映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』より
イギリス出身のアーティスト、バンクシーのニューヨークでのゲリラ展覧会「Better Out Than In」の模様を追ったドキュメンタリー『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』が渋谷シネクイントほかでロードショー公開中。webDICEでは公開にあたり、荏開津広氏による論考を掲載する。
なお、4月2日(土)より上映開始となる渋谷アップリンクでは、MADSAKI氏(アーティスト)、佐藤拓氏(ギャラリーディレクター/CLEAR EDITION & GALLERY)をゲストに、荏開津氏を司会に迎え「アートの価値」をテーマにしたトークイベントが実施される。
バンクシーがニューヨークで“アート”をするということ。
文:荏開津広(DJ/オールピスト京都/京都精華大学非常勤講師)
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』の日本公開と連動し出版された『BANKSY IN NEW YORK』という本がある。レイ・モックというストリート・アート好きが嵩じて出版社まで設立した人物が、この1ヵ月に渡る騒動を写真日記の形で記録したものだ。映画を見てまだ興味のつきない人には手にとってもらいたい本だが、そこにつけられた序文にはこうある──『・・・けれども、そんなポスト・グーテンベルグの新時代のデジタルな海の中で、国際的悪名を獲得し、有名人となっているのは、ほんの一握りのストリート・アーティストだけだということは指摘すべきだろう・・・』 ──ストリート・アートについて人が語る時、このことは案外触れられないと僕は思う。1980年代にニューヨークからグラフィティは世界に伝播して、そののちストリート・アートという現象と用語が作られ、常に/今でも/この瞬間にも(その多くの場合非合法な)活動を続けている無数の人々がいる。戯れにこうした無数のライターを99%(実際、数字上ではそう言っても間違いではない)といってみたらどうか。そのことを念頭において、美術館やギャラリーで自分の作品を展示することを選びメディアでの名声を獲得したグラフィティ/ストリート“アーティスト”について触れるべきだ。僕たちの関心は、メディアが注目する1%の“アーティスト”や彼らの“作品”に偏りがちだ。バンクシーはもちろん1%の方にいるだろう。バンクシーはうまくやっている!──でも、果たして問題をそのような角度から見るのは適切だろうか。ストリート・アートはアートだろうか?
『バンクシー・イン・ニューヨーク』(BANKSY IN NEW YORK, RAY MOCK), 訳:毛利嘉考、鈴木沓子、パルコ出版、2016/Amazonでの購入は こちら
“わたしの作品はアートである”と主張するストリート・アーティストやストリート・アートの美学の特徴を借用/援用するコンテンポラリー・アーティストはいる。例えば、僕もつきあいのある大山エンリコイサムというアーティスト。氏のここ数年の主張のひとつはここにある記事「グラフィティ文化は『匿名性』の一言で片付けられるものではない」にある通り。氏の言いたいことの根底にあるのはストリート・アートやグラフィティをリサーチしたり批評する側の怠慢への呆れで(だとするならそれは妥当)、個々の“アーティスト”や“作品”に目を向けてほしい、ということか(作り手としてしごく当然)。大山エンリコイサム氏と彼の作品についていうなら、つまるところ彼はコンテンポラリー・アーティストだろう。ならば作品はコンテンポラリー・アートとして評価され価値がつき取引される。註1
では、ギャラリーや美術館の外で育ったストリート・アートやその源であるグラフィティは、コンテンポラリー・アートのように重要視するべき“アート”だろうか?その問いに誰が答えているだろうか。バンクシーがその活動で答えている。
(外にいるほうが中よりマシ)と名付けられた“アーティスト・イン・レジデンス”
一見『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』で記録された1ヵ月の活動はコンテンポラリー・アートの展覧会のパロディのようだ。映像が記録したニューヨークでの彼の活動が英語で “Better Out Than In(外にいるほうが中よりマシ)”と名づけられたのは、美術館やギャラリーの内側と外側を指しているゆえだろう。また、この一連の活動はニューヨークのレジデンシーというが、 “アーティスト・イン・レジデンス”とは、コンテンポラリー・アートに馴染みのある人なら誰でも知っている、世界中にあるアーティストに滞在費と制作費を出して、通常スタジオを備えた場所で作品を作ってもらうシステムのことだ。もちろん、日本にもあり東京では“TOKYO WONDER SITE”が有名だ。
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』より
さて、バンクシーのレジデンシー(“プログラム”)の結果である“作品”は、ニューヨークの様々な場所に置き去りにされるが、そのたびにバンクシーのSNSアカウントが使われ、大型美術館の展覧会のオーディオ・ガイドよろしく説明が発信される。このアートの制度の外側のアーティスト・イン・レジデンスではありとあらゆる種類の作品が作られる。バンクシーの活動のなかでも比較的クラシックなステンシルを使った簡素なグラフィック、インスタレーション的な作品、美術館/ギャラリーの空間を皮肉に模したもの、インターアクション性の強いもの、アニメ、彫刻作品・・・バンクシーの作品の性質や内容だけでなく、その取引により、人々と作品と価値がソトとウチを行き来する。
パレスチナ/イスラエルのウェストバンクからバンクシーの壁画を剥がして売ろうとしたギャラリストが出てくるし、ガラクタで作った彫刻もアート作品として取引される。外にあったものがマーケットのために内側に入れられる。内側の人間が外で交渉をする。バンクシーが警句をスプレイしたドアが外された場面は、もしあなたが80年代に夭折したジャン=ミシェル・バスキアのことを好きなら、彼が走り書きしたドアが死後に作品になるかのどたばた挿話をあなたに思い出させるだろう("The Devil on the Door" Liza Ghorbani, New York Magazine, 2011.)。とりわけ、ジャン=ミシェルとキース・ヘリングは映画のなかでそれ以前に言及されているのだから。また、ぬいぐるみが積まれたトラックの写真を見て、僕はすぐにマイク・ケリーを思い出したが、そうした感想を持ったのは僕だけではないようだ。1ヵ月のレジデンスのうちバンクシーの“アート”はとうとうチャリティにも使われるが、チャリティ・オークションは後述するコンテンポラリー・アートを動かす層の習慣的なイベントであることを思い出してもいい。
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』より
バンクシー作品への批判と、2013年NYで作品に殺到する人々
アーティストが外に出るのは、1970年代のアース・アートに言及せずとも特段に新しいことではない。インターアクション性の強い作品や観客参加型の作品も、コンテンポラリー・アートの文脈では1960年代のハプニングやフラクサス運動から、キュレーター/理論家のニコラ・ブリオーが1990年代終わりに提唱した“関係性の美学” 註2 でまとめられた一連の作品群までもある。“都市への介入”といった視点やシチュエイショニスト(ひいてはパリ五月革命)などを参照しながらストリート・アートやグラフィティに触れるのは古臭いぐらいだ。だからこそ、ここでの全体の要点は、ウチにあるからアートだとして、ソトにあるとアートではないのか?どうなんだ?というバンクシーからの質問のようだ。そして、バンクシーがメディアの注目を浴びるようになったここ15年ぐらいの間に、その変化する作風とともにその質問ははっきりしてきたように思える。ここ15年──それは、1980年代以来のグラフィティ・ダイアスポラのあとから来たサードウェイヴ・コーヒーとヒップスターの世代がストリート・アートを作り出し広げた15年に他ならない。
この映画のなかで、ロウワー・イースト・サイドに置かれた彼の“作品”についてナレーションで解説する箇所がある。2007年のバクダッド空爆に関連したものだ。
以前、バンクシーが人を魅了するステンシルのグラフィックで持ち込むイメージとそのあるべき主題との間のぬるさは、彼の名声と作品の値段が上がっていたこともあり疑問視するむきもあった。特にバンクシーが使うアイロニーやダークなユーモアに慣れっこなイギリスではそういう批判もあり、別の場でも書いたがコラムニストのチャーリー・ブルッカーは新聞で「(バンクシーの)作品は、まばゆいほど賢く見えるがそれはバカにとって、ということだ」と形容した。また、この映画のなかでもいかにもな風采のギャラリストはストリート・アートのことは真剣にとっていないと語る。彼の属する“アート・ワールド” 註3 はストリート・アートと関わりがないのだ。
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』より
チャーリー・ブルッカーの記事には、バンクシーの作品の多くにその元となるイメージがあると書いてある。それは事実である。写真や映画、ポップ・カルチャーの見慣れたイメージが壁に転写されたとして、いかにして新しいアート作品として捉えることができるだろうか?そこに深遠なものはあるだろうか?まさか、とチャーリー・ブルッカーやこの映画に出てくるギャラリストは言っている。同時に、ブルッカーの記事から7年以上経った2013年、この映画の一場面、ニューヨークのロウワー・イースト・サイドに設置されたこの作品に殺到する観客たちを見るといい。この観客が自分の目で見て、そしてスマートフォンで世界中に発信しただろう、彼らがバンクシーの“作品”から美的/社会的/心理学的/技術的に、受けとったもの/その消費の経験、は、美術館やギャラリーに展示されているアート作品を鑑賞したときのそれに比較して遜色はあるだろうか?あるとしたら、どのように?
バンクシー作品への批判と、2013年NYで作品に殺到する人々
これは以前僕がうまくいかなかったバンクシー論にも書いたことだが、ストリート・アートは、映画監督アンドレアス・ジョンセンが「権力がそれをはぎ取り、すぐに消えてしまう」と言うように本来は移ろいやすいものである。その出発点では、見る人と作品の間の関係は、非常に儚く、壊れやすい偶然の中にあった。それゆえ、バンクシーのイメージは必然的に、受け手との関係を築くためにハイ/ロー・カルチャー、セレブリティもニュースも扱うことが多くなる。しかし、その事実に基づいたとして、バンクシーの壁に残した“作品”の価値判断がどのようになされうるかを考えてみるとき、チャーリー・ブルッカーのような皮肉なユーモリストが書いたことはおいても、コンテンポラリー・アートがどのように動いているのかについて少し思いを馳せてもいい。キュレーター/REALKYOTO発行人兼編集長の小崎哲哉氏の連載:『現代アートのプレイヤーたち』に書かれているように、コンテンポラリー・アートは──いわゆるオキュパイ・ムーヴメントのスローガンの文句を再びここで、今度は戯れにではなく事実を思い出すために借りるならば──資本を保有する世界の1%の層によっておおいに動かされている。
映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』より
バンクシーは1%が集い不動産を高騰させている街、コンテンポラリー・アートの殿堂であるMoMAが君臨する街ニューヨークで、ウチとソトの往き来を意識しながら外側で私たち99%への“アート”活動をしたし、“作品”を外側に残した。ギャラリストやディーラーがアーティストやコレクターと会ったり交渉したり作品を展示したり取引したりするかわりに、アーティスト側が勝手に展示したあとに人々は動き出す。批評家が大新聞にレビューを掲載する以前に観衆がSNSで感想やコメントや批評を発信し、“作品”やそれを見た経験について上気して話し合う。本作の監督クリス・モーカーベルやレイ・モックはもとより、日本にいる人間までが記録を見て理屈まで言う。こうしたネットークが“アーティスト”と“作品”を支える世界を構築する。
ウチとソトの往き来?そういえば“Better Out Than In”についてではないが、2015年の話題の陰画テーマパーク“ディズマランド”では、バンクシーは展示作家のなかにダミアン・ハーストを滑り込ませたりもした。ダミアン・ハーストが世界一のコンテンポラリー・アーティストだというわけでもない。しかし、ハーストが当代きってのコンテンポラリー・アーティストであること、彼が作った作品がコンテンポラリー・アートであることを否定できる人間はいない。
註1 しかし、このことは同氏に佳作賞を与えた現代美術展覧会VOCA展2016のカタログを読むと、そう単純でもないことが判る
註2 キュレーターのニコラ・ブリオーが提唱した美術を社会との関係性から論じた同名の ”Relational Aesthetics”, Les Presse Du Reel, 1998.より
註3 社会学者ハワード・S・ベッカーのいうところの。 Howard S.Becker, “Art Worlds”, University of California Press, 1982
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映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』
渋谷シネクイントほか全国順次公開中、4月2日(土)より渋谷アップリンクにて上映
監督:クリス・モーカーベル
提供:パルコ
配給:アップリンク、パルコ
宣伝:ビーズインターナショナル
2014年/アメリカ/81分/カラー/16:9/DCP
【渋谷アップリンクにてトークイベント決定】
4月2日(土)19:30の回上映後「アートの価値」
〈ゲスト〉
・MADSAKI(アーティスト)
・佐藤拓(ギャラリーディレクター/CLEAR EDITION & GALLERY)
〈司会〉
・荏開津広(DJ/オールピスト京都/京都精華大学非常勤講師)
▼映画『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』予告編
バンクシー監督作
『イグジット・スルー・ザ・ギフトショップ』
日時:2016年3月28日(月)~4月1日(金)17:00の回
会場:渋谷シネクイント(東京都渋谷区宇田川町14-5 渋谷パルコ パート3・8F)
料金:一律1,000円
第83回アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門ノミネート!アート界のみならず、映画界においても賛辞の的となった、バンクシーの初監督作品。これは真実なのか?それともすべてバンクシーに仕組まれたことなのか……?現代のアート業界を痛烈に皮肉りつつ、最高にユーモアの溢れたドキュメンタリー!
監督:バンクシー
出演:ティエリー・グエッタ、スペース・インベーダー、シェパード・フェアリー、バンクシー、ほか
ナレーション:リス・エヴァンス
音楽:ジェフ・バーロウ(Portishead)/ロニ・サイズ
提供:パルコ
配給:パルコ、アップリンク
特別協賛:SOPH.Co.,Ltd.
2010年/アメリカ、イギリス/90分