骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2015-03-13 14:40


80年代サウス・ブロンクスの熱気と美意識をそのまま封じ込めた『ワイルド・スタイル』論

ストリートの"現象"から生まれたヒップホップというカルチャー(Text:荏開津広)
80年代サウス・ブロンクスの熱気と美意識をそのまま封じ込めた『ワイルド・スタイル』論
映画『ワイルド・スタイル』より、ファンタスティック・フリークス ©New York Beat Films LLC

1983年に公開され、「HIPHOP カルチャー」を全世界に広め衝撃を与えた伝説的映画『ワイルド・スタイル』が3月21日(土)より、渋谷シネマライズ、シネ・リーブル梅田ほかにてロードショーとなる。今回は公開にあたって、荏開津広氏が今作の制作から公開に至るまでの経緯、そして今作がその後のカルチャーに与えた影響について綴ったエッセイを紹介する。

変わりながら紡ぎだされる、カラフルな意味
─ワイルド・スタイル
文:荏開津広
(執筆/DJ/オール・ピスト東京 京都精華大学非常勤講師)

1982年に『ワイルド・スタイル』は、ドキュメンタリー/劇映画というかたちで初めてヒップホップの光景を統合的に捉えただけでなく、(今ではヒップホップとして知られている)ストリートに起こっていた様々な現象を接合し、(後のヒップホップという)カルチャーを形作ったのであった。

様々な現象とは、ヒップホップの四大要素と後に名付けられたラップ、DJ、グラフィティ、ブレイク・ダンスのことだ。

少し考えてみると、DJとラップ・ミュージックは音楽だから一緒に扱われるのはともかく、なぜグラフィティやブレイク・ダンスが同じ「ヒップホップ」という名前の傘の下に入れられるようになったのかという疑問はわく。

チャーリー・エーハンは、1973年にホイットニー美術館のアート・プログラムを受講しにニューヨークにやってきた。彼は映画制作について学んだことはなかったが、その後16mmカメラを持ってニューヨークをうろつき始め、1977年には、自分が好きだった『少林寺36房』や『五毒拳』といった巧夫映画を参考にマンハッタンはロウワー・イースト・サイドにあるアルフレッド・E・スミス団地の武術学校の師範を撮影し、『The Deadly Art of Survival』という8mm映画を制作した。この映画は翌年に完成するが、その撮影時に、チャーリー・エーハンは、不思議なものを団地の敷地内で見る──「ハンドボール・コートの壁にスプレーで描かれた不思議で色彩豊かな壁画(中略)、そして気が付くとジェームス・ブラウンの“ソウル・パワー”が耳の潰れんばかりの音で鳴り響く地元の体育館でのダンス合戦……」(※1)

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映画『ワイルド・スタイル』のチャーリー・エーハン監督 ©New York Beat Films LLC

その壁画の作者は1980年には実際に製作が開始される『ワイルド・スタイル』の主役、リー・ジョージ・キュノネスであるが、「それまでの何年かで見たアート作品の中で最も印象的なもの」(※2)だと思ったチャーリー・エーハンが団地の子供たちに聞くことができたのは彼がその絵(グラフィティ)の世界で有名であること、でも連絡先や住んでいるところは不明、ということだった。

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映画『ワイルド・スタイル』より ©New York Beat Films LLC

当時、リー・ジョージ・キュノネスと知り合いつるんでいた人間の1人にフェイド役を演じたファブ・ファイブ・フレディがいた。彼はリーと同様にファビュラス・ファイブというブルックリン在住(アルフレッド・E・スミス団地はブルックリン橋を渡ったマンハッタン側に位置する)のグラフィティ・ライターたちのグループのメンバーだったが、同時にダウンタウンのパンク・シーンに出入りしていた──「監督のチャーリー・エーハンと出会った頃の俺はちょうど〈CBGB〉のようなパンク・シーンに興味があって……〈CBGB〉の辺りの壁の落書きなんてまるで地下鉄のそれと同じだったんだ。ステージじゃギターをぶっ壊すミュージシャンが出てきたりして、音楽は違っても、これはヒップホップの中心、サウス・ブロンクスと同じ美意識じゃないかって俺、ひらめいたんだよね」(※3)。

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映画『ワイルド・スタイル』より、リー・ジョージ・キュノネス ©New York Beat Films LLC

彼はリーとエーハンの映画『The Deadly Art of Survival』を見た後、自分のアイデアをエーハンに話す。それは、“ラップ音楽とグラフィティを融合させた映画”というものだ──「ヒップホップは俺たちみたいなMCとB-ボーイズがグラフィティ・アーティストたちの描く落書きを背景にして繰り広げる終わりのない街頭オペラだよ」(※4) というのだ。

このアイデアを基に、物語は謎めいたグラフィティ・ライターであるゾロが登場するところから始まり、野外音楽堂のコンサートをクライマックスで幕を閉じる。このプロットはエーハンのアイデアだというが、当時外部の人間が足を踏み入れることがあまりなかったアルフレッド・E・スミス団地でのリー・ジョージ・キュノネスの壁画との遭遇や、その時にミステリアスな彼の存在感などへの印象がこの物語を彼に作らせただろう。そのように、この映画の設定やエピソードは実際に街や路上で起こっていた出来事や事実に基づいていた。

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映画『ワイルド・スタイル』より、グランドマスター・フラッシュ ©New York Beat Films LLC
(※1)チャーリー・エーハン、「チャーリー・エーハンのワイルド・スタイル外伝」(Presspop Gallery、2008年, p.13。
(※2)同上
(※3)今野雄二によるファブ・ファイブ・フレディ会見記、雑誌「BRUTUS」(マガジン・ハウス、1983年)、p.159。
(※4)同上
[本テキストの完全版は劇場用パンフレットに掲載]



映画『ワイルド・スタイル』
3月21日(土)より、渋谷シネマライズ他、全国順次公開

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1982年、ニューヨーク、サウス・ブロンクス。グラフィティライターのレイモンドは、深夜に地下鉄のガレージへ忍び込み、スプレーで地下鉄にグラフィティを描いていた。レイモンドのグラフィティはその奇抜なデザインで評判を呼んだが、違法行為のため正体を明かせずにいた。もちろん、恋人のローズにも秘密だ。ある日、彼は先輩のフェイドから新聞記者ヴァージニアを紹介される。これまでに何人ものアーティストを表舞台に送り出してきたバージニアから仕事の依頼が舞い込むが、仕事として描くことと自由に描くことの選択に思い悩む……。

監督・製作・脚本:チャーリー・エーハン
音楽:ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)、クリス・スタイン
撮影:クライブ・デヴィッドソン キャスト:リー・ジョージ・キュノネス/ファブ・ファイブ・フレディ(フレッド・ブラズウェイト)/サンドラ・ピンク・ファーバラ/パティ・アスター/グランドマスター・フラッシュ/ビジー・ビー/コールド・クラッシュ・ブラザーズ/ラメルジー/ロック・ステディ・クルー、ほか
提供:パルコ
配給:アップリンク/パルコ
宣伝:ビーズインターナショナル
字幕監修:K DUB SHINE
1982年/アメリカ/82分/スタンダード/DCP

公式サイト:http://www.uplink.co.jp/wildstyle/
公式Facebook:https://www.facebook.com/1536356179967832
公式Twitter:https://twitter.com/WILDSTYLE_movie

▼映画『ワイルド・スタイル』予告編

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