骰子の眼

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2015-08-15 10:00


メディスンカードで探る、自分による自分のための自分ガイド☆2015年8月15日〜

メディスンカードで、あなたと全体の現状&方向性をリーディング!!
メディスンカードで探る、自分による自分のための自分ガイド☆2015年8月15日〜

どうも、ごぶさたしています。
はじめての方は、はじめまして。
残暑お見舞い&今年はなんとなく8月15日に更新しようかなと思い、してみることにしました。

わたしがごちゃごちゃ言うまでもなく、また特に言葉も持ち合わせていませんが、すべては在るようにして在り起こるべくして起こる、とはいえ、こっちがいいな行きたいな、って方向を意図することは生物の性質としてあるんですよね、よく流れのままに、とか、とりあえず流されてみよう、とかもありますけど、このことについてはちょっとちがうんじゃないのかなと、ここは自らの意図でもって流れを決めてくんじゃないのかなと、そんな風に感じています。

たとえばコントロールしたいしなければならぬ、といった強迫的な欲求と純粋な意図というのは紙一重、というか、ほんとは次元の壁はさんでるくらいの隔たりがあり、そもそもそれがどんなにかもっともらしくいわゆる“正しさ”に支えられているようにみえようとも結局のところエゴに過ぎない、と気づけるかどうか、ということもありますし、純粋な意図ってまるであらいま何か通り過ぎたかしら? と感じるか感じないかくらいの非常にさりげなく発生した軽やかな風のように、意図したことすらどうでもいいというか執着できない思い出せないくらい微かなものだし、それでいて暴力的なエネルギーの生まれる余地さえ与えず常に更地で在り続ける揺るぎないパワーそのもの。

って、わかりにくいかもしれませんが、もう二極で解答なんか出せねえんだよ、というのが真実だと思いますし、正しさ、というのもいってみれば雰囲気なのだし(対極にあるひとはそれぞれこっちが正しいと主張し続けるわけで、この正しさ合戦てほんとに不毛だと思います、というかすべての争いはこれですよね)、そうしたことを鑑みても、本来不要な“べき”、少なくともいまは“こうすべき”、というのもやむない、という局面にいるのじゃないかな、と思ったりしています。

これは全体と個としての世界両輪並走なわけで、すると日々のささやかな選択というのもあながちおろそかにできないというか、結局のところいかに常にここちよく在るか、にかかってくるんじゃないですかね。で、パラドックスですけども、どっちを選ぶのか、と。決めてくのは自分なんだと。

頭じゃなく身体のほうがよっぽど真実に忠実ですよね、切られたら血が出るし、細胞こわれる物質浴びたら細胞こわれる、というあまりにも自然すぎる法則のまさに体現。

これからも個、全、両方でいろいろ起こってくると思いますけど、シンプルにどう在りたいのか、と、ほんとにそれしっかり決めとくだけで動いていくんだと思います。


というわけで、いきましょう。

今回は以前やったことがある気がしますが気にせず「木の根っこ付近」です。特に理由はなく、いままで撮った画像のなかで植物がいちばん多いので、そのなかからピックアップしました。と言いつつ、この下の「全体のメディスン」にも関係ありますね。

それでは、どうぞ。



使い方は、あなたの自由!!

使い方ガイド

*ベーシックな使い方
ぴん、ときた画像をひとつ選んでクリックしてください。
そこに書かれているテキストが、あなたのガイドになります。

*自由な使い方
・いま、知りたいことをイメージしてクリック!
・恋愛、仕事、健康など、自分で決めたテーマごとにクリック!
・毎朝、起きたときに今日1日をイメージしてクリック!
・全部クリックして、好きなテキストを選ぶ!
など、自由に、フレキシブルにつかってください。

また、「全体のメディスン」も組み合わせてみてください。

▼直感でクリック!(1クリックでテキストが開き、再度クリックで閉じます)

root01 root02 root03 root04 root05 root06

▽この画像を選んだあなた

方向を定めるとき。
それも頭でこうだからこう、と計画を練るようにではなく、またこうだからこう、とジャッジして決めるのでもなく、根拠や理由など問う必要もなく湧き上がるような感覚、あらゆる経験や憶測がなんといおうと、この先どうあろうともおかまいなしに進んでいくのだという、そんな決意。

それは誰か、あるいは何人か、それとももっと多くのひとがあとに続いていくような何かにつながることもあるかもしれない。けれどもそれがどのくらいの規模であろうと、あなたはいつどんなときでもあなたであり、結果的にどこへ運ばれようとも個としてのあなたはひとりであり、あなたの人生をつくっていけるのは、やっぱりあなただけ。

けれど、あなた以外のひとりひとりがそれぞれ同じく存在して成立する世界に生きるなら、どうぞ独走ではなく、調和に在っていただければと思います。


▽この画像を選んだあなた

迷っているとき、あるいはこころは決まっているけれどもためらいのあるとき、「どうしたらいいんだ」とか「これでいいのだろうか」とか、そこには失敗などに対する不安やおそれがあり、それが動きを阻む要因なのだと思いますが、この「?」で終わるあらゆる問いかけ、いったい誰に対してるのかわからない疑問、実はこれはトラップなのじゃないでしょうか。

「?」とは正解を求めるマインドであり、わけのわからない衝動やどんなでもいいからやるんや!といった保証も見返りも求めぬ情熱など絶対にゆるさないというジャッジマンの声であって、実のところ、どれだけ計画練ろうと対策立てようと実際にどうなるかなんて「わからない」んですよね。そして、本当の意味でいったい何が正解なのかも。

この「わからなさ」に開いてみること。もっといえば、わからなければできない、というそれこそ根拠なき“思い込み”を外してみえる自分と世界、そのときの感覚はどうだろうか。

ほんとうはもう動いていて、実は「わかっている」。
ならばもう、その動きにただ自分を乗せるようにしていったらいいんじゃないでしょうか。
それでもまだ「?」が浮かんでくるというのなら、たぶん心配するのが好きなのだと思うし、もうそれごといっしょに乗っかっていったらいいと思います。


▽この画像を選んだあなた

ひとはいろいろなことに、とてもたくさんのラベルを貼って生きています。自分はこうなんですとか、あのひとはああでこれはこういうものだから、とか。けれど、それは誰かや何かとくらべなければ一状態にすぎず、その基準は、へたをすると道一本はさんだけで正反対にひっくり返るくらい曖昧なもの。つまり、真実ではない。

ひとは自分がそうだと思っている通りに自分をみてくれるし、世界はそのようにあつかってくれるほどにやさしい。そう、かたちはちがえどガラスの瓶に貼られた「ビール」「コーラ」「醤油」のシールと同じように、自分はこういう者、というパッケージングであり、世界に対する宣言なんですね。

あなたは、どんなラベルをどのくらい貼っているでしょう。それは本意であり、どこへ行ってもけして変わらない真実の中身でしょうか。
もしもそうでないのなら、はがしてみてはどうでしょう。もしかすると長年の腰痛や肩こりが多少軽減されるかもしれないし、それでも丸腰はこわいというのなら、たとえ理想だとしても、本当に望んでいることを宣言してみてはどうでしょうか。


▽この画像を選んだあなた

何かをしたから何かを得ることができる、そろそろ、この法則を破棄するときなんじゃないでしょうか。

使命、役割、といった概念、あらゆる条件づけ、取り引き、どれだけがんばろうとがんばらなかろうと地球はまわり、心臓は動き、呼吸は起こり、良いとされることをしようが悪いとされることをしようが、実は安心だとか幸せ、という概念とは一切関係がないという事実。
報われる/報われないといった判断、裏切る/裏切られるという感覚、相反する立ち位置、努力も苦労も我慢も清貧も本当の意味において美しさとは関係がないし、そう信じたいという自己があるだけであってすべてのことは事象でしかない。

ここに出たのは「祈りと豊穣」を象意とするバッファローのカードです。
バッファローをみるとなぜかクラストパンツを思い出します。
ネイティブアメリカンにとってのバッファローは、肉は食料に、毛皮は衣服に、と生活の糧であり、恵みへの感謝、賞賛、祈りであるそうです。

自分の肉体、性質、存在というもののすべてを無条件に無意味に、あますところなくつかい倒す。
そこに何か特別な理由や意義のようなものって必要なのだろうか、と思いました。


▽この画像を選んだあなた

ひとは嫌だと思いながらもわずかな隙間にさえルールをつくります。これはこういうもの、あれはああいうもの、そこからはずれた意見や考えをもつと、間違っているといわれ責められたり従わないと蔑まれたり無視されたりします。

ほとんどが、そのひとのほんとうの考えや意志を反映していないルールのような気がします。どこかの誰かがいつだかに決めたまったく根拠のない掟を、まるでそれが“真実”であるかのように、検証もせず無自覚に、無条件で制定します。
そんなとき、いつも思います。それはどのあたりのひとたちにとって有効なルールですか、それを破ったらいったいどうなるのですか、と。

自分のなかにどれだけのルールをもっているか、ぜひ調べてみてください。そして、それはほんとうにあなたの意図や望みから生まれたものなのか、それとも単に“そういうもの”として疑うこともせず、無自覚に引き継いでいるだけのものなのか。

この世界にたったひとつでも例外があるとしたら、その掟は真実ではない。“そういうもの”という、それこそ“非科学的”なルールを、どうぞ捨て去ってください。
そして、本来のあなたとして存在する、あなた自身を生きること。

その在り方は、誰をも攻撃したり分離や排除などせずとも、間違いなくすべてと調和しよろこびに合流するものだと思います。


▽この画像を選んだあなた

無垢さ、無邪気さって、本来誰もがもっているもので、それこそが本質だと思うのですが、そのままで存在することがゆるされないというか、とかく自由を希求するひとほど多くの制限を自分のみならず他人にも強いたりするし、それは概ね社会、と思いきや身近なひとがそうだったりして驚いたりします。

世界はまっさらな部分をくもらせるものばかりな気がして、それも仕方ない、とはいえくもったままいくのかどうかは自分で選ぶことができる、というか、自分にしか選べないことなんですよね。

思うんです、実は結構いまってその無垢さ、無邪気さにむしろかえりやすいのではないかなって。だって、面白いくらい逃げ場がない気がして、だとするならば、本来の自分に戻るしかないんじゃないかなと。
理想とか夢とか逃避っぽく聞こえるかもしれませんけれど、じゃあ現実って何よ、って、そしてどれだけその現実という実はただの雰囲気に主導権を渡してしまっているのかと。

たとえば、こどもは平気で犬やねこのしっぽをわしづかみしたりします。何かと何かの“区別”や“分離”という感覚がそもそもないのかもしれません。その感覚、思いのすべてに“直”であること。楽しい、面白い、素敵だ、さて、これはいったいなんなのだろう。

それとそれの間に何をもさしはさまずサシで相対すること。
それが、自分と世界との本来の距離なのかもしれません。




■「2015年8月15日~☆全体のメディスン」

ひとの抱くおそれ、っていくつかのパターンに分けることができて、しかも最終的には生存についての不安、恐怖に集約されると思うんですけど、いや自分は死をこわいと思ってないんですよと言ったあるひとが、周囲から無視されたり孤立することにひどくおびえていて、じゃあなぜそれがこわいのかと聞けば、ひとりでは生きていけないから、となり、それ生存じゃん、と思ったんですが、あらゆることはやはりいのち、存在につながっている。

なんというか、いま、立っている、下にひろがるこの地面、それ自体が揺るがされているような感覚、物理的、比喩、どちらでもいいんですけれど、なんらかの気配をきっとほとんどのひとが感じているのではないかと思うんです。おどしているわけではなく、これから何か起こるんじゃないかといった予知的な話がしたいのでもなく、わたしたちはどうみてもこの地に生きている、暮らしてる、存在してる、肉体の事実として間違いなく。そして感じる、感じている。

いま、確かに自分の心臓は動き、呼吸は繰り返され、生きているという実感。これを自覚的に感じたことはあるでしょうか。

たとえばこの地面に自分の「足」という部分をしっかりとつけて立ったとき、感じることは何か。肉体のその他の部分、指はどうか、手はどうか、腰はどんなか、肩には痛みがあるかもしれない、首はどうか、息が吸い込まれるときの鼻腔、喉の粘膜、肺の感覚、血液の流れる音が聞こえたと言っていたひとがいましたが、全身をめぐる各体液の流れ、性質、自分というものを形成する部分細胞成分ははかりしれず、思うだけでくらくらとしませんか?

いま、まるでサバイブしなければ生きていけないような雰囲気を感じることもあるかもしれない。けれど、奪うように、あるいは奪われたものを取り返すようにしなければわたしたちは生存できないわけではない。少なくともいま、何もせずとも確かに存在している自分、その肉体、それらを支えている地面との接触、ただここにこうして立っているというあまりにもシンプルな感覚から、感じることに、意識を向けてみてもいいのじゃないかと思います。
そして、周囲を見渡せば、同じ成分でできているひとであふれている。


読んでくださってありがとう!
とりあえず、残りの夏をここちよく過ごしたいですね。

では、またそのうちに。


LOVE & ALCHEMY
ANANYA


ananya

■ANANYA(アナンヤ)PROFILE

'93年にネイティヴ・アメリカンの智慧を集約した「メディスン・カード」に出会い、それを元に自らカードを作成、ライフワークとして都内カフェ、雑貨店およびイベント等でリーディング・セッションをはじめる。「SONIC PLATE」暫定運営。タケ・ロドリゲス&ヒズ・エキゾチック・アーケストラにヴォーカリストとして参加。その他、チベットのマントラなどをモチーフとした手芸作品「prana」など。

ANANYAのサイト
・webDICEのANANYAのページ


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メディスン・カードをつかったリーディング・セッション行っています。
仕事、恋愛、人間関係等々、あなたが、いまいちばん知りたい情報をお伝えします。
大切なのは、「これからどうなるか?」ではなく、自分自身が「どう在りたいか」。
ここを起点として、ゴールに向かうためのポイントを一緒に探っていきたいと思います。

◆場所/時間/料金

※お問い合わせおよび詳細につきましては、ANANYAのサイトでご確認ください。


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