骰子の眼

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2015-12-21 20:10


『禁じられた歌声』のシサコ監督インタビュー「私が映画監督になったのは、アフリカについて語るためだ」

音楽やサッカーが禁止、過激派の不条理な弾圧と西アフリカ・マリの人々の抵抗を描く
『禁じられた歌声』のシサコ監督インタビュー「私が映画監督になったのは、アフリカについて語るためだ」
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

2015年、フランスのセザール賞で最優秀作品賞・監督賞・脚本賞ほか7部門を受賞した映画『禁じられた歌声』が12月26日(土)より公開される。フランスとアフリカ北西部のモーリタニアとの合作となる本作は、第87回アカデミー賞外国映画賞にもモーリタニアから初めてノミネートされた。webDICEでは、モーリタニア生まれのアブデラマン・シサコ監督のインタビューを掲載する。

『禁じられた歌声』は、2012年、イスラム過激派に占領された西アフリカ・マリ共和国で若い男女に投石処刑が行われたという事件がもとになっている。マリ北部の古都ティンブクトゥで暮らす音楽を愛する一家を中心に、占拠するイスラム過激派のジハーディストによる音楽やサッカーといった娯楽の禁止、強制的な結婚といった不条理な弾圧や懲罰と、それに対する人々の抵抗を描いている。2015年6月に開催されたフランス映画祭で『ティンブクトゥ』のタイトルで上映、12月に行われたイスラーム映画祭で先行上映が実施された。

飼っていた牛を殺されたことをきっかけに運命に翻弄されていく主人公キダンを、ティナリウェンやトゥーマストと並び人気のトゥアレグ族のバンド、タミクレストのイブラヒム・アメド・アカ・ピノが演じている。

今すぐ映画でこれを語るべきだと感じた

──本作は2015年のフランス、セザール賞で最優秀作品賞、監督賞を含む7賞に輝き、社会的にも大きな話題となりました。その6週間前にパリで凄惨なシャルリ・エブド事件(注1)が起き、フランス中が騒然としていた時期です。

(*注1)シャルリ・エブド事件:2015年1月7日、イスラムに対する挑発的な戯画で知られる週刊誌「シャルリ・エブド」編集部がイスラム原理主義者に襲われ、12名が殺害された。

映画には不条理な暴力にあらがう力があり、何が正しいのかを理解する助けにもなります。テロに揺れるフランスで、その点が評価されたのかもしれません。

制作のきっかけは小さな新聞記事でした。2012年、イスラム過激派に占領されたマリ北部のある村で、結婚をせずに子をもうけた男女に、投石による公開処刑が行われたという記事です。ネット上ではその映像まで流されていました。私はマリのバマコで育ち、国情をよく知っていますから、本当にショックでした。映画には、声を持たない者の声となる力があるはずだ、今すぐ映画人としてこれを語るべきだと、緊急に要請されているように感じました。

映画『禁じられた歌声』アブデラマン・シサコ監督 © 2014 Les Films du Worso  Dune Vision
映画『禁じられた歌声』アブデラマン・シサコ監督 © 2014 Les Films du Worso Dune Vision

──芸術が担う社会的役割ですね。

そもそも私が映画監督になったのは、アフリカについて語るためです。ここに生きる人々に寄り添い、この大陸を荒廃させている不正と暴力を告発するために、この仕事を選んだのです。

もちろんアフリカを通して、普遍的な物語を語っているつもりです。マリで行われた処刑にしても、愛し合うだけで殺された男女の物語ですから。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

──しかも、それが宗教の名において行われた。

こんな受け入れがたい行為をイスラムの名で行うのは、イスラムを人質にとるようなものです。イスラムはテロの教えではありません。私自身イスラム教徒で、その信仰から寛容と共生を学んできました。この映画にはそうしたメッセージも込めています。

私は人間を信じています。映画の中の女たちのように勇気を持って歌い、映画を作り、文化を創作することで闘い続けたい。闘いは日々の活動です。もし人々が恐怖によって沈黙し、現状を放っておくなら、恐怖を強いている側が勝つだけです。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

メディアでは語られない、日々の小さなエピソードを紡ぐ

──当初はドキュメンタリーにする考えだったそうですね。

そうです。それで取材のために友人のジャーナリストを、当時まだ占領下にあったティンブクトゥに派遣しました。映画人として知られた私は目につきやすく、危険過ぎたので。しかし、すぐにドキュメンタリーは無理だと悟りました。住民はカメラの前で自由に話せませんし、占領者はスローガンを叫ぶばかりです。彼らから表面的でない言葉を聞けるだろうと単純に考えていた私は、甘すぎました。

ただ、取材中に、ある羊飼いが漁師を殺したために公開処刑される出来事があり、それが本作にもう一つの主題を提供してくれました。この映画には「禁止」「裁き」「抵抗」の3つの主題がありますが、羊飼いの事件は裁きに関わります。占領者であるイスラム過激派は、殺人事件が起きると、ともかく緊急に裁き、速やかに処刑します。手続きの迅速さが、「かくも正しい裁き」の証明と考えるからです。彼らの裁きの機能の仕方を通じて、人権を問いたかったのです。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

──それで脚本を書かれた後に現地に行かれたのですね?

2013年、占領から解放された後のティンブクトゥに行きました。実際の占領下で住人は何を強いられ、何に苦しんだのか。メディアでは語られない、日々の小さなエピソードから、人々がどのような感情に苦しめられたかを知りました。例えば一家の父親が、目の前でムチ打たれる娘に何もできない状況は、どれほど屈辱的でしょう。現地で、そういう感情に近づくことができ、それによって脚本はより豊かなものになりました。

解放されたとはいえ情勢は不安定だったため、撮影は国境のモーリタニア側で、軍に守られて行うことになりました。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

イスラム過激派も貧困と不正の犠牲者

──ティンブクトゥとはどんな土地ですか?

モロッコのフェズやアルジェリアのコンスタンチーヌなどと同じように、歴史ある古都です。大学があり、15~16世紀には各地から哲学者や法律家たちが集まり、宗教にとらわれず思索を深め議論した「知の都」です。自由と平和、多文化が出会う場であり、寛容のイスラムの伝統を引き継いでいます。ですから自由を受け入れないイスラム過激派には、この街を占領する象徴的な意味があったのです。

私はモーリタニアのキファに生まれ、子ども時代はマリのバマコで育ち、その後、19歳で映画を学ぶためにロシアへ行き、さらにフランスにも20年ほど暮らしました。私の土台は多文化性です。異なる文化や様々な人との出会いが私を養ってきたのです。ティンブクトゥが象徴する他者への敬意は、私の映画作りの原点でもあります。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

──ティンブクトゥの占領も含め、今、イスラム過激派がアフリカ各地で勢力を伸ばしているのは、リビアへの欧米の軍事介入が起因でしょうか?

そう、すべての不安定の根源がそこにあります。西洋諸国はカダフィの独裁政権を倒すと言って、そこに生きる人々の将来など考えず、拙速に軍事介入しました。結局、カオスを残しただけです。今やリビアは国の体をなさず、国境はなきに等しい。その混乱に乗じて過激派が大陸に拡大しています。マリ北部だけでなく様々な地域の住民が、こうした外部からやってきた過激派に苦しめられ、問題解決できないでいるのです。

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

──ただ、あなたはイスラム過激派も悪の権化として単純には描いていません。そこに深みがあります。特に処刑直後に、過激派リーダーが踊るシーンが印象的です。内省的で、人間としての別の面を発見させます。

まさに彼の踊りは、内的な闘いの表れです。それこそが人間の底にあるものです。過ちを犯すことのある人間が、奥深いところで自分自身に問いかける、人間の二重性を表現しています。彼らも一面では貧困と不正の犠牲者なのです。

──しかも彼が踊るのは、精神の均衡を失った女性の家ですね。

彼女にも実在のモデルがあります。イスラム過激派が占領するガオの町に住み、禁止されている歌を歌い、煙草を吸い、派手なドレスを来て街を歩いていました。「正常ではない」ことで、ただ一人、禁止から自由だったのです。本作でも、彼女の家は自由の空間として機能し、過激派リーダーもここでだけは一人の人間に戻り、女性と話すことも、踊ることもできます。いわば人間として裸になれる唯一の場であり、「狂気」が本当はどこにあるのかを考えさせるのです。

(オフィシャル・インタビューより)



アブデラマン・シサコ(Abderrahmane Sissako) プロフィール

1961年10月13日モーリタニア生まれ。幼少期にマリに住む。21歳からモスクワ映画学院で学び(1983-1989)、初監督作「Le Jeu」や2作目「Octobre」はモスクワで制作。現在は、フランスを拠点に活動している。1993年にロシアで制作された初期の中編作品「Octobre」でも取り上げたように、シサコの作品には「アフリカ」や「祖国からの追放」というテーマが常にあり、「Octobre」はカンヌ国際映画祭”ある視点”部門への出品などで多数の賞を受賞。その後、テレビ局Arteによる特集番組「Africain Dreaming」の一環として作られた「Sabriya」、1997年のカッセル・ドキュメンタで発表された「Rostov-Luanda」を次々と制作。フィクションとドキュメンタリー、政治と芸術といった二つの観点からアフリカを見据える彼の視点は、大陸の現在を最も強く、そして正確に映し出している。1998年には、長編フィクション「La Vie sur Terre」を制作。「Haremakono」は、2002年第55回カンヌ国際映画祭”ある視点”部門に出品。2003年、本作は、フェスパコ(アフリカ最大の国際映画祭)でグランプリを受賞。2003年ベルリン国際映画祭で審査員をつとめる。2006年「Bamako」が第59回カンヌ国際映画祭の特別招待作品に。2007年第60回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員、2015年第68回カンヌ国際映画祭シネフォンダシオン部門の審査委員長をつとめる。




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映画『禁じられた歌声』
12月26日(土)よりユーロスペースほか全国順次ロードショー

映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision
映画『禁じられた歌声』より ©2014 Les Films du Worso ©Dune Vision

ティンブクトゥからそう遠くない、ある街でキダーンは妻のサティマ、娘のトーヤ、そして12歳の羊飼いのイッサンと音楽に溢れた幸せな生活を送っていた。しかし、街はジハード主義者(聖戦戦士)に占拠され様相を変えてしまう。恐怖に支配され、ジハード主義者の厳格なシャリア(イスラム法)によって住民たちは、歌、笑い声、たばこ、そしてサッカーでさえも禁止されてしまう。女たちは影のように潜み、威厳をもってささやかな抵抗をする者もいた。それでも、毎日のように悲劇と不条理な懲罰が繰り返されていく。ある日漁師のアマドゥがキダーンの飼っていた牛を殺したのを境に、彼らの運命は大きく変わってしまう。

監督:アブデラマン・シサコ
脚本:アブデラマン・シサコ、ケッセン・タール
撮影:ソフィアーヌ・エル・ファ二
出演:イブラヒム・アメド・アカ・ピノ、アベル・ジャフリ、トゥルゥ・キキ、ファトウマタ・ディアワラ、イチェム・ヤクビ
2014年/フランス・モーリタニア映画/97分
原題:TIMBUKTU
提供・配給:レスペ
配給協力・宣伝:太秦
宣伝協力:テレザ

公式サイト:http://kinjirareta-utagoe.com
公式Facebook:https://www.facebook.com/kinjiraretautagoe/


▼映画『禁じられた歌声』予告編

キーワード:

アブデラマン・シサコ


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