映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』より
現代ヨガの源流T.クリシュナマチャリアの軌跡を追った映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』が2016年9月3日(土)YEBISU GARDEN CINEMA、9月10日(土)渋谷アップリンクほか全国順次公開される。監督であり劇中の案内人であるドイツ人映画監督ヤン・シュミット=ガレが自身のインド文化への憧れ、そしてヨガへの探求を語る。
重視したのは、偉大な指導者たちのインタビュー映像を撮るだけでなく、彼らがヨガをやっている様子を映すこと
──過去の作品では主にオペラ、演劇、ダンスなどのパフォーミングアートをテーマとされていますが、今作のテーマであるヨガにはどのような魅力を感じたのですか?
過去作と違うように見えて、実はあまり変わりません。ドキュメンタリーであれフィクションであれ、私の映画の中心にあるのはアートを創造するプロセスです。いかにアートは生まれるのか? ありふれた音や形は、どのように精神性を備えるのか? 同じ質問をヨガにも当てはめたのです。身体というのは、奇跡のように精神的なものへと変わるのです。
──ダンスのように?
外見はそうですね。正しい呼吸で集中しているとき、ヨガのシークエンスはダンスのような芸術性を帯びることを、この撮影を通じて学びました。それが変化を誘発するのです。フィギュアスケートもまさに同じで、スポーツではあるけれど、アスリートが演じるダンスにもなりうる。スポーツでもヨガでも、私が興味を持つのはそこなんです。
映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』より
──すると内側は?
正しい呼吸でヨガを練習していると、心と体の不思議な融合を感じます。体が霊的になり、心が形あるものに変わるような。ヨガを通してそんな感覚に出会いました。だから私にとってヨガは、他のどんな身体活動とも違います。ただし、セックスでは同様の感覚を得られることがあります(笑)。
──偉大なヨガの指導者たちから直接教わりたかったというのも、あなたがこの映画を作った理由ではありませんか?
それはある程度正しいです。私が重視したのは、偉大な指導者たちのインタビュー映像を撮るだけでなく、彼らがヨガをやっている様子を映すことでした。だから、彼らの指導シーンを何とかおさえようと考えたのです。自分がカメラの前に出たかった訳ではありませんが、身体がしなやかな25歳の学生などではなく、ヨガができそうにない人が出るべきだと思ったんです、私のような。ヨガは誰でもできることを伝えたかったからです。
──インドの旅は、西欧の研究者や芸術家たちから悪評を聞きますが、監督の印象はいかがでしたか?
インドにはずっと行ってみたいと思っていました──本当は新婚旅行でも行く予定にしていたんですが。20歳の頃、ニューヨークでインド料理を初めて食べました。当時ドイツにはインド料理なんてなかったですから。それから私はインド映画を知りました。特にサタジット・レイ監督のオプー三部作(『大地のうた』『大河のうた』『大樹のうた』)は素晴らしかった。インドの魅力は私の中で消えることはありません。
ヤン・シュミット=ガレ監督
──具体的にはインドのどこに魅力を感じますか?
この映画に出てくる、20世紀初頭の東洋の世界です。ザ・ビートルズが訪れた1960~70年代のインドのイメージには、興味を引かれません。だから、この映画には出てきません。しかしながら、20世紀に差しかかる頃のインドへの熱狂は面白いと思いました。針のむしろに苦行僧が座っているようなイメージのインドです。クリシュナマチャリアの写真を探している中に、そういう世界を見つけました。自分自身のスピリチュアルなヨガ体験とつながって、思いが爆発しそうでした。
──映画では1930年代のインドが映し出されます。ヨガはそれよりもずっと古いものではないのですか?
もちろん、ヨガは古代の修練法です。でも、20世紀より前の実践的なヨガがどういうものだったのか、ほとんどわかっていません。哲学的な伝統はきちんと記録されていますが、どう実践されていたかの記録は無いに等しい。これは、西洋が初めてヨガに注目するようになった19世紀末当時、ヨガが曲芸として見なされていた事実と関係しています。1930年代に実践的なヨガを復興させたのがクリシュナマチャリアでした。彼はヨガの新たな形式を生み出し、それが現在の巨大なヨガブームへとつながった。何千年もの昔からあった修練法が、近年になって一人の人間によって形成されたというのは、奇異といえば奇異です。
映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』より
──西洋人監督として、どのようにインドという異文化にアプローチしましたか?
文化的距離を出すようにしました。最初からはっきりしていたのは、この魅力的な東洋の世界に無邪気に溺れないことと、外国人(や撮影監督)の目は惹いても、さんざん使い古されたインドのイメージは避けることです。音楽を例に出すと一番説明しやすいかもしれません。たとえば、外国の文化を扱った映画で、その文化の音楽が使われていると、厚かましくて恥ずかしい気がしてしまう。西洋人の私はうわべでしか知らない音楽なのだから、必ず誤用するでしょう。けれども、自分の文化の音楽のことは良く知っているので、私自身の声の代わりとしてこの映画に用いたんです。私が使ったのは東洋に馳せる想いを表現した1920~30年代のピアノ音楽で、東洋の音楽的モチーフを西洋のテクニックでアレンジしているものです。実はそれは、私が映画監督としてやっていることにほかなりません。
──つまり映画監督として、東洋に馳せる夢を描いたと?
私は自分の文化からインドの文化を垣間見ようとしているのです。もちろん、それは魅力的ものを発見した映画監督なら、誰でもやろうとすることです。ジョージ・マクドナルド(スコットランドの小説家で詩人)は、「詩人とは、何かに喜びを見出し、他の人間にもそれで喜んでもらおうとする者である」と言いました。人は自分の経験を他人と共有するために記録します。ただ、観客に異国情緒のある映像を並べて見せるだけの監督も多くいます。本人にとっては、そういう映像に自分のインド体験が含まれているのでしょうが観客にとっては違います。観客は、その土地の匂いや雰囲気も知らない、撮影前後に何があったかも知らない。観客にスクリーンで同じ体験をしてもらうためには、監督は自分が持った印象を組み立てなくてはなりません。
映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』より
──それはどうすれば可能ですか?
編集段階で行ないます。映像が本来持つ力を発揮するためには、ふさわしい流れを作り出さなくてはいけない。クリシュナマチャリアの末娘シュバが見せてくれたヨガには、強烈な美しさと力強さがありました。そのシンプルな実演にヨガの真髄を見た気がして、これが映画のクライマックスの一つになるだろうと思いました。けれど、帰国して撮った映像をつないでいたら、その魔法が消えたように感じました。使えないと諦めかけていましたが、ようやく編集の最終段階で、ぴたりとはまる場所を見つけたんです。
──1990年代にはテクノジムやパワープレートなどのフィットネスマシンが流行していたのに、突然みんなが道具を使わないヨガを始めましたね。
確かにヨガは道具がほとんどいらないところが魅力です。必要なのは、2メートル×60センチのマットだけです。このマットの上で、あらゆること可能なのです。以前は、「ヨガマットを広げれば万事うまくいく」というような神秘的な言葉を煩わしく感じていました。けれども、そのうち「マットに上がれば、そこは小宇宙だ」という真実を私は理解したのです。長方形マットの上で、ピーター・ブルック(イギリスの演出家)の世界が広がるようなものです。私の映画の中に見えるすべてのこと、ヨガで行われるすべてのことが、マットの上で起こりうるのです。
ヤン・シュミット=ガレ監督 プロフィール
1962年、ドイツのバイエルン州ミュンヘン出まれ。ミュンヘン・イエズス会哲学院で哲学を、ミュンヘン映画テレビ学校で映画制作を学ぶ。1988年、制作会社PARS Mediaを設立。現在は妻と子供二人と共にベルリンに在住し、映画監督・プロデューサーとして活躍中。代表作は、『チェリビダッケ──何もせずとも…進化させよ』(1992年/シカゴ国際映画祭銀賞受賞)、『ブルックナーの決断』(1995年)、『オペラ・ファナティック──偉大なるディーヴァたち』(1998年)、『アイーダの兄弟と姉妹たち──オペラとコンサートで活躍する黒人歌手たち』(1999年)、『バウンド&アブソリュート・ゼロ──勅使川原三郎のダンス世界』(2002年)、『フルトヴェングラーズ・ラブ』(2004年)、『ソフィア~ヴァイオリン協奏曲が生まれるまで』(2008年)、『ショパンをオペラで』(2010年)など。
映画『聖なる呼吸:ヨガのルーツに出会う旅』
2016年9月3日(土)YEBISU GARDEN CINEMA、
9月10日(土)渋谷アップリンクほか全国順次公開
監督:ヤン・シュミット=ガレ
出演:T.クリシュナマチャリアの子供たち、B.K.S.アイアンガー、K.パタビジョイス
2011年/ドイツ、インド/105分/カラー、モノクロ/英語、カンナダ語、テルグ語、タミル語
原題:Breath of the Gods
字幕監修:ケン・ハラクマ
配給・宣伝:アップリンク