映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
ミック・ジャガーのプロデュースによるJBドキュメンタリーの決定版『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』が現在全国ロードショー公開中。上映中の渋谷アップリンクにて、ブラック・ミュージックへの造詣の深さでも知られるブロードキャスターのピーター・バラカン氏と音楽ジャーナリストの高橋芳朗氏を迎えてのトークショーイベントが行われた。この日は、映画を題材に、60年代にUKで青春を過ごしたバラカンさんのリアルタイムのJB体験をはじめ、公民権運動とJBの関わり方について興味深い逸話と分析が披露された。
JBはいつでもどこでもスタジオに入ってレコーディングさせる(バラカン)
高橋芳朗(以下、高橋):最初に、映画の感想をお願いします。
ピーター・バラカン(以下、バラカン):去年伝記映画『ジェームス・ブラウン 最高のソウルを持つ男』がありましたよね。この作品もミック・ジャガーがプロデュースしているのですが、別の面白さがあります。JBに関する本は既に読んでいましたし、昔から彼の音楽は相当聴いていましたから、ある程度知っているつもりではいたんです。けれど、このドキュメンタリーでは元バンド・メンバーのインタヴューがたくさん出てくるので、本には出てこない裏話が聞けます。とりわけお金の問題についてはこういうこともあったのか、といちばん面白かったです。
『ミスター・ダイナマイト』ピーター・バラカン氏と高橋芳朗氏
高橋:ミック・ジャガーはドラマとドキュメンタリー、ふたつの作品の製作を並行して進めていたらしいですね。それだけに、両者を照らしあわせてみると面白さは増幅すると思います。『ミスター・ダイナマイト』は、ある意味ドラマ版の解説として楽しむこともできるのではないでしょうか。これは画期的なスタイルですよね。ピーターさん、特に印象的なエピソードは?
バラカン:メイシオ・パーカーとお兄さんのドラマーのメルヴィン・パーカーが兄弟で楽屋に呼ばれて、というところです。メルヴィンが、メイシオに殴りかかろうとしていたJBに銃を抜いて「俺にも弟にも手を出すな」と伝えた。メルヴィンはこんなことするんだ!とびっくりしました。その後小学校の教師になった人ですよ。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、メルビン・パーカー
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、メイシオ・パーカー
高橋:リップサービスでもあるとは思うのですが、ドラマーのクライド・スタブルフィールドがブレイクビーツの定番「Funky Drummer」について「あの曲は大嫌いだ」と話していたのも最高でした(笑)。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、クライド・スタブルフィールド
バラカン:だってみんな寝ようとしているときにスタジオに呼び出したりするんですから。JBはいつでもどこでもスタジオに入ってレコーディングさせる、というのは有名な話で、それもレコーディング・スタジオだったりラジオ局の一室を借りたり。何度かインタヴューに出たクリスチャン・マクブライドはジャズの世界のベーシストですけれど、「Papa's Got A Brand New Bag」「Cold Sweat」がヴァンプというワン・コードで延々演奏するというスタイルについて語っていて、彼の言葉でこれは画期的なことなんだとあらためて思いました。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、クリスチャン・マクブライド
高橋:ヒップホップでいうブレイクビーツですよね。延々と同じビートをつないでいく。
バラカン:ヴォーカリストが途中でしゃべったりするためにそうしたことをすることはあっても、曲そのものをずっと同じコードで構成するというのは、それまではありえなかった。要するにジェイムズ・ブラウンという人は、いわゆる一般常識を一切考えていない人、ということです。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
1962年に自腹をきってライヴ・アルバムを出すミュージシャンは誰もいなかった(バラカン)
高橋:JBが編み出したファンクの構造を解き明かすにあたり、ジャズ・ミュージシャンをコメンテーターに呼んでいるあたりにアレックス・ギブニー監督の慧眼ぶりがうかがえますね。
バラカン:ピーウィー・エリスもジャズの世界を目指していた人でしょう。フレッド・ウェズリーもそうだった。ふたりともJBのバンドに誘われたときに、あまり彼のことを知らないで、これをバネに自分のジャズのキャリアを築いていけるから、と引き受けて、結局、ふたりともものすごくジェイムズ・ブラウンの音楽に貢献することになるんです。特にピーウィー・エリスは誰よりも要のメンバーです。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、ピーウィー・エリス
高橋:「Cold Sweat」は彼がいなければ生まれなかったかもしれません。
バラカン:JBが「俺が今からいうことを書け」ってリズムだけのフレーズを言って、彼は楽譜に書いて、たまたまマイルズ・デイヴィスを聴いていて「So What」の音を取り入れた。でもけっこう名曲ってそういう偶然によって生まれることが多いですからね。こういう話は大好き(笑)。
高橋:ピーターさんは1951年生まれですよね。リアルタイムのJB体験は?
バラカン:デビュー当時はぜんぜん知らなかった。「Please Please Please」から「Try Me」まで2年くらいは、いろんなシングルを出しても当たらなくて、JBも苦労したんです。その後ドーンと売れたのが『Live At The Apollo』です。チトリン・サーキット(アメリカ各地にあった黒人聴衆のための会場)というのが出てきましたが、レコードの印税は微々たるものだから、すごく小さい会場もハーレムのアポロ劇場のような大きなところも、黒人のバンドは年中ツアーをしていた。
高橋:興行で稼いでいたのですね。
バラカン:今はインターネットの影響で全てのミュージシャンがそういうふうになってきていますけれど、当時のチトリン・サーキットのミュージシャンはライヴでしか稼げない。JBはとにかくお客さんの反応を毎日見ていたから、ライヴ・アルバムを出せば売れる、と勘で分かっていたんですね。
キングレコードの社長のシッド・ネイサンはすごくケチな人で、ぜったいにライヴ・アルバムなんか人々は買わないと思っていた。でもJBは確信しているから、じゃあ自腹をきって出す、ここがまたすごいんですよ。ブラック・ミュージック、ポップ・ミュージックに関わらず、その歴史のなかで、1962年の時点で自腹をきってライヴ・アルバムを出す人は誰もいなかった。だから、自分に対する自信はすごいものだったなと思いました。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
高橋:クエストラブ(ザ・ルーツ)が『Live at The Apollo』について「黒人家庭には一家に一枚必ずあった」と言っていたのが印象的でした。
バラカン:クエストラブはまだ40代、彼の親が当時に買ったレコードが家にあったということでしょうね。この映画の編集はすごくうまくて、「Funky Drummer」をクエストラブが「こういうビート」と叩き出すと、ちゃんと同じテンポで曲がかぶさる。この編集はニクイですね(笑)。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より、クエストラブ
高橋:曲とエピソードが密接な関係になっているから、テンポが良いし非常にわかりやすい。
バラカン:僕が最初にリアルタイムで聴いたのは1965年「Papa's Got A Brand New Bag」「It's A Man's Man's Man's World」だと思います。海賊放送の真っ最中の時期で毎日聴いていたので、JBのあの時期のヒット曲がよくかかっていました。
高橋:「Papa's Got A Brand New Bag」が出た時点で、すでに他のソウル・シンガーとの格の違いみたいなものはありましたか?
バラカン:まだそのときはそうでもなかったです。もちろんかっこよくて大好きだったけれど、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケット、サム&デイヴ、アリーサ・フランクリンといったソウル・シンガーたちがいたわけですから。
高橋:劇中では「タミーショウ」で共演したローリング・ストーンズがJBに完全に喰われてしまった、というエピソードがありました。JBは音楽はもちろんライヴ・パフォーマンスの衝撃も大きかったのではないでしょうか。
バラカン:当時あの番組はUKではオンエアされておらず、80年代なかばにヴィデオで初めて観たと思います。1965年くらいに音楽番組「レディー・ステディ・ゴー」に出たのは観た覚えがあります。
高橋:ファンキー・ソウルから「Cold Sweat」でファンクに移行するサウンドの変遷については、リアルタイムで体感されていたんですか?
バラカン:60年代当時はファンクという言葉がまだ使われていなかった。あくまでソウル・ミュージックといっていて、ファンクと言い出したのは、70年代入ってからだと思います。JBでいえば、1972年の「Get on the Good Foot」あたりから。
JBのことを知らない人にもぜひ観てほしいドキュメンタリー(バラカン)
高橋:ピーターさんのなかで最初に公民権運動と音楽が結びついたのはいつですか?
バラカン:公民権運動は60年代の前半で、僕が小学校高学年から中学の時代にあたります。公民権法が成立するのが1965年で、まだ14歳だった。ボブ・ディランの音楽を聴いて、アメリカでそういうことが起きているということがなんとなく分かりました。テレビのニュースを観ていると、映画『グローリー 明日への行進』でも描かれていた1965年のセルマの行進はすごく大きなニュースになってよく覚えていました。マーティン・ルーサー・キングのことも知っていました。ワシントンの大行進も報道されていた。
そのあたりのことは分かっていたけれど、例えばマルコムXが暗殺されたことは知らなかった。後になって分かったことですが、当時のマルコムXはもっぱら扇動家、いまだったらテロリストと呼ばれていたかもしれない。
高橋:急進的で過激なイメージがあったと。
バラカン:そうですね。ネイション・オヴ・イスラムもそういう部分がありましたが、マルコムは完全に世間から勘違いされていたというのは、80年代後半に自伝を読んで初めて分かったことでした。
公民権運動と音楽との関係は、あまり分かってなかった。例えばサム・クックの「A Change Is Gonna Come」にしても、当時LPで持っていなかった。「A Change Is Gonna Come」はシングルのB面で、B面の曲は当時ラジオでかからなかったので、70年代に日本に来てサム・クックのベスト盤を買って知ったんだと思います。
JBと公民権運動の繋がりは、当時誰も意識していなかったと思う。この映画を観て「なるほど、そうだったのか」と思ったのは、JB自身がブラック・パワーだった。これはすごかったと思う。本人も政治的な意識を持ってやっているわけではなく、彼の存在そのものがブラック・パワー。これは映画ですごくいい解説があって、お父さんもお母さんもいなくて誰も信用できる人がいなくて、自分ひとりでやっていかなければしょうがないという状況から、あの、とにかくどんなことにも負けない意思が生まれた。多少の盗みをしたりはありましたけれど、少年院に入って、ボビー・バードに救われて、それからは独自の力であそこまでやってのける。そんな人はいない、すごい人です。ですからいろんな意味でこのドキュメンタリーは、JBのことを知らない人にもぜひ観てほしい。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
「施しは受けない、自分で取りに行け」というフレーズが印象的(高橋)
高橋:公民権運動を後押ししたサム・クックの「A Change Is Gonna Come」やインプレッションズの「People Get Ready」のリリースが1964年。それに対して、JBの「Say It Loud, I'm Black and I'm Proud」はちょっとあとの1968年リリースなんですよね。これは、JBのステイタスやポジショニングを考えるとちょっと反応が遅い気がしていたんです。でも、ピーターさんがおっしゃったように彼の存在自体がブラック・パワーの象徴だったということなのかもしれませんね。特に明確なメッセージを曲として発するまでもなく、彼の活動そのものが黒人たちを勇気づけたようなところもあったと。「Say It Loud, I'm Black and I'm Proud」については、ピーターさんはどんな印象をもっていましたか? 子供のコーラスが入っていたりと、曲の題材やキング牧師暗殺直後というタイミングを考えるとちょっとテンションが低いようにも思えます。世代を超えて広く届くことを重視したこそのあの作りとも受け取れますが。
バラカン:思いつきでしょう。急に思いついてあっという間に歌詞を書いて、いつものようにスタジオすぐにとれと命令して、夜中にレコーディングした。子どもの声がほしいからいっぱい集めようとしたんだけれど、スタジオが周りに黒人がいない地域だったので、白人とアジア系の子どもたちを呼んで録音した。
高橋:白人やアジア系の子供たちに「I'm Black and I'm Proud」と歌わせていたとは。
バラカン:でも録音に入ったらその気になってるから、いいんじゃないですかね。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
高橋:カーティス・メイフィールドやスライ&アンド・ザ・ファミリー・ストーンなど、ブラック・パワーと共に台頭してきた他の黒人アーティストと比較して、JBの政治活動の特異さやスタンスの違いについてはどのようにご覧になっていますか?
バラカン:JBはわりといい加減ですよね。この映画でも言っていますけれど、やってることが急進的な活動ではある、それも政治的な意図があってやっているのではなく、経済的には保守。自分の努力で成功すべきだ、と言っていた。僕はすごくよく分かるんです。ものの考え方はすごくリベラルなんだけれど、経済に関しては僕もけっこうJBと同じタイプ。僕の親は小さい頃に「金の貸し借りはするな」とよく言ってたので、めったに金は貸さない。貸したらぜったい返ってこないから。一度だけ、日本に来たときに、初めて部屋を借りるときに6ヵ月分の家賃が必要だからというので給料を前払いしてもらって、最初のボーナスでぜんぶ返したんだけれど、それ以外はお金は借りたことがない。自分の子どもにも「お金の貸し借りはするな」と、親に言われた通り言っていて。
でも資本主義経済では、国レベルではお金がなくなったら借りて、日本も量的緩和といってお札をどんどん刷って借金している。あれっていいことないよね。そのうち破産する危険性だってある。だから僕は経済に関してはJBの考え方は正しいと思う。個人と国は同じではないし、緊縮財政は国民はきついけれど、基本的にはそんな悪いことではないような気がする。
高橋:映画でも「施しは受けない、自分で取りに行け」(「I Don't Want Nobody To Give Me Nothing」)というフレーズが印象的でした。一般的な黒人の民衆にとってはちょっと厳しい提言じゃないですか?(笑)
バラカン:この映画でも言っていたように、彼は並外れた才能と、努力、意思の強さを持った人間だから、誰しもその強さを持っているわけではないから、多くの人にとっては酷です。そのあたりのバランスはすごく難しい。人は甘やかすと努力しないし、何もしないと残酷だし。どこでちょうどいいバランスを保つかは政治家も分かっていないと思う。でもJBを見て、自分はあの通りにはできないかもしれないけれど、ひとつのモティヴェイションにはなるかもしれない、という気はします。厳しいけれど、人生って厳しいんですよね。英語でLife is hard, and then you die、人生は辛い、そして死ぬという謂れがあります(笑)。その辛い人生をいかにして楽しむか、が大切なんです。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』より
ケンドリック・ラマーはJBの遺伝子を受け継いでいる(高橋)
──(客席からの質問)現在のアーティストで、JBの遺伝子を引き継いでいる、ブラック・パワーを謳っているアーティストは?
高橋:ルイジアナ州バトンルージュ、ミネソタ、そしてダラスと、この7月に黒人差別をめぐるショッキングな事件が相次いで起こりました。こうした事態を受けて、ラッパーのジェイ・Zは彼の運営するサブスクリプション・サーヴィス「Tidal」において自ら選曲した「Songs For Survival」というプレイリストを発表しています。ここで彼は時代を問わず23曲のプロテスト・ソングを選んでいるのですが、JBの「Say It Loud, I'm Black and I'm Proud」も入っていましたね。ただ、ブラック・パワーの直接的な継承者としては、やはりジェイ・Zのプレイリストにも選ばれていたケンドリック・ラマーになるでしょうか。彼が去年リリースしたアルバム『To Pimp a Butterfly』の核になっている「i」という曲は、まさにブラック・パワーのスローガン「Black Is Beautiful」やJBの「Say It Loud, I'm Black and I'm Proud」と通底したメッセージを持つ曲だと思います。ぜひ対訳付きの日本盤をチェックしてみてください。
バラカン:僕もそうですが、あのアルバムは聴きとりきれないところがあるから。
高橋:そういえば以前ロバート・グラスパーにインタビューしたとき、ケンドリック・ラマーのような問題意識の高いアーティストはごく僅かしかいないと嘆いていました。
バラカン:ヒップホップの前の時代でも、ラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンといった、言うべきことを言う人は若干いました。ビヨンセやディアンジェロの前のアルバムも多少そういう要素があった。亡くなったプリンスも「ボルティモア」という曲を発表した。でも、でもその人の存在そのものがブラック・パワーというのは、今も昔もJBしかいない。唯一無二のキャラクターです。
高橋:ヒップホップにおいて、JBは音楽/演奏だけでなく彼の声自体もよくサンプリングされています。これは他のレジェンドにはない、JB特有の現象なんです。それはやっぱり、JBの片鱗を示すだけでブラック・パワーを表現できてしまうということ、JBの存在そのものがブラック・パワーを強く意識させるということなのでしょうね。
(2016年7月11日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて)
ピーター・バラカン プロフィール
ブロードキャスター。1951年ロンドン生まれ。ロンドン大学日本語学科を卒業後、1974年に音楽出版社の著作権業務に就くため来日。現在フリーのブロードキャスターとして活動、「バラカン・ビート」(インターFM)、「ウィークエンド・サンシャイン」(NHK-FM)、「ライフスタイル・ミュージアム」(東京FM)、「ジャパノロジー・プラス」(NHK BS1)などを担当。著書に『ロックの英詞を読む〜世界を変える歌』(集英社インターナショナル)、『ラジオのこちら側』(岩波新書)『わが青春のサウンドトラック』(光文社文庫)、『ピーター・バラカン音楽日記』(集英社インターナショナル)、『猿はマンキ、お金はマニ』(NHK出版)、『魂(ソウル)のゆくえ』(アルテスパブリッシング)、『ロックの英詞を読む』(集英社インターナショナル)、『ぼくが愛するロック 名盤240』(講談社+α文庫)、『200CD ブラック・ミュージック』(学研)などがある。
高橋芳朗 プロフィール
音楽ジャーナリスト。1969年生まれ。東京都港区出身。タワーレコード発行のフリーペーパー『bounce』~ヒップホップ/R&B専門誌『blast』の編集を経て、2002年からフリーの音楽ジャーナリストに。エミネム、ブラック・アイド・ピース、カニエ・ウェスト、ビースティ・ボーイズらのオフィシャル取材の傍ら、マイケル・ジャクソン、レディー・ガガ、『FREE SOUL』シリーズなどライナーノーツも多数執筆。共著に『ブラスト公論 誰もが豪邸に住みたがってるわけじゃない』や『R&B馬鹿リリック大行進~本当はウットリできない海外R&B歌詞の世界~』など。2011年からは活動の場をラジオに広げ、『高橋芳朗 HAPPY SAD』『高橋芳朗 星影JUKEBOX』『ザ・トップ5』(すべてTBSラジオ)などでパーソナリティーを担当。現在はTBSラジオの昼ワイド『ジェーン・スー 生活は踊る』の選曲を手掛けている。
映画『ミスター・ダイナマイト:ファンクの帝王ジェームス・ブラウン』
渋谷アップリンク、チネ・ラヴィータ、
伏見ミリオン座、ufotable CINEMAにて上映中
8月13日(土)より長野ロキシー、浜松市民映画館シネマイーラ、
福山駅前シネマモード、Denkikan、宮崎キネマ館にて上映
【今後の上映予定】
8月15日(日)~シネマアミーゴ
8月20日(土)~ブリリア ショートショート シアター、塚口サンサン劇場
8月27日(土)~日田シネマテーク・リベルテ、シネマパレット
9月3日(土)~春日井コロナワールド 半田コロナワールド、シアターシエマ
9月15日(木)~横川シネマ
9月24日(土)~宇都宮ヒカリ座
ミック・ジャガープロデュース!異例のジェームス・ブラウン・エステート全面協力、未公開映像満載の驚異のドキュメンタリー。母親に捨てられ、靴磨きや売春宿の客引きをした不遇な少年時代を経て、“ショービジネス界で最も働き者”として音楽シーンに君臨したジェームス・ブラウン。そんな彼の知られざる素顔と“ファンクの帝王”と呼ばれるに至った経緯、そして今のアーティストたちに与えた絶大な影響を、未公開映像と全盛期のライヴ映像、バンド・メンバーなどの関係者、また彼に影響を受けたアーティストたちのインタビューで綴る、熱く、貴重な映像クロニクル。
脚本・監督:アレックス・ギブニー
プロデューサー:ミック・ジャガー
出演:ジェームス・ブラウン、ミック・ジャガー、アル・シャープトン、メイシオ・パーカー、メルビン・パーカー、クライド・スタブルフィールド、アルフレッド・“ピーウィー”・エリス、マーサ・ハイ、ダニー・レイ、ブーツィー・コリンズ、フレッド・ウェズリー、チャックD、アーミア・“ クエストラブ”・トンプソン
配給:アップリンク/2014年/アメリカ/119分/カラー/16:9/DCP
原題:MR. DYNAMITE:THE RISE OF JAMES BROWN
©2015 Mr. Dynamite L.L.C.