映画『ラスト・ナイツ』より ©2015 Luka Productions
『CASSHERN』『GOEMON』の紀里谷和明監督が初のハリウッド進出を果たした新作『ラスト・ナイツ』が11月14日(土)より公開される。カナダのマイケル・コニーヴェスによる「忠臣蔵」をモチーフにした脚本を、モーガン・フリーマンやクライヴ・オーウェンといった名優たちのほか、日本からは伊原剛志、韓国からアン・ソンギら17ヵ国に及ぶキャストとスタッフが参加し映画化。紀里谷監督は、ロケ地のプラハで300人に及ぶスタッフを率い撮影を敢行。封建的な帝国を舞台にした、主君に対する忠誠を軸にした武士道を描く物語を、構想から5年の歳月をかけ完成させた。
webDICEでは紀里谷監督にインタビューを実施。製作に至るまでのプロセスや過酷なプラハロケの模様、日本での公開に先駆けた世界公開の手応え、そして今作にあるインディペンデント・スピリットについてまで語ってもらった。
脚本から製作決定まで
──監督第1作目『CASSHERN』、第2作目『GOEMON』から、今作に至るまでのお話を聞かせてください。まず、どういうかたちでこの脚本と出会われたのですか?
監督として所属しているエージェンシーのところに脚本がきました。アメリカで映画を製作するためには、エージェンシーに所属しないと無理といっても過言ではないくらい、エージェンシーの力は強大なんです。
僕はいま、アメリカではパラダイムというエージェンシーに監督として所属しています。アメリカのエージェンシーには、CAA(クリエイティヴ・アーティスツ・エージェンシー)、WME(ウィリアム・モリス・エンデヴァー・エンターテイメント)、ICM(インターナショナル・クリエイティヴ・マネージメント)パートナーズ、UTA(ユナイテッド・タレント・エージェンシー)などありますが、最近は合併や自然淘汰で数が減っています。僕はもともとCAAにいましたが、CAAのオリジナル・メンバーの人が引きぬかれて、一緒に来てと言われて、パラダイムに移ることになりました。
プロセスを説明すると、各エージェンシーに監督と役者と脚本家が所属していて、その脚本家がいろんな企画を立てて脚本を書き、それをワーナーやユニバーサルといったスタジオの人が読んで、いいと思ったものを映画化していく。そこでエージェンシーに脚本をばら撒いて、監督を探すのですが、最初はスピルバーグやリドリー・スコットといったAクラスの監督たちのところに行って、その人たちが蹴った作品が下のクラスの監督に下りてくる。その脚本を読んで「これをやりたい」となったらスタジオと監督契約を結びます。それで、すぐに撮れるわけではなくて、アイディアはいいけれど、もう一度監督を交えて練り直そう、といったこともあります。
映画『ラスト・ナイツ』の紀里谷和明監督
僕は本作の前に、別の作品を監督契約して進めていたんです。それがスタジオの都合で流れてしまって、そのプロデューサー、ジム・トンプソンから「もうひとつ企画がある」と言われたのが、脚本家マイケル・コニーヴェスによる『ラスト・ナイツ』の脚本でした。それを読んでこれは素晴らしい脚本だと思い「やりたいです」と答えました。
監督契約をしたからといってギャラがもらえるわけじゃない。そこでスタジオのエグゼクティブ・プロデューサーの下で脚本家と監督が延々と脚本を練り直します。そこでエグゼクティブ・プロデューサーとスタジオ側がいいと言わないと製作に進めない。製作が承認されることをグリーンライトといいますが、それに何年もかかるんです。様々な監督が2年、3年なんか当たり前で費やします。だから、アメリカの監督は常に10本くらいの企画を持っているのです。CAAにはブラッド・ピットやスピルバーグのほか、クライヴ・オーウェンやモーガン・フリーマンも所属しています。
──今回のメインキャスト2人が同じエージェンシーなのですね。
だから、キャスティングも話が早い。『ラスト・ナイツ』はメジャーのスタジオが入っていない、インディペンデントの製作なので、お金は僕とプロデューサーが各国から集めてきます。ファイナンスもまた、たいへんな作業ですけれど、うちのエージェンシーを通してクライヴ・オーウェンとモーガン・フリーマンにキャスティングをお願いして、どういう企画なのかを詰めて、そこから製作に入るんです。
映画『ラスト・ナイツ』より ©2015 Luka Productions
──今回はハリウッドのスタジオの製作ではない、インディペンデントでやるということで、紀里谷さんやエージェンシーの人たちがプロデューサーを探すわけですか?
ジム・トンプソンに加えて、ルーシー・Y・キムもプロデューサーが加わることで、韓国からファイナンスも可能になり、アメリカのファイナンスも入ってきて、日本もDMM.comさんが出資してくださることになりました。
──DMM.comさんに対しては紀里谷さんが動いたのですか?
そうです。ユニバーサルやワーナーといったメジャーと異なり、インディペンデントだと、まずキャスティングをちゃんとやれば、例えばモーガン・フリーマンとクライヴ・オーウェンが参加してくれるとなると、ファイナンスもしやすくなる。ちょっと順序が逆になるんです。
──なるほど、では、そのプロセスでいちばん大変なのは、ファイナンスとキャスティングどちらだったのですか?
両方でしょうね。キャスティングからは「ファイナンスちゃんとできてるの?」という質問がくるし、ファイナンスからは「誰がキャスティングされてるの?」という話になる。今回は、その段階で最初にクライヴが参加してくれると約束してくれていたのが非常に大きかった。それはクライヴに感謝ですよ。脚本を読んで、『GOEMON』も観て、それで「やる」と言ってくれたから。それでファイナンスがガッと動きました。
わずか50日、極寒のプラハ・ロケ
──キャスティングとファイナンスが決まってゴーサインが出てから、撮影までどれくらいかかるのですか?
キャスティングとファイナンスをやりつつ、脚本も書き直しが入ります。そこはあらためて承認を受けるわけではないですが、さらにロケハンを行います。そこは日本のやり方とまったく同じです。
──今回チェコでロケを行ったということですが、『007』などを撮っているスタジオですよね。ヨーロッパの風景を撮るために、コストの面でチェコでロケをすることが増えたということを聞きますが、やはり予算が最大の理由ですか?それとも紀里谷さんのアメリカ的でないイメージを撮るために必要だったのですか?
実は、もともとインドで撮ろうとしていたんです。アジアとヨーロッパの融合みたいなルックが欲しかったので。ジャイプールでロケハンも相当やって、全て決まっていたのですが、ちょっと動き始めたら、あまりにも撮影するには厳しい状況だということが分かった。例えば気候の問題、モンスーンが始まってしまうと撮影ができなくなってしまったり、意外と規制が厳しくて撮影許可をとるのがすごく大変だったり。エキストラを多種多様な人種にしたかったので、インドだとその点も難しい。決定打だったのはローカル・プロダクションがうまくいかないんじゃないかという話になって、そのままクランクインしてしまうとまずいんじゃないかと、僕とプロデューサー陣が話し合いました。
そこから美術部のリッキー・エアーズから「プラハだったら、何度も撮影したことがあって勝手が分かってるし、この予算でできる」と提案がありました。そこで決断が僕に委ねられ、インドはロケーションが素晴らしかったので悩みましたが、プロデューサーとしてあらゆる状況を判断して、2日後にはインドから直接チェコに飛ぶことになりました。
──インドではある程度予算を使ってロケハンもやっているのに、それを変えるというのはスケジュールをぜんぶひっくり返すということですね。
僕もチェコには行ったことがあったのでだいたい分かっていましたが、そこでまたロケハンを始めて、足りないところはCGでやるということにして、いよいよゴーするんです。
そこから、ありとあらゆる国からスタッフが集まってくるんです。ヨーロッパでの映画撮影の拠点というと、順番的にロンドン、ベルリン、プラハという3ヵ所で、日本でいうところの東京があり、京都の撮影所があり、という感じだと思います。主要スタッフの多くはロンドンから来ました。フランスからも来ましたし、チェコのスタッフも素晴らしい。
──そこに行くまでは、グリーンライトが出てからどれくらいの期間がかかるものなんのですか。
プラハに行った段階でクランクインの4、5ヵ月くらい前じゃなかったかな。
──脚本を読んでからは?
2年くらいじゃないですか。それも映画によっていろいろですよね。今回はそれだけかかりました。脚本ができて完成するまで5年くらいかかっているんですよ。
──プラハでの準備が4ヵ月というのは短いほうなんですか?
それくらいですよ。なぜかというと、働いた分きっちり払うという仕組みで、プリプロの期間もお金が発生するので、1ヵ月長くとるとその分お金がかかってしまうから、あまり長くできないんですよ。4ヵ月しかないという判断で進めました。
──今回、紀里谷さんは監督とプロデューサーとしてクレジットされていますが、プロデューサーとして予算もスケジュールも自分のなかで計算しないと成り立たないのですね。
はい、チェコのライン・プロデューサー、ヴァーツラフ・モットルが優秀でした。予算から逆算してこれしか撮れない、という撮影日数が出ますよね。『ラスト・ナイツ』の場合50日です。『GOEMON』の撮影は79日くらいでした。そこでイギリスから『007』シリーズなどもやっている敏腕の助監督ジェリー・ギャヴィガンも来てくれて、50日でこのスケールの映画では非常にタイトだと。それでシーンを削ろうという話になるわけですよね。僕がそれを断固拒否する。じゃあどうするのかという話になって、1日の撮影のスピードを上げるしかない、という結論になりました。
50日といっても土日は休みですし、クリスマスも挟んでいたので、全体で3ヵ月くらいです。その前に4ヵ月準備でいるわけだから、僕はほぼ1年プラハにいたことになります。
──どうやって撮影のスピードを上げるのですか?
それには監督の判断が早くなければいけないし、スタッフも早くなければいけない。だから1日30カットなんて当たり前でした。モーガン・フリーマンが出てるシーンなんて3カメで1日延べ90カットでした。
──監督としての判断は紀里谷さんが出来るだろうけれど、現場のスタッフはそんなに早いスピードに追いつけるのですか?
最初は慣れるまでに時間がかかるけれども、それもすごい議論をして、そのスピードにしてくれました。そもそも僕は『CASSHERN』『GOEMON』の頃から撮影が早いんです。それにアメリカの場合、オーバータイムをなしにしたいので、決して押しません。1日12時間拘束で、それを超えると、残業になるどころか、例えば1時間オーバーしたら、次の日は1時間遅れてスタートしなきゃいけない。ということは次の日は11時間になってしまう。そもそも普通は10時間拘束のところを毎日2時間オーバータイム分を払うという契約で12時間にしているんです。そのなかで、異常なカット数を撮り続けるという作業が、延々と続くんです。マイナス20度のなかで。
映画『ラスト・ナイツ』より ©2015 Luka Productions
──『GOEMON』と『ラスト・ナイツ』のキャスト・スタッフの数は、『ラスト・ナイツ』のほうが多いですよね。
多いですね。常時300名でした。
──国際スタッフはついてこれるのですか?
完璧についてきますね。
──そのモチベーションはどこからくるのでしょうか?この作品に対して持っているのですか?それともプロフェッショナルだからですか?
彼らは次々と世界中の違う作品の現場に行って、与えられた仕事はきっちりこなすという人たちじゃないですか。そこはやはりプロ意識がある。プロだから、やると決めたらやる。そこはみんな、あぐらをかいてないですし、意識は極めて高いです。制作から現場スタッフ、ケータリングまで全て見事なものでした。
非常にシビアな競争原理が働いている業界なんです。ダメな人は切られてしまい、次の現場に呼んでもらえない。なぜならば、他のプロデューサーや監督から「あの人を使いたいけれど、どうだった?」と電話がかかってくるんです。それを僕が「ダメだったよ」と言ったら、もちろん使わないじゃないですか。だから、とにかく技術的にトップクラスなのは当たり前のことで、それに加えて、きっちり仕事をする、早い、そしてみんなと仲良くやれるということがマストなんです。そこにエゴなんて存在しないし、そんなことやったら、競争が激しすぎて仕事がないんですよ。
──プラハで撮影されて、プロフェッショナルなスピリット以外に、ここは素晴らしいなと思ったところはどこですか?
まず、プラハ自体が巨大な撮影所のようなんです。いわゆる太秦が巨大になったみたいな街で、市民全員がサポートしてくれる。道路使用許可や撮影許可についてはぜんぜん問題ないので、プラハをパリに見立てて撮ったりもできるし、カーチェイスもぜんぜんオッケーだし。これはアメリカもそうですが、映画や映像制作がCMも含め産業として成り立っている感じがすごくするんです。だって毎日300人が移動するわけで、トレーラーから車の台数から、見渡す限り埋め尽くされてしまう。そんな状況をなんなくこなしていく、軍隊のような規律正しいシステムが出来上がっているんです。撮影スタッフも技術スタッフも、早いし、テキパキやりますよね。
映画『ラスト・ナイツ』撮影中の紀里谷和明監督
「動くストーリーボード」を準備
──今回は、300人の人間をインドから移動して、軍隊のトップに立って監督としての決断をしていかなければいけない。いちばん厳しいところはどこですか?
まずプランニングを徹底的にやります。僕は撮影ではぜったいに悩まないです。悩んでいる暇がない。
──そのプランニングは主要スタッフには事前に渡っているのですか?
『CASSHERN』『GOEMON』からのシステムですが、絵コンテは絵コンテマンを入れて、全カット描いています。それを編集して、音楽も入れて、台詞も全て若い役者を使って入れて、当てはめます。それをまず僕が観て、この画が成立するのかとチェックしたいんです。成立していなかったら脚本家も連れてきているから書き直させる。そうして練りなおして、脚本の精度を上げていって、主要スタッフに全部渡します、アクション・シーンに関しては一回ビデオで撮ってしまいます。それを準備の4ヵ月間のなかで延々やるんです。
──動くストーリーボードなんですね。
でもそれはいま、ハリウッドの主流じゃないですか。例えば『マッドマックス 怒りのデス・ロード』なんて全カット絵コンテで、へたしたら脚本はないんじゃないか、ってくらい絵コンテで話が進んでいく。絵コンテ至上主義になってきています。
──特にインターナショナルなスタッフが集まると共通言語は英語で、その動くストーリーボードがスタッフ全体のいちばんのプロトコルになるわけですよね。
もちろん役者も入ってくるわけだから、そのとおりにはいかないですよ。僕は、修正は入れますけれど、最初の段取りのところは案外役者に任せてしまうので。そこで撮影監督のアントニオ・リエストラと一緒に、アングルを探って二人で決めていく。それをみんなで共有していくという作業なんです。
──その動くストーリーボードは、俳優も観るのですか?
観たい人は観てください、と伝えます。引っ張られるのが嫌だから観たくないという人もいますから。でもクライヴは観てました。
──ではそれがあるから、今日は何カット撮るかをみんなきちっと理解している。
朝食のときに、全員に今日の撮り分の絵コンテを脚本と一緒に支給します。それを連続50日間やり続けたんですが、トータルのオーバータイムは1時間でした。
──すごいですね。それはある種ゲーム感覚になって、ぜったい終わらせようという意識になっているのでしょうか。
終わらせないという選択肢がないんですよ。押しても15分、15分経ったらライン・プロデューサーが来て解散です。
──監督がやりたいと言っても解散になるんですか?
僕はプロデューサーでもあるので(笑)。押してもいいけれど、次の日1時間削られるということは、それをやっちゃうとどんどんずれこんでいってしまうんです。
──いちおうバッファは15分あるんですか。
ないんだけど、押して15分。だから最後の15分や30分は急げ急げで怒鳴り合いになります。
──さっきおっしゃっていたコミュニケーション能力の高い人たちが集まっているから、そこでいがみ合ったりはしないのですか?
それはマイナス20度のなかで50日もやってると、ケンカもありますよ。口論もあるし、怒って部屋を出ちゃう人もいる。ストレスがハンパないですから。しかしながら、やっぱりやりきるわけですよね。
──普通ならぜったい50日でできないことを紀里谷組はやったわけですよね。スタッフも日本人の監督じゃなければ、そんな無理難題を押し付けられないのでは?
それは分からない。でも『CASSHERN』やPVのときからそうですけれど、毎回スタッフからもプロデューサーからも「無理」って言われるんです。でも、限られた予算のなかで人と同じようなことをやったってダメじゃないですか。エンターテインメントですから、例えば10億円の予算が出たとして、別の10億円の作品よりもっとすごいことしないといけない。だから、僕は「無理」と言われても信じない。だから「やります」と言って、真っ先に僕が動く。だから現場も走り回ります。
──今回は、監督以外でカメラは回さなかったのですか?
『CASSHERN』『GOEMON』は僕も回しましたが、今回は撮影監督がいて、僕は監督とプロデューサーの仕事に徹しました。
モーガン・フリーマンの言葉の意味
──50日の撮影の最後に、モーガン・フリーマンから監督に必要なことは「リッスン」と言われたそうですね。それはどういう意味なんですか?
モーガンは決められた日数しか現場に入れないので、ワンシーンでも撮りこぼしたら映画自体が成立しないんです。そのなかで、限られた少ない時間のなかで回していく。ほんとうにプランニングしてくれるスタッフのお陰です。
撮影の後半は、疲労とプレッシャーの極限状態で、こんな苦しいことはもう二度と嫌だと、これが終わったらほんとうに映画監督を辞めようと思っていたんです。そのときに、どういうわけかモーガンが僕のところに来てくれて、セットで「君は監督として大丈夫だから」と話しかけてくれたんです。
──ストレスで相当まいってるように見えたんでしょうね。
すごい救われますよね。辞めようと思ってる男のところに来て、「僕はいろんな監督とたくさん仕事をしたことがあるけれど、君はそのなかでもトップクラスの監督に匹敵するよ。なぜならば君は、とにかく迷わない。ぜんぶ迷わないし、すぐ的確な指示を出してくれるから、大丈夫だよ」と言ってくれたんです。僕は「まだこれも含めて3作しか撮ってないので、もっといい監督になるにはどうすればいいですか?」と聞いたんです。そうしたら「リッスン」と言ってくれた。「君はできているからいいよ」「でもどういうことなの?」「だから、リッスン」と言うわけです。
それは僕の解釈だと、例えばシーンを撮っていてモニターを見ているときに、違和感を覚えたらNGを出さなきゃいけない。それは実は視覚ではなくて、なにか別の感覚なんです。例えば役者の感情が言語を越えている感触として、モニターを見て伝わってこなかったら、伝わってくるまでやろうというか。それを彼は「聞け」という表現にしたと僕は思ったんです。
映画『ラスト・ナイツ』より ©2015 Luka Productions
ポスト・プロダクションの苦労
──映画は撮影が終わっても次に、もっと長いポスト・プロダクションがありますよね。それはどこで主にやられていんたんですか?
1年以上かかっています。編集マンはロンドンにいる『ゼロ・グラビティ』をやったマーク・サンガーなんですが、CGチームは韓国です。その他にも、ルイジアナやインドのスタッフも使って、ネットを通してコミュニケーションを取って構築していくんです。Skypeで独自のシステムがあって、僕は東京にいて、毎日ロンドンとやりとりをして指示を出して、次の日にはそれが反映されたものがハイクオリティな映像で仕上がってくる。
すごいカット数がありますし、例えば雪を降らせるとか、血だったりバレ消しだったり、分からないところでたくさんCGが入ってるんですよ。
──撮影が終わったときには、監督として「撮れてる」という実感はありましたか?
ありましたね、この状況下で撮りきれたというだけでも本望ですよ。でもそこからポスプロ地獄が始まるんです。音楽も、僕がロサンゼルスにいてオーケストラがモスクワにいて、リアルタイムで録音をしたりしましたが、編集がいちばん大変でした。
──現場ではライヴでどんどん指示を出して作っていくのに対して、ポスプロはネット経由で距離が離れていて、1フレーム1フレーム作ってくので時間がかかると思うのですが、それはスケジュール通りに進みましたか?
それはいろんな問題もあって延びてしまいました。ただネットのやり取りも『GOEMON』のところからやっていたので、あまり違和感はないですね。
──最後のダビングはどこでされたのですか?
ダビングはロサンゼルスで立ち会いました。カラコレもグレーディングもロサンゼルスでした。グレーディングは1週間だったんですけど、短いですよね。ほんとうは2、3週間ほしいところですよね。ダビングもすごく短かった。とにかく予算がないから切り詰めていく方向ですよね。
──画からはすごい予算のように感じます。
想像よりもぜんぜん安いですよ。それは、ないなかで製作していた日本で培ったものだと思います。
映画『ラスト・ナイツ』より ©2015 Luka Productions
『ラスト・ナイツ』は第一歩
──初号が上がったのはいつですか?
アメリカの公開が4月だったので、去年の秋ぐらいですね。ヨーロッパでももう公開しています。9月に韓国で公開して、日本が11月14日、最後なんです。
──プロデューサーとしては、世界で上映して手応えはどうでしたか?
そうですね、とにかく、『ラスト・ナイツ』は僕にとって第一歩なんです。いろいろ制限はあるけれども、ツールが揃った状況で、やっとスタートラインに立たせてもらったという感覚です。それを言ってしまうと、前の2作はそうじゃないのかという話なんだけど、そうではなくて。その一歩を踏み出せただけで満足です。
──確かに、前2作は日本の製作で、『ラスト・ナイツ』のほうがVFXなどすごくクオリティがアップしている。『ラスト・ナイツ』は、アクション映画としてみれば世界で公開される映画のルックの基準に達している映画だと感じました。だから「紀里谷ワールド」を作るための製作の方法論として、今回、最低限ノウハウを得たという手応えを感じたのではと思いました。
僕は、邦画と洋画というジャンル分けもなしにしたいし、僕だけじゃなくて、いろんな人達が取っ払って考えていくべきだと思います。
──映画ファンは、アート系のインディーズ映画もスピルバーグも東宝の映画も面白いと思って観て、シネコンもミニシアター両方往復していますからね。
『CASSHERN』からそのスタートラインに立つまでの10年間ですよ。
──もう次の作品は企画されているのですか?ハリウッドのエージェンシーにバンバン脚本が来るのですか?
他に台本がある作品もありますけれど、次は脚本家と組んで作りました。あまり詳しくは言えないですけれど、ぜんぜん毛色の違う作品になりますよ。アクションじゃないし、もっと小さい規模。大きなスケールもいいですけれど、そうじゃないものもやりたい、という気持ちが僕のなかであって。それが人間ドラマということです。
──今回の『ラスト・ナイツ』の脚本は、サムライのスピリッツと共通するところがあると思ったので、日本オリジナルの企画でも、いくらでもインターナショナルに通用すると思います。そしてアクションやSFじゃなくても、ビジュアルをこのレベルまできちっと作れば、世界の人に伝わると思いました。
そうなんです。だから日本も、マーケットを世界に見ていけば、それだけの予算は集まりますよ。日本国内だけのマーケットをみるから、そこから逆算していくと、プロデューサー観点からも、今の日本の予算は妥当だなと思いますから。そうなってしまうと、クオリティの部分が下がってしまうのはしょうがないですよね。それは作っている人がいちばん分かっていると思いますよ。
インディー・スピリットを持って世界へ
──その紀里谷さんのプロデューサー視点でいくと、他の監督をプロデュースするという可能性はあるのですか?
これからありますよ。
──紀里谷さんが培った監督としてのノウハウを持っていたとしても、現場でのキャリアを積まない限り、そこまでなかなかいかないのではという気がするのですが?
これからはアメリカやヨーロッパも含めて全世界、プロデュース能力がないと厳しいと思います。
──デジタルの時代になって、ミュージシャンも映画監督も全て、セルフ・プロデュース能力がないとやっていけないということですね。
そうです。雇われ監督だったら話は別です。ただ、自分がやりたいことをやろうとする人間は、ファイナンスや配給の件も含めてシステムから構築していかないと。今回はKIRIYA PICTURESが配給もしていますから。そこまで一元的にやるという意識がない限り、難しいと思います。非常に大変ですけど、これを含めてほんとうに勉強させてもらってます。やってみないとわからないことですから。
──日本でヒットさせる手応えはどうですか?
ほんとに評判がいいし、特に若い女性に好評なのは意外でしたね。何度も言いますが、別にハリウッドに行って偉いですよ、とか、憧れてやってるわけじゃないんです。ご存知のように、日本の映画産業は縮小の一途を辿るしかなくて、予算はどんどん下がっていく一方じゃないですか。それは一概に製作会社が悪いと思えません。だってこんなマーケットでやってるから、P&Aも含めてかけられないんだと思います。そうなってくると、どんどん予算が下がっていくし、かといって、外国映画はクオリティが上がっているので、ギャップが広がっていくばかりです。それを超越していくには、マーケットを外に見ていくしかないと思います。
僭越ですが、僕はこの映画でその可能性を見ていただきたい。これは別に僕だけじゃなくて、みなさんも可能性がある事だと思います。それも、別に外国からファイナンスを持ってこなくでも、日本でも集めようと思ったら集まると思いますよ。世界マーケットを考えていけば、別に日本のスタッフでもいいし、役者さんだけ外国から連れてきてもいいし、アメリカからカメラマンを連れてきてもいい。そこをやれれば、できますよね、というひとつの提示です。
──先ほどおっしゃっていた世界のプロフェッショナル軍団に、日本人のスタッフはいたのですか?
今回は日本人スタッフは僕だけでしたが、優秀な日本人スタッフも世界にはいますよ。韓国のスタッフも使ってますし、英語がしゃべれなくても関係ないです。韓国チームはしゃべれない人はいっぱいいたし、でもそこが映画のすごいところで、みんな同じ機材使いながら、同じことやっているので、理解してますよ。
映画『ラスト・ナイツ』より、伊原剛志 ©2015 Luka Productions
──僕もセルゲイ・ボドロフの『モンゴル』に参加したとき、『ラスト・ナイツ』と同じ韓国のアクション・チームが関わっていました。
チャン・ドゥホンも英語は片言だし、それでもぜんぜんオッケーじゃないですか。僕はそれを信じていて、逆に日本の人たちが、自分は英語が喋れないからと萎縮してしまっているから、そんなことじゃない、と僕は思ってしまうんです。意識の問題なんです。とにかく、今までのやり方なんてどうでもいいから、未来に向かって新しいことをやっていこう、という人が集まってくれれば、ほんとうに人種なんか関係ないですよ。
──プロデューサーを務めることもある僕が言うのもなんですけど、日本のスタッフより、韓国、中国、もちろん欧米のスタッフのギャランティの方が平均的に高い。
そうなんですよ、それってすごくコストパフォーマンスが高いこと。僕は全然日本のスタッフを否定しているわけではないんです。日本のスタッフとも一緒にやっていきますし、いちばん効率がいいところで撮影すればいい。それが日本の映画業界のためだとも思うし、これからの若い監督や役者の可能性に繋がる。それを示唆したいんですよ。そして興行のリスクも踏まえてってことを考えると、自分で配給をやるしかないよね、という話です。『GOEMON』のときも、うちが製作会社でしたし、それはやるしかない。やらないと先に進めないですから。毎回先に進めない選択を迫られて、先に進むには、やるしかないんですよ
──メジャーなルックであり、インディー・スピリッツのある紀里谷作品のチャレンジに期待します。
僕の場合は、可能性の提示しかないんですよ。『CASSHERN』もつたないところやダメなところはいっぱいあるけれど、こういうことが曲がりなりにも可能でしょ、という提示だったんです。でもそれを、日本ではなく海外が先にピックアップしてくれたんですね。
苦しいですけど、とにかくやり続けること。そして、ヒットさせなきゃいけないと思ってます。
(取材・文:浅井隆 構成:駒井憲嗣)
紀里谷和明 プロフィール
1968年、熊本県生まれ。15歳の時に単身渡米し、マサチューセッツ州にある全米有数のアートスクールでデザイン、音楽、絵画、写真などを学び、パーソンズ美術大学では建築を学んだ。ニューヨーク在住時の1990年代半ばに写真家として活動を開始。その後、数多くのミュージック・ビデオを制作し、才気あふれる映像クリエイターとして脚光を浴びる一方、CM、広告、雑誌のアートディレクションも手がける。TVアニメ「新造人間キャシャーン」を斬新なヴィジュアル感覚で実写映画化したSFアクション『CASSHERN』(04)で映画監督デビュー。続いて戦国の世を舞台にしながらも、時代劇の枠に収まらない奇想天外なアドベンチャー活劇『GOEMON』(08)を発表した。監督第3作『ラスト・ナイツ』でハリウッド・デビューを果たした。
映画『ラスト・ナイツ』
11月14日(土)TOHOシネマズ スカラ座 他 全国ロードショー
ある封建的な帝国。権力にとりつかれた非道な大臣が要求する賄賂を堂々と断り、刀を向けたバルトーク卿は、残忍な処刑による死罪を勧告される。それは、愛弟子であり、自身の後継者として信頼するライデンによる斬首。絶対に出来ないと断るライデンに対しバルトーク卿は、武士の掟を全うし、自身亡き後の一族を守れと諭す。ライデンは震える手で主君の首を落とした。一年後。気高い騎士達は、その日が来るまで刀を捨て身分を隠していた。全ては忠誠を誓った主君バルトーク卿の仇を討ち、不正がはびこる権力への報復のために。死を覚悟し挑む“最後の騎士達”の戦いが今、はじまる―。
監督:紀里谷和明
出演:クライヴ・オーウェン、モーガン・フリーマン、クリフ・カーティス、アクセル・ヘニー、ペイマン・モアディ、アイェレット・ゾラー、ショーレ・アグダシュルー、伊原剛志、アン・ソンギ
脚本:マイケル・コニーヴェス
製作:ルーシー・Y・キム
撮影監督:アントニオ・リエストラ
編集:マーク・サンガー
プロダクション・デザイナー:リッキー・エアーズ
衣装デザイナー:ティナ・カリヴァス
スタント・コーディネーター:チョン・ドゥホン
作曲:ニコラス・ナイトハルト
作曲:サトナム・ラムゴトラ、マーティン・ティルマン
原題:LAST KNIGHTS
日本語字幕:戸田奈津子
提供:DMM.com
配給:KIRIYA PICTURES/ギャガ
2015年/アメリカ/115分/PG-12
公式サイト:http://lastknights.jp/
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