映画『あの日の声を探して』より © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
『アーティスト』で第84回アカデミー作品賞、監督賞ほか計5部門を受賞したミシェル・アザナヴィシウス監督の新作『あの日の声を探して』が4月24日(金)より公開される。
今作の原案となるのは、フレッド・ジンネマン監督の1948年の作品『山河遥かなり』。ナチスによってユダヤ人収容所に送られ母と生き別れになった少年をアメリカ兵が助けるという設定にインスパイアされたアザナヴィシウス監督は、舞台をロシアに侵攻された1999年のチェチェンに置き換え脚本を執筆した。両親を目の前で殺されてしゃべることができなくなった9歳の少年・ハジと、チェチェンの人々の苦しみを目の当たりにし自分の無力さに絶望しながらも彼と関わりを持とうとするEU職員・キャロルを主人公に、ふたりが次第に心を通わせていく過程を、戦地の暴力と憎悪に染まっていく19歳のロシア人青年コーリャの姿と並行させ描いている。
今回は、自身もユダヤ人の血をひき、長年このテーマを温めていたというアザナヴィシウス監督のインタビューを掲載する。
子供という小さなファクターを通して大きな歴史を語る
──『アーティスト』の後に、第二次チェチェン紛争というヘビーなテーマの本作を撮るにいたった経緯を教えてください。
正確には『アーティスト』の後にというわけではなく、それより前、もしくは同時期にこのストーリーを語りたいと思っていました。長年温めていたテーマなんです。フレッド・ジンネマン監督の『山河遥かなり』に出会った事で、この形でなら映画にできると感じたのです。『アーティスト』の成功のおかげで資金を調達する事ができ、この映画を撮る事ができました。ヘビーなテーマですし、大がかりな資金がかかる企画ですからね。
映画『あの日の声を探して』のミシェル・アザナヴィシウス監督
──その『山河遥かなり』に着想を得て、ヒューマンドラマとして描くことが最善のアプローチだと確信されたと聞きました。
例えテーマそのものがヘビーなものであったとしても、この映画はまず、大衆に向けて作った映画です。誰もがアクセスできる映画で、何も長々しいスピーチをしようと思って作ってはいません。子供というファクターを通して大きな歴史を語る、その点が『山河遥かなり』に現れていたんです。だからこそ、これはまさに映画的なストーリーとテーマであって、とてもヒューマンな、人々の胸を打つ物語としてアプローチすることが可能なのだと気付かされました。結果的に両作は異なる映画ではありますが、映画的なアプローチでヘビーな内容に挑んだジンネマン監督に惹かれたので、私はあえて『山河遥かなり』に着想を得たと公言しています。
映画『あの日の声を探して』より、EU職員キャロルを演じたベレニス・ベジョ © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
──ユダヤ人の家族に生まれたあなたは、こういった悲劇の歴史を描くことが使命だと考えますか?
使命というとおおげさかもしれませんが、私の両親は子供時代、戦争のため自分の身を隠して暮らすことを余儀なくされました。そういった両親の経験は必然的に私に影響を与えていると思います。民族が虐殺されているのに、片や人々は無関心であるという状況に対して、どうしようもなく心が揺さぶられるのです。この映画が、人々の胸を打つ、苦しんでいる人に対して他人事ではなく共感を寄せる映画であってほしいと願っています。
4ヵ国語が飛び交う撮影現場
──まるでドキュメンタリーを観ているかのようなリアルな映像でした。セットで再現したのですか?
セットはわずかでした。兵舎はグルジアの首都・トビリシの郊外にある本物の兵舎でしたし、ベレニス・ベジョが演じたキャロルのアパートも本物のアパートの壁を崩して撮影しました。難民キャンプはコーカサス山脈のふもとに本物のテントを使って再現しましたしね。グリーンスクリーンを使って合成するのはいやだったんです。エキストラをデジタル処理で増員することもしませんでした。現場で撮りたかった。
撮影スタッフは約50人のフランス人と、同人数かそれ以上のグルジア人がいました。最初は少人数のスタッフで撮影することになると思っていましたが、あっという間に大規模な撮影になってしまった。私はいつも容易に事が運ぶと考える楽観的な性格ですが、今回はすべてが複雑でしたね。国も、軍も、子供を使った撮影も、素人俳優も。セットではフランス語、英語、チェチェン語、ロシア語の4ヵ国語が飛び交っていましたよ。
映画『あの日の声を探して』より、EU職員キャロル役のベレニス・ベジョ(左)と彼女の相談を聞く赤十字の責任者ヘレン役のアネット・ベニング(右) © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
──撮影現場で、特に苦労したことは何ですか?
異なる労働文化を背景に、映画制作を行うことで生じる問題ですね。グルジアはかつてソビエト連邦の映画産地でしたが、現在作られているような映画の文化はなかったのです。私がチェチェン紛争で思い浮かべるのは、CNNかアマチュアの手によって撮影された色あせた冬の映像です。ですが、グルジアの気候は11月に入るまでは穏やかでした。撮影監督のギョーム・シフマンと私以外は皆、喜んでいましたよ。撮影では太陽が陰るのを何時間も待ったり、日陰になっている別の通りへ移動したり、巨大なフレームを使って影を作り出したり、トラックを使って日が当たる背景を隠したりしました。常に走り回り、予定より少ないショットしか撮れませんでした。完璧に近づけるのは難しかったです。
映画『あの日の声を探して』より、ロシア人青年コーリャ役のマキシム・エメリヤノフ © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
戦闘や死、暴力を生々しく描かなければいけないというのが、映画監督にとっては大きな悩みでした。相当なプレッシャーを感じていました。私が知る限り、チェチェン紛争をこれだけの規模で描く映画は初めてです。その点で私には大きな責任がありました。人間の歴史の断片を物語るという責任です。私が当事者ではないので、その責任は一層重い。歴史を再現する時には、いかなる失敗も許されないと感じました。
──オーディションで選ばれたというハジ役のアブドゥル・カリムは演技初経験だったそうですね。とても素晴らしかったですが、素人俳優でありながら彼を起用した理由を教えてください。
なぜ素人の俳優を選んだかということに関しては、あまり選択の余地がなかったんです。9歳の少年でチェチェン語が話せて、というプロの子役はいませんでしたから。素人の子役を選ぶしかなかったのです。では、なぜ彼だったかというと、キャスティング・ディレクターが440人以上のこどものオーディションのビデオを観て、そこから40人に絞ったのですが、一番大切に思ったことはとてもシンプルに演技ができること。とてもシンプルに感情を表現ができるというのがアブドゥルを選んだ理由です。
映画『あの日の声を探して』より、ハジ役のアブドゥル・カリム © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
他の子供たちは「泣いて下さい」というと、10人中8人ぐらいは笑いだしたり、ナーバスになったり、残りの2人はすごくデモンストレーション的な、オーバーな演技のなかで、彼は素直にやってくれました。「ただ素直に泣く」ということをやってくれた子だった。それこそが、私たちが俳優にまさに求めるものだったのです。
──ハジと生き別れる姉を演じた、ライサの配役はどのように決まったのですか?
ハジのキャスティングと同じ時期のことです。我々は大勢の少女に会いましたが、グルジア生まれのズクラ・ドゥイシュビリが一番でした。彼女の顔には強さが現れていますが、悩みや弱さを抱えた10代の少女でもある。最初はもっと幼い少女を想定していましたが、彼女を見てもう少し年長の強い人物にしても面白いだろうと考えました。
彼女を起用する前、私は愚かにも「女優業は楽しいか?」と彼女に聞いたんです。彼女はノーと答えました。「とてもつらい仕事になるだろうが、誰かがこの映画を作らなければならない。それなら自分がやろう」と。17歳の少女が、そんなことを考えているとは、とても感心しました。
映画『あの日の声を探して』より、ハジの姉ライサ役のズクラ・ドゥイシュビリ(左)、赤十字の責任者ヘレン役のアネット・ベニング(右) © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
なぜカメラの前で冷淡に殺害できるのか
──ベレニス・ベジョ演じるキャロルとチェチェン人の少年であるハジの関係は、いかなる既定の関係性にも当てはまりません。例えば、母と息子という関係ではありませんね。
キャロルとハジの関係で探究されているのは、こうした場面に直面したとき、我々はどんな態度を取り、どんな同情を覚えるべきか?ということです。他者の痛みを受け入れるのは困難なことです。ハジはキャロルと同じ言語を話さないし、彼女を知らない。私はキャロルが最初は気乗りではないように描きました。彼女はハジが9歳で両親を亡くしたばかりだと知らず、ハジをからかう。私は私欲抜きで行動を起こす人を尊敬します。キャロルをそういう人物にしたかったんです。映画の最初では、キャロルは家族にも、恋人にも感情的にコミットしない。彼女がコミットするのは、民族問題に取り組む活動家としての政治的な行動にだけだった。それが薄っぺらなものだと気づき、ハジに対してもっと個人的に関わり合いたいという気持ちが生まれるようになる。EU職員としての論理的な部分だけでなく、もっと感情的なコミットメントがね。
──日本も「イスラム国」の日本人人質事件があり、もはやこのような出来事が他国で起こっている他人事とはいえないと実感しています。この作品はシリアスなテーマですが、希望を感じる作品になっていると思います。
「イスラム国」の問題については、どうして彼らがカメラの前で冷淡に殺害できるのか、そしてなぜそういう状況に行き着いてしまうのか、映画監督として理解を越えるものがあります。
私は本作を通してチェチェン人の置かれている状況、そして人間というものを描きたかった。悲劇的な、自分たちではどうにもならない状況に追い込まれた人間の姿というものを描きたかった。ポジティブな意味で、みなさんを目覚めさせる映画になったと思います。観てくれた人の多くは、感動して涙したと言ってくれたり、平和な国で生きていることを喜ばなくてはいけない、と思ったということです。映画館を出た後にはきっと、大好きな人、愛している人達に「愛してるよ」と伝えたくなるでしょう。
(オフィシャル・インタビューより)
ミシェル・アザナヴィシウス(Michel Hazanavicius) プロフィール
1967年、フランス生まれ。TVの監督としてキャリアをスタート。TV映画「LA CLASSE AMERICAINE」(93)で共同監督と脚本を務める。また『FEAR CITY: A FAMILY-STYLE COMEDY』(94)で俳優デビューし、『ディディエ』(97)にも出演。さらに脚本家としての活動を始め、コメディ映画『DELPHINE 1, YVAN 0』(96)を手掛ける。長編映画監督デビュー作は『MES AMIS』(99)。続くジャン・デュジャルダン、ベレニス・ベジョ共演のスパイパロディ『OSS 117 私を愛したカフェオーレ』(06・未)がフランス国内で大ヒットし、続編『フレンチ大作戦 灼熱リオ、応答せよ』(09・未)も監督する。そして2011年、監督、脚本、編集を手掛け、デュジャルダン、ベジョが再び共演した白黒のサイレント作品『アーティスト』が世界各国の映画祭で受賞。アカデミー賞にも10部門にノミネートされ、作品賞、監督賞を始めとする5部門を獲得、その名を世界中に知られる。その後、フランスを代表する監督とキャストが結集したオムニバス・コメディ『プレイヤー』(12)に監督の一人として参加する。
映画『あの日の声を探して』
4月24日(金)TOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
映画『あの日の声を探して』より © La Petite Reine / La Classe Americaine / Roger Arpajou
1999年、チェチェンに暮らす9歳のハジは、両親を銃殺されたショックで声を失ってしまう。姉も殺されたと思い、まだ赤ん坊の弟を見知らぬ人の家の前に捨て、一人放浪するハジ。彼のような子供さえも、ロシア軍は容赦なく攻撃していた。ロシア軍から逃げ、街へたどり着いたハジは、フランスから調査に来たEU職員のキャロルに拾われる。自分の手では何も世界を変えられないと知ったキャロルは、せめて目の前の小さな命を守りたいと願い始める。ハジがどうしても伝えたかったこととは? 生き別れた姉弟と再び会うことができるのか?
監督・脚本:ミシェル・アザナヴィシウス
出演:ベレニス・ベジョ、アネット・ベニング、マキシム・エメリヤノフ、アブドゥル・カリム・ママツイエフ、ズクラ・ドゥイシュビリ
製作:トマ・ラングマン、ミシェル・アザナヴィシウス
撮影:ギョーム・シフマン
原題:THE SEARCH
2014年/フランス・グルジア合作/135分/カラー/ビスタ/5.1chデジタル/字幕翻訳:寺尾次郎
原案:フレッド・ジンネマン『山河遥かなり』
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
配給:ギャガ
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