骰子の眼

cinema

2015-05-27 21:25


6年間の取材で捉えた法王の「とらえどころのない」素顔、映画『ダライ・ラマ14世』

監督が語る、平和への道を選択し続けてきたチベット仏教最高指導者の知られざる一面
6年間の取材で捉えた法王の「とらえどころのない」素顔、映画『ダライ・ラマ14世』
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film/Taikan USUI

1989年にノーベル平和賞を受賞した僧侶、ダライ・ラマ法王14世を追ったドキュメンタリー『ダライ・ラマ14世』が5月30日(土)より公開される。今作は、写真家の薄井大還が1991年に法王のポートレイト撮影を許可されたことをきっかけに、チベット亡命政府からドキュメンタリー映画製作の許可を得て撮影が実現。6年間密着したカメラは、関係者以外禁じられた場所まで入り、日々の課題を学ぶひとりの僧侶としての法王の姿を捉えている。誰もが聞き覚えがあるが、その人物像について語られることのなかったダライ・ラマ14世の素顔を描くとともに、街角で「ダライ・ラマ14世に聞きたいこと」を募り法王自身が答えるという試みにより、ユーモラスな一面も映し出している。

今回は、ダライ・ラマ14世のメッセージを浮き彫りにするこの作品を完成させた、光石富士朗監督のインタビューを掲載する。

圧倒的な説得力、言葉に何かが宿っている

──この映画にたずさわる前は、ダライ・ラマ14世についてどう感じていましたか?

当時の私の理解は漠然としたイメージだけのものでした。チベット仏教の最高指導者であり、輪廻転生にて選任されたこと、また、中国の少数民族問題としてのチベットという認識。それらが漠然と知識としてある程度でした。北京オリンピックの時にさらに詳しくチベット問題のことを知り、天安門事件の時にも思いましたが、国というものがある民族なり人々を強権的に支配するということは長く続くことはないはずだと、希望も含め、そのような感想を憤りながら感じていました。

映画『ダライ・ラマ14世』 光石富士朗監督
映画『ダライ・ラマ14世』の光石富士朗監督

ダライ・ラマ14世にはこれらの漠然としたイメージを投射していたように思います。それとローマ法王の存在とがかぶり、優しく、静かに平和を願っている人というイメージを持っていたように思います。

考えてみれば私が生まれた時には、すでにチベットという国はなく、学校でもそのあたりのことを学んだ記憶はありません。私も出発点は本作の語り手と同じ目線でありました。チベット問題のようなことをどのようにして知り、捉えて行くかという課題については自分の怠惰も含め、チャンスが無かったように思います。

──本作が出来上がった今、ダライ・ラマ14世とはなんだと思いますか?

非常に難しい質問です。ダライ・ラマ14世に関しては、「奥が深く、とらえどころのない」という言葉がまず出てきます。物事を分かりやすく話されますし、気さくな性格も相まって、分かりやすい印象を持ちますが、「理解したかな」と思った瞬間、フイに遠くの方にいる。これは仏教に似ています。「理解した」と感じた時にはそこに答えはなく、次の問がさらに遠方へと自分を導いて行くのです。これはダライ・ラマ14世の話す言葉が神秘であるということではなく、たとえば同じ話を同じ言葉で私が話しても、どうしても説得力にかけるといったことがおきる。圧倒的な説得力とでもいいましょうか、ダライ・ラマ14世の存在から発せられる言葉に何かが宿っているのを感じます。この力の源が大きく、重層的、多層的なのだろうと思います。ですから視野の狭い捉え方ではとても見切れるものではないことを感じるのです。「大きい存在」「気さくな人」「偉大なる宗教家」どのような言葉を使ってダライ・ラマを形容しても、どこかピタリと当てはまらない感覚がついて回ります。それでもミステリアスであるとか、すごいオーラを出しているという訳でもない……。

編集素材を見ていて気がついたことがあります。例えば政治家と話をしている時のダライ・ラマ14世の顔は政治家の顔になります。海外記者クラブの取材には、彼らの目的を充足させると同時に、チベットの主張を訴える目的のはっきりとした顔。そして一般の人々と話すときは普通のひとりの人間として、または法話を行う僧の顔、また子どもが相手である時には子どものような顔になります。おそらく相手のレベルに自分を合わせるというか、相手を理解するために合わせていく、そして相手の問いかけに一番合う話をするべき体にしているのだと思います。昔の人はこのような所を千手観音のような菩薩に例えたのでしょう。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』の光石富士朗監督

また震災後、岩手県の石巻に法要のためダライ・ラマ14世が来日したときのことです。催しを企画した日本のスタッフの思惑として、“津波に根こそぎなぎ倒されたガレキに向かい、手を合わせるダライ・ラマ14世”という絵を撮るために立ち位置などを事前に入念に決めていたようでした。私はそれとは関係なく本作の取材のために現地入りしていました。そして、いざそのチャンスの段になり、イベントのスタッフが一生懸命説明を試み、合掌をするように促したのですが、ダライ・ラマ14世はそれを相手にすることなく、来場した人々を抱擁するだけで、スタッフの思惑には乗らなかったのです。私は近くで撮影をしていたのですが、なんというかその感覚の鋭さに驚いた記憶があります。今現在、政治的活動はされていませんが、かつてダライ・ラマ14世が海外にいかれる理由の一つに、海外のマスコミの取材に応じ、チベットの現状を訴え、また平和への訴えを通じ中国に対話の機会を作らせることがありました。当然、写真撮影なども要求されるのですが、このように必要以上の作為といいましょうか、自然ではないことへの強要には体が自然に反応し、それを柔らかくかわしているように感じました。この感覚も「とらえどころのない」という理由の一つです。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

──それでは、ダライ・ラマという「制度」についてはどのように考えていますか?

この問いについても今の私には大きすぎ、なかなか理解できるものではありません。とはいえ、視点をもたない限り、作品を作りあげることもできません。ここでは私が作品を作るにあたりヒントにしていったことを話すことにします。

ダライ・ラマは、やはりチベットの人々にとって大きな精神的支柱なのでしょう。これは間違いありません。とてつもなく大きな支柱です。それと同時にチベットの人々の仏教に対する信頼と、誇りの大きさを感じます。資料映像の中に、若い時のダライ・ラマ14世がポタラ宮で多くの高僧に囲まれながら、教典を学んでいる映像がありました。その風景は仏教を幼い頃から学び、多くの教典を理解し、実践する者への大きな信頼を感じさせるものでした。その時、私は昔読んだ仏典、「ミリンダ王の問い」の転生の章を思い出し、読み返し、転生についても考えました。また、仏陀の教えの中に「私の言葉を直ぐに信じるな。自分自身で確かめ、証拠に基づいて、自分の智慧で理解せよ」というものがあります。ダライ・ラマ14世もよくお話になることです。ここには、「ただむやみに信心をするのではなく、自分の理解したことを実行せよ」という現実的な意味があると同時にどこか、民主的な匂いも感じます。そして最近ダライ・ラマ14世が述べた「私の転生者を必要とするかどうかを最終的に判断する権利はチベット国民にある(2015年4月)」という考えも民主的な考えに基づいたものだと思います。

「世襲制度ではない転生者という神秘」「仏教への大きな信頼と誇り」「仏教の現実性」そして「民主的な考え」。これらが「ダライ・ラマという制度」を理解する上での私のヒントであり、今も考えているところです。そして、この問いは、人間とはどのようなものかという問いも含むようになりました。

これらに鑑み、ダライ・ラマ制度も含めたダライ・ラマ14世という存在を考えた時、世俗の一人である私が考えうることは「全ての事象を現実のものとして受け入れてきた人である」ということです。それも、とてつもなく大きな現実であり、数々のジレンマと苦渋に満ちたものと向き合い、考え続け、様々な選択肢を吟味し、他の道を取らず、ひたすら平和の道を選択し続けて来た人であるということです。おそらくこの連続の中に多層的、重層的な力の源、考え方と行動、そして慈悲をひたすら自分の心に言い続けていた包容力があるのでしょう。これは、神秘ということではない、人間のできうる最大限の努力の上に培ったもののような気がします。これが私のダライ・ラマ14世への現時点での感想です。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

「子どもたちを信じ、
子ども達に考える時間を与えてください」

──チベット亡命政府のあるインドのダラムサラでの取材で、チベット子ども村での子供たちの言葉や表情が非常に印象に残りました。あの豊かさはどこから生まれたと思いますか?日本の若者たちの答えとの差をどう感じましたか。インドの都市・ダラムサラでの取材の様子を聞かせてください。

チベット子ども村ではまず、日本でいう理事長さんにご挨拶に伺いました。本題に入る前に「このたびはお忙しい中、お時間を割いていただきありがとうございます。私もチベット問題を憂うるひとりの人間です」そのような挨拶を始めました。すると理事長が一度私の言葉を遮り、「私と一緒に、校長先生の所へ行きましょう。担当の先生も含め、そこでお話になってください。そうでなければ、あなたは急斜面を行き来し、3度同じことを言わなければならない。それはお気の毒です」とにっこりと笑いました。「なんと合理的な」と、私はやはり日本人であるという奇妙な確認をすると同時に、仏教の合理性に直接触れた思いがしました。

取材の許可を得た時、校長先生がこうおっしゃいました。「自由に取材なさって結構です。ただ、子どもたちの自主性を重んじてあげてください」約束事はこれくらいのものでした。そして、担当の先生も同行することなく自由に取材をして良いと言うのです。日本ではありえないことに、こちらの方が少し戸惑ったのを覚えています。しかしそこに、私たちのことを信頼してくれたという思いと同時に、取材者としての責任を強く感じ、さらにチベットの人々の大人達から子ども達への大きな信頼を感じました。

問いかけの答えの一端がここにあるような気がします。大人達が子ども達の自主性を重んじ、そして信頼している。子ども達は、自主性と信頼から責任が生まれ、責任ある行動から自信と積極性と生き甲斐が生まれる。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

チベットの人々は亡命をした当初から教育の重要さを認識していました。そして数ある教育理論を吟味し、モンテッソーリーシステムというイタリア人が開発した方法を取り入れています。子ども達の自主性を重んじ、自らのやる気を育むことを重視したやり方です。世界中の教育理論を調べ、一番チベット人に合うものを選んだそうです。「自らの頭で考えよ」という仏陀の教えです。西洋で生まれた理論を取り入れ、仏教という理論と融合させるという試みです。仏教は変化を前提に考えられている理論です。そして中道を探る道でもあり、柔軟性があります。まだ開始してから60数年の試みですが、仏教の柔軟性が背景にあるのでしょう、西洋の教育法が無理なく彼らの中に取り入れられている印象を持ちました。

それでも試みを始めた当初のころ、数々の問題もあったそうです。ある時、授業を上手く続けられない教師が講演に来たダライ・ラマ14世にこう質問したそうです。「どうしたら、子ども達から敬意をはらわれるでしょうか?」。ダライ・ラマ14世は「あなたは、子ども達に心のそこからの敬意を払っていますか?」と問いかけたそうです。そして、「子どもたちを信じ、子ども達に考える時間を与えてください」と言ったそうです。

ここでは、平和教育にも力を入れています。ダライ・ラマ14世の存在もあるのでしょうが、ノーベル平和賞を受賞した人々をダラムサラに呼び、子ども達に話を聞かせるという試みも多く行われています。私が平和についてチベットの子ども達に質問をすると、必ず次の答えが返ってきます。「まず、何が平和なのかを知ることが必要です」。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

そもそもどのような状態が平和なのか?昨今「わが国の利益のため」という言葉をよく聞きます。いわゆるその国がどういう状態であることが平和なのか? そうなのでしょうか? 私の友人に「世界から戦争がなくなった状態が平和だろうから、人類は今までかつて平和であったことはない。だから平和実現など無理なことだ」とニヒルな意見を持つ者もいます。考えてみるとかなりの難問です。チベットの子ども達にその辺りを聞くと、「だから今、勉強しているのよ」という答えが返ってきました。

これがチベットの人々の教育の基本です。「そもそもなぜ、勉強をするのか?」そのことを子ども達自ら、徹底的にディベートする所から始まります。その中で各々の結論を出し、取り組みを始める。自分で決めた取り組みです。与えられたものではない責任に、誇りをもっているように見えました。「なぜ、勉強をするのか?」という問いはこの時とても重要であると思い、本作品に取り入れました。

日本の若者たちの答えに関して言えば、聞きながら違和感はありませんでした。自分も通って来た道だからです。女子高生の率直な意見などは当時私が思っていたこととほぼ同じです。大学進学にしても、「大学ぐらいは出ておかないと」というぐらいのものでした。読者の皆さんも、それぞれの時代や環境や経験から、なぜそうなのか?という因果をひも解いていてみると良いかもしれません。それは時代によっても変わるでしょう。ひも解いた時、何が必要であるのかが見えてくるかもしれません。私も今、ひも解いているところです。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

チベットの人々にとって仏教は精神的支柱

──また、南インドにあるチベット仏教の学問寺、ギュメ寺で僧侶たちの修行を取材していますが、チベット仏教、もしくは宗教についてどう感じましたか。チベット人にとって仏教とはどんな存在なのでしょうか。

インドを訪れ圧倒されました。カーストの片鱗に触れ、生きていることの意味を直接問われたような衝撃を受けました。宗教からは人の心臓に直接触れるというか、そういった生々しい感覚をいつも受けます。ヒマラヤの中腹を五体投地にて行脚する人。イスラムの人々が行うサラート。タイのあぜ道で、小動物を踏まぬよう、薄衣一枚でうつむき歩く小乗仏教の僧や、嘆きの壁に祈るユダヤの人々等の映像を見るとそれを感じます。

インドに刺激されたのでしょう、ダラムラサへの移動の間中、私は宗教のことを思索しました。仏教の職業を持たないことの意味や托鉢の意味。また道中多くのシク教徒の人々を見かけ、彼らが仕事を持つことを重んじ、形骸化された苦行や偶像崇拝、そしてカーストを否定していることなどを知りました。そこには新しい宗教らしい改革が見られ、人と宗教の関係、古い宗教も含めた形成の成り立ちなどに潜む人間の思考といいますか、人は物事をどう捉え、どう考えて来たのかということを垣間見ることができました。宗教を知ることは人間を知ることそのものです。

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

ギュメ寺で、ある老僧が「チベット人は細かいし、理屈っぽいから嫌いだ」と笑いながら言いました。会議になると、とにかく皆がやかましく論を戦わせ、寝ずにやりあうこともあるそうです。「あいつらはちょっと特別すぎる」。老僧はそう言います。その皮肉の中にチベット人への敬愛と欠点への視点が伺えます。どちらも問答の成果なのでしょう。因果の法に則り、とことん物事を分解し吟味していく。夕刻、広場で問答をするのですが、白熱してしまい夜中までやっている組を見ました。高僧が間に入りようやく決着をつけたようでしたが、それほど考え、論ずることに誇りと自信をもっている人々です。チベットの人々にとって仏教は精神的支柱、生きることの羅針盤であり、ある人にとっては全てと言ってもいいでしょう。そこには智の大全への信頼と誇りがあるように思えます。

民主主義について楽しみながら考えていきたい

──ダライ・ラマ14世は非暴力を訴え続けることで、世界的に平和の象徴として語られるようになりました。平和は本作の一番のテーマでもあります。光石監督にとって平和とはなんですか。

今回、政治的な提示を映画の中にいれたのは、政治は間違いなく我々の生き方に直接かかわる現実だからです。政治嫌いな日本人にとっては見たくもない現実なのかもしれませんが、しかしやはり個の尊厳への監視や平和への道はそこから目を反らしていてはできないと思います。世の中を平和な状態へ少しでも近づけるのは、政治家や経済ではなく、我々自身の努力です。

そのことをダライ・ラマ14世は訴えているのだと思います。

本作中、ブラジルからの留学生から「子どもへの平和教育が必要である」という意見がありました。私も賛成です。世界中の子ども達が、現在地球上で起こっている争いや格差について討論していく。子どものうちからそういった現実を直視する目、意見を持ち対話ができる能力、解決の糸口を見つけて行く能力を養うことが非常に重要であると思います。

私が生きている間に、平和について子ども達から、「そんなことも分からないの?」と指摘される日が来ることを望みます。

──戦後70年という今年、映画監督として何を伝えたいと考えますか。

戦後70年という枠で捉えると、70年前初めて我々日本人の前に現れた民主主義についてずっと考えています。我々はこれをどう捉え、どう扱って来たのか?そしてこれからどう扱って行くのか?怒ることも、憤ることも色々ありますが、これも楽しみながら考え、主体的に参加し、伝えていこうと思っています。

我々日本人は自分たちのことをよく知っているでしょうか?良い部分も悪い部分も含め、正しく理解しているでしょうか?チベットの人々はチベット危機を機に真摯に自分たちと向き合う努力をしています。これは取材をしていて自分の身に返ってくる問いとなりました。自分たちのことを深く理解する努力をし、良い部分、悪い部分と正直に向き合い、仏教でいう所の、二辺に偏らない中道の道を探り行動していくこと。難しいことでしょうか?有意義なことでしょうか?それとも無意味なことでしょうか?

(オフィシャル・インタビューより)



光石富士朗 プロフィール

日本大学文理学部卒業後、フリーの助監督として映画、TVドラマなどを経験。廣木隆一監督、神代辰己監督との仕事から多くの影響を受ける。主な作品に『おぎゃあ。』(2002)、2008年東京国際映画祭ある視点部門にて特別賞の『大阪ハムレット』、『はさみ』(2012)ほか。映画の他にPV、ドキュメンタリー、CM等の演出、コミックの原作、脚本、小説、詩作等を手がける。今作『ダライ・ラマ14世』には、大学の後輩である吉田裕(『ダライ・ラマ14世』プロデューサー)からの要望で制作に参加。膨大な量の素材に向き合い、構成、編集、追加撮影を敢行。自身初のドキュメンタリー作品となった。




映画『ダライ・ラマ14世』
5月30日(土)よりユーロスペースほかにて全国順次公開

映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film
映画『ダライ・ラマ14世』より © Buenos film

監督・構成・編集:光石富士朗
企画・撮影:薄井一議/薄井大還
エグゼクティブプロデューサー:土屋尚士
プロデューサー:吉田裕
語り:柄本佑
音楽:世武裕子
特別協力:ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
製作・配給:ブエノスフィルム
2014年/日本/カラー/116分

公式サイト:http://www.d14.jp
公式Facebook:https://www.facebook.com/d14.movie


▼映画『ダライ・ラマ14世』予告編

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