映画『レストレポ前哨基地』より ©GOLDCREST FILMS, OUTPOST FILMS.
全米公開時に、その圧倒的にリアルな描写で、アカデミー賞やサンダンス映画祭をはじめ25もの賞に選ばれた戦場ドキュメンタリーの傑作『レストレポ前哨基地』が、11月28日(土)から渋谷アップリンク他で公開となる。
2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件を契機に始まったアフガニスタンでの「テロとの闘い」は、米国史上最長の戦争となり、2014年末までに約2200人の米兵が戦死している。
本作は、『ローン・サバイバー』の舞台にもなったアフガン東部コレンガル渓谷へ、2007年に派兵された米軍小隊を1年間追った記録である。監督は、英国人戦場カメラマンのティム・ヘザリントンと、米国人戦場記者のセバスチャン・ユンガー。
パート1が2010年に全米公開され、その年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー部門にノミネートされて間もなく、ヘザリントンがリビアの内戦を取材中に亡くなった。その3年後、ユンガーはパート1の未使用シーンからパート2を一人で完成させた。パート1は、観客に戦争を体感させるべく戦闘シーンに比重が置かれていたが、パート2は兵士たちの内面により深く迫った内容になっている。
公開に先駆け、11月25日(水)には、社会問題に斬り込み、数々の論争を巻き起こしている漫画家の小林よしのり氏と、元防衛研究所所員で多くの紛争地に自ら赴いている「自衛隊を活かす会」呼びかけ人の加藤朗氏、映画監督でありながら現役自衛隊員としてイラク復興人道支援活動の経験のある佐野伸寿氏をゲストに迎えた上映&トークイベントの開催も決定している。
以下にパート1がアメリカで公開された当時のティム・ヘザリントンとセバスチャン・ユンガーの監督インタビューを掲載する。
── お二人がこの映画を作ったきっかけは?
セバスチャン・ユンガー:二人ともヴァニティ・フェア誌とABCニュースの仕事でアフガニスタンに行ったんです。僕は2005年にバトル中隊に従軍してアフガン南部のザブール州に行ったのですが、そのときに1つの小隊を追いかけて兵士たちの体験を本にまとめ、さらにドキュメンタリーを作ろう、というアイデアが生まれました。
── コレンガル渓谷に初めて足を踏み入れた時、どんな印象を持ちましたか?
ユンガー:2007年6月にヘリコプターから降り立ったとき、渓谷のあまりの険しさに驚きました。そして、その美しさにも。戦闘は最小限で済むと思っていたので、予想は完全に外れました。
── 銃撃戦中に兵士たちはアドバイスをくれたり、お二人を守ったりしたのでしょうか。また、事前に訓練を受けましたか?
ユンガー:兵士たちは、ティムと僕が何度も戦場を体験していることを知っていたので、アドバイスのようなものはなかったです。戦闘中に1~2度、どこに隠れたらいいか教えてくれたことはありました。
── カメラは交代で担当したのですか?
ティム・へザリントン:カメラは各自で持っていました。二人とも居る場合、僕がスチールで手一杯の時は、セバスチャンがビデオを回したり。僕がワイドショットで彼がタイトショットとか、僕がアフガン兵を撮って、彼は米兵を撮るとか、大まかに担当を分けました。
── 撮影行動はどの程度まで制限されていましたか?
へザリントン:行動の制限は、一切なかったです。負傷した兵士の撮影はしない、しても後で本人に了解を取る、という口約束はありましたが。死体の撮影は慎重に行なうというのは当たり前です。軍にはセキュリティやプライバシー上、ラフカットを見せるのですが、特に問題になったシーンはありませんでした。
映画『レストレポ前哨基地』より ©GOLDCREST FILMS, OUTPOST FILMS.
── 兵士たちの15ヶ月の派遣期間中、ずっと滞在していたのですか?
へザリントン:いいえ。二人で一緒の時と、単独で行った時もあわせて、僕もセバスチャンもそれぞれ5回ほど行きました。1回につき1ヶ月ほど滞在しました。
── どのくらいの映像を撮影したのですか?
ユンガー:150時間分です。毎回、素材を持ち帰ってはコピーして、記録を付けました。派兵期間終了後の3ヶ月後に、彼らのイタリアの駐屯地で行なったインタビューは40時間ほどです。
── 兵士たちとはどのような関係を築きましたか?
へザリントン:小隊を監視する人が誰もいなかったので、兵士たちとは非常に親しくなりました。彼らのバックグラウンドはさまざまで、入隊理由もバラバラです。親元を離れたくて入隊したとか、通過儀礼としての体験や新しい人生を求めて入隊したとか。多かったのは、あまり選択肢がない中で軍隊が条件的に一番良かったという兵士です。アメリカ全土から集まって来ていましたが、テキサス州やカリフォルニア州出身が多かったです。グアムのような遠方出身者もいました。
── 従軍中の居心地はどうでしたか?
ユンガー:滞在を重ねるごとに、よりリラックスできて居心地がよくなりました。兵士たちに、政治的なドキュメンタリーを撮ろうとしていないことが、じょじょに伝わったからでしょう。われわれが兵士たちと同じように危険な目に遭い、苛酷な環境に耐えているのも、彼らは見ていますし。ティムは戦闘中に足を骨折し、僕はアキレス腱を切り、銃撃戦で吹き飛ばされたこともあります。それでも、コレンガルに戻り続けましたから。
── 戦場で一定期間過ごして、ご自身に何か影響はありましたか? また、撮影期間中、兵士たちに変化はありましたか?
ユンガー:僕らは二人とも長年、戦地を取材してきていますから、銃撃されるのは初めての経験ではありません。戦場は興奮と恐怖を味わう反面、合間に生じる長い退屈との闘いでもあります。戦場では、物事はとてもシンプルで、殺されるか生き延びるかのどちらかです。日常生活のゴタゴタなど、どうでもよくなる。それに加えて、アドレナリンが大量に分泌されるので、普通に戻ることが非常に困難になる。これを兵士たちは経験したのだし、彼らほどではないにしろ僕らも経験しました。
映画『レストレポ前哨基地』より ©GOLDCREST FILMS, OUTPOST FILMS.
── あるシーンで、兵士が極めて危険な戦闘中に世間話をしていたのに驚きました。なぜあの映像を挿入したのですか?
へザリントン:従軍レポートでは、実際のバンバン撃ち合う戦闘を強調することが求められます。そして多くの記者は、そういう“アクション”を入れないと仕事をした気になれないものです。僕らも同じです。でも、コレンガル渓谷では銃撃戦が果てしなくあったから、そういうシーンだけ撮っていてはつまらない。それよりも戦争を知る上で、はるかに興味深く啓発的なのは、兵士たちのふるまいです。戦場体験がない人たちは、ニュース映像やハリウッド映画を通して理解するしかない。でも、それらの描写は往々にして限界があり、戦地で体験するある種の滑稽さや退屈や混乱を伝えてはいません。われわれは、そういったものを伝えることが大事だと思ったんです。
── 撮影できてよかったと思う、小隊の予想外の行動はありましたか?
ユンガー:士官たちがあれほど賢明でひたむきだとは、予想だにしていませんでした。多くの下士官たちもそうでした。それと、われわれマスコミの人間を、こんなにオープンに迎え入れてくれたのも予想外でした。
── 村人や長老との交流で、やむなく削ったシーンはありますか?
へザリントン:泣く泣くカットしたシーンは山ほどあります。“シューラ”(長老たちとの会合)では、かなり笑える場面もあったし、怒号が飛び交い緊張が走る場面もありました。地元の人たちが米軍の味方になってタリバン側の情報を伝える場面もあったし、逆に明らかに米兵を嫌悪してアフガンから出て行くことを望む場面もありました。いずれも、こういった類の戦争の複雑さを示唆しているわけですが、残念ながらすべてを映画に入れることはできませんでした。
── この映画は、バランスがよく取れていて片寄りがないですね。戦場をありのまま見せていると思います。どう撮って、どう編集して、どんなふうに仕上げようという考えは事前にあったのですか?
ユンガー:われわれが伝えたかったのは、戦争の政治的な側面ではなく、兵士たちの体験だったので、それ以上のことを描かないよう制限しました。例えば、司令官に「なぜコレンガル渓谷に展開することにしたのか?」とは質問しませんでした。戦う兵士たちには選択の余地がないことだからです。実際にコレンガルで戦っている人間だけを映すことを信条にしていたので、もちろんティムと僕も出てきませんし、外部のナレーターも使いませんでした。
へザリントン:僕らはジャーナリストであり、世論を“誘導”すべきではないと思っています。それは“擁護”と呼ばれるもので、メディアの世界において確かにありますが、ジャーナリストとしてわれわれがやりたいことではないのです。
映画『レストレポ前哨基地』より ©GOLDCREST FILMS, OUTPOST FILMS.
(左)セバスチャン・ユンガー(右)ティム・ヘザリントン ©GOLDCREST FILMS, OUTPOST FILMS.
ティム・ヘザリントン Tim Hetherington
1970年、英国マージーサイド州出身。オックスフォード大学文学部を卒業後、ウェールズ・カーディフ大学院でフォトジャーナリズムを学ぶ。'96年よりフリーカメラマンのキャリアをスタートし「The Big Issue」「The Independent」に寄稿。’98年から8年間、西アフリカに住み、シエラレオネやリベリア、ナイジェリアなどの内戦を撮影。従来のジャーナリズムを超えた、自ら呼ぶところの“トランスジャーナリズム”を標榜し、報道がより多くの人々に伝わるべく、写真と同時に映画やソーシャルネットワークなど多領域で活動。ワールド・プレス・フォト主催の世界報道写真賞を、'99年、'01年、'07年に受賞。'11年4月20日、リビアのミスラタで紛争を取材中に被弾し死去。著書に「Long Story Bit by Bit: Liberia Retold」('09年/ニューヨークUmbrage社刊)、「Infidel」('10年/ロンドンChris Boot社刊)がある。生前に本人がアップロードした2本の短編映像作品『Sleeping Soldiers』(’09年)と『Diary』(’10年)がvimeoで視聴可能。
セバスチャン・ユンガー Sebastian Junger
1962年、米国マサチューセッツ州出身。ウェズリアン大学で文化人類学を専攻。ノンフィクション・ライターを志し、'93年にボスニア紛争に赴き初めて戦地を体験する。'97年、出版社に企画を持ち込んだ「パーフェクト・ストーム」(’91年に北米大西洋を襲った大嵐で犠牲になった米漁船の実話を基にしたノンフィクション)がベストセラーとなり、ウォルフガング・ペーターゼン監督、ジョージ・クルーニー主演で’00年に映画化もされた。'99年にはコソボでの戦争犯罪を取材したヴァニティ・フェア誌の記事で、アメリカ雑誌編集者協会のナショナル・マガジン・アワードを受賞。'13年、ティム・ヘザリントンの足跡を辿るドキュメンタリー『Which Way is the Front Line From Here?』をHBOの協力で手がける。'14年、『レストレポ前哨基地』パート2(原題:KORENGAL)の配給・宣伝資金をキックスターターで調達し全米で公開。同じく'14年に、帰還兵についてのドキュメンタリー『The Last Patrol』を作りHBOで放送された。
『レストレポ前哨基地 PART.1』
『レストレポ前哨基地 PART.2』
11月28日(土)より、渋谷アップリンクほか全国順次公開
『レストレポ前哨基地 PART.1』
監督:ティム・ヘザリントン、セバスチャン・ユンガー
原題:RESTREPO : one platoon, one valley, one year
(2010年/アメリカ/93分)
『レストレポ前哨基地 PART.2』
監督:セバスチャン・ユンガー
原題:KORENGAL : this is what war feels like
(2014年/アメリカ/84分)
公式サイト:www.uplink.co.jp/restrepo
公式Facebook:www.facebook.com/restrepomovie.jp
公式Twitter:twitter.com/restrepo_jp
11月25日(水)、渋谷ユーロライブにて
先行上映&トークイベント開催!
<アメリカの“治安維持”という名の対テロ戦争から考える日本の未来>
【日時】2015年11月25日(水)
開場18:15/上映18:45/トーク20:20(22:15終了予定)
【上映作品】『レストレポ前哨基地PART.1』
※PART.2の上映はありません。
【会場】ユーロライブ(渋谷区円山町1-5 KINOHAUS 2F)
【ゲスト】小林よしのり(漫画家『ゴーマニズム宣言SPECIAL「戦争論」「新戦争論」』)、加藤朗(自衛隊を活かす会/桜美林大学教授『13歳からのテロ問題』)、佐野伸寿(自衛官/映画監督『ウイグルから来た少年』)
【料金】一般1,500円/学生1,200円(当日一般1,800円/学生1,500円)
【チケット】Peatixにて発売中
http://peatix.com/event/127743