映画『オマールの壁』より、オマール役のアダム・バクリ(左)、ナディア役のリーム・ニューバニ(右)
パレスチナの今を生き抜く若者たちの日々を切実に描き、第86回アカデミー賞外国語賞にノミネートされた映画『オマールの壁』が、4月16日(土)から角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開となる。主人公の青年オマールは、分離壁により土地を分断されたパレスチナで、イスラエルの秘密警察に捕まり、獄中で過ごすかスパイになるかの選択を迫られる。webDICEでは映画評論家の川口敦子氏によるレビューを掲載する。
本作公開初日の角川シネマ新宿では、オマールを演じた主演のアダム・バクリの舞台挨拶も決定。渋谷アップリンクでは、ゲストによるトーク付き上映や、パン職人であるオマールにちなんだアラブのパン付きの上映会も実施される。
主演アダム・バクリの原石然とした魅力と配役の妙が光る
文/川口敦子
まずは顔──くっきりと黒い眉と曇りなく澄んだ目とまっすぐに世界に放たれている強い眼差しに打たれる。その顔の持ち主、青年オマールが道を往く幾台かの車をやり過ごし、素早く振り向くとするすると背後の壁を登り始める。壁の高さを見上げたキャメラは迷いなく距離をとって引きの画いっぱいに壁の大きさを切り取る。いっきにそれを上り切るオマールの身体に満ちた活気を有無を言わせず印象づける。そうやって開巻早々あっけなくもう青年の世界に観客を巻き込んでいる映画は、監督ハニ・アブ・アサドの話術、的確に確実に伝えたい何かを伝える物語りの力を思わせずにはいない。
映画『オマールの壁』より、オマール役のアダム・バクリ
警告の銃声をものともせずひらりと壁を超えた青年は相変わらずの軽やかさで歩を進め心を寄せる女学生ナディアの家へと向かう。ノックに応え扉を開け、はにかみと無垢な少女特有の大胆さで浮かべてしまう無意識の(だからこそ罪深い)なまめかしさを纏って微笑むナディア。まっすぐな眼差しを彼女に注ぐオマール。ふたりの姿を切り取る映画は、これがバルコニーをよじ登り“障壁”をも乗り越えて初恋の少女ジュリエットに抑え難い胸のときめきを届けようとしたあのロミオのロマンスにも匹敵する古典的な(だから悲劇を予感もさせる)ラブストーリーなのだと指し示す。居間でお茶を配るナディアが受け皿に置いた恋文をさっと受け取るオマールの初々しさがふたりの恋にも照り返り、微笑ましくもナイーブなカップルに肩入れしてみたくなる。Eメールではなく恋文という古風で秘密めいたロマンスの伝達手段がぬかりなく選択されている点も見逃せない。あけすけな現代を忘れたように、恋が密やかな秘め事として今もある環境の中、青年は塀を伝って忍び寄り校庭にいる少女をそっと盗み見たりする。学校帰りの彼女を小路に引き込んで、でも何もできず特別のこともいえないままに立ちつくす。ぎこちなく彼女の頬についた睫毛をはらう指先に胸の震えが伝わるような瞬間がただあるだけ。時代を超えたそんな恋の情景を体現する新人アダム・バクリの原石然とした魅力、そうして配役の妙が光る。
映画『オマールの壁』より、オマール役のアダム・バクリ(左)、ナディア役のリーム・ニューバニ(右)
オマールは恋の成就を願い、当り前の家庭を夢見てパンを焼き、稼いだ金を律儀に貯めて記帳する。家族と夕食のテーブルを囲み猫と束の間、戯れる。普通の暮しの普通の幸福がそこにはあるのだと見える。彼を囲む幼なじみの3人組の関係もいくつもの青春映画で懐かしく胸に迫った面々を思わせて、ここでもまた映画はまず普遍の時空を射抜いてみせる。カリスマ性と不器用な生真面目さを備えたリーダー格(ナディアの兄でもある)のタレク。マーロン・ブランドのものまねが得意なおどけ者のアムジャド。ナディアへの思いも調子よく口にする彼を前にうっすらとオマールの心に影が射す。自信と不安の狭間で揺れる若さが眩しく匂いたち、愛と友情と裏切りと嫉妬の物語が紡ぎ出される。それはミーンストリートの青春を切り取った若き日のスコセッシの映画や80年代コッポラの思春期映画の少年たちの姿とも重なるし、香港ノワールの世界とも共振するだろう。ジャンル映画を輝かせる心憎い脇役を配することも監督アブ・アサドは忘れていない。柔らかなものいいに食らいついたら離さない粘着質の仇役の凄みを包んだ捜査官役ワリード・ズエイター(お気に入りのミントの使い方も心憎い)が、リノ・ヴァンチュラや成田三樹夫、往年の暗黒街映画にはきっといた渋い脇の引き締め役の妙味を彷彿とさせる。
映画『オマールの壁』より、タレク役のエヤド・ホーラーニ(左)、アムジャド役のサメール・ビシャラット(右)
映画『オマールの壁』より、ラミ捜査官役のワリード・ズエイター
そんなふうに普遍的ジャンル映画の王道をきちりと押えることでこそ、アブ・アサドの映画はそこにある青春や恋の物語を取り巻く固有の事情や問題を際立たせる。特殊な“障壁”がより深く意識される。幼なじみが森に集ってすることが検問所襲撃のための射撃訓練であったりするヨルダン川西岸、同朋の地を分断して伸びる壁を挟んで暮らすパレスチナの青年の今がいっそうくっきりと迫りくる。追っ手をまくオマールが小路をいくつも駆け抜ける、その背後に追っ手に礫を投げつける子供らの姿がさりげなく掬われている。逃げ込んだ民家の住人は慣れた様子で裏口を示し逃亡に協力する。そうした行いがごく当り前になされることの意味が問われている。国の戦いが否応なしに市民を巻き込んで日常を侵食する中で、アブ・アサドの映画は小さな人の暮しを真摯にみつめ大きな問題を透かし見せる。普通の暮しを夢見るナディアやオマールのロマンスの切なさ、「みんなが嘘を信じた」ことの苦さ、互いを信じることの難しさ──青春が、恋が、友情が、そこにいた人人人の生が切実に描き込まれているからこそ、背後にある“壁”が彼らに強いる犠牲の重さも、痛みも濃やかに伝わってくる。
映画『オマールの壁』より
イスラエルでもシネマテックで本作が公開されると告げるエルサレム・ポスト紙(14年1月14日)で、命を懸けて自由のために権威に挑んだ『カッコーの巣の上で』の主人公に啓発され映画作りを志したと振返る監督はこうも述懐する。
「私たちは政治家たちがしくじった時代に生きている。歴史を振り返ってみるといつであれ政治家たちが失墜した時代にあって、世界に筋道をつけようと前面に出てきたのが芸術家だった」。
日本の、はたまた世界の今とも無縁でない発言の重さを噛みしめつつ、終幕近く、壁を前に諦めかけたオマールに「大丈夫。すべてうまくいく」と励ます人が描かれていること、そこに監督が埋め込んだ強かな希望のことを思ってみたい。
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映画『オマールの壁』
2016年4月16日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開
思慮深く真面目なパン職人のオマールは、監視塔からの銃弾を避けながら分離壁をよじのぼっては、壁の向こう側に住む恋人ナディアのもとに通っていた。長く占領状態が続くパレスチナでは、人権も自由もない。オマールはこんな毎日を変えようと仲間と共に立ち上がったが、イスラエル兵殺害容疑で捕えられてしまう。イスラエルの秘密警察より拷問を受け、一生囚われの身になるか仲間を裏切ってスパイになるかの選択を迫られるが……。
監督・脚本・製作:ハニ・アブ・アサド(『パラダイス・ナウ』)
出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか
2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー
原題:OMAR
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト
【映画『オマールの壁』主演アダム・バクリ来日、初日舞台挨拶】
日時:2016年4月16日(土)10;30の回上映終了後
会場:角川シネマ新宿(東京都新宿区新宿3-13-3 新宿文化ビル4・5階)
登壇者:アダム・バクリ(映画『オマールの壁』主演)
チケットは下記より
http://www.kadokawa-cinema.jp/shinjuku/news/775.html
【渋谷アップリンク『オマールの壁』公開記念アフタートーク付き上映】
■「パレスチナの若者に何が起きているのか」
2016年4月21日(木)19:30の回 上映終了後
ゲスト:塩塚祐太(在ラマッラー対パレスチナ日本政府代表事務所・元草の根無償資金調整員)■「内通者を生むパレスチナ/イスラエルの政治背景」
2016年4月22日(金)19:30の回上映終了後
ゲスト:錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授)■「パレスチナ問題の基礎」
2016年4月27日(水)19:30の回上映終了後
ゲスト:並木麻衣(JVCパレスチナ事業担当)
渋谷アップリンク『オマールの壁』
ハーブで楽しむアラブのパン付き上映
映画『オマールの壁』より、パン職人のオマール
映画『オマールの壁』より、オマールが焼くアラブのピタパン「ホブズ」
日時:2016年5月1日(日)
開場18:30 レクチャー19:00~19:15 上映開始19:15
ナビゲーター:草野サトル(中東Kitchen&Bar MishMishオーナー/アラブ・中東フェスティバル主催)
料金:一律1,800円
〈食事メニュー〉
・アラブのピタパン「ホブズ」
・パレスチナのオリーブオイル
・パレスチナのスパイス「ザアタル」
・セージのお茶「マラミーヤ」
詳細は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2016/43888
渋谷アップリンク併設のカフェレストランTabelaにて
映画『オマールの壁』公開記念メニュー
4月16日(土)より提供開始
アラブのデザートプレート~バスブーサとマラミーヤ(税込700円)
ケーキ「バスブーサ」は、セモリナ粉を使ったアラブの伝統的なお菓子。甘い生地にレモンが爽やかに香ります。セージのお茶は「マラミーヤ」と呼ばれ、アラビア語で“聖母マリアの草”を意味します。
カフェレストランTabela
東京都渋谷区宇田川町37-18 トツネビル1階
TEL 03-6825-5501
http://www.uplink.co.jp/tabela/
▼映画『オマールの壁』予告編
「世界を変える、社会を変える、映画特集」
4月16日(土)より渋谷アップリンクにて開催