映画『神聖なる一族24人の娘たち』より
映画『神聖なる一族24人の娘たち』が9月24日(土)より公開。webDICEでは監督を務めたアレクセイ・フェドルチェンコのインタビューを掲載する。フェドルチェンコ監督は、500年もの間ロシア連邦のヴォルガ河畔で独自の言語と文化を保ってきたマリ人の女性たちにまつわる説話を映画化。24人の娘たちの“生”と“性”を描いている。森の精霊と対話する女性オロプチーや、夫の浮気を疑い股間の匂いを嗅ごうとする妻オーニャ、男の亡霊にそそのかせれ裸で踊る女性たちなど、O(オー)から始まる名前の24人の女性たちの暮らしとそこで起こるエピソードが綴られる。美しい風景とともに、シュールであり微笑ましくもある逸話により、マリ・エル共和国のフォークロアを感じることのできる仕上がりになっている。
部外者のような視点で撮ってはいけない
──北欧・東欧・シベリア北西部に分布するフィン・ウゴル系民族をテーマにした前作『Silent Souls』を撮影した後、なぜまたこの作品でフィン・ウゴル系民族のもとに戻ってきたのですか?
前作で取り上げたメリャ人と本作のマリ人とは、同じフィン・ウゴル系民族に属するが、全く違う。『Silent Souls』は、あるメリャ人が、現代において消滅してしまったメリャの慣習で葬儀を行う物語だ。 実は、『神聖なる一族24人の娘たち』の脚本の構想は、『Silent Souls』より前にあがっていた。けれど、制作資金調達や、マリ人の文化について学ぶのに多くの時間が必要だった。彼らの特別な文化に身を浸さずして、このような映画を撮るのは不可能だし、それをモスクワで学ぶのはとても難しいことだった。そこで私はまず『Shosho』という作品を撮った。この作品は、マリ人の男たちにフォーカスをあてたもので、『神聖なる一族の男たち』ともいえる映画だ。そもそも私がウラルの文化に興味を持ったきっかけは、脚本家であり、言語学者、民俗学者でもあるデニス・オソーキンの存在があったからだ。彼はマリ出身で、様々な言語も知っている。彼のおかげでフィン・ウゴル系民族を題材にした、おとぎ話、ドキュメンタリー、コメディ、悲劇など、これまで様々なジャンルの作品を撮ることができた。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』アレクセイ・フェドルチェンコ監督
──民俗学を用いた映画というのは、ロシアではこれまでほとんど作られていないのでしょうか。あなたの『Silent Souls』と『神聖なる一族24人の娘たち』の誕生によって、この現状は変わっていくと思いますか?
民俗学を用いた映画は毎年のように作られているが、単純に私たちが観ることができないのではないかと思う。またロシア連邦の全ての共和国が自国の映画を毎年制作しているとは言えない。しかしバシコルトスタン、タタルスタン、サハの一部などでは国の映画が作られている。それは単純に撮影されているだけではなく、公開もされている。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』より
──いずれにせよ本作は、もっとローカルな話であり、あなたの映画は、多かれ少なかれノイズを生むと思います。
それは私が民俗学映画を撮ったわけではないからだろう。もちろん本作には民俗学的要素はあるが、私は、スラブ人たちよりもずっと前から、もともとロシアに住んでいた民族の土地の物語を伝えたかった。そしていかに多くの人に見てもらうために、どのようにそれを伝えたらよいかと考えた。もちろん映画に対して「このように観てほしい」といったような既定の解釈はないが、この映画は、BBCやナショナルジオグラフィックのように部外者のような視点で撮ってはいけないと思った。あくまでもその土地の中にいる者として、そこに住む人々のシンプルな物語を特異な伝統と共に描くべきだろうと。
──確かに本作の物語はある意味シンプルではあるのですが、なにか強烈に神秘的な土地の背景を感じます。
もちろん。だからこそ、マリ・エル共和国で、現地の人々と映画を作りたいと思ったんだ。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』より
誰もがみなエロティックな側面について話すのが好きなんだ
──マリ・エル共和国での完成披露上映はどうでしたか?
とてもよかった……と思う。実際には、完成した映画を観るまで、映画に対して拒否反応を示していた人もいた。なにせ何に対してもすぐに“腹を立てる”というのは今の流行りでもあるからね。誰もが自分は虐げられていると思っている。マリ・エルにもそういう人々はいる。彼らは、映画を観もしないで、撮影に協力的なマリ人や出演したマリ人女性たちに怒っていたし、監督(私)は彼らの女性たちを侮辱したと言っていた。まあ自分の映画作品に対する好評を期待する代わりに、批判を受け入れる心の準備はいつもしているけどね(笑)。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』より
──そういった映画に対して批判的だった人々の考えは映画を観て変わったのですか?
重要なことは、そういう人々の考えが変わることはないということだ。彼らは心が狭くなってしまっていて、自分だけの世界に閉じこもっている。そういう人たちのほとんどが、あまり教育を受けていない。だから彼らを攻撃するのはわりと簡単だ。もしそういう人がたくさん本を読んだり、様々なものを見聞きしたりすれば、このような映画を快く受け入れるようになるだろう。というわけで、プレミア上映の後、この映画に不満を持った1人が大声を上げ、他の観客たちは席を立たなかった。そこから私たちは、映画について2時間ぐらい議論をしたんだ。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』より
──そのマリ人たちとの議論の中で最も予想外で印象に残ったことは何でしたか?
そうだね。誰もがみなエロティックな側面について話すのが好きなんだ。男性たちはこんなこと日常では起こりえないと言った。しかし女性たちはまったく反対の意見だった。つまりこれら全てが真実だとね(笑)。私たちはとても愉快で楽しい会話をした。本当に良い議論ができたよ。
話は変わるが、私の前作『Silent Souls』をノヴォシビルスクで上映した時の話だ。上映後、人々は沈黙のまま座っていた。そこで私が、「黙っていないで何か質問してください」と言ったら、一人の女性が立ち上がって質問してきた「あなたは映画で描いたように、セックスがない田園風景というのを知っているのですか?」と。そこで私は彼女に「これは愛についての物語であり、映画の中で起こることは、全て主人公の男にとっては本当のことなのですよ」と説得した。その後、彼女は私のファンになったんだ。
──ところで、ロシア人が性のことについて語るのを控えるのはなぜだと思いますか?
伝統だろうね。とても古い伝統だ。事実、もっと性を扱うような映画が増えれば、もっと普通に人々がそういう映画に興味を持って観に行くようになるだろう。ただし、ポルノではなくて良い映画でなくてはだめだ。
(オフィシャル・インタビューより)
アレクセイ・フェドルチェンコ(Aleksey Fedorchenko) プロフィール
1966年ロシア・オレンブルク州のソリ=イレツクに生まれ、その後エカテリンブルグに移り現在も居住。工学を学んだ後、VGIK(全ロシア映画大学)でドラマツルギーを学ぶ。2004年に"Kinokompaniya 29-e Fevralya"(映画会社2月29日)を設立し、監督、プロデューサー、スーパーバイザーを務める。長編デビュー作『First on the Moon』(05) で、第62回ヴェネチア映画祭オリゾンティ・ドキュメンタリー賞を受賞。2010年に再びヴェネチア映画祭に出品した『Silent Souls』は、コンペ部門の撮影賞と国際批評家連盟賞を受賞。大地や水と限りなく親密なフィン・ウゴル語族の登場人物たちを描いた、瞑想的で詩的な物語である。他にアブダビやマル・デル・プラタ、ウラジオストックの映画祭でも受賞している。2012年には、ハーモニー・コリン監督、ヤン・キヴェチンスキ監督らとオムニバス映画『フォース・ディメンション』に参加し、その中の一編『CHRONOEY』を手掛けた。そして同年、ローマ国際映画祭で『神聖なる一族24人の娘たち』を発表。翌年のトロント国際映画祭のヴァンガード部門に選出、ブロツワフ映画祭でグランプリ受賞。最新作は『Angels of Revolution』(14)。現在、「ストーカー」「神様はつらい」などで知られるストルガツキー兄弟原作の『Kosmicheskiy Maugli』を撮影中。
映画『神聖なる一族24人の娘たち』
9月24日(土)、渋谷シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
監督:アレクセイ・フェドルチェンコ
原作・脚本:デニス・オソーキン
原題:Небесные жёны луговых мари
英語題:Celestial Wives of the Meadow Mari
2012年/ロシア/106分/カラー/DCP
配給・宣伝:ノーム
宣伝協力 :東風