骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2016-04-20 22:00


豪州へ移民した中国人の10年後は?『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー語る

主人公タオの26年間の過去、現在、未来、その時々の感情に寄り添い描かれた
豪州へ移民した中国人の10年後は?『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー語る
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

ジャ・ジャンクー監督の新作『山河ノスタルジア』が4月23日(土)より公開、webDICEではジャ・ジャンクー監督のインタビューを掲載する。ジャ・ジャンクーのミューズ、チャオ・タオを主演に、過去(1999年)・現在(2014年)・未来(2025年)の3つの時代を舞台に、変貌する世界と、変わることのない母と子の愛情を描いている。一貫して中国の今を見つめ続けてきたジャ・ジャンクーが、初めてオーストラリアでの撮影を敢行。ペット・ショップ・ボーイズによるディスコ・クラシック「Go West」のカバーが印象的に使用されている。

感情についての映画を撮りたい

──あなたはしばしば中国の急速な社会的、経済的変化を扱ってきました。そして『プラットホーム』では約10年間にわたる登場人物たちの変化を描きました。このような題材についてあなたの考えはどのように展開してきたのでしょうか? また、「過去、現在、未来」という3つのパートにわたるこの映画の構造はどのように思いつかれたのでしょうか?

私は今45歳です。それは、すでに多くの記憶を積み重ね、しかし依然として多くのことが待ち受けているということを意味します。私は人生の中間点に立ち、現在をみつめ、過去を思い出し、未来を想像しています。2013年の『罪の手ざわり』の後、私はすぐにでも「感情」についての映画を撮りたいと思いました。現在の中国では、急速な経済成長にシンクロし、富の創成が大きな関心事となっています。そしてインターネットや超高速列車のように、経済成長がもたらした新しい技術が、人々が感じたり感情を表現したりする方法を大きく変えつつあるのです。私の興味は生きている人たちのプライベートな気持ちの部分へと移りました。本作では、はっきりした事件や暴力を描くのではなく、時代の流れに影響を受けている人たちの「感情」に焦点を当てています。

映画『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー監督 ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』ジャ・ジャンクー監督

私はしばしば、自分が10歳年をとった時、現在のこの瞬間を後悔しているのではなかろうか、と考えます。人生は私たち誰にでも1回しか訪れません。それぞれの世代は新たな問題に直面しますが、それは昔から常にある問題です。最近の中国においては移民が大きな問題となっています。多くの若い夫婦がより良い生活と教育のために子供を海外に連れてゆくことを選んでいます。2年前、『罪の手ざわり』の上映に伴ってアメリカ、カナダ、オーストラリアなどを訪れた時、多くの中国人移民の家族、とりわけ山西省から移民した家族と会う機会がありました。私は若い中国人移民たちの生活を見て驚きました。多くの若者は山西省方言を話さず、それどころか中国語を全く話さない若者たちもいました。言語の障壁のために両親と子供たちとの間でコミュニケーションの阻害が起こっているのです。私たちが望んだのはこのような家族の関係だったのでしょうか?

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より、左よりタオ(チャオ・タオ)、リャンズー(リャン・ジンドン)、ジンシェン(チャン・イー) ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

加えて今作には、私と母のことが関係しています。私は2006年の『長江哀歌』を撮った前後に、父を亡くしました。その頃私はとても忙しく、母は山西省の田舎に一人で暮らしていました。私は田舎へ帰る度に母にお金を渡し、着るものや食べるものに不自由しないようにしてあげました。ところがある日、そこまでしても母はどこか緊張していて、楽しそうじゃないことに気づきました。母が本当に必要だったのは、お金でも物質的なものでもなく、私の存在だったのです。いつの間にか消費社会の中に私も組み込まれていて、お金で人を慰められるんじゃないかという風に思ってしまっていたのです。

ある日母は私に突然、汾陽(フェンヤン)の実家の鍵を渡しました。「これはあなたの家の鍵だからね」と母に言われた時、私はハッとしました。長いこと自分の田舎を離れていた私は、実家の鍵を持つことがありませんでした。私はいかに、自分が彷徨い漂泊する生活を送っていたのかと、強く思いました。

小さな田舎から都会へ出てくる、仕事のために点々と違う街へ移っていく。多くの人は、自分の可能性を求めて生きています。ところが、同時に失うものもあります。私にとっては、それが鍵だったのです。そして、そのことを私に教えてくれたのは、「時間」だったと思います。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

恋愛において物質的な誘惑を無視することはできない

──物語の中で運命的な決断がなされます。タオが炭鉱で働くリャンズーではなく実業家のジンシェンを夫に選ぶというものです。現実的には彼女の決断は妥当なように思えます。しかしその決断は、関係するすべての人の感情を傷つけることになります。あなたは彼女の決断をどう見ているのでしょうか?

タオは物語の中で二つの困難な決断をします。一つは夫を選ぶことで、もう一つは息子の養育権をあきらめ、前夫に引き渡すということです。私は、夫を選ぶ上での彼女の選択は基本的には感情的なものだと思います。ジンシェンは行動の人であり、ライバルのリャンズーよりもロマンチックです。若い女性の目にはそのような性格は十分魅力的に映ります。また、ジンシェンの経済面での将来性も、間違いなく彼女の選択に大きな影響を与えています。恋愛において物質的な誘惑を無視することはできません。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

2014年のパートにおいてタオがジンシェンと離婚し、息子がジンシェンと暮らすことに同意したことは、彼女にとってより辛い決断だったと思います。ある意味、彼女はこの問題について現実的だったと言えます。母親としては自分のもとに子供を置いておきたいでしょう。同時に彼女は、ジンシェンが経済面での首都である上海に移住しているのに対し、自分自身は今暮らしている資源や機会に欠ける土地に住み続けるしかないことを認識しています。経済的な問題は非常に重要です。例えば、ジンシェンの富をもってすれば、息子のダオラーは海外に行く前にインターナショナルスクールで英語を学ぶことができるでしょう。しかし、まさにこの選択により、タオが2025年に孤独であることが決定づけられるのです。

2025年のパートでは、物質的な考え方の是非が問われることになります。2025年、タオが50代になった時、彼女は自分の選択についてもう一度考え直すに違いありません。それは彼女が息子に10年以上も会っていないということだけでなく、息子がオーストラリアで母親の愛情を欠いたまま成長してきたということによるものです。『山河ノスタルジア』のラストは母親と息子の再会で終わるわけではありません。しかし、観客は、もし二人が再会したらお互いに何と言うだろうか、と想像するのではないかと思います。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

「愛と関係性」についての映画にしたいと思った

──『罪の手ざわり』のオープニングとエンディングと同様、この物語の最初と最後は山西省、特にあなたが生まれた汾陽に設定されています。その土地に対する個人的な感情は別として、あなたは汾陽が21世紀中国の縮図とみなしているのでしょうか?

私の初期作品である『一瞬の夢』や『プラットホーム』から『罪の手ざわり』に至るまで、私の故郷の汾陽は私の映画に対していつも特別な共鳴を与えてきました。しかし、そこで私が撮影する場合、それぞれ別の理由がありました。『一瞬の夢』を撮った時は、変貌のさなかにある小さな内陸の都市として汾陽をとらえていました。発展と開放を望んでいる中国の全ての都市の縮図ととってもいいかもしれません。ほとんどの中国の人々はそのような都市に住んでいます。そこは中国文明の発祥地である黄河の流域に位置しているにも関わらず、そこで映画を撮った映画作家はほとんどいませんでした。

『罪の手ざわり』を撮った時は、別の理由がありました。山西省には多くの古代の建築物があり、それは人々の生活の一部となっています。『罪の手ざわり』の物語は、私には「水滸伝」の物語を思い起こさせました。暴力は原初から私たちに内在している古来の問題なのだ、というテーマが浮かびました。汾陽の視覚的な外観により、無意識的に古典小説を映画の物語に重ね合わせていたのです。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

私は脚本を一回書いたあとに、ロケハンにでかけます。そこで実際に自分が想像していた自分が思う映画の風景を考えながら、実際の風景を見て、また脚本を書き直します。

『山河ノスタルジア』で再び汾陽を舞台に選んだ理由は、まず何より郷愁からくるものでした。もう何年も前に山西省を離れた後、私はずっと北京に住み、帰郷するのは短期間だけです。1999年から始まる物語を考え始めた時、北京に移る以前から知っていた汾陽の友人たちのことを思い出し、彼らがどんな生活を送っているのか考えました。

私は最初から『山河ノスタルジア』を「愛と関係性」についての映画にしたいと思っていました。中国では、これら2つの単語の意味は「情義」という単語に集約されています。「情」は感情という意味で、「義」は忠誠、義務といった意味を表します。しかし、山西省では「情」と「義」とをしばしば区別してきました。私たちにとって「義」の方がより守らねばならないものでした。どんなに長いこと離れて暮らしていても、ある種の「義」は存在し続けるのです。『山河ノスタルジア』では病気になったリャンズーが汾陽に戻り、治療のための金銭的な援助をタオに求めます。タオはリャンズーの家を訪ね、治療費を渡します。二人はもはや愛し合っているわけではありませんが、過去の二人の友情、そして一緒に過ごした時への思いはいまだに存続しているのです。これが「義」です。

山西省では「義」の精神は、古典小説「三国志」の主要登場人物である将軍・関羽(後に神格化されて関帝として信仰の対象になった)に代表されると考えられています。現代では、伝統的な「義」の概念は変形して「関係」という言葉に置き換えられていますが、それはより実用的でより感情的でない何かを意味しています。私は、山西省で暮らしていた時代を本当に懐かしく思っています。「情」と「義」がより豊かな意味を持っていた時代を……。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

──それでは『罪の手ざわり』と『山河ノスタルジア』の共通点とはどこにあるとお考えですか?

『罪の手ざわり』と『山河ノスタルジア』、どちらの作品も急激に変化する中国の経済発展と関わるところに住む人々の話という共通点があります。『罪の手ざわり』のときはどちらかというと暴力として顕在化していましたが、それは貧富の差などがもたらしたものであったり、非常にある意味で社会的に危ない部分を私は切り取りましたが、今作では普通に生きている人たちの感情にどのような変化がおこり、どういう風に影響をうけるかを描きました。それはなかなか人に見てもらえるわけではないですし、語られる部分ではないと思います。

今作のヒロイン、タオは親権を元夫に渡し、子どもを手放しにしてしまいます。彼女が考えた価値基準というのは、夫のほうがお金をいっぱい持っているから、子どもの将来を考えたときに私と一緒に暮らすよりも、いい選択ができるという判断を彼女がしたと思うのです。そういう面からしても、今の中国社会の価値観というものは、個人の考え方に非常に影響していると思います。

私のかつての作品はどちらかというと、急激な社会の変化によっておこる人々の生存の危機というところに、重きを置いた作品をつくってきました。けれど今回は、感情そのものを、そこで生きていく人たちの気持ちや思いにフォーカスを置いて撮ろうと思いました。それは、作品の中のストーリーもそうですし、社会の外的影響を私自身も非常に受けていたと思っているからです。そこで人間の感情や気持ちをないがしろにしていたのではないかという思いからでした。

そして実生活の中でとても無情を感じているのは、どんな人も生きていく中で、自分の身近な人たちとの心の通い合いや、感情の拠り所を求めている。なのに現実は自分が本当は大切にしなきゃいけない身近な人たちと一緒に過ごす時間やコミュニケーションをとる時間が非常に少なくなっていることです。登場人物が26年間という長い時間の中で、本来あった姿から、どういう時間の流れがあって影響を受けているか、本来あった自分からどう遠ざかっていったのかという過程を撮りたかった。それはおそらく、この時間の流れの中で、私たちはいろんなものを手に入れたかわりに、失ってしまったもの、代償となってしまったことが、感情としてあるのではないのかと思っています。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より、左:ダオラー(ドン・ズージェン)右:ミア(シルヴィア・チャン) ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

──この映画のそれぞれのパートは異なるスクリーンサイズで撮られています。このスクリーンサイズの変化にはどのような意味があるのでしょうか?

『山河ノスタルジア』には3つのスクリーンサイズがあります。1999年は1:1.33、2014年は1:1.85、2025年は1:2.39です。これは最初から意図していたことではありませんでした。1990年代に、私は1:1.33 のスクリーンサイズのデジタルカメラを持っていました。ユウ・リクウァイと私はしばしばそれを持ち出して無目的に目を引くものを撮っていました。大量のビデオ素材がたまりました。最近でも同じようなことをやっていますが、それは1:1.85のスクリーンサイズのアレクサ・カメラです。

このような雑然とした素材を見直していると、そこに撮られている人々に興味がわきます。彼らは今どうしてるのだろう、と。私はそのような素材の一部を『山河ノスタルジア』で使いたいと思いました。その大きな理由は、そのような映像がもはや再現できないその時代の状況をドキュメントしているからです。これらの映像はその時代、感情、価値観、文化の志向、あるいは我々の肉体的な特徴をとらえています。1999年のパートでは汾陽の春節祭り、ディスコで踊る人々、そしてひっくり返りそうになるトラックを使いました。全て1990年代に1:1.33で撮られた映像です。同様に2014年のパートでは野原でたき火をする人々の場面と日没時の炭鉱の場面を使いました。私自身が1:1.85で撮った映像です。このような理由で時代によってスクリーンサイズを変えることになったのです。

映画『山河ノスタルジア』より ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano
映画『山河ノスタルジア』より、ミア役のシルヴィア・チャン ©Bandai Visual, Bitters End, Office Kitano

──2025年のパートにはSF的な要素はありません。しかし、例えば透明なタブレットが使用されていたり、CDではなく旧式のレコードが生き残っている、というように、幾つかの興味深い予言が含まれています。未来のトレンドや技術についてはどのくらい考えられたのでしょうか?

2025年は今の私たちからそれほど遠い未来でしょうか?たった10年先のことです。私は最初からこれはSFではないと自分に言い聞かせていました。これは近未来の人々の感情的な生活を描く映画なのだ、と。現在と同様、2025年の人々は情報収集やコミュニケーションにおいてインターネットに大きく依存していると思います。美術監督はタブレットやスマートフォンの愛好家で、未来的なデザインのものを収集しています。コンセプトにおいては、透明なデジタル機器という考え方で私たちは一致しました。旧式のレコードが復活しつつあることは知っていますが、私にとっては旧式のレコードは基本的には過去を思い出させるものです。それは多くの人々の生活からは消えてしまいました。ほとんどの若者たちはインターネットを利用して携帯電話やパソコンに音楽をダウンロードしています。物質としてのレコードのセールスは長くは続かないでしょう。しかし、旧式のレコードのアルバムはペーパーバックの書籍と同様、2025年にも存在しているのではないかと思います。『山河ノスタルジア』の英語題名「Mountains May Depart」には、時によって破壊されないものもある、という意味合いもあるのです。

※Mountains May Depart 旧約聖書イザヤ書54章10の一節に基づいている。For the mountains may depart and the hiss be removed, but my steadfast love shall not depart from you(訳:山は移り、丘は動いても、わが慈しみはあなたから移ることはない)
(オフィシャル・インタビューより)



ジャ・ジャンクー(JIA Zhang-ke) プロフィール

1970年、中国山西省・汾陽(フェンヤン)に生まれる。北京電影学院で映画を学び、その卒業製作である長篇監督デビュー作『一瞬の夢』が98年ベルリン映画祭で新人監督賞にあたるヴォルフガング・シュタウテ賞を受賞。監督第2作『プラットホーム』は2000年ヴェネチア映画祭コンペティションに選ばれ、最優秀アジア映画賞にあたるNETPAC賞を受賞した。監督第3作『青の稲妻』(02)はカンヌ映画祭コンペティションで上映。その後、全ての作品がカンヌ、またはヴェネチア映画祭で上映される。2006年の『長江哀歌』はヴェネチア映画祭で最高賞の金獅子賞を受賞した。中国で実際に起こった4つの暴力事件を描いた『罪の手ざわり』(13)はカンヌ映画祭で脚本賞を受賞。2015年にはフランス監督協会が主催する「黄金の馬車賞」を受賞した。『山河ノスタルジア』は『青の稲妻』、『四川のうた』、『罪の手ざわり』に続いて4度目のカンヌ映画祭コンペティション上映となった。




映画『山河ノスタルジア』ポスター

映画『山河ノスタルジア』
2016年4月23日(土)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

1999年、山西省汾陽(フェンヤン)。小学校教師・タオは、炭鉱で働くリャンと実業家ジンシェンから想いを寄せられていた。タオはジンシェンのプロポーズを受け、結婚を承諾する。やがてタオは男の子を出産し、息子を“ダオラー”と名づける。2014年。タオはジンシェンと離婚し、ダオラーとも離れ一人汾陽で暮らしていた。ある日、タオの父親の葬儀に出席するため、数年ぶりにダオラーが戻ってくる。隔たった母子の関係を取り戻そうとするタオだったが、ダオラーがジンシェンと共にオーストラリアに移住することを知らされる……。2025年、オーストラリア。19歳になったダオラーは、長い寄宿舎生活のため、もはや中国語をほとんど話さず自らのアイデンティティを失っていた。彼は、かすかに記憶する母親の面影を思い出し、母親と同世代の中国語教師ミアに魅かれ始める……。

監督・脚本:ジャ・ジャンクー
出演:チャオ・タオ(『長江哀歌』『罪の手ざわり』)、チャン・イー(『黄金時代』『最愛の子』)、リャン・ジンドン(『プラットホーム』)、ドン・ズージェン、シルヴィア・チャン(『恋人たちの食卓』)
撮影:ユー・リクウァイ
音楽:半野喜弘
プロデューサー:市山尚三
製作:上海電影集団、Xstream Pictures、北京潤錦投資公司、MK Productions、ARTE、CNC、バンダイビジュアル、ビターズ・エンド、オフィス北野
配給:ビターズ・エンド、オフィス北野
提供:バンダイビジュアル、ビターズ・エンド/オフィス北野
原題:山河故人
英題:Mountains May Depart
2015年/中国=日本=フランス/125分

公式サイト:http://www.bitters.co.jp/sanga

▼映画『山河ノスタルジア』予告編

キーワード:

ジャ・ジャンクー / 中国


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