映画『わたしはロランス』より、主人公の教師ロランス(メルヴィル・プポー)は、女として生きていくことを決め、女装して教鞭に立つ。
グザヴィエ・ドラン監督の『わたしはロランス』『トム・アット・ザ・ファーム』Blu-ray BOXの5月2日(土)発売を記念して、4月20日、渋谷アップリンクにて『わたしはロランス』のトーク付き上映会が開催。『原発危機と「東大話法」』などの著作で知られる「男装をやめた」東大教授・社会生態学者の安冨歩さんが登壇した。
『わたしはロランス』は、80年代を舞台に周囲の偏見や社会の拒否反応のなか女性として生きていくことを決めたモントリオール在住の作家で国語教師のロランスと、彼の恋人で最大の理解者である女性フレッドとの10年にわたるラブ・ストーリー。美術家・ドラァグクイーンのヴィヴィアン佐藤さんを聞き手に、安冨さんが自身の境遇、そして性社会とジェンダー・セクシュアリティの歴史という研究テーマと重ねあわせながら今作を語った。
1989年であれば、私も東大をクビになっていたかもしれない
ヴィヴィアン佐藤(以下、ヴィヴィアン):今日は観客の皆さんと一緒にご覧になって、映画のなかで気になった点はありますか?
安冨歩(以下、安冨):実は、映画が公開された頃は自分のことを普通の男だと思っていたので、興味がなくて観ていませんでした。後から「ロランスに似ている」とツイッターなどで言われていたので、ストーリーを読んでみたところ、自分が現実に体験することばかりで、きっとくたびれてしまうと思い、観る気がしなかったんです(笑)。でも、今回のイベントのお話をいただいて、観ることにしました。
4月20日、渋谷アップリンク『わたしはロランス』のトーク付き上映会にて、安冨歩さん(右)、ヴィヴィアン佐藤さん(左)
オープニングの、ロランスを見る街の人々の奇異なものを見るような視線は、私を見る目と同じ。街を歩いているとき、女装している男性をふと振り返るあの目は、全人類共通なんですね。こういう格好している人間が日常的に経験する問題を的確に、そしてリアルに捉えている鋭い映画だと思いました。
ヴィヴィアン:映画ではスローモーションでしたが、確かに実際にもあのような場面はスローモーションで見えますよね。
安冨:私が女装をするようになっていちばん良かったのは、あの「視線の暴力」を体験できたことです。あの痛みは思想的衝撃でした。
映画『わたしはロランス』オープニングより、女装したロランスに街の人々は奇異なものを見るような視線を向ける。
ヴィヴィアン:自分のパートナーである彼が女装して生きることに協力しようと葛藤する恋人フレッドとの軋轢が生まれるなかで、ロランスはカフェでウェイトレスに「それにしても変わってるわね、趣味でやってるの?」と酷い言葉を投げかけられます。
安冨:私のパートナーも、フレッドと同じ問題で苦しんでいますし、ああいうことは実際にあります。
ヴィヴィアン:金曜日の渋谷の人混みとか、偏見に満ちていて、そういうつもりじゃなくても、喧嘩売ってるんじゃないか、と思ってしまうことがありますよ。私は「金曜日の渋谷」が宇宙一嫌いです。
映画『わたしはロランス』より、ロランスに心ない言葉を投げかけるカフェのウェイトレスに、恋人フレッド(スザンヌ・クレマン)は激昂する。
安冨:TBSの「サンデーモーニング」で、言葉の言い換えという問題についてコメントを依頼されたことがあるんです。原発でも「危険」という言葉を「安全」に置き換え、「原子力危険管理委員会」でないといけないのに「原子力安全委員会」と言い換える。そういう問題について本を書いたので呼ばれました。
収録の前日、写真を送って「可能であればメイクをお願いしたい」と伝えたところ、番組のディレクターがすごくうろたえてしまった。局のエレベーターで「先生はご趣味のほうなんですか?ご病気のほうなんですか?」と聞かれました。さらに、インタビューが始まると、一度も使ってないのに、「オネエ言葉で喋らないようにしてください」と言われました。リベラルな問題を取り扱っている番組ですけれど、「リベラルごっこ」をしているだけなんだな、と。女装をすることで、そうした人間の本質がとても分かりやすくなりました。
ヴィヴィアン:この映画は1989年から10年間にわたるロランスとフレッドの繋がりと、街の偏見や職場や家族との関係が描かれます。
安冨:1989年であれば、東大でもクビになっていたかもしれないです。この間も、フランスの若い男性の記者と話したのですが、「実は私もトランスジェンダーで、以前女装をしていたんです。高校の教師をしていたのですが、生徒の親からの反発により、辞めました。現在は固い職場なので、そうした格好はしていません」と、ロランスと同じ境遇を辿ったことを話してくれました。パリの進歩的な報道機関でさえ、現在もそういう状況なんです。
映画『わたしはロランス』より、ロランスは高校で文学を教える国語教師として生徒からも慕われていた。
ヴィヴィアン:職場や初めて会った人、メディアでも必ず質問されることがありませんか?私の場合は必ず聞かれる3つの質問があります。「今日のファッションのテーマは何ですか?」「どういう人と付き合ってるんですか?」そして「何が原因で目覚めたのですか?」とか。
安冨:「行列のできる法律相談所」に出演したときも、強引に話題をそのネタに持っていく。人間はステレオタイプな言葉や価値観、自分の都合のいい解釈にもっていきたがる。その枠組にはめ込んでいくことが暴力の本質。私たちの生活の些細な場面で常に発生していて、誰もが受けているものです。
映画『わたしはロランス』より
隠そうとするものを言い換える構造こそが暴力
安冨:物語のなかで、ロランスは「私は間違った体で生まれた」と語ります。それは彼が女装を始めようと思った頃だったからなのか、それとも彼は最後までその違和感を感じていたのか、どちらなのか気になりました。
「すべての境界を越えた」という言葉が出てきますが、それは男女という境を認めているということです。私はトランスジェンダーという言葉自体がおかしいと思っています。ボーダー(境)を認めているから、トランス(越える)という表現を使う。でも、ボーダーなんてものはないんです。ヴィヴィアンさんと私を、「男と女」に対する「それ以外」みたいに同じ「種族」に見る人もいるけれど、性的趣向や性認識はひとりひとり違うはずです。
ヴィヴィアン:昨今の日本でのLGBTについての盛り上がりについて。まず第一歩では様々な人種が世の中に入ることを世間は知ったほうがいいというのはありますが、最終的に分類自体が大変ナンセンスなことだと思います。
映画『わたしはロランス』より
安冨:私の場合、LGBT的な分類だと「トランスジェンダー・レズビアン」になります。「ストレート」というのと変わらないのですが、言うとびっくりされる。だから困っているのは、私たちみたいなはみ出している人ではなくて、区分けをしたがるはみだしていない人たちのほう。でも「自分で考えなさい」って思うんです。
「性同一性障害」という言葉も原発と同じ言い換えですよね。私も最初はロランスと同じように「手術しなければいけないのか」と悩みましたが、決して「障害」なんかではありません。「性別適合手術」のことを英語で「セクシャル・リアサインメント」と言いますが、これは「セクシャル・アサインメント」、つまり赤ちゃんが生まれたときに性別を決めるのが医者だから、それをもう一度、医者が決めるという概念のこと。医者がそんな権限を持っていることがおかしいですよね。実際には「性別再適合手術」ではなくて「性器変形手術」ですが、そんな名前にすると、誰も手術を受けなくなり、医者が儲からない。原発とまったく同じで、隠そうとするものを言い換える構造こそが暴力なんです。
「性同一性障害」なんてものは存在しません。私はあるときから男の格好をできなくなってしまったのですが、身体的にはわりと男だけれど、内面的にはわりと女、こういう格好をしていると落ち着く人間。それだけだと思うんです。今日初めて胸を入れてみたんですが、あるとホッとしました(笑)。しかしそれは、そう思う人だ、というだけであって、障害だとは感じません。男と女と区別する意味がないことを、私たちの存在は示しているんです。
自民党がゲイとレズには抵抗するのに、「性同一性障害者性別特例法案」など「性同一性障害」についてだけ取り組みを進めているのは、男と女の境界を維持させるために、それ以外の人間を全て性同一性障害という「かわいそうな病気」にすることで、純粋な男と純粋な女しかいないようにする陰謀なんです。自民党は、人間を区分けして箱に突っ込むという暴力でできている政党です。それが正しいと日本の大半の人は信じていて、そうした暴力がなければ日本は崩壊すると確信している。ですから私みたいな人がいると「社会が崩壊する」と慌てるんです。
映画『わたしはロランス』より、傷ついたロランスを介抱するローズ一家。
誰しもが「女装してみたい」とか、「性同一性障害」的傾向や同性愛的傾向を少なからず持っているのに、それを自分で無理やり否定してしまう。そういう人が女装している人を見ると腹を立てる。徴兵制と同じように、権力側が自分たちの権力を維持するために、人間を箱にはめ込んで切り取る行為をしないと社会の秩序が維持できないと思っているからです。
エリートという区分け、美人という区分け、金持ちという区分け、有力者という区分け……そうした区分けに人間を当てはめるいちばん分かりやすい区分けが男女。この『わたしはロランス』で、なぜ女装することが「自由」だと描かれているのかというと、女装というのは、その中間的な存在になること、自分の「自由」を主張する行為ではなくて、「自由」の本質を露呈させる行為だからだと思います。
若い人は「抑圧からの自由」に反応している
ヴィヴィアン:そもそも全ての人はいびつな多面体だと思います。狭い面も広い面もあって、もし今日死んだとして「私がどういう人だったか」と聞かれたとき、家族や近所の人がいちばん知っているとは限らない。一度も会ったことがない、インターネットを通してのコミュニケーションしかない人が自分の本質を知っている場合もある。『わたしはロランス』はセクシャリティを入口にしているけれど、本当に描きたいのはそこではないような気もしていて。様々なまとっている属性とは何か。
安冨:ロランスは途中、フレッドと別の女性・シャルロットと付き合うようになりますよね。自分を自分自身として十全に生き得ていないことが、彼の孤独と悲劇を呼んでいる。それがシャルロットに対する酷い扱いによって表現されているんだと思います。仕事に没頭していると、周りの音が何も聞こえなくなってしまう……あれを見て、反省しました(笑)。
そのように、ドラン監督は、ロランスが真実を追求する素晴らしい人間だとは見えないように意図的に描いている。一方フレッドは偏見に押しつぶされることに抵抗し、最後にロランスに「私の世界に戻ってきてほしい」と言うけれど、ロランスはそれを拒否する。フレッドを観客が共感できる対象、ヒロインとして描いていて、私は、この物語の本当の主人公はフレッドだと思います。
ヴィヴィアン:監督のグザヴィエ・ドランは現在26歳で、この作品を撮ったのは23歳のとき。彼はいま、若い人に圧倒的な人気があるのです。
安冨:若い人には社会からの抑圧がすごくかかっているので、その抑圧からの自由に反応しているんだと思います。しかし「抑圧からの自由を訴える映画」と言っても誰も観たくない。でもこうしたスペシャルなラブ・ストーリーと絡めていくと、観た人のそれぞれがすっと入っていって、本質的な部分に、気づかないまま感動できる。
映画『わたしはロランス』より、ロランスとフレッドのベッドルームの壁に書かれた「自由(Liberté)」の文字。
“美人”とは男性が決めた男女差別的な価値観
安冨:私は50歳を過ぎて女装を始めたのですが、続けていると「美人ですね」と女性から言われるようになったんです。いくらなんでもそれはないだろう、と思っていたのですが、それは、女性の美人の基準が「男っぽい女」だからだと気付きました。背が高くて、彫りが深くて、手足が長い、これは全て男性の特徴なんです。私たちの価値観が「男性に近い女性を美人と呼ぶ」と歪められている。でも、「かっこいい男性」には女性的要素は含まれていない。
そもそも“美人”というのは男性が決めた男女差別的な価値観なのではないでしょうか。「男っぽい女」という希少種を美人と定義すれば、大半の男っぽくない女性に「私は醜い」という自己嫌悪を抱かせることができます。この自己否定感を利用すれば、「俺が救ってやる」と女性をコントロールし支配することが容易になります。自分のことを好きな人は美しいものですが、自分のことをブスだと思えばブスになりますし、自分のことが嫌いだと思うと顔に出ます。大半の女性を自己嫌悪に陥れて無力化するために、美人というカテゴリーが定義されているのだと考えます。
そうした装置が現在の社会にあるので、男が女の格好をすると、美人の条件を満たす。これは私のフィールドワークによって出た結論で、男女差別の結果による深刻な問題だと思っています。
映画『わたしはロランス』より、ロランスは母親ジュリエンヌ(ナタリー・バイ)に悩みを打ち明ける。
テレビは人々に劣等感を植え付け支配するシステム
ヴィヴィアン:最初は同僚もロランスのことを応援しているけれど、最終的には学校を辞めざるをえなくなってしまいます。安冨さんの職場はどうでしたか?
安冨:東洋文化研究所が素晴らしいのは、この点で一切差別がないことです。社会学や文化人類学などを研究する人がたくさんいますし、異性装というのは昔からの研究テーマで、いかなる社会にも異性装は霊的役割を担っている、つまりいないと儀礼ができなくて困る存在なのです。トランスジェンダーについてもずっと研究されてきていますから、僕の格好が変わったことにびっくりしたと思いますし、差別したいと思った人もいたかもしれませんが、「これで差別したら、私の学問はどうなるんだ、さすがにそれはできない」と、理解して下さったのだと思います。ここで彼らが「学問は学問」「大学は大学」と、二枚舌を使わなかったことは、まことに尊敬すべきことです。
映画『わたしはロランス』より
──(観客からの質問)安冨さんにとってテレビは敵ですか?利用すべきだと思いますか?
安冨:マツコ・デラックスさんが、自分がテレビであれだけ好き放題発言できるのはデブでオカマで差別されているからで、誰もデブでオカマになりたくないから、何を言っても許すんだ、と書かれていました。これを私は偉大な歴史学者である網野善彦の提唱した「無縁の原理」の作動だと理解しています。私も、男の格好をしていたときは主張していることがキツすぎて声をかけられませんでしたが、今はたくさん番組に呼ばれるようになりました。それはある意味、私をマツコさんなどと同じ「差別対象」(=無縁者)という箱に入れてしまうからでしょう。でも私は、今までではできなかった研究成果を伝えることができて、ほんとうに良かったと、何の障害とも思っていません。
テレビは、人々の脳にカテゴリーを焼き付けて、自分がクソ人間だと劣等感を植え付け、人から支配されるような存在にするシステムの一部として現に作動していますし、それは学校もそうです。でも学校や放送局がいらないわけではありません。ですから私にとってテレビは敵でも味方でもないですけれど、その中にできるだけ入って、少しでも違うモードを増やしていきたいと思っています。
映画『わたしはロランス』より
──(観客からの質問)渋谷区の同性パートナーシップ条例など、行政のシステムにおいては、これからどうしていくべきだと思いますか?
そもそも現代社会では結婚という制度は機能していません。100年前に結婚が持っていた機能は既に持っていないのです。ところが今でも結婚は150年前に決められた民法の枠組みが未だに作動しているのがおかしいですよね。こんなんじゃ、誰も結婚しなくなるし、子どもを作らなくなる。原因の一つは、結婚が完全にアウト・オブ・デート(時代遅れ)になっているから。ですから「結婚はおいといて、同性婚はどうすればいいか」という考え方そのものが間違っていると思います。むしろ「結婚という制度は意味ないからやめよう」という議論をしなければいけません。そもそも同性婚を認めようという風潮は、結婚制度が崩壊していなかったら、出てこなかったと思います。それは突き詰めれば、性について、男女と分けるのは意味がないということ。なぜこんなことを医者に決められなければいけないのか、各種書類の性別欄を全廃したらいいじゃないか!ということです。
特異な人間と見なされる者は、枠組みを設定することから生まれます。何かが問題とされるとき、その特異とみなされる人間ではなく、枠の方が問題なのです。障害者を巡っても、駅で車椅子の方のためにスローブをつけたりしますが、段があったら車椅子の人は止まるだけで済むのに、その段に酔っぱらいがつまづいて大怪我してしまうかもしれない。車椅子の人が行けない、というのは「ここが危ない」というサインなんです。ですから、危険だと思ったらそれをサインと受け止めて、ここにどんな問題があるのかを考え、みんなで対処する、ということが一番大切です。
問題の対象が問題だと思い込まされることが暴力であり支配の手段です。不良が悪いのではなく、不良を生み出す学校の定義が問題なのです。常に、問題を生み出している構造について考えることが必要なのですが、そうした発想をさせないようにする力が、差別を生む原因、あるいは差別そのものなのだと思います。
(取材・構成:駒井憲嗣)
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監督:シャルル・ビナメ
出演:グザヴィエ・ドラン、ブルース・グリーンウッド、キャサリン・キーナー、キャリー=アン・モス、ガイ・ネイドン、コルム・フィオールドン、ほか
配給:アップリンク
2014年/カナダ/100分/シネマ・スコープ/DCP