骰子の眼

cinema

2015-12-16 11:55


N.W.A.の軌跡―父アイス・キューブを演じた息子が語る『ストレイト・アウタ・コンプトン』

結成からの10年を描く―製作にはアイス・キューブ、ドクター・ドレー
N.W.A.の軌跡―父アイス・キューブを演じた息子が語る『ストレイト・アウタ・コンプトン』
(c)2015 UNIVERSAL STUDIOS

映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』が2015年12月19日(土)渋谷シネクイント、新宿バルト9ほか全国順次公開となる。

N.W.A.は、1986年にアメリカ、カリフォルニア州コンプトンで結成されたヒップホップグループ。N.W.A.は、Niggaz Wit Attitudes(喧嘩腰の黒人たち)の意。メンバーは、イージー・E、MC・レン、DJ・イェラ、アイス・キューブ、ドクター・ドレー、アラビアン・プリンス。当時のコンプトンは麻薬の密売が横行する危険な街。警察の取り締まりが激化し、黒人というだけで不当な制裁を加えられるような状況の中で、彼らはその現実にラップという武器をもって立ち向かった。デビューアルバム「Straight Outta Compton」は、若者を中心に大ヒット。このことが黒人差別をする警察暴力への反対運動を爆発的に加速させ社会現象となる。遂には、ロサンゼルス暴動の渦中に置かれ、N.W.A.は警察、そしてFBIからも目を付けられることとなった。

映画は、その革新的な音楽が生まれた社会的背景を織り込みながら、個々のメンバーの強烈なストーリーを10年間にわたって描いていく。

アーティストとして長いキャリアを誇り、映画業界でも俳優、作家、プロデューサー、監督という4つの顔を持って活躍してきたアイス・キューブ(本名:オシェイ・ジャクソン)は、N.W.A.の誕生を記録したいと願い続けてきた。そんな彼が、極めて魅力的で見過ごすことができない脚本に出会ったのが2009年。その後、N.W.A.のメンバー、ドクター・ドレーとイージー・Eの未亡人、トミカ・ウッズ=ライトが製作として、さらにグループのオリジナル・メンバーであるMCレンとDJイェラが監修として加りプロジェクトは動き出す。

監督は『ミニミニ大作戦』(03)、『交渉人』(98)、『Be Cool/ビー・クール』(05)のF・ゲイリー・グレイ。子どもの頃、彼もこの映画が描く若者達と同じストリートで育ち、クラック・コカインの隆盛と輸入物の自動小銃が80年代の家庭を破壊するところを目の当たりにしてきた。彼らのストーリーは監督自身の物語でもあるのだ。

キャスティングは、製作陣にとって極めて私的な事柄であり、N.W.A.のメンバー5人をキャスティングするにあたって彼らが何を重視したかは想像に難くない。芝居ができて、演じる人物に容姿が似ていて、メンバーの過激さを体現できる俳優を探すためアメリカ全土でオーディションが行われた。

早い段階でアイス・キューブ役の候補に挙がったのは、アイス・キューブの実の息子オシェイ・ジャクソン・Jr。彼はひと目見れば、すぐにアイス・キューブの息子だとわかる男だが演技は未経験。役を得るには、しかるべきトレーニングを積んでテクニックを身につける必要があった。

webDICEでは、オシェイ・ジャクソン・Jrのインタビューを掲載する。




世の中のリアリティが分かっていれば、父の音楽には共感できるものがある

『ストレイト・アウタ・コンプトン』
アイス・キューブ役、オシェイ・ジャクソン・Jr

──あなたのお父さんがどんな人なのか、最初に知ったのはいつでしたか?

僕が生まれたのは1991年で、その時に丁度父は映画の活動を始めたところだったので、気づいた時にはすでによくTVに出演していた。でも、18歳になるまで、‘アイス・キューブ’が誰なのか知らなかったよ。僕はよく父のワールドツアーに同行して、日本やオーストラリアに行ったりしたけれど、そこで人々が、父のロサンゼルスでのラップがどれだけ彼らに影響をもたらしたのか話してくれた。その時に初めて僕は、父は世界中の人々に影響を与えて来て、それがものすごいことだということに、ようやく気づき始めたんだ。

──その頃から、あなたはお父さんの過去の作品を手に取り始めたのでしょうか。

その通りだ。僕が13か14歳の時に、兄のダレルがN.W.A.のことを教えてくれた。その頃から、父の昔の作品に手を伸ばし始めた。「Gangsta Gangsta」が僕のお気に入りの曲だった。すごく活気を感じたよ。

──あなたはお父さんの音楽に共感しましたか?あなたの子供時代は、お父さんの子供時代とは随分違うものだと思いますが。

どういう環境で育ったかが問題なのであって、どこの出身なのかではない。世の中のリアリティが分かっていれば、父の音楽には共感できるものがある。警察は、治安の悪い地域の黒人だけを不当に扱っているわけじゃない。黒人男性である以上、家の外に出た瞬間から、他とは違う問題がふりかかる。それが現状だ。僕の両親は、世の中の無情なリアリティについていつも意識させてくれていた。ゲームのルールを知らなければ負けになるわけだからね。

──時間をさかのぼることで、あなたの中で何か考え方に変化が生じましたか?

それはなかった。ただ、こうしてカメラに囲まれて、大勢の人たちに見てもらって認識してもらえるんだ、そう感じていた。当時N.W.A.はまるで、コンプトンで起きていることを人々に知らしめる、ソーシャルメディアのような存在だった。「これは、自分たちの街でも起きていることだ」と人々が知るきっかけを与えてくれた。N.W.A.は不変的な存在となった。何故なら、権力を行使できる立場にいながらそれを乱用する人間は、いつの時代も存在するからだ。

──ファーガソンやボルチモア、シンシナティで起きている状況を考えると、この映画はまさにタイムリーに作られたと言えます。

これは人生を反映したアート作品で、誰もが見るべき何かが描かれている。N.W.A.は、非暴力での抗議ならなんでもやった。怒りやその感情に込められたエネルギーを使って、何かを作り上げた。もしも、今の父が当時の彼らの前に現れたら、「建設的になれ。破滅的になるのではなく」と言って聞かせたと思う。これは、人々に励ましとインスピレーションを与える映画だ。我々が人間として、時々思い出して肝に命じなければならないことを描き出している。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』


自分ではない誰か別の人間が父を演じるのを、映画館で目にするのは耐えられないと思った

──あなたの役についてですが、おそらくこれまでの映画の歴史の中でも、あなたほど長期間、役作りのリサーチができた人はいないのではないでしょうか。子供の頃の記憶を掘り出して、有効活用することはできましたか?

自分の立場を有利にするために、そのことを活用すべきだと認識していたよ。この映画の役のために、2年以上もオーディションを受け続けた。その度に、僕が父についての記憶があって、彼の人生のエピソードを知っていて、周りの人間たちについても知っているということを、関係者たちに何度もアピールする必要があった。僕は、彼らがこの映画を出来るだけオリジナリティのあるものにしたいと思っていることを知っていた。F・ゲイリー・グレイ監督は、僕に演技コーチをつけてくれて、出来る限りオリジナリティある作品に仕上げられるよう、僕を俳優として特訓してくれた。そういうプロセスが不可欠だったんだよ。

──俳優になる特訓とはどんなものだったのですか?

僕のトレーニングは、3つの異なるコーチ法によって行われた。1人は、ウィル・スミスやジェラルド・バトラー、ドウェイン・ジョンソンたちの演技コーチであるアーロン・スパイサー、もう1人はニコール・キッドマンの演技コーチのスーザン・バトソン。それからもう1人は、ウィルの子供たちの演技指導をしているダスティン・フェルダーだ。彼らはみな、それぞれに異なることを教えてくれた。演技に対する考え方も様々で、それらをどう一つにブレンドしていくか教えてくれたんだ。最終的に、自分自身の殻を捨てて、随分父の癖を表現できるようになり、台詞にリアリティを持たせることができるようになったよ。

──始めから、この役をやりきれるという自信はありましたか?

いや、最初からというわけじゃなかったよ。撮影現場に入ってから最初の2日間は、もっとちゃんとやれる有名な俳優を起用すればよかったのにって考えてた。でもきっと、誰か別の人間が父を演じて、父ならこういうことをやったり言ったりしないだろうということをやるのを、映画館で目にするのは耐えられないと思った。映画は永久に残る。永遠に父について回るだろうし、N.W.A.のことを知らない若い世代の人たちがこの映画を見れば、ここに描かれている通りに受け取る。自分がやるしかないという状況だった。僕の兄弟たちは、いつも僕をサポートしてくれて、「やるしかない」と言い続けてくれた。時間はかかったけれどついにやり遂げたよ。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』


ドレーやイエラ、レンが常に側で支えてくれていた

──この映画を作る過程において、お父さんについて分かったことでもっとも驚いたことはどんなことでしたか?

父はいつもどんなことでも僕に話してくれていたけれど、この映画で初めて知ったのは、父がグループを離れてソロ活動を始めたとき、今後どうしようかという計画が何もなかったということだ。プランは何もなかった。世界の頂点に立ちながら、納得のいかないものを感じ、脱退した。すごくリスキーなことだったと思う。例えこれからどうするか分からなかったとしても、父には自信があったということを知ったよ。それはすごいことだと思う。

──他のN.W.A.のメンバーたちも、この映画に協力してくれましたか?

協力してくれたよ。ドレーやイエラ、レンが常に側で支えてくれていた。ドレーは毎日撮影セットに来ていて、コーリー・ホーキンズがドレーの役に体当たりで演じるのを見ていた。コーリーの出番がなくてもドレーがいる場合もあって、本当に身近な存在で居続けてくれた。撮影の時、近くで彼らが笑ったりうなずいたり、音楽に乗ったりしているのを見るのは最高だった。彼らは、一度もN.W.A.のライブに行ったことがない!なんていうジョークを飛ばしたりしていたよ。

──あなたの役は、単に演技力だけでなく、あなたのお父さんのラップのスタイルやパフォーマンスを再現する力を要求されたんですよね。

父と僕が一緒に音楽活動するようになって6年経つので、パフォーマンスのシーンには自信を持って臨めたし、どうすればいいのかちゃんと分かっていた。僕にとっては、演技が新たな挑戦だった。ラップも、父と一緒にステージ経験を大分踏んでいる。ミュージシャンで家族ぐるみの友人である、ダブ・シー(WC)が、ステージの上でどうやって動いて、どんな動作をしたらいいかなど、テクニックを教えてくれた。僕の父がグループでは最年少だったから、一番エネルギッシュで、ステージの上を跳ね回り、熱気を帯びていた。そんな父のパフォーマンス部分を演じるのは、映画撮影の中で一番楽しいことだったよ。ダブ・シーとゲイリー・グレイのおかげで、アルバムを丸ごとレコーディングすることもできたんだ。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』

──何故アルバムを再レコーディングすることにしたのでしょうか?

とにかくリアルに見せたかったんだ。一度、撮影中に、ゲイリーが僕たちの喉への負担をかけないように、口パクでやるよう提案したことがあった。でも、イージー・Eを演じたジェイソン・ミッチェルと僕は、「それはダメだ。口パクだと、動かない首の筋肉があるから」と異議を唱えた。結果として、この映画全体で僕たちは本当にラップをやっていて、本物のN.W.A.の音と僕たちによるレコーディング、それからステージでの僕たちのパフォーマンスを、絶妙にブレンドさせることができた。とにかく素晴らしい音が仕上がった。

──とりわけ、スタジオでのシーンがオリジナリティに溢れています。グループについての映画で実現させるのは、難しかったのではないでしょうか。

僕たちがレコーディングの撮影に使ったのは、実際にある古い時代のスタジオなんだ。コーリーはどうやって機材を動かすのか覚えないといけなかったし、熟知しているように見せなければならなかった。アルバムのレコーディングは、映画の撮影に先だって行われたんだけど、そのことでゲイリーは仲間たちの間にケミストリーをもたらしてくれたよ。アルバムにはすごく強い思い入れがある。僕たちは、モーフィングするかのように、実際のメンバーたちに成り代わっていったんだ。僕たちがつるんでいるモンタージュ映像には、本物のケミストリーが感じられるよ。

──ゲイリーは、‘ボンディング・メソッド’で知られています。具体的にどんな方法なのですか?

撮影準備の段階で、僕たちは部屋に集められて、ゲイリーの指示があったら、その通りに彼の前で演技しなければならないと聞かされた時があった。でも、ゲイリーは一向に指示なんて出してこない。僕たちは何時間もただ部屋に座っているだけで、彼はそのくだらない様子を撮影している。そうやって彼は、僕たちの仲を深め、グループに仕立て上げていったんだ。今でも僕たちはよく話をするし、実際に友だちとして付き合ってるよ。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』


この映画を見たら、コンプトンの人たちは興奮すると思うな。

──映画の世界を飛び出して、N.W.A.へのトリビュートパフォーマンスをする可能性はありますか?

僕はいつでも大歓迎だ!他の人たちはどう考えているか分からないけど。彼らもきっと同じ気持ちだと思うけど、少なくとも僕はいつでも来い、だ。実現させるために誰と話をすればいいのか分からないけど、カーラーとスーツケースの準備はしておくよ。

──彼らの音楽は今でも新鮮ですね。

ドクター・ドレーの力だ。彼の歌詞は時代を超越している。いつ聞いても、彼らの音楽の歌詞は、今でも心に響くものばかりだ。この世に真新しいことは何もない、だから彼らの音楽も永遠のものなんだ。

──コンプトンでの撮影はいかがでしたか?あなたにとってどれくらい馴染みがありますか?ご自身が育った環境とは大分かけ離れているとは思いますが。

コンプトンにはまだ家族が住んでいる。みんながみんなバレーに住んでるわけじゃない。僕はバレーで育った。818(※訳注:サンフェルナンド・バレーを表すエリアコード)やターザーナ、エンシノの辺りにも移り住んだ。コンプトンの人たちは、できるだけ映画にオリジナリティを持たせたいと望んでいた。愛情を感じているんだ。そこには、ブランケットに包まって屋根で寝ている人たち、僕たちの食事をケアしてくれた人たちが住んでいて、みんな家族だ。

笑えるエピソードなんだけど、助監督たちがある時、バックグラウンドにいるギャングたちのうち、何人が雇ったエキストラで、何人が本物のギャングたちなのか、分からなくなったことがあった。僕たちは、スタッフたちがバックグラウンドの人間たちとやり取りするのを見て、ひそかに笑ってたよ。でもそこにはいつも愛があった。この映画のロケ地として、アトランタやカナダも候補にあがったが、コンプトンやロサンゼルスの人たちにとって、違いは明らかだ。カナダをコンプトンに見せることはできないし、うまくいかないだろうと思った。この映画を見たら、コンプトンの人たちは興奮すると思うな。

『ストレイト・アウタ・コンプトン』




オシェイ・ジャクソン・Jr プロフィール

1991年2月24日アメリカ・カリフォルニア州コンプトン生まれ。アイス・キューブとして知られる自身の父親、オシェイ・ジャクソンを演じるという生涯最高の役を『ストレイト・アウタ・コンプトン』(15)で獲得し、俳優デビュー。もっとも、このカリスマ性に富む若者は、デビュー以前も父親のツアーに同行して幾度となくパフォーマンスを披露していたため、ステージに立つことには慣れている。今後も俳優業を続けていく予定。




映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』
2015年12月19日(土)渋谷シネクイント、新宿バルト9ほか全国順次公開

1986年、アメリカの最も危険な街コンプトンで暴力的なほどにストレートなリリックをハードコアなビートにのせ、日常に感じるフラストレーションと怒りを吐き出していた5人の若者たち。彼らにとって音楽と才能は最大の武器だったー。リリック、プライド、虚勢、そして才能という武器で戦う反逆者たちが、自分たちを抑圧する権力者たちに立ち向かい、世界で最も危険なグループといわれたN.W.A.を結成するに至った真実の物語を描いた作品だ。誰も声をあげることのなかった真実と、スラム街での日常を赤裸々に語った彼らの叫びは社会現象を巻き起こし、今なお多くのアーティストらに影響を与え続けている。

監督:F・ゲイリー・グレイ
脚本:ジョナサン・ハーマン、アンドレア・ベルロフ
出演:オシェイ・ジャクソン・Jr、コーリー・ホーキンス、ジェイソン・ミッチェル、ポール・ジアマッティほか
2015/アメリカ/147分/シネスコ/デジタル/R15
原題:Straight Outta Compton
配給:シンカ、パルコ ユニバーサル映画
公式サイト


『ストレイト・アウタ・コンプトン』

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