骰子の眼

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2015-06-12 19:20


チカーノになった日本人が米極悪刑務所を生き抜いた壮絶半生、映画クラウドファンド実施

塀の中のチカーノギャングとの仲間愛、KEIさんの奇跡的体験がドキュメンタリーに
チカーノになった日本人が米極悪刑務所を生き抜いた壮絶半生、映画クラウドファンド実施

クラウドファンディングサイトMotionGalleryとwebDICEとの連動連載、今回は「チカーノになった日本人」として知られるKEIさんを追うドキュメンタリー映画『HOMIE KEI』の2016年劇場公開を支援するプロジェクトを紹介。サカマキ マサ監督からのメッセージ、そしてKEIさんとサカマキ監督が出演したトークイベントのレポートを掲載する。

今回のプロジェクトでは、日本語字幕版のポスト・プロダクション費用のために、200万円を目標に2015年7月13日23:59までクラウドファンディングを行なう。集まった資金は、ポスト・プロダクション作業のほか、資料映像入手費用、劇場公開費用、宣伝費用に使用される。

今回のプロジェクトでは3千円から100万円までの支援を受け付けており、映画の前売りチケットはもちろん、5万円のサポートでカメラマン名越啓介氏撮影の写真集「CHICANO」プレゼントと映画のエンドロール・クレジットに名前掲載。10万円の協力で企業団体へ出張試写会&ディスカッションを開催できる権利を進呈。そして30万円の協力で、KEIさんが運営する「HOMIE MARINE CLUB」の1DAYチケットをプレゼントなど、金額に応じて様々な特典が用意されている。

詳細はMotionGalleryのプロジェクトページまで。


映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より

KEI プロフィール

1961年、東京・中野生まれ。少年期は阿佐ヶ谷と八王子で過ごす。その後は暴走族を経て、ヤクザの道へと進む。ヤクザ時代にハワイでFBIのおとり捜査にはまり、10年以上、ロスを始めサンフランシスコ、オレゴンなどの米刑務所で過ごす。刑務所内で知り合ったチカーノと呼ばれるメキシコ系アメリカ人との交流から、人生における大切なものを学ぶ。帰国後はその経験を生かし、カウンセリングやイベントを通し、若者と触れ合う。神奈川県平塚にて『HOMIE』というチカーノ系ブランドを経営し、本場のチカーノカルチャーを広める。自身の人生を綴った書籍『KEI チカーノになった日本人』が話題を呼ぶ。また湘南で「HOMIE MARINE CLUB」を運営する。




サカマキ マサ監督のメッセージ
「KEIさんの奇跡的体験を知る」

サカマキ監督

【映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』について】

私は偶然にもKEIさんと同じ時期をアメリカで過ごしました。
1980年代後半から90年代の約14年間、私は塀の外。KEIさんは塀の中。
90年代前半のニューヨークはまだまだ危険の多い、犯罪が絶えない街だった。夜な夜なストリートには酔っ払いやホームレスが蔓延っていた。しかし、90年代半ばになると物凄いスピードで街中はクリーンナップされ、浮浪者や低所得者たちが排除された。お陰で遊園地のように煌びやかで安全、犯罪のない土地となった。
が同時に、お金が無くてはこの高級繁華街では遊べなくなっていた。
ヘタクソな大道芸人もミュージシャンもいなくなった。そして、ストリートに子供達が笑いながら走り回る姿がほとんど見られなくなった。
その頃、KEIさんは塀の中でチカーノギャングたちと出会い、忘れかけていた家族愛、仲間愛を取り戻していた。まるで子供の頃に憧れていた先輩の大きな背中や我が身を犠牲にして守ってやったカワイイ後輩といった古き良き日本社会と同じ人間関係の中、見事に蘇生したKEIさん。
アメリカ刑務所の中で、日本のヤクザがアメリカ最凶のチカーノギャングと出会い、家族愛と仲間愛を教わり、地の果てから真っ当なライフを手にしようとする姿は、あまりにもエクストリームなストーリーであり、無縁社会と化した今、金でない、人との付き合いが難しい時代だからこそ、KEIさんの奇跡的体験を知ることは価値があると思います。
皆さん、この作品をよろしくお願い致します。


サカマキ マサ プロフィール

ロサンゼルスで映画を学んだ後、NYへ。そしてCMプロデューサーを経て、アメリカの撮影現場で演出や制作など多種なポジションで活躍。帰国後、2003年に日本人写真家、荒木経惟氏についてのドキュメンタリー映画「アラキメンタリ」を制作。この作品は2004年に日本全国劇場公開、続いてアメリカやヨーロッパにおける劇場公開・DVDリリースと展開。現在は海外の映像制作にクリエイティブディレクター/プロデューサーとして活動中。




「チカーノたちは、お金のために人助けをしない。
でも、仲間のためだったら体も張る」
KEIさん☓サカマキ マサ監督トークショー・レポート

今回のクラウドファンド実施にあたり、2015年5月20日、代官山「晴れたら空に豆まいて」にてKEIさん、サカマキ マサ監督、そしてチカーノ文化に詳しい宮田信さん(BARRIO GOLD RECORDS)を迎えてのトークセッションが行われた。当日は完成間近のドキュメンタリーからの映像上映を交え、今作の製作経緯についてトークが繰り広げられた。

宮田信(以下、宮田):最初に、サカマキさんはどうしてKEIさんについて映画にしたいと思われたのですか?

サカマキマサ(以下、サカマキ):『KEI チカーノになった日本人』(2009年/東京キララ社刊)を読んですごい!と思いました。KEIさんと僕はリンクしているところがあって、出身が同じ中野であったり、塀の中と外にいるだけの違いで、アメリカにいた時期も同じだったので、遠い存在に感じられなくて。最初は正直なところ、アメリカにいるときに『カラーズ』といった映画を観て、チカーノについてはマイナスなイメージがあった。そして、ヤクザという職業も暴力も好きではなかった。でも、KEIさんに会って、その人柄を知り、製作に踏み切りました。

KEI:最初にサカマキさんがうちの店に来たときに、あからさまに嫌な顔をしたんです(笑)。3回目くらいでやることになりました。

『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』トーク
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』トークイベントより、左からサカマキ マサ監督、KEIさん、宮田信さん

宮田:自分の人生を映像化されることについて、分かってもらえるんだろうかという不安はありませんでしたか?

KEI:子どもがいるので、映像が世にでることによっていじめられたりしないか、というのがいちばん心配でした。だからテレビもずっと断っていて、最近少し出演するようになってきましたが、それは子どもがある程度大きくなったからなんです。

宮田:サカマキさんはKEIさんを撮り始めて6年経つということですが、どういう部分から撮影をしていこうと?

サカマキ:最初はインタビューから入りましたが、すぐLAに行ったのが良かったです。でも現地で何があってもいいように、行きの飛行機で自分の娘に遺書を書きました。

もちろん事前にKEIさんの本は読んでいて、様々な資料や映像も見ていますが、本人からいろいろな体験談を聞いて、KEIさんとはどういう人なのかを調べながらカメラを回していきました。KEIさんは、毎日事件があるような、壮絶な人生を歩んでいる。だから、いろんな面白い話を聞くのですが、その様々なところに飛んだトピックを映像作品としてひとつのアーチになかなかできなかったのが苦労した点でした。

映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より

宮田:完成前の映像を観ていると、ロサンゼルスのいろいろなところから違うギャングがやってきて集まっている場所でKEIさんがリスペクトされているのが分かります。彼らとHOMIEと呼び合える仲になっていくなかで、チカーノたちがすごいなと思ったところはどういうところですか?

KEI:日本の(ヤクザの)組織の人たちは、昭和50年代の頃と、バブルが来た当時とでは、だいぶ変わってきたと思うんです。みんなお金で動くようになってしまった。だけどチカーノたちは、昔の日本のように、お金は関係ないんです。お金を持っている奴が強いとか、お金がないから弱いとかじゃなく、お金のために人助けをしない。でも、仲間のためだったら体も張る。それで懲役30年の判決を受けようが、自分の仲間をいじめるやつは自分が殺しに行く、というスタイルなんです。

宮田:そこには昔の日本人の助けあう精神、仲間意識と繋がるところを感じます。サカマキさんはカメラを回していて、どう思われましたか?

サカマキ:インタビューを撮っているときも、みなさんすごく真面目なんです。熱く自分たちのルーツを語る。チカーノとして生まれて誇りを持っていることを力説する。あのパワーがすごいんです。

映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より

宮田:刑務所にいるKEIさんのところに、血が繋がっていないメキシコの人たちが心配して来てくれるのはまさにチカーノ、メキシコ人の感性ですよね。

KEI:子どもの頃から育児放棄されて親に愛を受けずに育ってきたので、最初はそういう経験がなくて、多少とまどいがあったんです。けれど、次第に親近感を覚えていきました。月に2回、3回と、自分が刑務所から出るまで10年間、常に知らない人が会いにきてくれたんです。

サカマキ:KEIさんの人柄には様々なところがあって、もちろん楽しいところもあるからKEIさんが語る社会的な問題についても入っていけた。人間的な懐の深さがある人だからこそ、逆境にいて死ぬ手前までいっても楽しんで、まったくしゃべれなかった英語を勉強して、ペラペラになってカウンセリングの資格までとってくる。こんな人いないですよ。こんなKEIさんの存在を今の若い人に伝えられたら、と思っています。

映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より
映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』より

宮田:チカーノというスタイルは日本でも知られるようになってきましたが、違和感を覚えたことはありませんか?

KEI:日本に帰ってきたときに、チカーノの洋服が流行っていて、みんなスキンヘッドにしていてとまどいました。アメリカだと、スキンヘッドは「喧嘩上等」というサインですから。自分はチカーノの子たちと生活していて、刑務所でも19歳くらいから80歳くらいまでいるなかで、格好うんぬんよりも、心で繋がっていたんです。

宮田:チカーノはハートであり生き方であるということですね。現在KEIさんはどんな活動をされているのですか?

KEI:「HOMIE MARINE CLUB」で、育児放棄された子どもや親のいない子どもにマリンスポーツをさせて遊ばせたり、母子家庭の子どもを週末だけ預かってストレス解消してもらったり、うつ病のカウンセリングをしたり、それを全て無料で行っています。

サカマキ:KEIさんのマリンクラブにいくと、みなさん笑っています。パッと見は怖いですけれど(笑)、この笑顔がなかったら大変なことになるなって。KEIさんのやっていることを支援すべきですし、KEIさんの姿をこの映画で見せることができれば、社会の状況に一矢を報いることができると思っています。




【関連記事】

「チカーノファッションの店をやって最初は1年で2500万円の赤字を出して大変だった」KEI(2008-07-05)
http://www.webdice.jp/dice/detail/550/




『KEI チカーノになった日本人』
著:KEI
発売中

1,620円(税込)
221ページ
東京キララ社

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映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』

監督・構成・プロデューサー:サカマキ マサ
アシスタントプロデューサー:戸山剛
共同プロデューサー:中村保夫、YAS
撮影:加藤哲宏
編集:有馬顕/西川文恵
制作:Cicada Films、マウンテンゲートプロダクション
2015年/日本/90分/カラー/デジタル

公式サイト:http://homie-kei.com/

MotionGalleryプロジェクトページ:
FBI囮捜査にハマったヤクザが、殺人・抗争だらけの米国刑務所を生き抜き、ギャングから学んだ愛と絆を現代に一石投じる映画!
https://motion-gallery.net/projects/homie-kei

▼映画『HOMIE KEI ~チカーノになった日本人~』予告編

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