2015年11月23日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて、深田晃司監督(左)と竹馬靖具監督(右)
竹馬靖具監督『蜃気楼の舟』と深田晃司監督『さようなら』公開を記念してのトーク・イベントが昨年の11月23日、渋谷アップリンクにて実施された。竹馬監督と深田監督は、共にデビュー作がアップリンクで劇場公開されており、当日は竹馬監督『今、僕は』そして深田監督『ざくろ屋敷』という、彼らが新しい作品を作るなかで原点となった作品も上映。これまでのキャリアを振り返りながら、お互いの最新作のクラウドファンディングを含む製作プロセスについて、そして表現方法についてまでが語られた。なお、『蜃気楼の舟』『さようなら』ともに、1月30日(土)より渋谷アップリンクにて上映がスタートする。
監督自身がこう撮りたいという衝動で突き進んで作られた『蜃気楼の舟』
深田:『蜃気楼の舟』は、『今、僕は』から約10年の時間が空いていますが、本当に同じ監督が撮ったのか、というくらい作風が変わっていますよね。そもそもどういう経緯で?
竹馬:2011年から脚本を書いていたので、4年前から動き始めているんですね。スポンサーとかも特にいなかったので、脚本を半年で書いて、お金集めして、スタッフも集めて、2012年の7月に撮影が始まって、2015年の5月に完成しました。その後、宣伝費のためにクラウドファンディングを行い、153万円を集めました。
こうした制作方法はもう最初で最後だなと思って。すごく低予算なので、ちゃんとギャラも払えないですから、企画意図をちゃんとわかってもらって、田中泯さんをはじめキャストやスタッフの人にも同意してもらった上で、空いたスケジュールで撮って行きましょうと。
映画『蜃気楼の舟』より
深田:僕の『東京人間喜劇』という青年団の助成金で撮った映画が、雰囲気が近いものがあるかなと思いました。それは低予算なので、手弁当でやってもらうみたいなところがあって、映画作家の1回切りのカードを切るみたいな。
竹馬:実際にはスタッフも仕事の依頼を断ったりすることになってしまったりして、心苦しかったです。
深田:公開したら商業もインディーズも関係ないとはいえ、インディーズ映画でしか作れない世界観を作っているなと思って、推薦コメントでも触れましたが、いわゆるメジャー映画とインディーズ映画との違いとは、作り手の世界観が作品に現れているかどうかだと感じていて、『蜃気楼の舟』は圧倒的にそれがあるんですね。
植田正治の写真をじっと見つめているうちに100分が過ぎていた、かのようなそんな放埓な錯覚を許してくれる贅沢な映画体験で、鑑賞中ずっとニヤニヤと口角が緩みまくっていた。 都市と自然、親と子、富と貧、シンプルで普遍的な対立軸をそこかしこに潜ませながら、根底にあるのは若き竹馬監督の世界への怒りとパッションに他ならない。 スクリーンを越えて私たちを揺さぶる、田中泯の四肢の奮えが忘れられない。
──深田晃司
竹馬監督にはこういう風に世界が見えていて、竹馬監督の感じるいらつきみたいなものもフィルムに取り込まれている。前作の『今、僕は』が引きこもりの狭い世界を描いていたのと対照的に、一気に広がっていて、囲い屋という社会問題をベースにしながら、親と子ども、富める者と貧しいもの、男性/女性といった対立軸をうまくちりばめながら、竹馬監督にはこういう風に世界が見えているんだなというのをちゃんと提示していくのが、インディペンデント映画ならではだと思います。監督自身がこう撮りたいという衝動で突き進んで作られている。だからすごく貴重だし、すごく贅沢なものが観られるはずです。
映画『蜃気楼の舟』より
正統的なことをあえて大真面目にやる『さようなら』
竹馬:では今度は、深田監督の『さようなら』について教えてください。
深田:『さようなら』は、元々原作は平田オリザさんの作った、本物のアンドロイドと人間が出てくる15分程の短い演劇で、それを2010年に観たときにこれは面白い、映画化したいと思って。次の年に平田さんにそれを伝えたら「いいよ」と返事をもらって、それからお金集めを始めて。この映画もクラウドファンディングからスタートしました。そこで集まったお金を運転資金にして、様々なプロデューサーさんに脚本を見てもらって、最終的に製作委員会という形で、低予算だけどある程度大きなバジェットで撮影をすることができました。
内容の核は、近未来を舞台にして、病気で死んでいく女性と彼女を世話するアンドロイドの対話を中心に進んで行くんですけれど、女性の生死を通じて、生きるとは何なのか、死ぬとは何なのかということを感じさせる映画になればと願い作った映画です。
映画『さようなら』より、ターニャ役のブライアリー・ロング(左)、ターニャの恋人敏志役の新井浩文(右) © 2015 「さようなら」製作委員会
竹馬:新しい深田さんの一面を見れたと同時に、重たい内容ではないではないですが、いい意味ですごく正統な感じで。「死」ということがすごく喚起されました。これまでの『ほとりの朔子』や『東京人間喜劇』では見られなかった光の使い方が、ふんだんに使われていて、美しいと思うと共に、美しさの中に人間の闇をしっかり描いている。しかもちゃんとした予算で作られているのに、深田さんの世界観が打ち出せているというところに、すごく感動しました。
深田:僕はそんなに変わってるつもりはなかったんですが、前作の『ほとりの朔子』が好きだと言ってくれる人が戸惑っているのを感じていて。日本映画としてはとんがったことをやろうという気持ちはあるのですが、モチーフはいわば人間の生について描く、死について描くという、ものすごく普遍的なことで。有史以来人類が文学や映画といった芸術で繰返し描いてきたものすごく正統なことを、あえて大真面目に日本映画でやったつもりなので、正統だと言ってもらえるのは嬉しいですね。
竹馬:そういった意味で正統であり、実験的なこともやってますよね。詩をロボットに読ませたり、画面の使い方も普通じゃなかったり。
映画『さようなら』より、ターニャが出会う青年・山下を演じた村上虹郎 © 2015 「さようなら」製作委員会
ヨーロッパでは300万人に見られる映画も、3万人に見られる映画も共存できる
深田:『さようなら』は、一般的にイメージされる商業映画とはかなりずれたところでやっています。ヨーロッパでは商業映画と非商業映画という区別ではなくて、ジャンル映画とアート映画というくくりになります。アート映画の中だと必ずしも特別なものではないのに、日本で作るとすごく特別なものになってしまうという状況が、いまの日本映画のある種の狭さという問題点を示していると思うんです。
竹馬:何でそんな風になっていると思われますか?
深田:一つは自分が自主映画を作って来て、2008年に『東京人間喜劇』という自分としては手応えのある作品を作れたけれども、スタッフ・キャストに殆どギャラが払えてないみたいな状況で、これを続けて行くのは無理だと思った状況があった。丁度そのとき藤井光さんという映画監督であり現代美術家の方がずっと10年間フランスで活動されてきて、日本に戻って来たときにたまたまフランスの話を聞くことができて、当たり前だと思っていたことが、フランスと比べると全然当たり前でないということが衝撃的で。それから個人的に調べたりして、問題意識を持って作るようにしてきたんです。
映画『さようなら』より、ターニャ役のブライアリー・ロング(右)、アンドロイド・レオナを演じるジェミノイドF(左) © 2015 「さようなら」製作委員会
竹馬:実際どのようにに違うんですか?ジャンルの捉え方以外に、お金の出方、助成金の出方も違うんですか?
深田:これは僕なりの理解ですが、いわゆる映画って、絵画とか音楽とか小説、演劇と比べても根本的にかかるお金が違うんですね。どうしたって、数千万から数億円というお金がかかってしまう芸術表現なので、製作の経済的なリスクが高い。人一人の一生を簡単に狂わせてしまうくらいの破壊力がある。なので製作リスクを抑えるために各国で様々な取り組みが行われている。
映画の資金を集める方法は、ざっくりと分けると3つあって。一つは、世界的に主流なのは、出資者を募る方法。製作委員会というシステムは日本独特なので海外にはないですけれど、合同会社だったり、みんなでお金を集めてリスクを減らして、それで興行してお金を回収して、儲けを分配する。
もう一つが、行政からの助成金。返さなくていいお金で、経済リスクを抑えてくれます。
そしてアメリカで盛んなのが、企業や個人からの寄付。アメリカの場合は税制優遇などが発達しているので、助成金よりも寄付の方が多い。そうした3つの方法があります。
映画『さようなら』より © 2015 「さようなら」製作委員会
基本的にヨーロッパでは、300万人に見られる映画も、3万人に見られる映画も共存できる、それが多様性のある社会だという方針で製作決定がされています。経済性だけに任せていたら売れる映画だけが生き残ることになってしまうので、その経済リスクを抑えるために助成金制度が充実していたり、寄付の税制優遇の制度があったりするんです。
けれど日本の場合は、寄付あるいは助成金の、3つの内の2つがすごく弱いので、必然的にビジネスでお金を回収しなくてはいけなくなってしまう事情があります。僕は、これが日本映画の抱える矛盾になっていると思っていて、海外の国際映画祭で盛んに評価されるタイプの映画、例えば是枝(裕和)監督や河瀨(直美)監督の作品、最近の黒沢清監督の作品は、監督本人の思考はともかく、外から見ると、アメリカ映画ではなくヨーロッパ映画なんですよね。サスペンスや練り込まれた脚本で魅せるというよりは、時間がゆったり流れていて、人間関係のドラマがゆっくり進むヨーロッパ型の作品が評価される。にも関わらず、お金の上ではハリウッドと同じように全部興行収入やDVDの売上といった部分を考えて、商売として回収しなくてはいけない。例えばヨーロッパだと2億円で映画を作っても、1億円は助成金で賄えるみたいな状況があるけど、日本だと2億円で作ったら全部商売で返さなくてはいけないので、自然と経済リスクが上がる。そうやっていくと、例えば有名な原作がないとだめだとか、お茶の間でみんなが知っている顔が出てないと見てくれず、作家の自由な状況が狭まってしまう。
だから『さようなら』とか『蜃気楼の舟』のような映画というのは、配給会社はとても苦労することになるだろうと思います。
クラウドファンディングの可能性
竹馬:日本では5,000万円の製作費があれば文化庁が助成金を出してくれるんですよね?
深田:はい。文化庁の助成金で、5,000万円という枠が二つあって、通れば1,000万円の助成金を受けることができます。先人たちが努力してこうした制度を作ってくれているんですが、映画製作のリアルに沿っていないから、残念ながら使いづらい。例えば文化庁の助成金も、申請して審査結果が下りるのが9月頃なんですが、完成した作品の試写を年度末の3月までに文化庁相手にしなくてはいけない。その6ヶ月間で映画を完成させなくてはいけない。そこを何とかみんなやりくりして制度を利用してるんです。元々経済的に弱い立場の人たちのリスクを減らすために助成金というのがあるはずなのに、結局その助成金を一番有効活用できるのは、ある程度資本のある大会社ということになってしまって、制度矛盾を起こしてしまっている。
フランスや韓国の映画人たちと話していて「そっち(の国)はいいよね。助成金もちゃんと充実していて、失業保険ももらえたりしていいよね」と言うと「何を言ってるんだ!俺たちは闘ってこの権利を勝ち取ってるんだ」と言い返されたことがありました。韓国の文化庁の長官にイ・チャンドンがなっていたり、フランスや韓国は制度設計自体に映画人自身が関わっていいます。しかし日本は、自分たちで制度を作ってコミットしていくというのに対して、行政任せだなと思っていて。「行政の人たちが何で映画のことを理解してくれないのだ」と怒る前に、伝える努力をしているのかということが大きな一つの問題で。映画人のリアルを行政の制度が汲み取れていないのは、私たち日本の映画人自身の問題でもあると思っています。
映画『蜃気楼の舟』より
竹馬:深田さんが2012年に立ち上げたNPO、独立映画鍋についても教えてください。
深田:独立映画鍋は映画人自身のコミュニティです。制作者も役者も東映・東宝・松竹の大手会社の社員だったという時代は、半世紀前に終わって、みんなほとんどフリーになったんです。個別に活動しながらやっぱり分断しているという気持ちが強かったので、もっと情報共有してシェアして、まとまろうということがきっかけなんです。
竹馬:それは勝ち取ろうという意志のもとでやってるんですか?
深田:それはありますね。いま日本映画の制度で何が問題なのかを考えながら、政策提言に向けて動いたり、制度を作る側に何とか回れないかという問題意識がありました。実は2011年に日本の税制が大きく変わったのってご存知ですか?
竹馬:映画にまつわる税制ですか?
深田:東日本大震災以後NPOの価値が見直されて、NPOの税制が改正されたんです。NPOとより公的な活動が認められた1ランク上の認定NPOがあるんですけど、その認定NPOで受けた寄付の50%分の税金は控除で戻ってくる画期的な制度に変わったんですね。
映画鍋として最初に集まったのは、その税制を映画製作に何とか活かせないかというのが理由だったんです。アメリカは税制優遇が進んでいるけれど、日本には寄付文化が根付かないので、文化に寄付することに対するメリットが少ない。企業メセナ協議会という企業からの寄付を集めている団体はありますが、そこも所得控除という、あまりメリットの少ない税額控除なんです。それが、寄付した分の税金の半分が控除される仕組みになった。個々の映画作家、映画製作会社がNPOを立ち上げて、寄付の大きな窓口になるような認定NPOを作って、そこを通すだけで寄付をする側に税額控除のメリットが得られる仕組みを作りたかった。
竹馬:寄付という形の中には、クラウドファンディングもありますよね。
深田:クラウドファンディングというのは、実際寄付に該当するのか微妙なところで。オバマさんが選挙に出る時に企業じゃなくて一般の人から小口の寄付をインターネットで集めたのがきっかけらしくて。そこに目をつけたアメリカのアーティスト団体がインターネットを使って小口の寄付を集める、というのが日本に輸入されて、根付いてきました。
『さようなら』のクラウドファンディングは、2012年に日本とアメリカで同時にはじめて100万前後のお金が集まったんですね。プロデューサーや映画祭に企画書を持って行って製作委員会を立ち上げるための足がかりにしました。僕自身が製作委員会のメンバーに入って、この映画のためにTOKYO GARAGEという株式会社も立ち上げました。
監督自身が仮に300万円のお金を集めたとすると、それから額面を膨らまして全体で3,000万円のお金が集まったとしても、監督が300万円集めてるからその分の発言権を持てるんです。そうすることで作家のクリエイティブの幅を少しずつ広げられるというのが有効で、同時にクラウドファンディングだけで映画を作ってほしくないなという思いもありますね。
竹馬:実際100万円で作るというのは難しいですよね?
深田:『東京人間喜劇』の製作費が150万円、宣伝費入れて250万円くらいなので、それをやるためにクラウドファンディングをやるとなると貧しいと思うんですよね。
映画『蜃気楼の舟』より
竹馬:僕たちが始めたクラウドファンディングは、体験をしてもらおうと、アフターイベントとして映画を観た後に僕やキャストとお客さんと焚き火をして映画の話をしようという権利を作って、寄付をしてもらったり、1,000個のリターンを作って、様々な関係者が持ち寄りました。
深田:これからクラウドファンディングを始めたいと考えてる人がいたら、特典をいかに充実させるかが大変なんですよね。『さようなら』もチケットの発送作業とか自分でやって大変なんですけど、2012年のときは3,000円の寄付に対して、前売り券2枚とパンフを付けますと書いていて、これはどう考えても赤字じゃないかと(苦笑)。これは僕がバカだっただけなんですけど。
竹馬:実際やられてみてどうですか?
深田:自分の場合は知り合いが3、4割くらいという感じでしたね。
竹馬:後の6割はどういう意図で寄付をしようと思ったんですか?
深田:ここがクラウドファンディングの難しいところで、お金を集めるためにやっているんですが、監督自身のキャリアとかに左右されるところがあるんですね。そしてこれは考え方次第ですが、まずは知り合いに「映画を作るからお金を出して」と声を掛けやすくするうえでもクラウドファンディングは大切です。クラウドファンディングが何でこんなに広まったかというと、ゲーム感覚でお金を集められるようになったんです。でもお礼やリターンの発送も大変だし、クラウドファンディング期間中は、そこに相当エネルギーを使わないとやっていけない。
結局、顔の見えない企業や行政に頑張って申請書を書くか、顔の見えない相手と映画作りを共有していくか、そこに楽しさを見出せるかが重要で、そこも含めて面白がれればクラウドファンディングは有効になる。ただ単にお金が足りないから集めるという気持ちで臨むと、意外と簡単にはお金が集まらないし、大変だし、多分心が折れると思います。
映画『蜃気楼の舟』より
こういう新しいムーブメントには反発する人も多い。言葉は悪いですけど、物乞いみたいなことをして映画を作るなみたいなと思われる方もなかにはいると思うんですが、でもやっぱり多様な映画を作って支えていくためには、多様なお金の集め方が必要で、それをするにはかつてのビジネスは破綻している。例えば東宝・東映・松竹という大手会社が機能していた時代は、例えば松竹で小津が稼いで、大島渚が変な映画を作る、みたいな循環が会社のなかで可能だった時代がありましたが、いまはそれが難しくなってしまった。なので、映画業界全体で多様な映画の作り方のパッチワークを、一企業じゃなくて映画業界全体でどう循環を作って行くか、ヒットする映画がヒットしない映画を支えて行くというような状況をどうやって作って行くかということが今後の問題になっていくではないかと思います。
竹馬:寄付と多様性は直接繋がらないかもしれないですけど、僕はこの映画を4年かけて作ってきて、やっぱり一般的な映画とは違う多様性の中に入っていて、それを支えてくれるクラウドファンディングなどで支援してくれた人がいるから、やっと公開できるなというのがあります。お客さんが実際に寄付で映画制作者を支えるというのは大事なんじゃないかと思います。
深田:実はクラウドファンディングって法的には寄付に該当しないので寄付金控除の対象にはならないんですよ。だからまた税制優遇のためには新たな寄付の形を作って行かなくちゃいけないです。ただクラウドファンディングの活動が重要なのは、これが寄付かどうかというよりも、発信する側と受ける側の、一方向の関係性を崩したというところにあると思っていて、アメリカだと文化への寄付者が多いのは税制優遇のためだけかというと、そうではなくて、そもそもの発想が違うんですね。日本だと税金というと、お上が使うお金というものと思いがちですが、アメリカだとみんなのお金だからみんなで使い方を考えましょうという考え。その中には例えば税額控除とかあれば、自分はこのことのために税金を使いたいということができるんですね。始まったばかりで問題点は多いですが、うまいこと機能してくれたらいいなと思っています。
映画『蜃気楼の舟』より
世界の問題と地続きであるという意識で映画を作りたい
観客からの質問:『さようなら』は福島の原発事故後を想定させる近未来SFだし、『蜃気楼の舟』は豊かな国日本だけれど、囲い屋という生活保護費をピンハネする若者たちの話で、両作とも違うアプローチで現代の日本を見てると思います。この現実の世界をどうやって作品の中に取り込んでいこうと考えているのでしょうか。
深田:『さようなら』は原発事故を扱っているので、社会性が際立って感じられると思うんですが、私は基本的なスタンスとして、どの映画を作る時にも社会性を考えています。特にこういったインディペンデントの映画は、作家がどう世界を見せるかが問われます。つまり、映画ってお金のかかるメディアだったのが、デジタルの時代になって、誰でも映画を撮れるようになったときに問われるのは「なぜその人が映画を作るのか?」ということだと思っていて。いまこの世界の大地に三脚を置いて映画を撮る以上、あるいはそこに俳優が立っている以上、俳優が立つ地面と福島あるいは世界中で起きている問題と地続きであるという意識で映画を作りたいと思っています。
竹馬:僕の場合は、現実というのは自分を通して感じることなので、自分のパーソナルなところから見て、かつその社会というのがどう見えるか。その距離感というのを。自分だけじゃなくて、他者から見てというのを自覚しつつ、映画の中に取り入れて行く。そして、『蜃気楼の舟』でも描いているんですけど、人間が現実を生きていくということ、現実というのは容赦なくきついということを自覚しているので、そこは意識して物語を書いています。ただ泣かせればいいというのではなくて、それをどう内容に落とし込んでいくかというのは、毎回の作業であるので、とにかく意識しています。そして、「劣化」していかないように抗うというところ。
現実というのは、人の目によって変わるし、実際に事故が起こっていればそれは現実なんですけれど、それをどう見るかというのは人それぞれなので、人間の持ってしまう感情の流れ、内面の流れというのを撮ることによって、現実を映画の中に入れていけたらなと思います。
(2015年11月23日、渋谷アップリンク・ファクトリーにて)
深田晃司(ふかだこうじ) プロフィール
1980年生まれ、東京都出身。映画美学校監督コース修了後、2005年、劇団青年団に演出部として入団。2006年発表の中編『ざくろ屋敷』にてパリ第3回KINOTYO映画祭ソレイユドール新人賞を受賞。2008年『東京人間喜劇』がローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭選出。大阪シネドライブ大賞受賞。2010年『歓待』にて東京国際映画祭日本映画「ある視点」部門作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞。2013年には『ほとりの朔子』がナント三大陸映画祭グランプリ&若い審査員賞をダブル受賞。タリンブラックナイト国際映画祭監督賞受賞。最新作『さようなら』が全国公開。2012年よりNPO法人独立映画鍋に参加。
竹馬靖具(ちくまやすとも) プロフィール
1983年、栃木県足利市生まれ。役者としての活動を経て、2009年、自身が監督・脚本・主演を務めた映画『今、僕は』を発表。2011年、真利子哲也監督の映画『NINIFUNI』に脚本で参加。2016年1月、監督第2作『蜃気楼の舟』がアップリンクの配給により公開。
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映画『蜃気楼の舟』
2016年1月30日(土)より、渋谷アップリンク他、全国順次公開
映画『蜃気楼の舟』より
主人公の男は、友人に誘われたことがきっかけで、囲い屋で働いていた。ある日、それまでモノのように扱ってきたホームレスのひとりに、自らの父を発見する。導かれるように父を連れて囲い屋を出た男は、自身の欠落を問うために車を走らせる。現実と異世界を揺れ動くドライブの中で父と訪れた廃墟には、母親の幻影がさまよっていた。そして、並行して描かれる、現実と幻想の狭間を航海する一艘の舟が向かう先には……。
監督・脚本:竹馬 靖具
撮影:佐々木 靖之
照明:關根 靖享
助監督:池田 健太
編集:山崎 梓、竹馬 靖具
録音:上條 慎太郎
整音:鈴木 昭彦
効果:堀 修生
スタイリスト:碓井 章訓
ヘアメイク:寺島 和弥
プロデューサー:竹馬 靖具、汐田 海平
テーマ曲:「hwit」(坂本龍一『out of noise』より)
音楽:中西俊博
製作:chiyuwfilm
出演:小水 たいが、田中 泯、足立 智充、小野 絢子、竹厚 綾、川瀬 陽太、大久保 鷹、中西 俊博、北見 敏之、三谷 昇 他
配給:アップリンク
2015年/99分/1:1.85/カラー & モノクロ/5.1ch/DCP
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/SHINKIRO_NO_FUNE/
公式Twitter:https://twitter.com/shinkiro2015
公式Facebook:
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【トークショー開催決定!】
●1月31日(日)12:40の回上映後
ゲスト:宮台真司(社会学者・首都大学東京教授)
●1月31日(日)19:30の回上映後
ゲスト:真利子哲也(映画監督)
●2月1日(月)19:30の回上映後
ゲスト:瀬々敬久(映画監督)
●2月2日(火)19:30の回上映後
ゲスト:木村元彦(ジャーナリスト)
●2月3日(水)19:30の回上映後
ゲスト:稲葉剛(NPO法人もやい理事)
●2月4日(木)19:30の回上映後
ゲスト:堀江敏幸(作家)
●2月5日(金)19:30の回上映後
ゲスト:小谷忠典(映画監督)
●2月6日(土)夜の回上映後
ゲスト:三宅唱(映画監督)
詳細は下記アップリンク公式サイトより
http://www.uplink.co.jp/movie/2015/42073
映画『さようなら』
1月31日(土)より、渋谷アップリンクにて上映
映画『さようなら』より © 2015 「さようなら」製作委員会
放射能に侵された近未来の日本。各国と提携して敷かれた計画的避難体制のもと国民は、国外へと次々と避難していく。その光景をよそに、避難優先順位下位の為に取り残された外国人の難民、ターニャ。そして幼いころから病弱な彼女をサポートするアンドロイドのレオナ。やがて、ほとんどの人々が消えていく中、遂にターニャはレオナに見守られながら最期の時を迎えることになる……。
監督/脚本/プロデューサー:深田晃司
キャスト:ブライアリー・ロング、新井浩文、ジェミノイド F、村田牧子、村上虹郎、木引優子、ジェローム・キルシャー、イレーヌ・ジャコブ
原作:平田オリザ
アンドロイドアドバイザー:石黒 浩
プロデューサー:小西啓介
プロデューサー/録音/音楽:小野川浩幸
撮影:芦澤明子
配給・宣伝:ファントム・フィルム
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