「私はシャルリー」
1月11日の日曜日、パリで行われたテロに抗議するデモに行ってきた。
昨日、webDICEの日記ではテレビを見ながらパリの友人と話していたデモのプラカード「私はシャルリー」について書いたが、マスメディアで報道されるイメージと、実際にデモに参加したイメージは違った。
テレビでは、メッセージといえば「わたしはシャルリー」一色だったが、デモでは違った。
さすがに「わたしはシャルリーではない」というネガティブな表現はなかったが、「私はシャルリー、私は警官、私はユダヤ人、私はムスリム」と亡くなった人の属性を併記したプラカードもあった。
フランス国旗が多かったが、各国の国旗もあったし、様々なメッセージのプラカードが掲げられ、様々な人種がデモをしていた。
それはテレビのスタジオとは違い、テロに反対し、亡くなった人を追悼し、それに抗議するのが一人ではなく、デモの参加によって連帯して抗議しているのだという人々の自然な感情だった。時々拍手の波が起き、時々フランス国家が歌われたが、声を出して歌っている人は半分くらいだった。
日記ではなぜ「私はテロに反対する」「私は表現の自由を支持する」というプラカードにならず「私はシャルリー」なのかの疑問を呈したが、ロンドンの友人によると「若い親が子どものパズル絵本『ウォーリーを探せ』の台詞「私がウォーリー」とのダジャレで「私がシャルリー」とツイートしたのが広がったらしい。意図的政治的なものではないはず」という見解だった。
それをテレビがキャッチーなのでそのプラカードを映して何度も放送し、一日中画面にメッセージとして表示し拡散したのだろう。
「私はシャルリー」は反テロの記号として使用され、映画館やカフェのウィンドウにもそのメッセージがあった。おみやげ屋では早速そのTシャツが売られていた。
ル・モンド紙によるとフランス全土で400万人、パリで150万人(東京都の人口1335万人、パリの人口221万人)も集まったデモなので、その全体像は誰も把握できない。僕はデモが3時にスタートするのでスタート地点である共和国広場に向かうためにポンピドゥーセンター近くのサン・ドニ通りを2時40分に部屋を出たのだが、後で知ったが当日は地下鉄も運転を制限されていたので、とんでもない人数がすでにスタート地点に向かって歩いていた。10分も歩くともう歩けなくなり、道路一帯がラッシュアワーの電車の中のようになった。立ち止まること40分ほど、横道にそれたがそこも人の流れができていて、それに従って歩いて行くと、メインのデモとは別のルートのバスティーユ広場に結局2時間かけてたどり着いた。
地下鉄はその地区では運転していないので歩いて元来た道を戻った。
6時半頃友人の部屋に戻りチャンネル2を見ていると、昨日と違い、アラブ系女性や黒人がコメントを述べている。日本のネットを見るとすでにデモは終わったように報じられているけど、テレビは共和国広場から中継を続けて、まだまだ人が集まってきていた。
デモの最前列にドイツのメルケル首相、パレスチナのアッバース代表とイスラエルのネタニヤフ首相らが腕を組み一列に並び、フランスのオランド大統領は残されたシャルリー・エプドの編集者や遺族たちと抱擁をしている。このシーンが何度も流される。
さらに、テレビではライブ映像で、亡くなったユダヤ人を追悼するためにシナゴーグを訪れるネタニヤフ首相とオランド大統領の映像が流される。
昨年の7月のガザ空爆で1460人とも報じられる民間人が殺されたことを考えると、イスラエルのネタニヤフ首相が参加するデモの最前列とデモの後方の一輪の花を持って犠牲者を追悼しようとする市民の気持ちとはあまりにも距離がありすぎ、このデモがそう単純ではないことがわかる。
一緒にテレビを見ていた友人は「だいたいデモは反政府デモが普通。でも、これは世界各国の要人が先頭を歩く、こんな政府主導のデモは見たことがない」と言った。
チャンネル2ではライブのニュースから特別番組「私はシャルリー」に変わり、大ホールでの討論番組が始まった。そのホールで突然、歌手が歌いだすので、フランス語のわからない僕は、追悼の番組なのか、討論の番組なのか、エンターテインメントの番組なのかは区別がつかなかった。
パリに18年住んでいるアメリカ人の友人はそれを見て「いまだに僕はフランスが理解できない、でもフランスではフランス語の歌というのは重要なんだ」と言っていた。
(文・写真:浅井隆)
「連帯にイエスを」
「自由」
「民主主義、友愛、自由、平等」
「我々はシャルリーです」
「市民よ鉛筆をとれ!」
2011年発行のシャルリー・エブドより、預言者ムハンマドを同性愛者として描いた風刺画
中国語で書かれた「私はシャルリーです」
「恐れない」
「私はシャルリー、私は警官、私はユダヤ人、私はムスリム」
「我々の価値観は恐怖よりも強い」
「狂信者を打倒せよ ヴォルテールはシャルリーだ」※ヴォルテールはフランスの哲学者。表現の自由についての「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利には賛成だ」という言葉で知られる。
「(ル)ペンは俺の鉛筆に触れるな」※定冠詞+ペンと極右政党党首の名前ルペンをかけている
「なんてなめらかなペンさばきだろう!カブありがとう」※右は殺された漫画家のジャン・カブ
「私はシャルリーです。私は人間です。私は作家です。私は反抗者です。私は自由です。私は雇われ人です」
「ソルボンヌはシャルリーだ 表現の自由」
「我々は共にいる」
「シャルリー・エブド初のセール 50%オフ」「パリはシャルリーだ」「悲嘆に暮れる政界 DSK(ドミニク・ストロス・カーン)のペニスさえ喪に服している」※ドミニク・ストロス・カーンは2011年に性的暴行・強姦未遂容疑で逮捕された
「平和 愛 熟考 教育」
「懐柔にNO シャルリーにYES シャルロとファシストたちにNO」※シャルロはチャップリンの愛称であり、道化者・嘘つきのこと 「自由 愛しの自由 シャルリーの自由」「テロリスト製」
「私は政治屋ではない 彼らの前の宗教には糞食らえ」
「2人のバカ、1人のニューロン、12人の死者、6500万人のシャルリー」
「表現の自由は宗教を問わない」
「私はシャルリー」という日本語のプラカードを掲げた女性。
「一つの殺人にはもう一つが隠れているかもしれない」
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襲撃を受けた風刺週刊紙シャルリー・エブドとは?(2015.1.9)
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