映画『オマールの壁』より
パレスチナの今を生き抜く若者たちの日々をサスペンスフルに描き、第86回アカデミー賞外国語賞にノミネートされた映画『オマールの壁』が、4月16日(土)から角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開となる。
イスラエルの占領により土地も自由も尊厳も奪われた不条理な環境が、本作に登場するようなパレスチナの若者たちを、実際どのような状況に追い詰めているのかについて、2015年12月まで3年間、ラマッラー(パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の経済・政治的中心街)の日本政府代表事務所に勤務し、パレスチナ支援に携っていた塩塚祐太氏に伝えてもらう。
※本記事には残酷な映像が含まれています。
パレスチナの若者に何が起きているのか
文/塩塚祐太
学生時代、日本国際ボランティアセンター(JVC)という国際NGOでのインターンを通してパレスチナ支援に関わり、パレスチナ/イスラエル問題への理解を深めるため大学院へ進学、その後現地パレスチナ自治区にあるビルゼイト大学へ留学した。2012年末からは、ラマッラーにある対パレスチナ日本政府代表事務所でプロジェクト調整員として3年間勤務し、現地の人びとの生活基盤改善に取り組んだ。現地で触れ合ったパレスチナの人たちは、占領という人の生を蝕む問題に直面しつつも、日々強くしなやかに生活を営んでいた。そんな人びとの姿に魅了されつつ、同時に、占領とは何なのか、パレスチナ人たちが求めるものとは、日本人としての関係のあり方などを意識し、私は現地の人びとの声に耳を傾けてきた。ここでは、本作の主人公たちのような若者をめぐる現在のパレスチナの社会状況をお伝えしたい。
2016年2月のある週末、ヨルダン川西岸地区とエルサレム各地で、パレスチナ人によるイスラエル軍兵士や警察を狙った襲撃事件が立て続けに発生した。襲撃犯となったパレスチナ人たちは軍や警察の反撃により射殺され、この週末だけで5人の犠牲者が出た。このような事件は2015年9月以降特に頻発しており、この半年間でイスラエル側の犠牲者は20人ほど、パレスチナ側は188人にまで至った。これは、ヨルダン川西岸地区で2014年の1年間でイスラエル軍に殺害された53人、2013年1年間で27人という犠牲者数と比較しても異常な人数に昇り、それに合わせて負傷者数も激増している。イスラエルの占領に対するレジスタンスとして長い歴史を持つパレスチナでも、今、その情勢は極めて深刻化している。
最近の事件は、何ら組織的背景を持たないパレスチナ人たち個人が、身近にある調理用ナイフなどを手に、検問所やイスラエル軍管理道路に完全武装で構えるイスラエル人兵士たちを狙って襲撃を試みるというもので、必然的にほとんどの事件で実行犯は反撃により射殺される。実行犯は子を持つ壮年の女性なども見られるが、特に10代男女の若者たちが中心である。
近年ではパレスチナでもインターネットやフェイスブックが普及し、監視カメラによる映像の公開や目撃者の投稿で、事件現場の状況が多くの人の目に触れるようになった。映像には、年端もいかない子どもたちがナイフを手に取り検問所の兵士に向かっていき、そして兵士らの容赦ない集中砲火に倒れる痛ましい姿が収められている。
イスラエル政府はこのような事件を総じて“テロ”攻撃と呼び、実行犯には断固たる処置をとるとしているが、一方で残された映像や現場写真、目撃者証言からは、襲撃の事実を確認できないケースや正当防衛とは言い難い過剰反撃も多く、疑念が渦巻いている。
ある事件では、検問所にて銃撃され流血した10代の女の子が、兵士らに包囲されたまま長い間放置され、そこへ周辺住民が応急処置だけでもと願い出るも、催涙ガスで追い散らされる映像が広まり、衝撃を与えた。
※残酷な映像が含まれています。
また東エルサレムの路面電車の駅にナイフで襲撃を試みた13歳の男の子が、イスラエル人の反撃により両足を負傷し倒れていたところ、取り囲むイスラエル人に容赦ない罵声を浴びせられる、痛ましい映像もあった。
※残酷な映像が含まれています。
こうした事件が起こると、イスラエル軍はすぐに襲撃犯の出身地を包囲し、厳重管理下で家宅捜索や身内の拘束など軍事作戦を実行、対して若者たちは投石にて抵抗し衝突に発展するなどで、パレスチナ人にはさらなる死傷者が出る。実行犯の遺体が返還されると、家族の大きな悲しみの中で弔いがなされる。イスラエル軍の制裁はその後、襲撃犯の家族らの住まう家屋までを倒壊するに至る。こういった襲撃事件とその後の封鎖や衝突はこの半年間各地で毎週のように発生し、息をつく間がない。
このあまりにも損害が大きく、自殺ともとれる無謀な襲撃へと、パレスチナの若者たちを駆り立てるものは何か。それは彼らの日常の中にある閉塞感から来ると言えるかもしれない。街を切り取るように建設された分離壁は、イスラエルの占領を象徴する圧倒的な存在感を持つ。生活の中にそびえ立つ頑強なコンクリート壁を前にしたとき、挫けそうな思いと憤りを感じない者はいないだろう。
検問所では、否が応でもイスラエルの強大な力を意識させる。このような場では老若男女問わず全てのパレスチナ人が、二十歳になろうかという若いイスラエル人兵士らの不遜な指図に従わねばならない。イスラエル軍がパレスチナ人居住地域へ侵入する拘束作戦や家宅捜索は、パレスチナ自治政府が管轄する都市内部でも日常的におこなわれる。
イスラエルは毎年、数千人のパレスチナ人を罪状なしに襲撃、拘束し、刑務所に送る。親や兄弟が収監中というパレスチナ人家族はごく一般的で、一家の大黒柱が不在という家も稀ではない。頼るべき大人が無力にも辱められる姿は、子どもたち自身の屈辱へとつながり、大人への信頼を失う子どもも多い。海外からの観光客で賑わうエルサレムでも、イスラエル兵に包囲され、公然と屈辱的な扱いを受けるパレスチナ人の若者らを目にする。
イスラエル政府との交渉路線をとるパレスチナ自治政府も、ガザ地区を統治しイスラエルと対立するハマスも、若者たちに未来を見せることにはことごとく失敗してきた。特に海外諸国からの援助を手に、汚職にまみれていると疑われる自治政府は、こういった一連の事件に具体的な解決策を示すことができず、逆に住民らによるデモをイスラエル軍に代わって弾圧するなど、失望感が広まっている。一方で、これまでパレスチナ人たちの憤慨の受け皿となっていた、デモなどに代表される抵抗運動も、情勢の煽りを受けて拡大しつつも、長引く占領状態の中でその求心力を失っているように思える。
圧倒的な武力を有するイスラエルに対し、歴史的にもパレスチナ人が抵抗を訴える唯一の大衆的手段が、武力によらない運動であった。しかし近年では、デモ中にも実弾が使用され殺害される事件も増加しており、イスラエルの暴力には歯止めがかからず、武器を持たない運動への無力感が募っている。
占領は、そこに暮らす人びとを虐げ、尊厳を奪い、日々「なぜ僕らが」という理不尽さからの問いに逃れることを許さない。占領がもたらす閉塞感は人びとの心に解消されることなく積もり続け、とりわけ周囲の環境に敏感な若者らがいち早く反応しているのかもしれない。
2013年9月、西岸地区最大のホールを持つラマッラー文化会館で、『オマールの壁』の先行上映会が催され、700以上ある客席はほぼ満席だった。閉幕後、会場からは盛大な拍手が沸き上がり、客席は総立ちとなった。最後にオマールが取った選択はまさに、オマールの置かれた状況を日常として共有するパレスチナ人ひとりひとりには、心まで占領には屈しないとのメッセージに受け取られたのだろう。
2013年9月にラマッラー文化会館で開催された上映会の様子
写真左から、上映後に登壇したハニ・アブ=アサド監督、アダム・バクリ、サメール・ビシャラット、リーム・リューバニ、エヤド・ホーラーニ
(写真提供/塩塚祐太)
塩塚祐太(しおつか・ゆうた)
対パレスチナ自治政府日本政府代表事務所(在ラマッラー)元草の根人間の安全保障無償資金協力調整員(2012~15年)。学生時に国際NGO日本国際ボランティアセンターでのインターンを通してパレスチナ支援に関わり、パレスチナ自治区ビルゼイト大学に8ヵ月間留学(2011年)。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。著作『エリア・スタディーズ パレスチナを知るための60章』(共著、明石書店、2016年)
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映画『オマールの壁』
2016年4月16日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開
思慮深く真面目なパン職人のオマールは、監視塔からの銃弾を避けながら分離壁をよじのぼっては、壁の向こう側に住む恋人ナディアのもとに通っていた。長く占領状態が続くパレスチナでは、人権も自由もない。オマールはこんな毎日を変えようと仲間と共に立ち上がったが、イスラエル兵殺害容疑で捕えられてしまう。イスラエルの秘密警察より拷問を受け、一生囚われの身になるか仲間を裏切ってスパイになるかの選択を迫られるが……。
監督・脚本・製作:ハニ・アブ=アサド(『パラダイス・ナウ』)
出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか
(2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー/原題:OMAR)
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト
公開初日4月16日(土)、角川シネマ新宿にて
主演アダム・バクリ舞台挨拶決定!
日時:4月16日(土)10時30分の回上映終了後
会場:角川シネマ新宿
登壇者:アダム・バクリ(映画『オマールの壁』主演)
チケット:http://www.kadokawa-cinema.jp/shinjuku/news/775.html
公開記念アフタートーク付き上映
日時:4月21日(木)19:30の上映回
トークゲスト:塩塚祐太(在ラマッラー対パレスチナ日本政府代表事務所・元草の根無償資金調整員)
日時:4月22日(金)19:30の上映回
トークゲスト:錦田愛子(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授)
日時:4月27日(水)19:30の上映回
トークゲスト:並木麻衣(JVCパレスチナ事業担当)
会場:渋谷アップリンク
料金:一般¥1,800/学生¥1,500(平日学割¥1,100)/高校生以下¥800/シニア¥1,100/UPLINK会員¥1,000
チケット:http://www.uplink.co.jp/event/2016/43893
公開記念ハーブで楽しむアラブのパン付き上映
日時:5月1日(木)レクチャー19:00~19:15/上映開始19:15
ナビゲーター:草野トオル(中東Kitchen&Bar MishMishオーナー/中東アラブフェスティバル主催)
会場:渋谷アップリンク
料金:一律¥1,800
チケット:http://www.uplink.co.jp/event/2016/43888
「世界を変える、社会を変える、映画特集」
4月16日(土)より渋谷アップリンクにて開催