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2016-01-08 21:10


軍事政権下のタイで自分の映画を公の場で語ることは不可能―アピチャッポン監督『世紀の光』

「記憶の“感覚”を甦らせること」が主題、いまだタイで公開されていない2006年の作品が日本公開
軍事政権下のタイで自分の映画を公の場で語ることは不可能―アピチャッポン監督『世紀の光』
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

“幻の傑作”と言われてきたアピチャッポン・ウィーラセタクン監督の2006年作の映画『世紀の光』が1月9日(土)から日本初劇場公開となる。webDICEでは、アピチャッポン監督が今作について語るインタビューを掲載する。このインタビューは2015年12月、タイ・チェンマイのアピチャッポン監督の自宅とスカイプを繋いで行われた。

『世紀の光』は、「記憶の“感覚”を甦らせること」を主題に、前半は地方の緑豊かな病院、後半は近代的な白い病院が舞台。登場人物の多くが前半と後半で重なり、医師の恋の芽生えなどのエピソードは2つのパートで反復されるというユニークな構成となっている。自然の光と人工の光。過去の記憶と未来へのおののき。変わりゆく人間と変わらない人間。ラストに流れる日本のバンド「NEIL&IRAIZA」のポップ・ミュージックも印象深い。

タイでは映画を上映する場合、必ず検閲委員会に提出しなければいけないが、アピチャッポン監督は2007年に本作を検閲委員会にフィルムを預けたところ、「僧侶がギターを弾くシーン」「僧侶がラジコンで遊ぶシーン」「医者が院内でお酒を飲むシーン」「医者が院内で恋人とキスをするシーン」の4カ所のカットを命じられた。これによりアピチャッポン監督は国内上映をキャンセルし、フィルムの返還を求めた。この問題の後、タイ国内で検閲ではなく、レイティングのシステムを作ろうという運動「Free Thai Cinema Movement」が起こったが、本作は現在に至るまで、タイでは公開されていない。日本では今回、初の劇場公開となる。

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なお、『世紀の光』公開にあわせて同時期に、特集上映「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」も開催される。全長編作品+アートプログラム(短編・中編)でその魅力をたっぷりと味わい、いよいよ3月に公開となる“アピチャッポン史上最高傑作”と呼び声高い最新作『光りの墓』に期待をふくらませてほしい。

ふたつの病院のコントラストの理由

──発声の滑らかさに驚きました。これはタイ語の問題でしょうか?それとも演出の成果なのでしょうか?あるいは録音に秘密があるのでしょうか?

キャスティングの時に、撮影中にも自然体でいられるような人を選ぶことにしています。というのは、自分らしくいられる人こそが僕たちの映画作りにとって大切なことであるからです。だから脚本の中のキャラクターに合わせて出演者を選んでいるわけではなく、むしろ出演者を選んでから脚本の方をその人に近づける、というような作業をしているんです。だからもしかしたら彼らが、自分らしくいればいい、という意味で、言葉も滑らかに出てくるのかもしれないですね。

アピチャッポン・ウィーラセタクン監督
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督

言語がタイ語だからというのもあるかもしれません。映画祭を巡っているときも、似たようなこと、声の音質について尋ねられました。僕のボーイフレンドが友達と会話をしているときに、外国人がそれを聞いて、なんてやさしい言葉遣いでなんて音楽的な話し方なんだろうということを言われたこともあります。でもその時彼らは、悪い言葉をいっぱい使った乱暴な会話をしていたのです。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

──『世紀の光』では、二つの場所、時間を組み合わせてひとつの物語にするという構成は、最初から考えていたことなのでしょうか?それとも、何か語りたいことが元にあって、その語り方を探っているうちに、このような構成になったのでしょうか?

撮影前から、二つの異なる病院を出してその対比によって語ろうというアイデアがありました。僕が育ったのは、映画の中に出てくる古臭い方の病院に近い環境なのですが、自分が映画作家になって久しぶりにそこに戻った時に、その場所が、僕が知っているその場所とは全然違うものになってしまったという体験をしたのです。それが『世紀の光』のふたつの病院のコントラストのヒントになりました。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

いろんな記憶が混ざり合った映画

──そうやって浮かび上がってきたアイデアと、現実にこの映画の中で語られている物語は、どんなふうにしながら重なり合ってきたのでしょうか?

この映画はいろいろな記憶の混在物です。僕はそこに一貫したストーリーがあると思って作ったわけではありません。両親に育てられる中で彼らに聞いた話の記憶、あるいは病院の患者たちから聞いた物語、それから、たとえば歌う歯医者さんのエピソードがありますが、あれなんかは僕の実体験に基づくものですが、そういったいろんな記憶が混ざり合って出来上がった映画なんです。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

特に後半の部分に関しては、前半の撮影の後、しばらく時間を空けてから撮影したのです。前半の撮影が終わった後、編集者とともにラフな編集をして、それを観ながら、後半を構想していきました。どこを反復させたほうがいいのか、あるいは現場でどんな新しい取り組みをしようかとか。たとえば義足のシーン、あのロケーションというのは現場で見つけたことなんですが、それをどういう風に映画の中に取り入れようとか、そんなことをやっていました。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

──先ほど、後半の撮影の時に、前半で描いたエピソードの何を反復させるか・させないかという話をされましたが、その反復させる・させないの基準になったようなことはありますか?

なるべくルールは作らないようにして映画を作っています。したがってその反復も、有機的に生まれてきてしまった、というようなことになるでしょうか。ひとつ言うならば、ロケーションに影響を受けました。近代的な病院と言ってもバンコクの病院、郊外の病院、そして自分の故郷の病院でも撮影したのですが、それぞれの場所で出会った部屋の印象によって、自分の判断が違ってきたと思います。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

──病院の内部ですが、どの病院も〈廊下〉が印象に残ります。廊下を映すことに、どんな意味があったのか。この映画自体が廊下のようなものになっていろんなものをつないでいる、そんな印象を受けたのです。

これもまた目立って思い浮かぶのが自分の子供時代なんですけれども、病院の外には、池を囲むような形で屋外廊下、通路があったんですね。そこには患者さんたちやその家族たちが、いつもぶらぶらしていた。印象的なのは、そこにはいつも違う時間が流れているような気がしました。とてもゆっくりとした時間で、もしかすると患者たちはそこで何かを待っていて、その待っている時間の遅さだったのかもしれません。あるいは彼らはそこで内省する、自分の中で何かを反芻している、そんな時間だったからかもしれません。

それに対して近代の病院の廊下というのは、いろんな場所へ何かをつなげていく、血管のようなもののような気がします。交通のための通路ですね。色分けもされていたり、物事が合理的に動くようになっている。というようなことが、無意識的に自分の中に染み込んでいたために、この映画の中の廊下が印象的なのかもしれません。

──ということは、どこにも行きつかない廊下が片方にあり、目的地のある通路としての廊下が片方にある、という対比によってこの映画は構成されているとも言えますね。

意識的に考えたことはなかったのですが、確かにそうですね。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

機械に魅了されている

──映画の最後で、部屋の中の霧のようなものが、部屋の中に突き出した通気口のようなものの中に吸い込まれていく。あの通気口の先にあるものこそが、そのふたつの廊下の役割を混ぜ合わせたようなものに見えたのです。どこにも行きつかないかもしれないし、どこかに行きつくかもしれない、そんな通路となっているような気がしました。

あれはまさにロケーションから発想したシーンのひとつです。僕は機械というものに魅了されています。それから黒い穴。ブラックホールとも言えるかもしれないですが、あの穴に刺激を受けました。この映画全体が、あの穴の中の過去の暗闇から生まれ、そしてまたそこに回帰していくようなイメージです。僕にとっては『2001年宇宙の旅』のモノリスのようなものかもしれません。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

──映画の最後に日本のミュージシャンであるNEIL&IRAIZの曲を使っているのも印象的でした。

じつは、これは大好きな曲なんですよ。個人的にはジョギングするときに聞いている曲で、この映画の最後のみんなで体操をするシーンのエネルギー・レベルにとても合っている曲だと思います。そんなことを思って選んだのですが、曲を知ったきっかけは、レコードレーベルをやっている友人からコンピレーションCDを貰ってその中に入っていたのが、この曲を知ったきっかけです。

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

タイで長編の劇映画を作ることは現状では困難

──3月には新作『光りの墓』の公開が控えています。ところで、アピチャッポンさんはいくつかの海外インタビューの中で、検閲されたくないので『光りの墓』はタイでは公開しないということを語ったり、あとは、タイでは映画を作らないつもりだということを語っているのですが、それは真実なんでしょうか?

そうです。今の軍事政権下における環境というのが、僕が公の場で自分の映画について語ることを不可能にしているのです。僕は自分の仕事を、今の国の空気の中ではシェアできないと思っています。そこには自由がないからです。だからこのような発言をするということは、ひとつの宣言なんです。今この国が行おうとしていることに対して、自分はそれとは違った場所で活動するという立場を表明しているのです。ただ、将来的に国が変わったら、僕の気持ちも変わると思います。

──環境が良くなってタイで再び映画を撮れるようになることを祈っています。

今でも、僕は短編やインスタレーションを制作してはいます。ただ長編の劇映画は長い時間がかかるので、現状では困難なんですよ。

(オフィシャルインタビューより インタビュアー:樋口泰人)



アピチャッポン・ウィーラセタクン(Apichatpong Weerasethakul) プロフィール

1970年、バンコク生まれ。初長編『真昼の不思議な物体』が2001年山形国際ドキュメンタリー映画祭優秀賞を獲得したのを皮切りに、『ブリスフリー・ユアーズ』(02)がカンヌ映画祭ある視点賞、『トロピカル・マラディ』(04)は同審査員賞、『ブンミおじさんの森』(10)で、ついにカンヌのパルムドールに輝く。美術作家としても「ヨコハマトリエンナーレ」(11)への参加やヒューゴ・ボス賞ノミネートなど世界的に活躍。2016年は、幻の傑作『世紀の光』(06)公開につづき、最新作『光りの墓』が3月公開。各地での展覧会やワークショップ、「さいたまトリエンナーレ2016」への参加、東京都写真美術館での個展も控え、まさに〈アピチャッポン・イヤー〉となっている。




映画『世紀の光』
2016年1月9日(土)より シアター・イメージフォーラム他 全国順次公開

映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films
映画『世紀の光』より © 2006 Kick the Machine Films

(I)
豊かな緑にかこまれた地方の病院。女医のターイが、ノーンの面接をしている。ノーンは軍で医学を学び、今日から病院で働きはじめる青年だ。その部屋には、もう一人の青年トアも待っている。ターイの毎日は忙しい。今日は近くの寺の僧院長の診察もある。そんな中、トアがターイに突然、求婚する。トアに恋の経験を聞かれ、ターイはかつての思い出を語る。
(II)
近代的な白い病院。ターイがノーンを面接している。トアもそこにいる。ノーンは先輩の医師に、軍関係者が入院しているという病院の地下に案内され、そこでナン先生とワン先生という二人の女医に会う。ワン先生は義足の中にお酒を隠していて、ノーンにすすめる。地下にはオフという青年が入院していて、ワン先生はオフに“チャクラ”の施術を試みる。

製作・監督・脚本:アピチャッポン・ウィーラセタクン
出演:ナンタラット・サワッディクン、ジャールチャイ・イアムアラーム、ソーポン・プーカノック、ジェーンジラー・ポンパット、サクダー・ケーオブアディ
撮影:サヨムプー・ムックディプローム
美術:エーカラット・ホームロー
録音:アクリットチャルーム・カンヤーナミット
編集・ポスト・プロダクション監修:リー・チャータメーティクン
音響デザイン:清水宏一、アクリットチャルーム・カンヤーナミット
挿入曲:「スマイル」カーンティ・アナンタカーン作曲、「Fez (Men Working)」 NEIL &IRAIZA
原題:แสงศตวรรษ
英語題:SYNDROMES AND A CENTURY
2006年/タイ、フランス、オーストリア/105分

[同時開催:「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」]
3月 新作『光りの墓』シアター・イメージフォーラム他 全国順次公開

公式サイト:http://www.moviola.jp/api2016/seikino/
公式Facebook:https://www.facebook.com/アピチャッポン2016-1660963224117002/
公式Twitter:https://twitter.com/api_film


▼映画『世紀の光』予告編

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