骰子の眼

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2015-02-27 15:14


フランス、ビキニ、カザフスタンの核の現実から福島を捉える─映画『わたしの、終わらない旅』

坂田雅子監督が語る製作の経緯と母・坂田静子さんによる脱原発のメッセージ『聞いてください』全文
フランス、ビキニ、カザフスタンの核の現実から福島を捉える─映画『わたしの、終わらない旅』
映画『わたしの、終わらない旅』より、核実験の模様を語るカザフスタンの老夫婦 ©2014 MASAKO SAKATA

ベトナム戦争での枯葉剤被害を追うドキュメンタリー『花はどこへいった』(2007年)『沈黙の春を生きて』(2011年)の坂田雅子監督の新作『わたしの、終わらない旅』が3月7日(土)より公開される。

坂田雅子監督は福島第一原発事故の後、1976年頃から長野県須坂市で薬局を営みながら反原発の運動に深く関わっていた母・静子さんが遺したミニコミ『聞いてください』にあらためて触れ、母の意志を継いで、世界各地の核に翻弄される人たちを描くことを決意。姉の悠子さんが近くに住み核燃料再生処理場があるフランスのラ・アーグ、1950年代からアメリカの水爆実験が繰り返されたマーシャル諸島、そしてソ連の核実験が行われたカザフスタンのセミパラチンスクで撮影を行った。

webDICEでは、坂田雅子監督のインタビュー、そして今作製作のきっかけとなった坂田静子さんが1977年に発表したミニコミ『聞いてください』第1号の全文を掲載する。




「市民の在り方、民主主義の在り方が問われている」
『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督インタビュー

■映画を撮り続けることで、生きている手ごたえを感じたい

──坂田さんの作品は、核を扱う本作でも、常にパーソナルな体温が感じられます。最愛の夫の死に向き合う『花はどこへいった』が、その原点だと思いますが。

あれは私の魂の叫びだったと思います。良くも悪くも、もうああいう映画は作れない。夫を失い、子どももなく、今は群馬の山の中で孤独な生活をしていますから、カメラを持って人に会いに行き、映画を撮り続けることで、生きている手ごたえを感じたいのでしょうね。映画にすがっているというか。
それに、一作撮っても終わりにならないんです。あれも言い残した、これも知りたい、枯葉剤を製造したモンサントなどの責任はどうなっているのか、と。それが『沈黙の春を生きて』につながりました。『沈黙の春』で半世紀も前に薬害や公害を予言していたレイチェル・カーソンにならい、私たちも50年先に想像力を働かせて責任をもたなければ、という思いでした。
その編集中に、原発事故が起きたのです。50年先どころか、目の前で。

映画『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督
映画『わたしの、終わらない旅』坂田雅子監督

──それで、すぐに映画制作を?

いいえ。毎日、暗い冬の空を見ながら、どうすればいいのか、日本はどこに行くのかと考えてばかり。私が住む群馬県利根郡みなかみの辺りは放射線量も高いので、外国の友人からは「日本を出た方がいい」と言われました。でも、いまこそ日本にいて何かしなければとも思い、そんないたたまれない気持ちの中で、母の遺稿集『聞いてください』を取り出したんです。生前に聞く耳を持たなかったことを、つくづく反省しました。それで、どうしてこんなことになったのかを自分なりに見ていこう、母のやって来たことを映像化できないだろうか、と思い始めたのです。

──お母様は1977年から反原発運動を続けられていたとか。

きっかけは、結婚して英仏海峡のガンジー島に住む姉からの手紙でした。「ガンジー島の対岸、フランスのラ・アーグにある再処理工場に日本の使用済み核燃料が来ると大騒ぎになっているが、日本ではどうなっているか」と尋ねてきたのです。子育てを終え、公害や靖国神社の問題など社会に目を向けていた母なら、わかると思ったのでしょう。

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より、ラ・アーグの再処理工場の状況を語る反原発市民活動家・ディディエ・アンジェ ©2014 MASAKO SAKATA

それで母は原発を勉強し始め、すぐに危険性を理解しました。放っておけない、どうしようと、宇井純さんなどにも相談し、手作りの新聞『聞いてください』をガリ版で100部刷り、長野県の小都市・須坂の駅前で一人で配り始めたのです。その最初の一歩を考えると、わが母ながら、どこからそんなガッツがでたのかと。よほど居てもたってもいられない気持ちだったのでしょう。

私にも送られてきましたが、ああまたか、うるさいなあという感じで、ディレッタント(趣味的)な生活を続けていて……夫が亡くなって映画を作り始めて枯葉剤の問題に向き合ったのです。そのとき、ああ、母が撒いた種は私の中で育っていて、やっと花開こうとしているのかなと思いました。

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より、カザフスタンで核実験による後遺症を持つ少女 ©2014 MASAKO SAKATA

■何を消費するかで日々の幸せを計ることを変える必要がある

──撮影はどのように進められましたか。

きっかけは姉からの手紙ですから、まずラ・アーグに行こうと、フランスの友人に相談しました。日本が再処理に躍起になっていた70年代に通訳をしていた人で、当時、日本から来る記者や電力会社の人がしきりに平和利用を口にした、と。フランスでは核は軍事ですから、なぜ平和利用と言うのか首をひねっていたそうです。それを聞いて、日本人がいかに平和利用と擦りこまれてきたかに気づき、そもそもの軍事へと目が向きました。

一方で、母の放射能測定器を持って福島に通っているときに、飯館村に入ると、車中でもカチカチッとすごい音がしました。その音を聞いて、これを持ってビキニに行ってみようと思ったんです。第五福竜丸が被爆した3月1日のビキニ・デーに合わせて発ち、キリ島に強制移住させられたまま、いまだに自分の島に帰れない人達の悲哀を知りました。

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より、坂田雅子監督の亡き夫である写真家グレッグ・デイビスが1984年に撮影したマーシャル諸島・キリ島の人々 ©2014 MASAKO SAKATA

──福島の映像は入っていませんね。

じつは福島に一番多く出かけ、最も長く撮りました。ところが、いろいろなものがありすぎ、逆に見えてこないのです。出会う人の数だけ心打たれる話があり、日々、状況も変わってゆく。どう話をまとめたらよいのか。歴史的、地理的、物理的に引くことで、よりよく見えてくるのではないかと、撮りながら思っていました。

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より、物資の支援を待つマーシャル諸島・キリ島の人々 ©2014 MASAKO SAKATA

──逆に他所から福島が見えます。ラ・アーグでも、家電工場の建設だ、雇用増大だと地元民を言いくるめ、建設してしまえば汚染や病気の訴えにも「関係ない」の一点張り。福島も同じ構造です。

「人を殺して電気を使うのか」と言う人がいますね、あれが一番響いた言葉です。
それと、「日本では大きなプロジェクトが動き始めると止められない」と物理学者の高木仁三郎さんが言っています。でも、どこかでブレーキをかけなければいけません。止めるのは市民の力だと思います。だから、市民の在り方、民主主義の在り方が問われている。その意味で沖縄に注目しています。
大衆消費社会も問題です。ものを考えず、何を消費するかで日々の幸せを計る。それを変える必要があるでしょうね。

──次回作のテーマは?

再生エネルギーでしょうか。何にせよ、残された時間で、少しでもできることをしていきたい。『聞いてください』で母が書いているんです。「現実の原発ラッシュの前に無力感を覚えることもあります。でもまた元気を出して考えなおします。蟻だって集まれば巨象を倒すこともできるではないか」と。本当に倒せるかはわかりませんが、いい言葉だと思います。

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より、カザフスタンの核実験場跡地 ©2014 MASAKO SAKATA
(オフィシャル・インタビューより インタビュアー:中村富美子)



坂田静子さんによるミニコミ
『聞いてください』第1号(原子力発電について)
1977年5月29日発行

坂田静子さん
『聞いてください』を発行した坂田静子さん
聞いてください
『聞いてください』第1号(*クリックで拡大表示されます)

じっとしていられない気持ちから手作りの小さな刷り物をお手元にお届けします。不慣れで字も揃わずお読みになりにくいでしょうが、どうぞ大目に見て下さいますように。

2月の終わり頃、英仏海峡の小さな島で夫や子どもと暮らしている娘から、次のようなショッキングな便りが来ました。それによると、

「対岸のラ・アーグ(仏)に原子力発電(原発)の再処理工場があって、そこから洩れる放射能で牛乳や海産物が汚染されて被害が出始めている上に、近く大拡張の予定との事で、しかもそこでは日本の原発の廃棄物の大部分が再処理される予定との事です。万一大事故が起これば25マイル以内は吹き飛んでしまうといいますが、そうでなくとも大気中や海に放出され続ける放射能の影響が恐ろしいので、皆で相談して反対してゆくつもりですが、英・仏と国も違い、ここは人口が少ないので、どこまでやれるか不安です。日本ではこういう事を知っているのでしょうか。反対している人もいると聞きましたが……。資料があったら送って下さい」というものでした。

私もこれまで原発の危険性について「消費者レポート」等を通して知らされ、心配はしていましたが、いきなり目の前に緊急の課題として突きつけられた思いで、すっかり慌ててしまいました。

2歳の誕生日にあちらへ行き、今年は4歳になる孫もいますし、秋には次の孫も生まれる予定です。幼いものたちが危ない!

急いで東京の反原発グループを捜して連絡を取り、送られて来た資料を娘にも送り、自分でも夢中で読みました。するとこれは外国の問題だけではなく、日本でも今すぐ、皆で考えなくてはならない、本当に大変な問題だということがひしひしと身に迫って感じられました。原子力発電の安全性や必要性は日本でも大きくPRされて来ましたが、危険性、問題性はあまり報道もされていません。


電力会社や政府は、原発で故障が起こってもできるだけ隠そうとし(美浜では大事故が4年間隠されていた)、原発で働いていた人々が癌や白血病になっても放射能の故ではない、と言い続けています(ことに下請労働者の被曝が大きな問題)。

けれど京都大学の市川定夫博士の研究によると、静岡県の浜岡原発の周辺に植えたムラサキツユクサの雄しべの細胞が、原発運転時に青からピンクに変わり、特に風下では色の変化が顕著で、放射能の影響による突然変異を明らかに示しているということです。その放射能は植物にだけ作用するわけではなく、人の細胞、ことに細胞分裂の盛んな胎児や乳幼児への影響が心配されています。ムラサキツユクサのように、すぐ目に見えないだけのことです。20年、30年先のこと、子どもや孫、またその子どもたちのことが心配です。

自然界にも放射能は存在し、人間は否応なしにそれを浴びているのだから、少しくらいのことは心配ないと言う人もあるそうですが、自然界のものと、すぐ近くに強力な発生源のある人工の放射能とでは比較にならない影響力の差があるそうです。

また、原発の排水中に含まれる放射性物質は、最初は微量であっても、海草やプランクトンに吸収され凝縮され、さらに魚、貝などにも凝縮されて何百倍、何万倍となって私たちの体のなかに入ってきます。
イギリスのウィンズケールにも再処理工場があり(そこではすでに日本の使用済核燃料の再処理をしています)、そこでも放射能洩れは日常茶飯事だそうですが、付近の住民が食べるボルフィラという海草が汚染されて放射能障害を受けたとのことです。

再処理工場というのは、ただでさえ危険な原発の、さらに300倍もの放射性毒物をつくり出してしまう所で、それだけの排出を止むを得ないものとして認められています。煙突は原発の2倍の高さにし、排水管は沖合2キロメートルまで延長して、その上、再処理によって取り出されるプルトニウムは、原爆の材料となり、1グラムで100万人を肺癌にするという猛毒で、その放射能の半減期が何と2万4000年! ということです。


アメリカのカーター政権は、日本を始め各国に再処理をしないように働きかけていますが、どの国もなかなか断念しそうもありません。

しかし、そんな恐ろしいものを次々と作りだして後始末はいったいどうするのでしょうか。プルトニウムの管理の方法も次々に出る死の灰や放射性廃棄物の捨て場もなく、廃棄物をドラム缶に詰めたものだけでも日本中では8万本も溜まっているそうです。それらは最低数百年の管理が必要とのことですが、誰が責任を持つのでしょうか。こんな悪魔のような遺産を押しつけられて、われわれの子孫はどうやって生きてゆけるというのでしょう。

より快適な生活のために、もっとエネルギーを、原子力発電を、と言ってこれ以上毒物を作り続け、その後始末を子孫に押しつけることは、とんでもない犯罪ではないでしょうか。

「われわれの先祖は罪を犯してすでに世になく、われわれはその不義の責を負っている」(哀歌5章7節)

子孫をこのように嘆かせないために、私たちは今すぐ、真剣に考え始めようではありませんか。




坂田雅子 プロフィール

1948年、長野県生まれ。65年から66年、AFS交換留学生として米国メイン州の高校に学ぶ。帰国後、京都大学文学部哲学科で社会学を専攻。1976年から2008年まで写真通信社に勤務および経営。2003年、夫のグレッグ・デイビスの死をきっかけに、枯葉剤についての映画製作を決意し、ベトナムと米国で、枯葉剤の被害者やその家族、ベトナム帰還兵、科学者等にインタビュー取材を行う。2007年、『花はどこへいった』を完成させる。本作は毎日ドキュメンタリー賞、パリ国際環境映画祭特別賞、アースビジョン審査員賞などを受賞。2011年、NHKのETV特集「枯葉剤の傷痕を見つめて アメリカ・ベトナム 次世代からの問いかけ」を制作し、ギャラクシー賞、他を受賞。同年2作目となる『沈黙の春を生きて』を発表。仏・ヴァレンシエンヌ映画祭にて批評家賞、観客賞をダブル受賞したほか、文化庁映画賞・文化記録映画部門優秀賞にも選出された。




映画『わたしの、終わらない旅』
3月7日(土)より、ポレポレ東中野ほか全国順次ロードショー

映画『わたしの、終わらない旅』より
映画『わたしの、終わらない旅』より ©2014 MASAKO SAKATA

製作・監督・撮影・編集:坂田雅子
プロデューサー:山上徹二郎
編集:大重裕二
整音:小川 武
製作協力・配給:シグロ
2014年/日本/日本語・英語・仏語・ロシア語/78分/カラー

公式サイト:http://www.cine.co.jp/owaranai_tabi/
公式Facebook:https://www.facebook.com/owaranaitabi
公式Twitter:https://twitter.com/siglojp


▼映画『わたしの、終わらない旅』予告編

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