骰子の眼

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東京都 渋谷区

2015-05-31 17:00


『ピュ~ぴる』があったから『トイレのピエタ』が生まれた。松永監督Xピュ~ぴる対談

特集上映「松永大司監督七番勝負」渋谷アップリンクにて6/5(金)まで開催中
『ピュ~ぴる』があったから『トイレのピエタ』が生まれた。松永監督Xピュ~ぴる対談
映画『ピュ~ぴる』より

RADWIMPSの野田洋次郎が初の映画主演を務める『トイレのピエタ』の6月6日(土)からのロードショーを記念して、松永大司監督の過去作品の特集上映「松永大司監督七番勝負」が渋谷アップリンクにて一週間にわたり開催。初日となる5月30日(土)は、松永監督のドキュメンタリー映画デビュー作『ピュ~ぴる』(2010年)が上映された。今作は、性同一性障害を持つ男性として、そして新進アーティストとして、模索を続けていたピュ~ぴるさんの2001年からの8年間に密着したドキュメンタリー。上映後は、ピュ~ぴるさん御本人を迎えてのトークショーも行われた。『トイレのピエタ』のプロデューサー、甘木モリオさんを司会に、旧知の友人である二人から出会いや制作時のエピソード、そして表現に対しての思いが語られた。

『ピュ~ぴる』はこの後、6月3日に手塚眞監督、6月5日に鈴木亮平さんをトークゲストに迎え上映(5日は満席のため予約終了)。「松永大司監督七番勝負」はその他、青木崇高さん、内田慈さん、岡山天音さん、門脇麦さん、松江哲明監督といった豪華ゲストを迎えて6月5日まで開催される。

また、最新作『トイレのピエタ』の未公開シーンを含んだメイキング映像も連日上映される。

被写体との距離感を大切にする(松永大司)

──この『ピュ~ぴる』作るきっかけと、お二人がお知り合いになったきっかけを教えていただけますか。

松永大司(以下、松永):19歳ぐらいのときに、芝浦ゴールドというクラブに毎週のように通っていて、友達を通じて紹介してもらいました。未だに忘れられないのですが、JR田町駅のトイレからダチョウのコスチュームを身につけた人が出てきて「Hi! ピュ~ぴるです」と言われ、「うわぁ、この人イカレてんなぁ!」と思ったのが最初の出会いです。それ以来、友達として会うようになりました。

芝浦ゴールドがなくなって、ちょっと音信不通になっていたんですが、なにかをデザインしてほしいということでお願いしにいって、また付き合いが再開したんです。

ピュ~ぴる:ドアをデザインしてほしい、って話でした。なんか、“どこでもドア”的なドアをデザインしてほしいって……。

松永:今、聞いても、なんでそれを発注したのかまったく覚えてないんですけど!(会場笑い)

ピュ~ぴる:そのときに、「最近撮ってるんだ」みたいな話になったので、じゃあ私を撮ってよ、といったのが映画『ピュ~ぴる』の始まりです。

「松永大司監督七番勝負」初日の『ピュ~ぴる』上映後のトークショーにて、ピュ~ぴるさん(右)、松永大司監督(左)
渋谷アップリンクで開催中の「松永大司監督七番勝負」初日の『ピュ~ぴる』上映後のトークショーにて、ピュ~ぴるさん(右)、松永大司監督(左)

松永:僕は専門学校にいって映画の勉強をしたわけじゃないんですが、とにかく何かを撮りたいと思っていた時期だったんです。その頃なにかを撮りたい!と強く思っていて。友達からソニーのVX1000というカメラを借りて、作品が完成するかも公表するかも分からない状態でしたが、とにかく友達(ピュ~ぴるさん)を撮るというところから始まったんです。

ピュ~ぴる:その頃私はいつも「いつ死ぬか分からない」という気持ちを持っていて。そのぐらい強い気持ちでモノ作りに取り組んでいたんです。『ピュ~ぴる』の冒頭、2001年頃は青年なんですけど、だんだん撮っているうちに、私自身の肉体の変容もあり、精神的な盛り上がりもあり、大司の撮りたい熱と私の撮って熱とが、お互い相乗効果であがっていったようなところはありますね。

松永:当時の僕はビルの窓拭きのバイトをやっていて、時間だけはあったので、カメラを持ってピュ~ぴるの家にいっては、何を撮るでもなくずっと三脚を立ててただカメラを回している、ということがよくありました。

──そこから完成まで9年近くかかっているのですが、制作途中でこれをどういうふうに形にしていこうかとか葛藤した時期もあったのではないですか?

松永:この作品は2008年までのピュ~ぴるの記録なんですが、実はこの先もまだまだ撮っているんです。もともと2部作にしようと思って編集を始めました。この2008年の時間軸の中で、とても大きな出来事をごっそりと落としているんです。ピュ~ぴるは、性転換手術のためにタイに行ってまして、そのとき同行していた撮影の近藤龍人から「松永さん、そろそろまとめらどうですか?」といわれ、「じゃあ、まとめようか。」って。そうして作品をまとめはじめたんです。

──ピュ~ぴるさんにとってその8年間はいかがでしたか?体の変化もあったでしょうし、松永さんとの「撮る」「撮られる」という関係性のなかではストレスなどもあったのではないですか?

ピュ~ぴる:ストレスってことはないですね。でも、映画には出てないですが、言い合いになったりケンカになったことはよくあります。居酒屋で電話しているシーンの前も「なんで撮らないの!」ってケンカしてて……。

松永:その居酒屋のシーンの前で、僕はピュ~ぴるから説教されてたんです!

ピュ~ぴる:私もその頃からホルモン剤投与などをやっていたので、感情のアップダウンも激しいしキツい時期でした。タイの手術なども含め、全身麻酔をするような手術も何回かやっていて……。壮絶すぎて、麻酔のせいもあって記憶も飛んでるんです。でもそういうときに、ふつう一人で手術を受ける人が多いと思うんですが、私の場合は撮影もあったので、一緒にいてくれる友達が何人もいて、私がぎゃーぎゃー騒いでも受け止めてくれて……それはとても有り難かったです。

松永:これは僕のドキュメンタリーを撮る時のスタンスなんですが、距離感をとても大切にしているんです。目の前の出来事や対象に対して、僕からのサジェスチョンや意見は一切言わないようにしてるんです。ただ、そこにいる、ということに徹しようと思って。距離が近いんだけど、必要以上にコメントしない。

だけど、ピュ~ぴるのほうは僕のことを、撮影もしているけど一親友だとも思ってくれているわけで。だからいろんな悩みや感情を話してくれるんですが、僕は撮っている時はコメントしない。

その居酒屋の時は、ピュ~ぴるから「私はカメラにむかってしゃべってるんじゃないのよ!私はあなたにむかってしゃべってるのよ!」って言われて。でも俺は踏み込みたくないんだみたいに応えて、そこから大ケンカになっちゃって……(笑)。

──じゃあ、二人が会う時は必ずカメラを回していたんですか?

松永:そうです。作品として撮り始めてからは、カメラを持たずに会ったことは一度もないです。

ピュ~ぴる:そうですね。ちょっとした集まりにも絶対持ってきて回してましたね。

大司との関係性も、この人はこうなんだな、と言い合ってるうちに分かってきて、一人の作家としてリスペクトするようになりました。

タイの手術がおわってすぐに、横浜で大きな展覧会があったのですが、タイに行っている間も、単純作業はボランティアさんに進めておいてもらうようなギリギリのスケジュールで進めたんです。普通は、そんな大きな手術をしたら、術後は2、3週間ベッドで安静にしてなくてはいけないのですが、杖と車椅子で毎日当時住んでいた青山から横浜まで通って。出品する38枚の連作ポートレイト撮影では、まだ体が腫れたりしていて立ち上がることはできなかったので、スタジオで頭上に鉄パイプを設置して、それにぶらさがるような形で上半身や下半身の写真を撮ったりなど、自分を追い込んでいきました。今振り返ると、自分でもすごかったなって。自分自身に狂気を感じます。でもそれぐらいしないと、今ここにこうやっていなかったのかもしれない。逆にいうと、モノ作りに対してそれぐらいの強い気魄(きがい)をこめています。

松永:たしかに、目の前で実際に起こっていることがすごかったので、それに対して僕がなにかコメントすることは、もう陳腐だな、って。だって例えばたった一週間会ってなかったりすると顔が変ってたりするんですよ。

映画『ピュ~ぴる』より
映画『ピュ~ぴる』より

ピュ~ぴる:その当時は、タイの手術の前に顔だけで30回以上手術をしていて。ミリ単位で修正、とか、もう誰も分からないような修正をしてました。もともと強迫神経症の病があったので、そういう強迫癖みたいなものの延長だったのかもしれません。

最後の横浜トリエンナーレの1週間ぐらい前に去勢手術をしたんですが、本来ならばその時期は寝ていなければならない時期なんです。でも、敢えてそういう状況でやらないと伝わらないと思った。立ち上がれる最小限の時間とか計算して、状況をすりあわせたうえで、そこに持っていった。改めて映画でその自分を観たときに鳥肌がたちました。やっているときは、ここから落っこちて死んでもいい、なんて思ってたし。映像で観ると自分でもびっくりです、怖いなこの人、みたいな(笑)。

松永:高所恐怖症なんですよ、本当に。でも、あの衣装着て、本番のときだけはがんがん上っていって。そこはね、スイッチが入るんですよ。普段はすぐピーチクパーチク言ってるんですけど(笑)、モノ作っているときとパフォーマンスやるときは、やっぱりかっこいいんですよ!男前なんですよ。

一周まわって、ジェンダーとか性別とかどうでもよくなった(ピュ~ぴる)

──そういう狂気にのめりこんでいく被写体でもあり芸術家であり友人でもあるピュ~ぴるさんに対して、さきほどおっしゃっていたような距離感を保つ、といっても、人間同士なのでそうもいかないこともあったのでは?

ピュ~ぴる:それはありましたよね。実際にそばにいるわけですし。カメラを回しているんですが、もちろん友人なんで、いざって時はその感情は出ちゃいますよね。

松永:映画で描いている去勢手術のときは、僕が保証人としてサインもしていますしね。僕としては、カメラを構えている時は一線を画したい、前へ出ないようにしようと思ってましたけど、目の前で実際に大切な友達が苦しんでいる。すごい狂気を追求していくなかでいろんな葛藤があって、ピュ~ぴるは、ただ言葉で言っているだけではなくて実行に移して、そして苦しんでいる……。

去勢手術した後に、親に申し訳ないって泣いているシーンがあるんですけれど、カメラには写っていないんですが……。

ピュ~ぴる:手を握っててくれたんだよね。

松永:僕も泣いちゃいましたよね……。やっぱり自分もすごく感じるところがあって。そういう部分で、画面には映ってないけれど、僕のピュ~ぴるに対する愛情はものすごくあるし、映画にあらわれていると思います。

ピュ~ぴる:私、実はこの映画が2011年に公開されたんですが、しばらく怖くてほとんど観られなかったんですよ。だんだん気持ちが落ち着いて消化されてきて、ようやくビデオで観れたんですが、やっぱり最初と最後で自分の笑顔が違うんですよね。物理的にではなくて、気魄というか、目に見えない部分で。大司やスタッフとの関係性とか、私自身の空気とか。

それから、最近マニッシュなスタイルが気に入っていて。2007年に性転換手術をして、帰国後、裁判所に法的に性別を変える手続きをするため、自分の歴史みたいなのを書いたり書類を集めたりしたんです。時間とお金をかけてそこまでしたのに、今なぜかマニッシュなファッションが気に入ってる、っていう。ボーイッシュなデニムにシャツに……。一周まわって、ジェンダーとか性別とかどうでもよくなっちゃったんです。男なの?女なの?どっち?って思われるのも、もうどっちでも好きに思って下さい、って。当時はそういうふうに思えなかったんです。女性としてみられたいと思っていた。今は、女性になったうえでのファッションとして、つけひげをつけて遊んでみたりとか。女性として原型をつくったうえでのオシャレ、遊びを楽しんでます。当時は原型、土台がなかったんです。まず土台をつくりたいと、彫刻と同じだと考えていたんです、当時は。切り刻んで自分が理想とする自分を、男でも女でもない、でも性器的には女だと。私の場合、ちょっと変ったジェンダー意識なんです。LGBTってとても細分化されていて一人一人皆違うっていうか。

本当にさらけだすし、ちゃんと焼き付けろって思ってた(ピュ~ぴる)

──映画のなかで「愛されたい。愛されるように自分を変えていきたい」って言っているシーンもありましたが。

ピュ~ぴる:それだけだと、全身麻酔して手術とか、あれほどのことは出来ないですよ。出来る人もいるかもしれないけれど。やっぱりジェンダーアイデンティティです。男性として生まれたことに違和感があったことが元で、さらにアーティストとしても、自分の美の理想としての男性でもない女性でもない美の源泉みたいなもの、それは中性的なものでないかと考えているんです。それに肉体を合わせつつ、もとから持っている性同一性障害というものと、アーティストとして美を追求していく部分とがどこかで戦っていたなかで、ああいった発言をしていたところがあります。女性になりたいという性同一性障害からくる意識と絶対に譲れない美意識と両方あって、そのせめぎ合いがあった。当時はそんなに理論的に認識はしてなかったんですが、振り返れば、性同一性障害とアーティストとしての格闘、悩みが同時に起きていたんだと思います。

映画『ピュ~ぴる』より
映画『ピュ~ぴる』より

──松永監督から見て、性転換手術などいろんなターニングポイントで、ピュ~ぴるさんのアート自体になにか変化などを感じられたことはありますか?

松永:僕は現代アートの評論家でもなんでもないのですが、出会った頃から自分のために表現していて、とくにターニングポイントで変化ということではなかったと思います。作家として、毎回毎回何かに対して作品を作るというスタンスだから。さっき、ピュ~ぴるも言っていたように、自分のアーティストとしての欲望と人に愛されたいという欲望とが混在して、苦しんでいたと思う。

ピュ~ぴる:混沌としてたんだよね。カオスになっちゃってる。

松永:ピュ~ぴるは出来事と作品とがリンクしている人なんで。鋭い人だし、作品であれなんであれ、理由があってそこにたどり着く。だからそういう意味でどこかがターニングポイントというよりは、毎回毎回その時のことが作品になっているな、と思います。

ピュ~ぴる:その後しばらく私、作品を作らない時期があったんですよ。実は私、結婚しまして、大切なものはその人との時間で。新作のオファーなどもあったんですが、葛藤はあるものの、どこかで気持ちがのらないまま制作に入っても、それが出てしまうので、気魄が込められない時に無理に作ることはないか、と。

でもここ半年ぐらいは逆にすごく制作意欲が湧いているんです。違う形での表現、怒りみたいなものがあって、それを追求していて、実は毎日彫刻に取りくんでいるんです。

──それをまた松永監督は撮られるのですか?

松永:ピュ~ぴるとこんなに長い時間会うのは2年ぶりぐらいで。もし撮るとなると、パッといってさくっと撮るみたいなことではなくて、自分自身の落としどころがあってから撮りたいです。

ピュ~ぴる:私自身もさっき言ったように作品を作らない時間があったときは会うのが嫌だったんです。恥ずかしいっていうか。大司とは自信を持って会いたいです。だから、これからは撮っていいわよ!

松永:(笑)。

ピュ~ぴる:それぐらい、今はいい気魄を持って作品を作ってるんです!

松永:そうなんです、いつもこういう風に遠回し!?に言うんです。「今日撮りにきたほうがいいんじゃない?」って(笑)。

ピュ~ぴる:私的に撮り時よ!みたいな。激情型だし!

松永:すごくうまく使われていることもあったんです。当時、撮影しにきたほうがいいわよ、って言われて行ったら、引っ越し手伝わされたり!

ピュ~ぴる:うちの旦那さんもそういうの分かってるみたいで、適当に流されたりしてます(笑)

でも今も当時も変らないのは「時間がない」ってこと。みんなと同じ時間が与えられているはずなんですが、でもきっと人生なんてあっという間じゃないですか。だから思ったことはどんどん言うし、我慢したくないんです。

──続編の予定は?

ピュ~ぴる:うーん、そういうのは自然発生的なものだと思うんですよ。

松永:うん、今日久々に制作してるんだって聞いたんで。

ピュ~ぴる:そうなんですよ。このトークショーについても2、3回メッセンジャーで「よろしくお願いします」みたいなメールが来て(笑)。

でも本当に信頼しているんです。一緒に海外に行ったり映画祭に行ったり、そういうときは友達だし。2年ぐらい会わなくても、遠くにいっちゃうなんて思わないですし。

松永:中途半端な距離感を嫌うんですよ。撮るんだったら撮らないとうるさいし!『ピュ~ぴる』で、とても濃い時間を一緒に過ごしましたからね。いろんな大変な事態もあったりしたけど、それでもカメラを回し続けて。そういう時間の共有具合ってすごいな、と。

ピュ~ぴる:修羅場とかもありましたし、一方で大変なときに傍にいてくれたり。濃かったよね。

松永:半端な覚悟じゃなかったよね。僕は半端な覚悟でここにいるんじゃないんだ、ピュ~ぴるも私はすべてをこの人にさらけ出すんだ、っていうのがありました。

ピュ~ぴる:本当にさらけだすし、ちゃんと焼き付けろって思ってた!

本当にいろんなことがありましたが、想像を絶する痛みで気が遠くなりそうになりながらも「早く撮って」と思ってました。

ドキュメンタリーもフィクションも区別はない(松永大司)

──この『ピュ~ぴる』をはじめドキュメンタリーをたくさん撮ってきた松永監督ですが、この6月に初めての劇映画『トイレのピエタ』が公開になります。

松永:ぼくは友達にカメラを借りてピュ~ぴるを撮ろうと思い立ったとき、とくにドキュメンタリーを撮ろうとかフィクションを撮ろうとかの区別はなく、何か作品を作りたいと思ってたんです。当時、脚本家の向井康介くんと実際に長編用の脚本を書いてもいました。でもその時の僕には技術的にも環境的にも作品を作ることはできなかった。でも、そういうことをやりつつドキュメンタリーをやっていたのは、とにかく目の前で起こっている強烈なことをカメラに撮ることができたなら、なにかしらの作品になるのではないか、というすごく単純な発想だったんです。表現をするという意味ではドキュメンタリーもフィクションも区別はなかったんです。

もともと僕にとっては映画といえばシナリオのあるフィクションのものです。結果として先にドキュメンタリーを撮ってそれを発表したことになるのですが、『トイレのピエタ』も10年前に出会った手塚治虫さんの病床日記からのアイデアをいつか映画にしたいなと思っていたので、自分の中ではずっとつながっているものです。想いとしては一緒です。

映画『トイレのピエタ』より ©2015「トイレのピエタ」製作委員会
映画『トイレのピエタ』より ©2015「トイレのピエタ」製作委員会

──私も、実はアーティストとしてのピュ~ぴるさんに興味があって2011年の『ピュ~ぴる』公開時に初日に見に行ったんです。そこでピュ~ぴるさんと松永さんが舞台挨拶をされてました。当時はなんだかお二人の顔が似ているなぁと思ったぐらいで、まさかその後将来一緒にお仕事をする監督になるとは思ってませんでした。『トイレのピエタ』のもう一人のプロデューサー、小川真司も『ピュ~ぴる』を見て松永監督と仕事をすることになったので、言ってみればピュ~ぴるさんと『ピュ~ぴる』があって『トイレのピエタ』があると言えるのでは、と。

松永:そうですね。間違いなく『ピュ~ぴる』がなければ『トイレのピエタ』は生まれてなかったと思います。それぐらい『ピュ~ぴる』は僕の中で大きいです。震災直後の公開で、余震も続くなか最初はお客さんも全然来なかったんです。口コミで徐々に広がっていって、最終週はお客さんが詰めかけてくれたんですが、やっぱりなかなか難しいものがありました。

ピュ~ぴる:でもね、いまだにDVDで『ピュ~ぴる』を観ました、感動しましたってメールが私のホームページ宛にくるのよ。定期的にくるよ。男とか女とかストレートとかゲイとか関係なくね。

松永:『トイレのピエタ』のスタッフさんにも「私『ピュ~ぴる』観てます」って言われたりして嬉しかったです。この『ピュ~ぴる』をきっかけに、僕の尊敬する映画監督にかわいがってもらえたり。

たった二人ではじめた作品だけど、しっかりと想いを込めればちゃんと伝わるものになるんだなと感じた。映画としては本当に未熟で、最初のころはフォーカスも合ってないんですよ。ピュ~ぴるをインタビューしているのに後ろにピントが合ってたりする。でもそんなことどうでもよかったな、って。想いの強さがあった。最初にこういう作品を作れたってことは自分の中でも強みになっている。

ピュ~ぴる:それはアートでも一緒だと思います。技術を凌駕するものってありますよね。じゃないと意味がないなって思ってます。

評論家にだけ褒めてもらえるような、小手先だけで作るようなものでなくて、圧倒的な美、を作りたいんです。丁か半か、ってよく言ってたんですけど、中途半端なものでなく、圧倒的なもの。

松永:意外と王道なんです。ミーハーだしイチローファンだし(笑)。

昔言っていて印象的だったのが「私の夢はガチャガチャに自分の作品が入っていること。そして子供が自分の作品見て『これダセーな』っていって捨てられちゃうぐらいチープで大衆的な感じ。そこまでいったら逆にすごいんじゃないか」と言っていたことです。それを聞いて、その発想ってすごいなと。アーティストだし、作っているものだってとんがってるのにド真ん中にいこうとしている。

ピュ~ぴる:意外にマダムのファンも多いんです(笑)。『トイレのピエタ』はまだ観られてないですが、公開になったら、ぜひ大きいスクリーンで、旦那と両親と皆で見に行こうと思っています。両親も大司を応援しているので。

松永:『ピュ~ぴる』を制作し公開したときもそうだったんですが、一人でも多くの人に劇場に足を運んでもらいたいなと思っています。もし今日『ピュ~ぴる』で何かを感じてもらえたら、ぜひ『トイレのピエタ』も見ていただきたいです。

(構成:駒井憲嗣)



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映画『トイレのピエタ』
2015年6月6日(土)より新宿ピカデリー他全国公開

映画『トイレのピエタ』より ©2015「トイレのピエタ」製作委員会
映画『トイレのピエタ』より ©2015「トイレのピエタ」製作委員会

余命宣告された青年と孤独な少女が、世界の片隅で出会い、互いにしがみつくように恋ではない恋をする。私が生きてるんだから生きろ―。少女の叫びはいつしか青年に生きる力を与えていく。青春の儚さと生命力に溢れ、生と死がスパークする切ない恋愛映画。主人公・園田宏役に抜擢されたのは、絶大なる人気を誇るロックバンド「RADWIMPS」のリード・ボーカル&ギターの野田洋次郎。注目度ナンバーワンの若手女優の杉咲花がヒロインに抜擢された。

出演:野田洋次郎 杉咲花 リリー・フランキー 市川紗椰 古舘寛治 森下能幸 澤田陸 MEGUMI 岩松了 大竹しのぶ(友情出演) 宮沢りえ
監督・脚本:松永大司
原案:手塚治虫
主題歌:野田洋次郎(RADWIMPS)「ピクニック」(ユニバーサル ミュージック)
製作:高橋敏弘/巖本博/和田倉和利/善木準二/岡田哲/小川昭/清水英明
エグゼクティブプロデューサー:吉田剛/江守徹
プロデューサー:小川真司/甘木モリオ
原作:松永大司『トイレのピエタ』(文藝春秋刊)
音楽:茂野雅道
撮影:池内義浩
美術:愛甲悦子
作画:林田裕至
照明:原由巳
録音:橋本泰夫
編集:宮島竜治(J.S.E.)
製作:松竹/巖本金属/シネバザール/voque ting/夢番地/ブリッジヘッド/SPACE SHOWER TV
制作:シネバザール/ブリッジヘッド
配給:松竹メディア事業部
宣伝:オデュッセイア/ブラウニー
2015年/カラー/120分/ビスタ/5.1ch
©2015「トイレのピエタ」製作委員会

公式サイト:http://toilet-pieta.com
公式Facebook:https://www.facebook.com/toilenopieta
公式Twitter:https://twitter.com/toilet_pieta



映画『トイレのピエタ』公開記念:
特集上映「松永大司監督七番勝負」
2015年5月6月5日(金)まで渋谷アップリンクにて開催中

「松永大司監督七番勝負」トークゲスト
「松永大司監督七番勝負」トークゲスト、上段左より、青木崇高、内田慈、岡山天音、門脇麦 下段左より、手塚眞、ピュ~ぴる、松江哲明、鈴木亮平

各日19:50開場/20:00上映開始
料金:一律1,000円/『トイレのピエタ』の前売券をお持ちの方は1作品800円

最新作『トイレのピエタ』の未公開シーンを含んだメイキング映像を連日特別上映
映画初体験のミュージシャン・野田洋次郎は、いかにして『トイレのピエタ』に挑むのか?撮影現場を唯一記録した密着ドキュメントの第一章

ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/movie/2015/37379




『ピュ~ぴる』

6月3日(水)上映 トークゲスト:手塚眞
6月5日(金)上映 トークゲスト:鈴木亮平

監督:松永大司
出演:ピュ~ぴる
2010年/93分




『GOSPEL』

6月1日(月)上映 トークゲスト:松江哲明

監督:松永大司
プロデューサー:飯塚冬酒
製作:株式会社カスタネット
配給・宣伝:GACHINKO Film
2014年/56分




『MMAドキュメンタリー HYBRID』

6月2日(火)上映 トークゲスト:青木崇高

監督:松永大司
音楽:MY FIRST STORY
配給:ライブ・ビューイング・ジャパン
2013年/104分




短編集『かぞく』『おとこのこ』『死と恋と波と』

5月31日(日)上映 トークゲスト:岡山天音、門脇麦
6月4日(木)上映 トークゲスト:内田慈

『かぞく』

出演:高野春樹、南部真人、金原有亮
脚本・編集・監督:松永大司
製作:ARC vision、スクラムトライ
2012年/20分

『おとこのこ』

出演:清水尚弥、吉原拓弥、内田慈、磯貝奈美、吉永秀平、山下容莉枝
脚本・監督:松永大司
製作:特定非営利活動法人 映像産業振興機構(VIPO)
制作プロダクション:松竹株式会社 映像製作部
2011年/30分

『死と恋と波と』

出演:岡山天音、門脇麦、森下能幸、深水元基、北浦愛
監督・脚本:松永大司
原作:井上靖「死と恋と波と」(短編集「愛」角川文庫)
プロデューサー:小川真司、奥田佑子
製作:ユマニテ
制作プロダクション:ブリッジヘッド
2014/28分
※日本初上映


▼映画『トイレのピエタ』予告編

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