骰子の眼

cinema

2016-03-03 10:07


パレスチナ人映画監督が語る、占領され“壁”で分断されることが人間に及ぼす影響

分離壁はイスラエルとの境界だけにあるのではない―映画『オマールの壁』
パレスチナ人映画監督が語る、占領され“壁”で分断されることが人間に及ぼす影響

分離壁で囲まれたパレスチナの今を生き抜く若者たちの日々を、切実に描いた映画『オマールの壁』は、ハニ・アブ・アサド監督をはじめとしたスタッフは全てパレスチナ人、撮影も全てパレスチナで行われ、100%パレスチナの資本によって製作された“パレスチナ映画”である。カンヌ国際映画祭をはじめ、多数の映画祭で絶賛され、2005年の『パラダイス・ナウ』に続く2度目のアカデミー賞外国語映画賞ノミネートとなった。

ハニ・アブ・アサド監督が語る、映画について、そして今もパレスチナを分断し続ける“壁”について。




ハニ・アブ・アサド Hany Abu-Assad

1961年、イスラエル北部の都市ナザレに生まれる。イスラエルのパスポートを持つパレスチナ人。 主な作品に『エルサレムの花嫁』(2002年)、『パラダイス・ナウ』(2005年)、『クーリエ 過去を運ぶ男』(2011年)などがある。

映画『オマールの壁』



製作のきっかけ

どんな脚本家にとっても、現実の生活がもっとも刺激的な素材になるものだが、この映画も例外ではない。何年か前にラマッラー(パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区の経済・政治的中心都市)で親しい友人とお茶を飲んだ時に、個人情報を握っている政府職員から接触を受けた話を聞いた。政府職員は、その秘密を楯に友人に協力を要請したのだ。それを聞いて直ちに私は、このテーマを掘り下げるべきだと考えた。そうした状況下で取る行動が、愛、友情、信頼に、どんな影響を及ぼすのかについて、いろいろ考えて寝つけなかった夜に、メモ帳を取り出して4時間でこの映画の筋書を完成させた。

占領パレスチナにおける現実の反映

映画を作る際、リアリティは信憑性ほどには重要ではない。この作品に関しては、どのシーンも実態に即していて真実味がある。偶然が重なるドラマチックな架空話のように見えるかもしれないが、実際にはドラマ的な効果を狙って物語から逸れるのは1度だけだ。それ以外はすべて、今日の占領パレスチナの実態を反映していると思う。

分離壁

分離壁は(イスラエルとパレスチナの境界であるグリーンラインに沿って建っているのではなく)、パレスチナ自治区内を分断するように建っている。パレスチナの町や難民キャンプや村を分断する壁によって、パレスチナ人は友人や家族から切り離された。イスラエルは、パレスチナ人居住区を壁で囲い込んでゲットーを生み出している。それゆえ、私はこの映画で、登場人物たちが壁のどちら側にいるかを明確にしなかった。しても意味がないからだ。私の狙いは、無作為に壁が横断する仮想のパレスチナの町を描くことだった。

映画『オマールの壁』

壁を越えること

壁を越えることは、パレスチナにおいては生活の一部だ。その手伝いを仕事にしている人間すらいる。分離壁は、イスラエルと西岸地区を隔てるためにではなく、実際にはパレスチナ人を分断するために建てられている事実を理解する必要がある。場所によっては、パレスチナ人の町を二分しているところもある。だから壁越えは日常茶飯事に行われ、その目的も多岐にわたる。仕事のため、家族に会うため、生きるため、そして愛のための場合もある。

パレスチナでの撮影

『パラダイス・ナウ』以降、パレスチナで映画を撮らなかった理由はいくつかある。まず、私は常日頃、パレスチナ問題について語っているわけではなく、創造の源はパレスチナ以外にもたくさんあるからだ。しばらくの間、他のさまざまなプロジェクトに関わっていて、エネルギーを取られていたことも大きい。『オマールの壁』の撮影は、ナーブルスで1週間、ナザレで6週間、ビサンで1週間行なった。スムーズに進むよう、壁を含めすべての場所で撮影許可をなんとか取りつけた。壁に関しては、ある程度の高さまで登る許可を得て、それより上での撮影には、ナザレに作ったセットを使った。パレスチナ警察当局の後ろ盾を得た西岸地区では比較的、撮影が楽だった。とは言え、問題は山積みだったが、映画の撮影とは総じてそういうものだ。当初からこの作品を、パレスチナ人のクルーだけで作りたいと考えていた。そのため、いくつかの部門のトップは初めて経験する仕事に取り組まねばならず、組織面や進行面で問題が生じることもあった。それでも、皆で障害を乗り越え完成に至り、カンヌ国際映画祭「ある視点」部門でプレミア上映されたことに感激している。

ラブストーリーについて

ラブストーリーには、悲劇と喜劇の二つしかない。そして、どのラブストーリーにも、内的と外的の二つの障害がある。ほとんどの悲劇では、恋人たちは外的障害を克服できても、内的障害は克服できない。内なる障害とは、お互いに対する真の信頼だ。喜劇では、恋人たちは両方を克服し、最後に結ばれる。残念ながら現実の恋愛は、ロマンチック・コメディよりも悲劇のほうがはるかに多い。究極の愛を確信するオマールは、ロマンチックな結末になると思っていた。そのため、この作品は二重の意味で悲劇なのである。

映画『オマールの壁』

信頼について

『オマールの壁』の主題は“信頼”であり、人間関係においていかに信頼が重要か、そしてそれがいかに不安定であるかを描いている。信頼は、愛、友情、そして忠誠心の要だ。目に見えないため漠としているが、非常に強いものでもあり、同時にもろくもある。私は人間の体験を通した成長に関心があるが、その過程において信頼は幻覚のようなものだ。人間が成長する上でのはかない希望であり、複雑な感情と深く関わっている。だからこそ、複雑な人間の感情を解き明かしてみたいという欲望は、永遠につきない。

若い新人俳優の起用

4人の若いキャラクターを演じている俳優は、全員が新人で、これが彼らのデビュー作だ。キャスティング・ディレクターと私は、精力的に多くのパレスチナ人俳優に会った。一番重視したのは、役の信憑性と感情表現、そして互いが絡む時にダイナミックな力が生まれるかどうかだった。オマールを演じているアダム・バクリは思わぬ逸材だった。彼はいい俳優というだけでなく、研究熱心でオマールという人物の本質を理解しようとしていたし、ひとたび撮影に入ると、役になりきっていた。ナディア役のリーム・リューバニは物憂い瞳が印象的で、観客の目を惹きつける。アムジャドに扮したサメール・ビシャラットはムードメーカーで、彼の台詞にジョークを多く盛り込んだ。タレク役のエヤド・ホーラーニは、私も知らなかったタレクの新たな一面を演じてくれた。タフでありながら傷つきやすく、真面目かと思えばひょうきんな面も持ち合わせている。この4人をキャスティングできて、この上なく満足している。深みのある作品になったのは、彼らの力によるところが大きい。

映画『オマールの壁』
オマール役、アダム・バクリ

映画『オマールの壁』
ナディア役、リーム・リューバニ

映画『オマールの壁』
アムジャド役、サメール・ビシャラット

映画『オマールの壁』
タレク役、エヤド・ホーラーニ

ラミ捜査官役のワリード・ズエイターについて

ワリード・ズエイターは、主要キャストの中で唯一、映画出演の経験がある俳優だった。プロの俳優との仕事は、いつも興味深く意欲を掻き立てられる。なぜなら、彼らは自分が扮する役について、鋭い質問を投げかけてくるからだ。ワリードは意思が強くタフで、彼との仕事は例えるならば大理石を削るような感覚だったが、結果は素晴らしいものだった。

映画『オマールの壁』
ラミ捜査官役、ワリード・ズエイター

自由の戦士たちの人間的側面

私は、人間を単に糾弾あるいは擁護する映画を作るつもりはない。それは裁判所に任せればいい。自由の戦士たちだけでなく、どの登場人物についても、私が興味を持っているのは人間的側面だ。あらゆるキャラクターの人間的部分に関心がある。われわれを人間たらしめているのは性格上の弱点だ。人は誰しも、たとえ外からは完璧に見えても、内面は不完全で欠点を持っている。映画監督である私の仕事は、それに誠実に焦点を当て、白黒つけずグレーに描くことだ。

パレスチナ問題について

私が重点を置いているのは、面白くて力強い映画を作ることであり、優れた物語とは何かを常に考えている。偉大な映画とは、時代や場所を超越したモチベーションを持つ登場人物がが上手く描かれている作品だ。もし私の映画が、何かを理解する手助けになっているとしても、それは副産物にすぎない。自分の芸術的選択を擁護するのは難しいことではないし、アーティストなら誰もがやらなければならい。同時に、登場人物の持つ人間的側面こそが物語を駆動させる原動力だ。パレスチナ問題について語ることほど称賛・批判される事柄はないが、それらは政治的なもので本来の芸術に対する批評ではない。




映画『オマールの壁』
2016年4月16日(土)角川シネマ新宿、渋谷アップリンクほか全国順次公開

監督・脚本・製作:ハニ・アブ・アサド(『パラダイス・ナウ』)
出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか
(2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー/原題:OMAR)
配給・宣伝:アップリンク
公式サイト


映画『オマールの壁』

レビュー(0)


コメント(1)


  • pepita0207   2016-03-04 00:22

    同じ監督の「パラダイスナウ」を観て感動したので、今回の作品も興味津々です。

    監督インタビューも素晴らしいです。

    宣伝・拡散にも努めたいと思います。

    つまらない瑣末なことで水を差すようで申し訳ないのですが、分離壁という表現を見るたびに私は苛立ちを感じます。

    英語では、確か apartheid wall だったと思います。
    アパルトヘイトはアフリカであったことですよね。原住民の人たちを隔離した。

    そのまま、翻訳すれば、「隔離壁」になります。

    「分離壁」「隔離壁」どちらでもいいのでは、と思われるでしょうり前者を使う人が殆どです。

    でも、よく考えてみてください。

    「分離」は、2つに分けることです。
    でも、パレスチナの現実は、「隔離」されてるのですね。

    従って曖昧な言葉遣いは現実を歪めると思います。
    今後、隔離壁という表現を使われることを切に願います。


    繰り返しになりますが、直接のメルアドが分かればそちらに送ったのですが、分からないので、コメント欄を汚してしまってごめんなさい、