映画『兵士A』の先行上映に登壇した七尾旅人
七尾旅人のライブ映像作品『兵士A』が、渋谷アップリンクで8月20日(土)より一週間限定上映。8月15日(月)の終戦記念日に先行上映が実施され、七尾旅人が舞台挨拶に登壇した。
7月7日のDVD、Blu-rayリリースにあたり7月5日に渋谷WWWで行われた試写会に参加したアップリンクの担当者が、これは映画館で体験すべき「映画」であると、急きょ劇場公開を企画し、この度終戦記念日を皮切りにロードショー公開が決定した。
チケット完売・満席となった渋谷アップリンク・ファクトリーでの上映前、ギターも持たずに登場した七尾は、「映画館の壇上に来るとデビューしたときのライブみたいに緊張しますね」と若干手持ち無沙汰な様子だったが、『兵士A』のコンセプト、そして制作の経緯を解説した。
「このライブはもともと、映像作品にするという前提もない状態で、新進気鋭の映像作家、河合宏樹くんが友達に声をかけて7カメで押さえてくれて。だからリリースするあてもなかったんですが、彼が『お金の問題じゃなく、これを織り上げてひとつの作品にしたい』と言ってくれて、一生懸命編集してくれました」
そして七尾はこの『兵士A』をCD作品としてリリースする予定だったと、最初の構想を明かし、河合監督の情熱によって今回映像作品として完成したことを強調した。
「編集が終わっても、僕はまだ迷っていて『これを出す勇気がない』と言っていたんです。震災以降、福島で作った曲が入っているアルバム『リトルメロディ』(2012年)を出して、その後3年くらい何も出せない状態で、重苦しい曲ばかり毎日書いていた。もう一生アルバムが出ないんじゃないかと不安になっていたときに、WWWから「ほんとうに自由にしていい」と言ってくれたので、やってみようかと。ライブ前日に思い立って髪の毛も剃り落として、自分をテストする意味を込めて、CD10枚組くらいの楽曲から選り抜きました。でも3時間に及んでしまって、CD作品として出せるんだろうかってますます悩んでしまった。そのCDバージョンでは、最後に、少年兵が成長して渋谷のスクランブル交差点でテロを起こします。10枚組のCDの最後がテロだったら悲しい気持ちになるよね。だから、そういうエンディングよりも、今回の映像作品のエンディングのほうが、今僕は気に入っている。河合くんが編みあげてくれなかったら、自分はどうしたらいいか分からなかった。だからこの『兵士A』は河合宏樹の作品だと思っているんです」
七尾はこの作品を「偶然にもたらされた作品」と形容。「一生懸命に演奏したけれど、これがこうして世に出て、アップリンクで上映していただけるまでになったのは河合くんのおかげであり、これを支持してくれたアップリンク、今日忙しいなか集まってくれた皆さんのおかげであり、僕はいま借りてきた猫みたいな気持ちで、普段のライブのようにはうまく言えることがないです」と感謝の言葉を述べた。
そしてライブの映像を担当したひらのりょうを壇上に呼び込み、「天才ですね」と絶賛。ひらのは「七尾さんから『何日空いてる?』っていうメールが来て、ご飯でも連れてってくれるのかと思ったら、大規模なことになって、びっくりしました」と笑いながら返す。続けて七尾は、『兵士A』という物語を紡ぐことなったその核心を、自身のキャリアと照らしあわせながら語った。
映画『兵士A』先行上映より、七尾旅人(左)ひらのりょう(右)
「『兵士A』というのは、これから数十年ぶりに現れる、一人目の戦死自衛官のこと。ついさっき久しぶりに渋谷の雑踏を歩いて、この作品はテロが起こって終わるはずだったけど、そうじゃなくてよかったなと思いました。日本は『戦後日本』というお題目を呪文のように唱えて、ある種その虚実入り乱れる価値観を持ち続けてきた。朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需と、あらゆる戦争に加担して戦後復興と高度成長を成し遂げ、バブル経済に突入し、バブルが崩壊した90年代には内面の危機に日本は陥っていく。そのなかで僕も90年代末(1998年)にデビューしました。その作業のひとつの区切りとして今回の『兵士A』があります。素晴らしいものもいっぱい生まれているから、日本がずっと転げ落ちていく、と言い切ってしまうと語弊があるけれど、ただ日本が下っていく姿をずっと10代の頃から見続けてきてそれを歌にし続けてきた」
「ただこの先、日本は大きな壁をくぐろうとしています。ずっと建前としてきた『戦後日本』という言葉は、たったひとりの青年によって崩れ去る。僕たちと同じ普通の青年が、ある日、被弾する。最速であれば、11月の南スーダンの陸上自衛隊による『駆けつけ警護』でごく普通の青年が死ぬ。これは、たった一人の男の子が死んだ、ということではない。戦後日本という建前が崩壊する瞬間で、特異な状況をひとりの青年に負わせているという状況、日本というすごくフィクショナルな構造を持った国の特異点を僕なりに描いた作品が『兵士A』なんです」
トークの最後に七尾は、次のように語った。「普段複雑でイマジネイティブな作品を作っている彼が、この作品のためにものすごくシンプルでミニマルな、抑えまくった超シンプルな画にしてくれたんです。ほんとうはひらのくんの性格からいうともっと派手にいきたかったと思うんだけど、抑えに抑えてストイシズムの限界、バウハウス的な……アップリンクに来たから文化的なことを言いたくなっちゃった(笑)。この映画館大好きで、面白い映画をいっぱいやってるからよく観にきてるんです。こんないいところで自分の出ている作品を上映できるのは、ひらのくんと河合くんのおかげのようなものだから」
七尾は名残惜しそうに「芸術の力を信じてください。世の中に希望はあります」とメッセージを残し、壇上を後にした。
映画『兵士A』は8月20日(土)より渋谷アップリンクにて一週間限定上映。オンライン・チケットはアップリンクの劇場サイトにて8月18日(木)10時より発売となる。
映画『兵士A』より
七尾旅人『兵士A』
8月20日(土)より渋谷アップリンクンクにて一週間限定公開
作詞・作曲・演奏:七尾旅人
サックス・クラリネット:梅津和時
舞台映像:ひらのりょう
監督:河合宏樹
2016年/日本/175分/カラー/16:9
劇場サイト:http://www.uplink.co.jp/movie/2016/45666
『兵士A』特設サイト:http://www.tavito.net/soldier_a/
河合宏樹(兵士A 監督・撮影)
「兵士A」映像化に際して2015年11月19日、私は映像の無力さをまたしても思い知らされてしまいました。
この1度きりの公演は、決して「映像では伝えることはできない」と、カメラを回しながらひしひしと感じていました。
私は公演後改めて、記録とは何かという自問をくりかえし、自分の活動の無意味さと戦うことになりました。私がきちんとカメラを握り始めたのは、正確に言いますと2011年の震災以降になります。
そのとき、映画かぶれだった私にできることは、嫌というほど見させられた被災地の映像を撮るのではなく、起きてしまった事象に対して、自分の表現手段で真剣に向き合う人達の姿でした。
そして、無慈悲にも流れ去ってしまうものに対してそれをただただ記録していくということ。このようなアーカイブ活動をはじめ、多くの表現活動に触れてきたつもりです。あの日も、私はいつものようにカメラを構え、一つの命を懸けた表現に対してひたすら向き合う意志で挑んでいたように思います。
公演後、お客さんからの大きな反響と、自分自身に生じた強い必然性から、7カメラ分、20時間に及ぶアーカイヴ映像と、もう一度真剣に向き合うことになりました。演者である旅人さん自身は映像作品化を逡巡していましたが、目撃者の一人として私はどうしてもこの公演を世に問いたかった。
真理を射抜くものこそ流れ去ってしまう不条理、それに抗いたかった。私はこの公演を決して無かったことにはさせたくないという使命感のもと、今後も続くだろう表現の歴史の中で、この作品を誰もが振り返ることができる、新しく触れることができる、そういった形で残したいと考えたのです。記録映像は本公演と比べることはできません。その場にしかない臨場感というものは絶対的に存在します。
私は映像は別物になると考えています。私がファインダーを覗いて物語るその人間の光と闇に、その小さな可能性に、いつも懸けているつもりです。
それでいて、この大きなテーマと覚悟を背負ったライブの本質を一文字も間違いなく伝えなければならない葛藤と矛盾を抱えています(私は常にそうなのですが...)
この作品と向き合うには、自分が活動を始めた原点に立ち返り、ステージで行われていた事象というよりは、
七尾旅人、そして「兵士A」という人間に、いかに誠実に向き合えるか。また、その人間を見つめることが、必要でした。
結果、旅人さんが「兵士A」となり、一人で戦渦に飛び込み、その表現の葛藤と一人の人間としての矛盾の中でもがいている様子が自分の葛藤と矛盾にシンクしたときに、映像化への道すじが見えた気がしました。七尾旅人の「兵士A」は、人を扇動したり、ある方向性に向けて合意を促し、安心させようとするものではなく、あくまで孤独な戦場だったということです。
もちろん観客を動員し、戦争や歴史が他人事ではないと誰もが考えたことでしょう。しかし、映像に時折映る人は皆、誰かと同調するわけでもなく、ただただ、自らに置き換えて、自らの心に問うていた。
画に映っているものは、歴史であれ、戦争であれ、原子力であれ、どんなに大きな問題であろうと、それはあくまで小さな小さな声が折り重なったものだった。そういえば、旅人さんのうたはいつだって小さな声にもならない声を拾い集め、背負い、うたい続けていた。
そう考えたらこの作品の兵士Aくんは、七尾旅人の人生そのものといえるのかもしれない。社会的なテーマを抱えたドキュメント映像にはイエスかノーかを必要以上に求める声が多いですが、この映像のなかの彼の表情、咳、声の揺らぎ、涙に、鑑賞くださったすべての方が個々に受け取るものがあると私は思っています。
この兵士Aに誰でもなりえる未来がくるかもしれない。
「兵士A、記録してくれていて本当によかった」そんな声を聴くたびに、これから何が起こるかわからない世の中で、当たり前だったもの、大切だった人、重要だった一線が、突然に損なわれるかもしれない。そして、そんなことすら気が付くと流れ去ってしまうだろうこの時代に、私はただただ、記録を回し続けたいと、強く思いました。