骰子の眼

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東京都 渋谷区

2015-03-28 18:00


K DUB SHINE「『ワイルド・スタイル』はヒップホップというアートの博物館」

ヒップホップを作っていた人たちが実際に登場、記念碑的映画を巡るトークショー・レポート
K DUB SHINE「『ワイルド・スタイル』はヒップホップというアートの博物館」
映画『ワイルド・スタイル』より、リー・ジョージ・キュノネス[左]とサンドラ・ピンク・ファーバラ[右] ©New York Beat Films LLC

1983年に公開され、「HIPHOP カルチャー」を全世界に広め衝撃を与えた伝説的映画『ワイルド・スタイル』が3月21日(土)より、渋谷シネマライズ・シネ・リーブル梅田ほかにて公開。初日となる21日に、渋谷シネマライズにて本作の字幕監修を担当したK DUB SHINEさんと平井有太(マン)さん(『福島 未来を切り拓く』著者)が登壇。本作について語った。

80年代当時より、
今観たほうが興奮する(K DUB SHINE)

K DUB SHINE[以下、K DUB]:『ワイルド・スタイル』楽しんでいただけましたか。まるで博物館だなと、サウス・ブロンクスの当時のヒップホップ・シーンがぜんぶ歩いて回って見られるような気がした。

平井有太(マン)[以下、有太]:(満席の客席を見て)公開30周年を過ぎてなお、これだけ人が入っていることがにわかに信じがたいです。K DUBさんは、最初に観たのはいつぐらいですか?

K DUB:1989年くらいかな。70~80年代のニューヨークについては、『ウォーリアーズ』(1979年/ウォルター・ヒル監督・ニューヨークのストリート・ギャングを描いた作品)を観ても、グラフィティがシーンに登場するから、なんとなく知っていて。1985年くらいから本気でヒップホップにはまって、RUN DMCとか聴いていました。この映画の後、ラップやスクラッチについては、もっと様々なスタイルが出てきたので、80年代後半から90年代には既に〈ちょっと古い〉という感覚があった。観ておかなければいけない作品ではあったけれど、影響されるとか、触発される、というよりも、冷静に観ていた。逆に、30年経っている今観たほうが興奮するね。

K-DUB SHINEさん
K DUB SHINEさん

有太:自分は当時「ヒップホップはまずこれを観てから」という記事をどこかで読み、マンハッタンレコードに売っていたVHSで観ました。字幕もなく、パブリック・エネミーを聴き込んでいた高校生の自分にはただ暗くて薄暗い、日本のお茶の間にまったく合わない作品、という印象でした。それが、1996年に実際にニューヨークに行って、「この世界観なんだ」と理解できたんです。今回字幕監修を担当されたということで、新たな発見はありましたか?

K DUB:もともとの石田泰子さんの字幕に加え、ラップの部分について「こうしたほうがいいんじゃないか」とアドバイスをしました。観ている人はあまり分からないかもしれないけれど、DEFといったスラングについても、今と違う使われ方をしていることに気づきましたね。

それから、ヒップホップ誕生は1973年8月13日(ヒップホップの生みの親として知られるDJクール・ハークがブロンクスのアパートでパーティーを開いた日)と言われていますが、そこから考えると10年近く経っているので、実はだいぶ洗練されているんです。

有太:ひとつの完成形ですよね、ヒップホップをやっと世にお披露目する整理整頓ができた、という最初の作品なんです。

K DUB:だからこそ、今作の次にRUN DMCといったアーティストが出てきたことで、少し〈時代遅れ〉になってしまった。

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

主人公のリーとピンクは
実際に恋仲だった(K DUB SHINE)

K DUB:今まで観ていたときは気づかなかったんだけれど、監修にあたって何十回も観ることで、ある疑問が浮かんできたんです。これだけ映画でフィーチャーされていたのに、ビジー・ビーもファンタスティック・フリークスやコールド・クラッシュ・ブラザーズといったアーティストは、アルバムを出してブレイクしてもおかしくないタイミングでの全米公開だったはずなのに、そのあと誰もヒットしなかった。

そして、グランドマスター・フラッシュ・アンド・フュリアス・ファイブのリード・ラッパー、メリー・メルなど、当時のヒップホップの重要人物が出ていてもおかしくないんですが、実は、所属レーベルのシュガーヒル・レコードのオーナー、シルビア・ロビンソンに難色を示されたことで、出ていないんです。

映画のなかでは、アーティストのジョー・ルイスが演じたオーガナイザーからからライブの話をファブ・ファイブ・フレディが持ちかけられ、クライマックスのライブが実現したことが描かれています。その最後のライブ・シーンにトレチャラス・スリーのクール・モー・ディーやDJのミスター・マジックの姿を見ることができるけれど、実はライブのシーンは2回撮影されていて、最初のライブにはグランドマスター・フラッシュ・アンド・フュリアス・ファイブも出演していたんです。でも、音声が悪くて撮影し直すことになった。

だからね、彼らはほんとうに不遇の人たちなんですよ。いちばん成功したのはファブ・ファイブ・フレディじゃない?

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より、プロモーターのフェイドを演じたファブ・ファイブ・フレディ ©New York Beat Films LLC

有太:この映画の中でも「どうも腹の中で何を考えてるんだか、今イチ、信用できないよ」と言われる役を演じていますが、ブロンクスのヒップホップの盛り上がりを世に紹介するため、実際に裏で糸を引いていたのも彼だったということですね。

K DUB:『Yo! MTV Raps』(1988年にスタートしたヒップホップ専門番組)でずっと司会をしていて。彼は翻訳者というか、お金を持ってヒップホップを広めようと、ダウンタウンのギャラリーで絵を見せたり、自分たちの文化を外に広げようと動いた人だから。今作の主人公を務めることになるグラフィティ・ライターのリー・ジョージ・キュノネスのことを映画にしたい、という構想を持っていた監督のチャーリー・エーハンに、「ヒップホップの映画を作るならブレイクダンスもグラフィティもラップもDJも全部入れるべきだ」とその気にさせたのが彼だったそうですよ。

有太:リーが主役になるまでにも、諸説ありますが、フューチュラ(ファブ・ファイブ・フレディ、パティ・オースター、ジョー・ルイスの3人で話しているシーンの後ろにドンディと映っているアーティスト)や他のグラフィティ・アーティストにも主役の話が行ったなど、紆余曲折があったそうです。リーは、当時グラフィティ・ライターとして正体を明かさないまま名声を得ていた立場で、顔を出していいのか、悩んでいた。彼の鼻の傷は小さい頃にガラスボトルの破片が飛んできてついた、トレードマークとも言えるものですが、撮影の時リーはその傷をメークで隠そうとしたらしいです。

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映画『ワイルド・スタイル』より、主人公のグラフィティ・ライター、ゾロを演じたリー・ジョージ・キュノネス ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より、グラフィティ・ライターのローズ役のサンドラ・ピンク・ファーバラ ©New York Beat Films LLC

K DUB:チャーリー・エーハンは、リーのガールフレンドで同じくグラフィティ・ライターのローズを演じたサンドラ・ピンク・ファーバラにも出演を依頼し、「お前の彼女と絡むシーンを他の男に演じさせてもいいのか」とリーを口説き落とした。

有太:逆に、リーがギャラリストの女性と絡むシーンの撮影では、ピンクが偵察に来たんですよね。

K DUB:そんなふうに、実際に恋仲だったふたりの淡いラブストーリーがこの映画のベースになっているんです。それから、ダブル・トラブルのエピソードもいいよね。シルビア・ロビンソンにこの映画に出るのを止められて、ロドニー・シーとK.K.ロックウェルがファンキー・フォー・プラス・ワンを脱退して、チャーリー・エーハンに直接連絡したところ、ふたりのシーンを用意してもらった。

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より、ダブル・トラブル。所属していたシュガーヒル・レコードへの皮肉をそのままラップしている。 ©New York Beat Films LLC

有太:そんな経緯で結成されたダブル・トラブルですが、2000年頃にロック・ステディ・クルーのアニバーサリー・パーティーでライブを観たことがあります。映画で披露されるフロウも生で聴けて、ふたりの掛け合いは絶妙。今も健在なスキル、ショーマンシップを十分に感じるものでした。

当時の人たちが原型のまま脚色されず、
そのまま映っている(有太)

K DUB:ファブ・ファイブ・フレディは『Yo! MTV Raps』の取材に1993年に日本に来て、六本木のクラブで行われたヒップホップ・パーティーを撮影して1時間番組として放送したんです。そのときにキングギドラ(Zeebra、K DUB SHINE、DJ OASISからなるヒップホップ・グループ)やマイクロフォン・ペイジャー(MURO、TWIGYが在籍したヒップホップ・グループ)、YOU THE ROCKも出ていた。彼は10年前、『ワイルド・スタイル』公開時に日本に来ているから「日本で蒔いた種がこんなに成長している」とご満悦だったんじゃないかな。

K DUB SHINEさん×平井有太(マン)さん
K DUB SHINEさん[右]と平井有太(マン)さん[左]

有太:『ワイルド・スタイル』が日本で公開されて、「笑っていいとも!」に、来日中だった出演者の面々が出ていたのは観ていましたか?

K DUB:俺中3で受験だったから学業に専念していて観ていなかったんだ(笑)。「11PM」で藤本義一とファブ・ファイブ・フレディが対談したとかね。

有太:「タモリ倶楽部」に出演して、タモリさんにDJ、スクラッチを教えていたチャーリー・チェイスのことは2006年、「Liquor, Woman&Tears」というアパレルショップのオープニングに合わせて招聘しました。

K DUB:93年の来日時に手伝ったのがきっかけで、ニューヨークに行ったときに、ファブ・ファイブ・フレディの家に行くことになった。当時彼が監督したNASの「ONE LOVE」のミュージック・ビデオを観せてもらって、確かにいい曲、いいビデオだなと思ったのが、ファブ・ファイブ・フレディとの思い出です。

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より、ロック・ステディ・クルー ©New York Beat Films LLC

有太:映画のなかに一瞬登場する、ウォーホルのキャンベル・スープ缶を描いた車両はファブ・ファイブ・フレディによるものです。彼は、文字だけを描くわけではなく、ちょっとおしゃれに時代の最先端を取り入れていた人なんです。

当時のポスターの真ん中に映っているフロスティ・フリーズ、劇中リーのスタントとして登場する天才ドンディ、そしてラメルジー(最後のライブ・シーンに登場、その貴重な姿を見ることができる)も亡くなってしまっています。また、フロスティの両脇はドーズ・グリーンとケン・スウィフト。 クレイジー・レッグスは今もロック・ステディ・クルーを率いる象徴的な人物ですが、中心メンバーであったドーズは絵描きとして世界的に活躍されていますし、当時から一番のおシャレとされていた。そして、ケン・スウィフトは“PRINCE”の称号と共に、B−BOYとして最もリスペクトされている、孤高の天才です。

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映画『ワイルド・スタイル』より、前列真ん中がフロスティ・フリーズ、左がドーズ・グリーン、右がケン・スウィフト。後列真ん中がファブ・ファイブ・フレディ、左がパティ・アスター、右がサンドラ・ピンク・ファーバラ ©New York Beat Films LLC

7、8年前、たまたまドーズとケニーと過ごした夜がありました。ブルックリンのウィリアムスバーグに一瞬、ケニーがオープンしたB-BOY専用バーがありました。カウンターで酒が出て、店のほとんどは体育館のような、酒を呑んでブレイクダンスをしようという酔狂なバーで、ケニーが直接酒もつくってくれる、スキモノ垂涎の店でした。

そこで深夜3時、ふたりでブレイクダンスする姿を目撃した上に、かかっているブレイクビーツも聴いたことないものばかり。当時40代半ばから後半であろうふたりは、終始汗だくですさまじくオリジナル、素晴らしくタイトな踊りを、観客ゼロのところで続けていて、オリジネイターたちのタフさ、本物っぷりを見せつけられた……そんな一夜でした。

K DUB:この映画の後、『ビート・ストリート』(1984年/スタン・ラサン監督)や『クラッシュ・グルーブ』(1985年/マイケル・シュルツ監督)を観てみたんですが、それらの作品のほうがさらに洗練されてはいるんだけれど、歴史的な価値はこの作品がいちばん高いです。

有太:全てが詰まっている。でも、日本のヒップホップ・シーンも、この映画のように、栄枯盛衰や苦労はあるんじゃないですか?

K DUB:あるでしょうね。この当時ほど劇的じゃない。当時からはガラッと変わってしまったでしょう。

有太:さんピンCAMP(1996年7月7日に日比谷野外音楽堂で開催されたヒップホップイベント)には20歳で客として行っていました。『ワイルド・スタイル』の最後は、さんピンDVD最後の野外音楽堂をバックにエンドロールが流れるシーンと、シンクロします。

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC
映画『ワイルド・スタイル』より、ラストの野外音楽堂でのライブ・シーン ©New York Beat Films LLC

K DUB:最後に、アフリカ・バンバータ(今作に登場しないものの、3人いるヒップホップ文化創始者のひとり)は、「グラフィティの起源は原始時代の壁画だ」と言いますが、この映画がすごいのは、ヒップホップというアートを作っていた人がみんな実際に登場しているところ。

有太:しかも原型のまま脚色されず、そのまま映っているというのが感動的です。僕はこの作品を30回は観ましたが、観るたびに発見があります。

K DUB:みなさんも2回、3回と観てほしいです。

(2015年3月21日、渋谷シネマライズにて 構成:駒井憲嗣)



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ストリートの"現象"から生まれたヒップホップというカルチャー(Text:荏開津広)
(2015.3.13)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4624/




映画『ワイルド・スタイル』
渋谷シネマライズ、シネ・リーブル梅田にて公開中、
他全国順次公開

映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。グラフィティライターのレイモンドは、深夜に地下鉄のガレージへ忍び込み、スプレーで地下鉄にグラフィティを描いていた。レイモンドのグラフィティはその奇抜なデザインで評判を呼んだが、違法行為のため正体を明かせずにいた。もちろん、恋人のローズにも秘密だ。ある日、彼は先輩のフェイドから新聞記者ヴァージニアを紹介される。これまでに何人ものアーティストを表舞台に送り出してきたバージニアから仕事の依頼が舞い込むが、仕事として描くことと自由に描くことの選択に思い悩む……。

監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン
音楽:ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)、クリス・スタイン
撮影:クライブ・デヴィッドソン キャスト:リー・ジョージ・キュノネス/ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)/サンドラ・ピンク・ファーバラ/パティ・アスター/グランドマスター・フラッシュ/ビジー・ビー/コールド・クラッシュ・ブラザーズ/ラメルジー/ロック・ステディ・クルー、ほか
提供:パルコ
配給:アップリンク/パルコ
宣伝:ビーズインターナショナル
字幕:石田泰子
字幕監修:K DUB SHINE
1982年/アメリカ/82分/スタンダード/DCP

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/wildstyle/
公式Facebook:https://www.facebook.com/1536356179967832
公式Twitter:https://twitter.com/WILDSTYLE_movie

▼映画『ワイルド・スタイル』予告編

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