったガラクタで楽器を作り、街中で歌っていた。だが、ムハンマドの声が“最高”だと信じるヌールは、「カイロのオペラハウスに出る」というとんでもない目標を立てる。資金稼ぎと練習を兼ねて結婚パーティで歌い、聴く者に言葉を失わせる美しい声で人々を魅了していくムハンマド。だが計画は予想もしない形で終わりを告げる。ヌールが重い病に倒れ、両親が治療費を用意できないまま亡くなってしまったのだ。姉との約束を守るため、ムハンマドはガザの壁を越えて、オーディション番組「アラブ・アイドル」に出場することを決意する──。
監督・脚本:ハニ・アブ=アサド
出演:タウフィーク・バルホーム、カイス・アタッラー、ヒバ・アタッラー、ムハンマド・アッサーフ
提供:ニューセレクト/配給:アルバトロス・フィルム
(2015年/パレスチナ映画/アラビア語/98分)
公式サイト:utagoe-shonen.com