骰子の眼

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2016-01-08 22:00


2016年版☆メディスンカードで探る、自分による自分のための自分ガイド

メディスンカードで、あなたと全体の現状&方向性をリーディング!!
2016年版☆メディスンカードで探る、自分による自分のための自分ガイド

あけましておめでとうございます。
と言いつつ、今年はさらにお正月感がなく、わたしはお正月が大好きなので寂しいです。 しかも新年早々、結構な課題が降ってきてる感があり、なんだかいろいろやること多い年になるんだろうなあ、とあまり気とか引き締めたくないんですけど、よりはらをくくる感じですかね。

というか、昨年、大きな決断とか変化が起こった方、その兆しを感じた方、結構多いんじゃないかと思うんです。
満を持してとかそのための準備とか、別のことをはじめたりとか、同時に古い問題や繰り返されてきたパターンが、もうもたない感じでどんどん出てきたり、そういった意味で、苦しかったり厳しかったりした方も。

今年はさらに加速してくんだろうなと思うし、でもすごくらくになったり、わくわくするひとはもっとわくわくに、逆にしがみつくならばどんどん重たくなり、つまりはその方向性によって相応に重力も増す、といった感じ、結局反対の方向同士のエネルギーがそれぞれ強まればその分振り幅も大きくなるわけで、ちからづくみたいな強引さは徒労に終わるというか、それでもいこうとするなら暴発というか、その分、自分にかえってくるというか。
おどかしてるわけではなく、ニュートラルに物理の話だと思います。あと、合気とか参考になると思う。

うーん、なんかいろいろ思うところもあるんですけど、どれだけ自分をみられるか、じゃないですかね、ほんとにほんとの自分はどれか、直視。

わかってるようで、結構見逃したり見過ごしたり見てるふりだけばっかりだったりする。これも思い込みだったなんて…って気づくこと、まだまだありますよね、というかそもそもどれがそれなのか気づいてないことのほうが多いと思います。ほんとに。


というわけで、いきましょう。

今年も恒例の「夕暮れ、逗子の海にて」です。
毎年12月にこの写真を撮るためと自分の労いのために逗子鎌倉方面に行くんですけど、今年はよく行くお店4軒のうち3軒が移転、1軒はお休み、という衝撃的な年だったので、いつもとはちょっとだけちがう方向から撮影してみました。
船が3艘浮かんでました。

それでは、VIVA 2016☆.。.:*・゚゚☆



使い方は、あなたの自由!!

使い方ガイド

*ベーシックな使い方
ぴん、ときた画像をひとつ選んでクリックしてください。
そこに書かれているテキストが、あなたのガイドになります。

*自由な使い方
・いま、知りたいことをイメージしてクリック!
・恋愛、仕事、健康など、自分で決めたテーマごとにクリック!
・毎朝、起きたときに今日1日をイメージしてクリック!
・全部クリックして、好きなテキストを選ぶ!
など、自由に、フレキシブルにつかってください。

また、「全体のメディスン」も組み合わせてみてください。

▼直感でクリック!(1クリックでテキストが開き、再度クリックで閉じます)

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▽この画像を選んだあなた

自分がほんとうに望むこと、このほうがよさそうだとか、罪悪感や劣等感や認められたいといった欲求、つまり“不足感”からの“それ”ではなく、誰がなんと言おうとどうでもよく、理由や出自、根拠などどうでもよくむしろなくてよく、たとえ夢物語のようなこと、あるいはこんなことでいいの? と思わず拍子抜けしてしまうような、自分にとっては些細で普通で、打ち消しようがなく、自然に湧き上がってくること、あたりまえのこと。

それをやってるとなんだかいろいろなことがうまくいく、あるいはうまくいってるということさえ自覚なくやってた、という経験、たぶん誰でもしていると思うんです。 好きとか、らくという理由だけでいい、実はそれが豊かさというものにつながっているんですよね。

ご存知の方も多いと思いますが、探し物をみつけに旅に出て、さまざまなできごとに遭い、結局みつけられずに戻ってみるとポケットのなかにそれはあり、実はずっといっしょに旅をしていたという話。
ディテールはちがうかもしれませんが、この話といっしょです。
すでに自分がそれをもっているということ。

今年はそれに気づき、気づいているのならば憂うことなく、どうぞこの世界に、思う存分還元してください。


▽この画像を選んだあなた

ときに趣味や好み、信念、生き方に至るまで、自分を譲り渡してしまうことがあります。愛されたいとか、拒絶されたくないとか、そのひとのようになりたいとか、つまり誰かを基準に、意に沿うような自分になろうとする、気づかないうちにそうしていたりする。

けれど、意を酌み尽くす相手は、どんなときでも自分自身です。
自分がほんとうに感じていること、思うこと、望むことのほうにこそ応える。すると、自分をめぐるあらゆるものが結ばれ循環が起こり、むしろ自然に思う通りのサイクルが生まれる、動き出す。

あなたの主人は、ほかの誰でもなくあなたです。承認を求めてあなた以外のものになろうとせず、あなたのままで立っていてください。
自分が自分で在ることの大切さ、当然さ、そこから生まれくる本来のちから。
いつどんなときでも、どうぞご自分の味方でいてください。


▽この画像を選んだあなた

今年こそは、と思っている方もいない方も、先送りにしていること、わだかまってること、わかっていながら放っておいてみたりしてること、に思い当たる何か。これをやるときが来たのです。

ただやるのです、とにかく手をつけてみるのです、それはちょっと面倒だったりプレッシャーが結構あったり、大事なことだからこそ慎重になったり等々いろいろ理由はあると思うんです。
けれども、直接的であるにしろないにしろ、その思い当たる何かは自分の居場所みたいなことに関係してるんじゃないかと思うんですね。

であれば、それがどんなにかたいへんなこと、かなり重たい腰を上げなければいけないようなことであっても、やってほしいなと思うしやるんだと思うんです。
そのときに、自分を追い込んだり追い詰めてやらざるを得ない、こうするしかない、みたいなやり方ではなくて、よろこびと楽しさ、どこか遊びごころのようなものを基準にしてみてください。

たとえば、スペースをひろげてみるとか、完成形のイメージにさえ制限を設けず、こたえが2つあってもいいくらいに、力を抜いて、プロセスそのものをくつろぎながら、楽しめるような感覚。

孤独に思うこともあるかもしれませんが、そこには必ず誰かがかかわっているはずです。


▽この画像を選んだあなた

自分って結構自分のことを知ってるんですよね、だから知らないふりをしたり、ごまかしたり、見ないようにしたりする。
で、別のことに置き換えてみたり、何かを装ったり、自分以外の何かになろうとしてみたり。
すると、わからなくなる。自分ていったいなんなのか、何をしたらいいのか、ほんとは何を思い考えているのか。そして不安になりさらに自分を覆いわからなくさせる。

自分が自分でいないとき、逆に誰かにあっけなく煙に巻かれたりする、で、ときにそれさえ見ないよう知らないふりをしたり、そんなことをしてるうちにどんどんどんどんわからなくなっていく。

判断しないこと、ジャッジしないこと、自分以外のものをすべて取り去ってみること。
真っ裸で丸腰の自分は弱々しくどこかたよりなく思えるかもしれないけれど、何も隠す必要もなく何も持たないからこそ隠されることも奪われることもなく、身軽で、見通しがよく、覆いのない清々しさは、結局のところ、最強なんじゃないですかね。

今年は自分と自分以外のものを、分けてみてください。
それは感情や考え、くせに至るまで、結構たくさんあるんじゃないかと思います。


▽この画像を選んだあなた

“それ”しか手はない、と感じるとき、あえてそれ以外の何かについて、ちょっと思いをめぐらせてみてください。
だって、ほんとに“それ”しか手も道もないのか、ほんとにそうなのか、絶対そう、と思うのならばその信憑性は、どのくらいのものでしょう。

ちょっとだけ角度を変えてみると、別の手や道がみえてくると思うんです。
たとえばAさんとBさんがちがうように、立ち位置が変わるだけで当然景色は変わり、そもそもひとがちがうのだから手も変わってくる。
で、Cさんが登場してもいい、Dさんも入ってくれていい、そこにはまったく関係のないEさん、もっといえば全員が存在しない架空のひとびとであってもいいし、何人いてもいい、ひとじゃなくたっていい。
そのくらい、道も手もあるかもしれない、そしてそれぞれの視点に立ちその性質や役割を自分にスライドして感じてみると、さらに増えるかもしれない。

“それ”だけ、とは限らないと思うんです。
もっといえば、ひとつに決めなくてもいいのかもしれない。
何も選ばない、という選択だってある。

で、もしもほんとうに“それ”だけだったとしても、“それ”以外の風景が同時に存在していると知れば、“それ”自体が、もっと格別で最高の“それ”になるかもしれないし、“それら”に、あるいは“あれ”に変わってみたりしても、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
だってほんとうの目的は、“それ”ではなく、その先の“何か”なのだから。

今年は“それ”以外の視点や立ち位置、存在や役割、といったものについて、思いをめぐらせてみてください。


▽この画像を選んだあなた

聞くとき、語るべきときを知る、という感じでしょうか。
口は災いのもと、沈黙は金なり、と言ってもいいのですが、別におどかすつもりではなく、またただ黙っていろ、というわけでもないのです。

でも、以上のワードで何か思い当たることがあるかもしれません。
たとえばいつもひとこと多い気がするとか、あまり考えずに言葉にしてしまうとかつい言い過ぎてしまうとか、うっかりしゃべってしまいがちだとかいわゆる自分語りが多いかもとかほんとは加わりたくない話にさえ口を出してしまったりだとか。

もしかするとそこには、認められたいという思いや罪悪感や心配性な気質や孤立することへのおそれ等々が隠れているのかもしれない。

“知っていること”をどう扱うか。
自分の言葉や情報や知識を、本来の“知恵”に変換するということ。
今年は、これをテーマのひとつに加えてみてください。


■2016年☆全体のメディスン


たとえば、意図的にシンクロニシティを起こしたいとか宇宙や引き寄せの法則を説明するとき、よくラジオにたとえられますが、それは「聴きたい放送があるならば、その局にチューニングしろ」。

で、これは受信側としての話ですが、では送信側としての自分はどうなのか、わたしたちは聴いてばっかりじゃなく出してもいるわけで、じゃあ自分はいったい何を放送してるんだと、どのあたりの帯域をつかってるんだと、これを把握しようじゃないか、という話です。

どんなひとでも、そのひと固有の周波数を持ち(というかそれ自体)、意識せずともそれは出てるし(というよりそれ自体)、伝わってるわけですよね。

たとえばはじめて会ったのに、なんかこのひとやな感じ、とか、なんかタイプかも、とか、言葉を交わさなくても感じてる、サバイブ本能の強いひとは敵か味方か嗅ぎ分けようとするでしょうし、詐欺師だったらカモか否かと判断するでしょう。

で、好みだったら好き、敵だと思えば敵、カモだと判断したら怪しまれない周波数を出す、というよりすでにそれになってる、それに応じた周波数の局に。

これをさらに仔細に、たとえばギターにたとえてみると、「好き」という思いのエフェクト(周波数)がすでにかかってる、発生してるわけですが、種類がいろいろあって、それはディストーション(激しい思いとか)かもしれないし、ディレイ(振り向いてほしい伝えたいこの思いみたいな感じとか)かもしれないし、思いとエフェクターの互換性はさておき、抱いている思い、感情によって音色音響=周波数が変わってくる。ここまでいいですか?

で、特定の誰かやできごとに対してではなくても、普段からなんらかのエフェクトがかかってるわけです。
それはそのひとの性質や信念体系に関係していて、たとえば自信がないとか、常識についての認識だったり、頑固さとか、おおらかさとか、もっとシンプルにいえば、自分が自分に対して思っていること、付与しているラベル、つまりどれだけエフェクトがかかっていようと、自己価値というものがそのサウンドの核になってるんですね。

エフェクターをかけることが悪いわけではなく、というか、意識無意識関係なく発生するもので、知るべきは、「いま自分がどんな音を出しているのか」。
自分がほんとうに鳴らしたい音はそれなのか、どんなひとにそれを聴かせ、どんなひとと共に鳴らし、どんな世界に響かせたいのか。


というわけで、
長々と読んでくださり、ありがとうございます。
すべてのエフェクターのスイッチを切ったときの音、そのギター本来の音を聴いてみたいですね。

素敵な2016年を☆☆☆

LOVE & ALCHEMY
ANANYA



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■ANANYA(アナンヤ)PROFILE

'93年にネイティヴ・アメリカンの智慧を集約した「メディスン・カード」に出会い、それを元に自らカードを作成、ライフワークとして都内カフェ、雑貨店およびイベント等でリーディング・セッションをはじめる。通常はライター、編集、プランナー等、自由業。「SONIC PLATE」暫定運営。タケ・ロドリゲス&ヒズ・エキゾチック・アーケストラにヴォーカリストとして参加。

・webDICEのANANYAのページ
ANANYAのブログ


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