映画『エル・クラン』より © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
ペドロ・アルモドバルが製作を務め、アルゼンチンで実際に起きた事件を映画化した映画『エル・クラン』が9月17日(土)より公開。webDICEではパブロ・トラペロ監督のインタビューを掲載する。
近所の人々から慕われ、一見幸せな家族のように見えるプッチオ一家。彼らの周りで金持ちだけを狙った身代金事件が多発。夜な夜な鍵のかかった部屋に食事を運ぶ家長アルキメデスを巡り騒動が巻き起こる。ワンカットで繰り広げられる殺害シーンなど、全編に漂う緊張感のなか、シュールとも言える誘拐劇が繰り広げられる。またデイヴィッド・リー・ロスの「ジャスト・ア・ジゴロ」など80年代当時の流行歌を多用した音楽も印象的だ。インタビューでも語られているように、家族をめぐる顛末から、アルゼンチン社会の歴史を垣間見ることのできる仕上がりになっている。
世の中に完全に通じるストーリーである
──プッチオの頃のアルゼンチンについてどんなことが記憶に残っていて、それはどのように『エル・クラン』の製作に影響しましたか。映画作りのきっかけはアルゼンチンについて語りたいとう想いが先ですか?それともプッチオの異常なストーリーのエッセンスを捉えたいという想いが先でしょうか?
プッチオのニュースを最初に聞いたとき私は13か14歳でした。プッチオ一家はごく普通の家族に見えました。彼らの近所の人たちですら、彼らが酷い犯罪の主犯格とは信じられなかったほど、彼らはどこにでもいる普通の家族だったのです。それから何年も時が流れ、プッチオの事件に基づく映画を作ることを考え始めたのは2007年に『檻の中』の準備をしている最中でしたが、当時の私はまだこの一家の、表面的な部分以外何も知りませんでした。あまり情報は残っていなくて、特に家長のアルキメデスとその時代との関連性は知られていませなんでした。調査する中で、この一家のストーリーが実は世の中に完全に通じるストーリーであることに気付きはじめました。また、アルゼンチンの歴史の知られざる時代を語ることができるとも思いました。アルゼンチンの独裁政治時代の暗い歴史を扱った映画は、過去にもたくさんありました。デモクラシーの初期に焦点を当てアカデミー賞を獲得した『オフィシャル・ストーリー』もその一つです。他にもその前後を描いた映画はありましたが、その真っ只中を描いたものはありませんでした。その過程はアルゼンチンにとってとても辛いものだったのです。
映画『エル・クラン』パブロ・トラペロ監督(中央」
多くの国民にとっては新しい時代への希望の象徴でしたが、同時に、その希望はとてもか弱いものでした。過去の歴史があまりにも辛かったから、何か陰謀を企てているような気持ちになってしまうのです。まだ子供だったけど、よく覚えています。民主主義の到来に喜んだけど、長続きしないんじゃないかという恐れもありました。映画の中にも、ある登場人物が「どれくらい続く?」と聞くと彼が「2年間だ」と答えるシーンを盛り込んだほどです。この会話こそ、あの時代と、民主主義の成功に懐疑的だった人々を象徴しています。
撮影の後半で、アルフォンシン大統領が過去を二度と繰り返してはならないと語った“Nunca Mas”のシーンから始めようと決めました。プッチオ一家の事件は病んだ社会の象徴です。政権の移り変わりもまた当時を象徴しており、この移り変わりがプッチオのストーリーに終止符を打ちました。ゆえに、映画の中に捜査を担う役は登場しません。なぜならこの一家を捕まえようとした具体的な人物はいなかったから。プッチオやプッチオのような人々の時代を終わらせたのは政治的な変化だったのです。彼らは後に“失業労働者の手”と呼ばれるようになります。それは彼らが軍に仕え、民主主義の始まりと同時に失業したことを意味しています。彼らは前政権の為に行っていたことを継続するため、事業を立ち上げました。プッチオのようなケースもいくつかありましたが、自分の家族を巻き込んだプッチオほど強烈な例はありませんでした。だから、全ては逆転の発想だったのです。一家について理解を深め、彼らの私的な部分を掘り下げていくうちに、アルゼンチンの歴史のなかのこの時代を証言する映画になると気付きました。
映画『エル・クラン』より © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
──プッチオ一家の強烈な心理状態を前に、一家のドキュメンタリー映画に仕上げなかったのはなぜですか。
あえてドキュメンタリー調は避けました。一家のストーリーは強烈すぎて、当初は脚本にまとめることすら困難でした。人々に信じてもらえるかも自信がなく、ましてや受け入れてもらえるだろうか?と。きっとみんな「トラベロは気が変になって、書きたいことをただ書き始めたんだろう」て言っていたでしょう。これについては『人生スイッチ』も手掛けた製作のマティアス・モステイリンとよく話し合いました。この信じがたいストーリーがどれだけ人々に信じてもらえるか。その単純な答えは、ドキュメンタリーではなく劇映画にあると信じて疑いませんでした。それでも、今回の映画を作るために長い時間をかけて調査を重ねました。密かによく知られた事件ですが、人々が道端で気軽に語る話題ではありません。事件について語るのは大抵上の世代の方々。映画のプレミア上映の直前に本も出版されました。でも、我々には膨大な調査資料、インタビュー、会話といったフィクションだと不要な情報がたくさんあります。もしかするといつかドキュメンタリー系の何かを作るときに使うかもしれませんね。
「太陽を手で隠すことはできない」
──収集した情報の中からプッチオの要素を歪めずに、インパクトある劇映画を作るのは苦労しましたか?
事実に基づいた映画を作るのは初めてだったので、大きな挑戦でした。映画に登場する人物が実在する人物というのは初めてです。これは責任重大でした。被害者家族も自分たちの名前が映画に登場するのを耳にします。彼らの実体験に基づいた話をどう扱えばよいかというのが課題でした。映画を観る大半の観客の目にはフィクションのように映るでしょうが、これは実際に起きた出来事なんです。被害者家族、特にロゲリア・ポッジィとギリェルモ・マヌキアンと話せたのはとても役に立ちました。事件の裁判官ら、当時事件を追いかけていたジャーナリストたちとも会いました。事件の病的状態についてアドバイスをくれる心理学者とも話しました。サン・イシドロ地区に住んでいた人々も訪ねました。長男のアレハンドロとラグビー部で一緒だったチームメイトたちからは彼の人物像を教えてもらいました。現実の世界でも映画の中でも、彼らは最後までアレハンドロが罪を犯したことを信じられずにいました。今でも彼らは心のどこかであれはひどい間違いだったんじゃないかと思っているんです。
当時誰かが監禁されているプッチオの自宅に夕食に招かれた人たちもいて、詳しい情報を話してくれました。
アレハンドロと父親の間で交わされた会話の記録はもちろんありませんでした。でも、複数の手紙があったので彼らがどんな会話を交わしたか想像はできました。今のように何でも動画に残す文化が未だ無い80年代の出来事でしたから、ビデオは残っていません。でも、写真は多く残っていて、脚本にする際にはもちろん、俳優たちにとっても役に立ちました。彼らがどのように振る舞い、アルキメデスがどのように息子を見ていたか、研究できました。映画化のプロセスは大変だったけれど、彼らの人生を再現するにあたっては、手に入る資料にできる限り忠実であろうとしました。
映画『エル・クラン』より アレハンドロ役のピーター・ランサーニ(左) © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
──何故被害者家族や調査に協力した人々は、とても私的な情報を提供してくれたんだと思いますか。
彼らは長年孤独でした。このストーリーの背景にはとても厳しい状況の中で正義を求めた人がたくさんいて、話を広めるには多大な負担がかかります。一家が有罪になるまでに時間が要した事件でした。今回の映画により事件を証明することには意義があります。映画化に複雑な想いを抱える人がいたことは、ラグビー部のメンバーやサン・イシドロ地区のような人々などにとって事実と向きあうことがいかに難しかったかを物語っています。
──プッチオ一家の関係はスクリーン上では恐ろしいくらい普通ですよね。アルキメデスとアレハンドロのやり取りは誇張して強烈に映し出されています。片方が一家の怪物だとしたら、もう片方は明らかにより人間的で、矛盾や良心を内包しています。
アルゼンチンにはこんな言習わしがあります。「太陽を手で隠すことはできない」。現実があまりにも激しいと、何事もなかったかのように過ごすのはとても難しいということです。
共感できない他人事にはしたくなかった
『エル・クラン』はアルゼンチン人であろうとなかろうと一般的な観客がある一定の政治的寓話を体感することができる映画になっています。社会が問題を解決しないと、その問題はどこか別の場所で起こりうります。海外の国の観客は30年前のアルゼンチンや今日のアルゼンチンとは関係なく、この映画の中で自分たちに通じるリアリティに直面するでしょう。時代の背景や現象の間に存在した何かがこの事件を引き起こし、不幸なことに似たようなことが様々な社会で繰り返されているのです。
──『エル・クラン』の撮影で、プッチオ一家による被害者の生き残りが映画の中でその痛みや過酷な事件を再び味わわなければならない事実はどう影響しましたか?映画はノワール風な美学をもちあわせながらも、親密な家族ドラマとして感情に訴えてきます。その結果はどうでしたか?
ストーリーが時折とても強烈でしたから、難しかったです。でも映画で家族の親密さを表現できたら、観客はストーリーを受け入れることができるだろうと思いました。どの家族も隠したい秘め事は持ち合わせています。物語は玄関の向こう側に秘められていました。観客は、そういった家族内の秘密に共感できる部分があるはずですから、それがこの映画と観客が繋がれる要素だと思いました。とはいえ、スリラーとメロドラマを両立させるのは大変でした。はっきりとわかっていたことは、単なるメロドラマには仕立てたくなかったということです。実際に数々の誘拐だけを取っても多くのスリラー要素が内包されています。僕の挑戦は、この2つのジャンルの垣根を超えた映画にすることでした。ある意味、ホラー映画だと捉えられる要素もあったと思います。観客が興奮し、楽しめる、しかし不安にもなり、熟考できる、といった感じられうる要素がたくさん詰まっています。映画を観るとこういった気持ちを全て経験するでしょう。それが私の作りたい映画でした。
『エル・クラン』で僕は観客を驚かせたかったけれど、加害者家族について彼らがやったことが極端だからと言って共感できない他人事にはしたくなかったのです。その距離感の作り方がとても難しかったけれど、観客が映画で描かれる歴史に恐怖を感じながらも感情移入できたことはとても嬉しかったです。観客は犠牲者に自分を投影します。そして劇中に登場する人々に恐怖を感じます。観客は劇中で単に演技する役者を見るのではありません。娘に数学を教える良き父親像のアルキメデスを見るのと同時に彼の無慈悲な暴力行為を目にするといったコントラストが、この映画を完璧なものにしたかは不確かではありますが、この極端な状態が映画全般に貫かれる感情的なインパクトを作り上げています。
──俳優ギレルモ・フランセーヤは一家の家長アルキメデス・プッチオ役で記憶に残る演技を披露しました。観客は彼が名俳優になるという劇的な瞬間を目撃したと思います。なぜなら彼は、同世代にとってはコメディの神様として崇拝されるような存在だったのですから。どうやってそんな彼の信頼を得て、この役をやる気にさせたのですか?
脚本を完成させる前に僕は俳優を確定させる必要がありました。ギレルモと会い、「この役を演って欲しい。まだ脚本は完成していないけど、もしこの役をやりたいならそう言って欲しい。これはドラマティックなキャラクターになるだけじゃなく、君にとっては生涯初の人々を恐怖に陥れる悪役になる。君のファンは君のことが嫌いになるかもしれない」と伝えました。ファンとそういった難しい関係を持つ俳優は多くありません。でもその俳優との信頼と絆が僕には重要でした。僕の妻は女優で、いくつか一緒に映画を作りました。監督と俳優で役作りをするために分かち合える信頼とリスクは、映画製作の過程で僕が最も楽しめることの一つです。この映画にギレルモが必要なのはわかっていましたから、僕らは絆を築きました。とても努力が必要な、気を緩めることができないことでした。
映画『エル・クラン』より、プッチオ役のギレルモ・フランセーヤ © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
アルゼンチンは人口に対してセラピストの率が最も高い国
──映画の前半に描かれる暴力的な犯罪を凌ぐインパクトが映画の終盤には押し寄せます。どこが一番大変でしたか? 最後の裁判所でのクライマックスシーンでしたか?それとも、プッチオ一家による犯行の再現でしたか?
エンディングです。でも、脚本を書くのも監督するのも大変でした。今回、『ハゲ鷹と女医』の撮影監督フリアン・アペステギアと再び手を組みました。撮影クルー全員に、観客に対し可能な限り登場人物を身近に感じるような身体的距離感を作りたいと提唱していました。例えば車の中に座っているシーンでは、カメラも車の中にあります。誰かがバスルームに居れば、その人物のすぐ横に居るようにしました。脚本では、マノキャンを誘拐するシーンのように、いくつかの長いシーンが書かれていました。全ての誘拐が、次は自分が犠牲者になる可能性を秘めています。映画は最初、誘拐シーンを除けば長男アレハンドロと家長アルキメデスの視点から語られます。でも最後のシーンは、実際のところ誰が犠牲者だったのか?を結論づけるものになっています。果たしてアレハンドロなのか、アルキメデスなのか。観客はアレハンドロの二つの顔を知っているから、観客のその気持ちの揺れが醍醐味になります。脚本では常にこういう手法で書かれていますが、これを映像にするのが大変なんです。撮影に多くの日数と、VFXの追加と完成までにまた日数を要しました。
映画『エル・クラン』より © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
──『エル・クラン』では、劇中で起きる事に対するコントラストの役割として音楽が重要な役割を果たしています。ある時には音楽が映画にダークコメディの印象を加えたりもします。どのようにこういったクラシックロック曲を選曲したのでしょうか?
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバルやキンクス以外は、ほとんどがその時代からの曲です。それら全てが軍事政権下では禁止されていた曲でした。興味深いことに、フォークランド時代から、イギリスの音楽は禁止されていました。中流階級家庭では、スペイン語の音楽を聞くことはありませんでした。英語の曲を聞くことが流行っていたのです。時代を表現するために選んだ曲もあります。例えば1985年にデイヴィッド・リー・ロスは大人気でした。そして1982年頃、アルゼンチンではセル・ヒランが有名でした。アルゼンチンのバンドVirusはエラ・フィッツジェラルドやクリーデンス、キンクスと並んで1983年を代表するバンドでした。キンクスの楽曲『サニー・アフタヌーン』(1966)は歌詞の皮肉さが特別なんです。
──誰も自分たちの汚点を露呈するようなことはしたくありませんでした。厳格な保守的コミュニティー内では特に。でも、『エル・クラン』はアルゼンチンで大ヒットを記録しました。なぜこの映画がそこまで観客に受け入れられたと思いますか?
この映画がアルゼンチンでそれほど成功したのは嬉しかったです。今まで信じられてきた「この手の映画は受け入れられない」という概念に反して、みんなが観てくれたことが実証されたのですから。映画を観て、そのことについて家族と話したりアルゼンチンの歴史について話そうとしてくれたことがとても嬉しかったです。映画は今のどの家族にも潜在するものを反映できています。アルゼンチン人が目を背けたいような問題と向き合うことができるほど成熟したことを知れて、嬉しかったです。僕らはみんなアルゼンチンがタンゴやその歴史の反芻で有名なのはわかっています。面白いことに、アルゼンチンは人口に対してセラピストの率が最も高い国なんです。このことに関係しているかはわからないけれど。でも『エル・クラン』の成功はこの手の映画にとって良い兆候です。『エル・クラン』の成功のおかげで、この種類の映画を作り続けることができるのですからね。
映画『エル・クラン』より © 2014 Capital Intelectual S.A. / MATANZA CINE / EL DESEO
──まだ存命するプッチオ一家のメンバーについて何が言えますか?彼らは映画製作のプロセスに参加しましたか?『エル・クラン』にどう反応しましたか?
僕らは妻のエピファニアに接触を試みたけど、彼女は僕らに話したがりませんでした。次男のマギラと長男のアレハンドロの友達と話すことができたので、マギラにもスカイプで話を聞こうとしましたが、実現しませんでした。でもアルキメデスに関して面白いことが起きました。2012年に『エル・クラン』の製作が発表された時、僕は他の企画に取り掛かっていました。その映画が公開されると、アルキメデスからメディアを介して「トラペロに会って真実を話したい」と言ってきました。僕が『エル・クラン』のためにアルゼンチンに戻ってきた時には、彼はもう亡くなっていました。もし僕が彼と話せていたなら、何を語ったのか想像がつきます。彼には犯罪に関与したという罪の意識はありませんでした。むしろ彼は犠牲者でした。でも僕が知りたかったのは、なぜ彼が家族に対してあのようなことをしてこられたのか?ということでした。なぜなら、映画を観てもわかる通り、そして僕らがリサーチしていた時ですら感じたことですが、彼は家族をとても深く深く深く愛していたのです。彼が犯したことは全て家族のためでした。ただ、映画でもわかる通り、家族は彼の意見に感化されてしまうのです。
──映画『エル・クラン』に犠牲者の家族はどのように反応しましたか?
犠牲者家族は、映画が被害者とその家族たちにトリビュートする形で物静かに存在していると捉えてくれました。これは正義を貫くための一つの手段なのです。プッチオ一家は人々を餌食にして彼らの現実の振る舞いを全て否定しました。こういった事件ではたまに謝罪がありますが、プッチオは被害者家族に謝ることは決してありませんでした。だから、この映画は、裁判所以外の場所で家族が倫理観の償いを感じることができる役割を果たしていると思います。アルゼンチンや世界中の人は今、プッチオ一家の残酷な犯行についてや、その狂気じみた仕打ちに被害者たちがどう苦しんだかについて公に話せるようになりました。
(オフィシャル・インタビューより)
パブロ・トラペロ(Pablo Trapero) プロフィール
1955年2月14日、アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ。アルフォンソ・キュアロン監督の『ルドandクルシ』(08)やアカデミー賞外国語映画賞を受賞したフアン・ホセ・カンパネラ監督の『瞳の奥の秘密』(09)など評判の高い映画に出演して以来、俳優として観客と批評家を魅了し続けている。彼は、アナ・カッツ監督の『Los Marziano』(11)やエドゥアルド・コルテス監督の『!Atraco!』(12)、マルコス・カルネバーレ監督の『Corazon de Leon』(13)、ダニエル・ブルマン監督の『El Misterio de la Felicidad』(14)などに出演。その他、様々な監督と働いているTVドラマではコメディ俳優としても有名で、絶え間ない活躍によりアルゼンチンのテレビ界で最も権威のあるマルティン・フィエロ賞を8回受賞している。
映画『エル・クラン』
9月17日(土)より新宿シネマカリテ、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
監督:パブロ・トラペロ
脚本:パブロ・トラペロ、ジュリアン・ロヨラほか
製作:ペドロ・アルモドバル、パブロ・トラペロほか
出演:ギレルモ・フランセーヤ、ピーター・ランサーニ、リリー・ポポヴィッチほか
原題:El Clan
2015年/アルゼンチン/110分/シネスコ/PG-12
配給:シンカ、ブロードメディア・スタジオ
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