骰子の眼

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東京都 渋谷区

2015-12-29 19:00


翻訳家・柴田元幸さんが語る映画字幕翻訳の本質「映像を後ろから後押しする」

『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』でキャリア2度目の字幕翻訳を担当
翻訳家・柴田元幸さんが語る映画字幕翻訳の本質「映像を後ろから後押しする」
映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より

カラー写真の先駆者として1940年代から活躍したものの、80年代表舞台から姿を消したアメリカの写真家ソール・ライターの歩みを追うドキュメンタリー映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』が現在東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。webDICEでは、本作の日本語字幕翻訳を担当した米文学研究者で翻訳家の柴田元幸さんへのインタビューを掲載する。

柴田さんが字幕翻訳を手がけるのは、スーザン・ショウ監督による1997年制作のドキュメンタリー映画『ポール・オースター』以来、2度目。今回のインタビューでは、文学の翻訳と映画の字幕翻訳の取り組み方の違いや、今作で描かれるソール・ライターのキャラクター、そして作家本人との距離感が翻訳に及ぼす影響に至るまで語っている。

柴田元幸さんインタビュー
「無意識にすんなり入ってくるものを邪魔しないようにするのが『いい字幕』」

──今回、本作の映画字幕を担当されてみていかがでしたか?

僕はいつもは小説の翻訳をしているわけなんですけど、今回映画の字幕翻訳をやってみての感想は、普段とはほとんど反対の作業をしている感じだったということですね。

小説の場合は、どっちかというと印象とかいろんなニュアンスとか、意味合いとかを広げていくような形で推敲していくと思うんです。でも字幕ではやっぱり何が一番大事かってことを考えるから、「いつもとはまったく逆」というくらい絞っていく作業になります。

柴田元幸さん
イメージフォーラムでの映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』トーク・イベントより、柴田元幸さん

僕は制限されるっていうのは嫌いじゃないんです。翻訳でも「何行削れ」とか言われるのは大好きなので、字幕の文字数制限は全然苦じゃなかったですけどね。

「一人称をどうするか」とか「語尾をどうするか」ということについて、小説の翻訳のときはすごく考えますけど、逆に字幕の場合はいつも考えなきゃいけないことを考えずに済んだ。というか、そもそも考えても始まらないっていう意味では諦めがつく。「電気釜がなければ、鍋でごはんを炊けばいいじゃないか」みたいな感じかな(笑)。

小説は100%文字しかないわけだから、もちろん文字だけで伝えるわけだけれども、字幕の場合はまず映像があって、しゃべっている人の声色だとか表情もあるし。それをこう、後ろから後押しするような感じだろうと思いますよね。

──配給の方へ質問です。今回柴田さんに字幕翻訳を依頼されたきっかけとは?

大野留美(テレビマンユニオン):買付するときにこの映画を何度も観て、とにかく言葉が大事な作品だと思いました。ひたすらソール・ライターの言葉を聞く映画だからです。そして、通常の字幕ではうまく伝わらないかもしれないと感じて、字幕翻訳のプロ以外の方にお願いしてみようと考えました。この作品の世界観は、柴田さんが翻訳されている作品ともあっている気がしたので、最初から柴田さんのことは頭にありました。映画を観て頂くうえでの信頼感も生まれますし、大量の字幕を読む負担も感じずにソール・ライターの世界に浸った後に「日本語字幕:柴田元幸」と出て、「そうだ、柴田さんの字幕だった」とまた思い出してもらえたらいいな、と思いお願いしました。

──そもそも柴田さんが本作の字幕翻訳を引き受けられた理由を教えてください。

ウォーカー・エヴァンズとか、アウグスト・ザンダーとか、好きな写真家は何人か挙げられますけど、ソール・ライターについてはまったく知らなかったですね。

たしか最初にお話しをいただいたときには、まずソール・ライターが撮影した代表的な写真を何枚か見て、それからトレーラー(予告編)の映像を見せてもらって。たぶん、最初にトレーラーだけ見て惹かれても、写真が良くなかったらやらなかっただろうと思いますね。

あの有名な雨に濡れた窓の写真とか、工事のベニヤ板の間から覗いている写真とか、ソール・ライターの写真って、覗き見っぽいんだけど決して陰鬱ではなく、ふわっと撮ってる感じがする。この映画も、いわゆる伝記映画ではなくて、『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』という、まさに日本版のタイトル通りの映画になっていますよね。

あとは、ソール・ライターのしゃべり方がすごくいい感じだったし、彼はあんまり早口じゃないから「これなら出来るかな?」って思ったということもありますね(笑)。でも、これくらいゆっくりしゃべっていても、皮肉っぽくしゃべっているところなんかはもっと字数を使いたいところなので、どうしてもある程度は普通の表現にならざるを得なかったです。

ただその一方で、映画というのは、表情とか口調から無意識のレベルで伝わるものがすごくある気がするんです。そういった意味では、無意識にすんなり入ってくるものを邪魔しないようにするのが「いい字幕」なんだろうなと思いますね。

映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より
映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より

──訳していて印象に残ったセリフはありましたか?

ソール・ライターのセリフには「まぁいいか」っていう響きがする言い方が結構多いんだよね。あとは、みんなが自分のことを年寄り扱いして、こういうことをするのは「許されているのかな」と皮肉っぽく訊く言い回しが何度か出てくる。

もちろん皮肉を言いたくなるシチュエーションっていうのは誰にでもあると思うんですけど、彼はあの穏やかな表情で言うからあんまり辛辣な感じではないんですね。

──小説の翻訳と映画の字幕翻訳の共通点や違いについて、もう少し詳しく聞かせていただけますか?

小説の翻訳の場合、たとえ原文自体が曖昧な表現になっているところも、そのまま曖昧に訳すというわけにはいかないこともあるんです。ちょっとでもわかりにくいところがあると、「訳文が悪いんじゃないか?」と思われてしまうから、どうしても傾向としては筋を通しがちになるんですが、おそらく字幕の翻訳の場合は、その傾向がより強まらざるを得ないんじゃないかな。「あれ?」って思っても字幕は読み返せないから、そもそも「あれ?」って思わせるわけにはいかないんです。

──配給サイドで今回の字幕制作にあたって心がけたことはありますか?

大野:慣れてくると、字幕で面白かったり分りやすい方向にもっていってしまう時があるのですが、ソール・ライターはそれを拒むように喋っている人だから、そこは特に注意しました。

映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より
映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より

テクストになった以上は、作家も読み手も対等

──ところで、柴田さんが小説を翻訳されるうえで、作家本人との交流は翻訳結果に反映されたりしますか?

されない!というか、影響されるようではダメだと思うんです。読者にとってはテクストがすべてなんだから、テクストから得た感覚が本人と会って変わるようではまだちゃんと読めてないということ。翻訳者の読み込みが浅いってことが証明されるだけだと思いますね。

ただ、細かいところでは本人と会ってみて納得する、ということはありますよね。ポール・オースターの最近の小説の一節に、登場人物の誰かについて語り手が説明しているシーンがあって、「だんだん齢をとってきて、女性たちの視線が彼を素通りするようになる」というような記述がでてくるんですが、実際にポールと会ってあの格好良さを見ていると「そうか、この人は誰もが若い頃は女性の視線が止まるもんだっていう前提で生きてるんだな」って思うわけです。僕なんか、若い頃からずっと視線が素通りしているのが当たり前なんですよ(笑)!

──とはいえ、思わず作家本人の解説を聞いてみたくなることはないですか?

もちろん事実確認をすることはありますけど、僕はテクストになった以上は、作家も読み手も対等だと思っているから、「なぜ?」とは聞かないです。

実際に作家本人と直接会って話しているときというのは、「あの作家いいよね」というように、第三者の話をすることの方が多い。ほかの作家についてどう思うかあれこれ話している中で、その作家の作品をどう捉えているのか、ということについても、お互い自然に伝わるんだと思うんですよね。なかには「訳者あとがきを英語に翻訳して読ませろ」という作家もいますけど(笑)。

「どうしてこの部分はこういうわかりにくい訳になっているのか」と読者に聞かれたときに、「だって原文がそうなってるんだもん」っていうのは答えにならないと思ってるんです。読者がそういう違和感を持ってしまった時点で原文とズレていると思った方がいい。

それともうひとつは、「なぜ」っていう疑問が湧くのは、人が不幸なときだけで、「なぜ自分はこんなに幸福なんだろう」と問う人はあまりいないわけですよね。僕の場合は、いつも自分が大好きな作品ばかり訳しているので、そもそも「なぜ」っていう問いはあまりないです。

映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より
映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』より

──訳したい作品を選べるのは、柴田先生だからこそ、ということでもありますよね。

たしかに字幕翻訳の場合だとなかなかそうはいかないとは聞きますが、小説の場合は、自分が情熱を持てるというか、「愛している」と言える作品をやらないと本当に碌なことにならないので、むしろ選ぶべき、ですよね。

──本作のほかに、もし映像作品もご自分で選べるとしたら、また字幕をやってみたい、と思われる作家や作品はありますか?

字幕で面白そうだと思うのはアキ・カウリスマキ。僕はフィンランド語が出来ないからダメだけど、あの人の世界は面白いだろうなと思うんだよね。カウリスマキの映画って、すごく言葉が少なくて、ミニマリズム的なしゃべり方をするから、その意味では字幕もやりやすいんじゃないか。まあ勝手な想像ですけど。

(取材・文:渡邊玲子)



柴田元幸 プロフィール

1954年東京生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳家。著書に「生半可な学者」(講談社エッセイ賞受賞)、「アメリカン・ナルシス」(サントリー学芸賞受賞)、「バレンタイン」など。ポール・オースター、レベッカ・ブラウン、スティーブン・ミルハウザー、フィリップ・ロスなど、現代アメリカ文学を数多く翻訳し、日本の文学シーンに多大な影響を与える。訳書トマス・ピンチョン「メイスン&ディクスン」で日本翻訳文化賞を受賞。東京大学文学部 特任教授。文芸誌「MONKEY」編集人。




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映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
シアター・イメージフォーラムにて公開中、ほか全国順次ロードショー

監督:トーマス・リーチ
出演:ソール・ライター
製作:マーギット・アーブ、トーマス・リーチ
撮影:トーマス・リーチ
編集:ジョニー・レイナー
原題:In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter
日本語字幕:柴田元幸
配給:テレビマンユニオン
2012年/イギリス、アメリカ/75分

公式サイト:http://saulleiter-movie.com/
公式Twitter:https://twitter.com/saulleiter_film
公式Facebook:https://www.facebook.com/saulleitermovie


▼映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』予告編

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