映画『オマールの壁』より
2016年公開の映画『オマールの壁』が、11月26日に東京都豊島区の立教大学池袋キャンパスで開催された「『パレスチナ人民連帯の国際年』記念シンポジウム」(主催:国連 広報センター等)にて先行上映された。
『オマールの壁』は、自爆攻撃を決意した若者たちを描いた『パラダイス・ナウ』で世界的に高い評価を得たハニ・アブ・アサド監督の新作。占領下のパレスチナに暮らす若者たちの友情や恋を切実にサスペンスフルに描いた作品だ。ハニ・アブ・アサド監督は今作で製作、脚本、監督を務め、2013年のカンヌ国際映画祭・ある視点部門で審査員賞受賞を受賞、さらに2014年の米アカデミー賞外国語作品賞にパレスチナ代表としてノミネートされた。これまでパレスチナでは、フランスなど外国との共同出資で映画製作をしてきたが、今作はパレスチナ初の100%自国出資作品となっている。
webDICEでは、11月29日の「パレスチナ人民連帯国際デー」に掲載したニュースに続き、ライターの鈴木沓子氏によるシンポジウムのレポートを掲載する。
※本シンポジウム上映時のタイトルは『オマール、最後の選択』でしたが、2016年4月16日(土)からの劇場公開にあたり『オマールの壁』と見出し・本文のタイトル表記を変更いたしました。
『オマールの壁』で描かれる
パレスチナ問題の現実と怖しさ
映画『オマールの壁』が日本で初めて先行上映されたので観に行った。上映場所は試写室ではなくて、「パレスチナ人民連帯の国際年・記念シンポジウム」の会場、立教大学。何の記念だろうと思ったら、毎年11月29日は、1947年に国連決議でパレスチナ分割決議が採択された日を記念する「パレスチナ人民連帯国際デー」で、さらに2014年は国連が定めた「パレスチナ人民連帯の国際年」なのだそうだ。それを知って、なんて皮肉なんだろうと思った。今夏忘れられない出来事と言えば、イスラエル軍によるガザ地区侵攻の惨劇だった。イスラエルを辛辣に批判する首相も何人かいたし、文化人や一般人の署名抗議運動も各地で広がって国際世論が強く停戦を訴えたにも関わらず、2,000人以上のパレスチナ市民が犠牲になり、住宅や学校、医療機関は全半壊、10万人以上が住む家を失う事態に陥ることを誰も止められなかったのだから。
……と、新聞記事のように被害者の人数、破壊の大きさを数字で書いてみても、多分その悲劇は世界に“正しく”伝わらないのだろう。自分自身、それが現実的にどういうことだったのかわかっていない。いまようやく国連人権理事会の調査団がガザ入りしたというニュースがあったけれど、先月まで同調査団はイスラエルへの入国さえも拒否されていたほど。「よく知らないし、わからない。だから充分な議論がされないまま、惨劇は横行していく」。それが、映画『オマールの壁』を観て改めて気づいたパレスチナ問題の現実と怖しさだった。
映画『オマールの壁』より
物語はフィクションだが、イスラエル占領下で生きる若者の葛藤を描いた人間ドラマを通じて、パレスチナ人がいま直面している問題が浮かび上がってくる。なぜ主人公のオマールは恋人に会うために、監視塔から発砲される危険を犯してまで分離壁を乗り越えなければいけないのか。そもそもなぜ故郷が分断されたのか。なぜ市民は秘密警察の厳しい監視の目にさらされているのか。どうして家族や幼なじみ同士で疑り合い、バラバラに引き裂かれてしまうのか。どれも新聞やテレビの報道では伝わりきっていない悲劇の内実ばかりだ。
映画『オマールの壁』より
上映後、中東関係者によるパネルディスカッションで明らかになったのは、それらは演出ではなく、ありのままのパレスチナを描いた現実だということ。ニューヨークの国連本部から来日したマーヘル・ナセル氏(国連広報局長代行)は、「私自身もパレスチナ人で、まだ兄弟が現地に住んでいるので、故郷を思い出してしまいました。それほどこの映画は現実を切り取っています。物語は青春映画であり恋愛ドラマではありますが、パレスチナ人の人権問題や安全保障問題の現実を鮮明にありのままに伝えている作品だと思いました。この映画を観たのは今日で3回目ですが、毎回新しい発見があります」と挨拶した。
「『パレスチナ人民連帯の国際年』記念シンポジウム」に登壇した国連広報局のマーヘル・ナセル氏(左)、立教大学教授の長有紀枝氏(右)
この日のためにガザから来日した日本国際ボランティアセンター(JVC)の現地職員・金子由佳氏が、映画の舞台であるパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区を隔てる「分離壁」を中心に、パレスチナ人が置かれている現状についての詳しい報告が続いた。やっぱりパレスチナ問題は、分離壁の存在と「ガザ地区封鎖」なくしては語れない。
「『パレスチナ人民連帯の国際年』記念シンポジウム」より、国連広報センターの根本かおる氏(左)、アップリンク社長・浅井隆(中央)、JVCガザ現地職員の金子由佳氏(右)
金子氏の報告によると、分離壁は、ベルリンの壁の約3倍もの高さ、厚さ、距離を持つほどの大きさで、あちこちに、イスラエル軍が駐留する検問所と監視塔があるという。その数がすごい。「壁の検問所は542個もあって、 2012年の時点で、壁を通過しようとした救急車 591台のうちに通過できたのはたった41台だけ。検問所で死亡した人は135人にも上り、中でも急患の妊婦は検問所で出産を余儀なくされ、その多くが死産となりました」(金子氏)という報告にやるせなくなった。
当日、金子氏がスライドで発表した資料より
金子氏資料より、分離壁は1949年のグリーンライン(休戦協定で定められた境界線)より2倍の長さ
金子氏資料より
金子氏資料より
金子氏資料より、1993年のオスロ合意以降15万戸のパレスチナ人の家屋が破壊され、53万戸のイスラエルの家が建てられた
つまり、イスラエルはこの分離壁を「自爆テロからの自衛のため」としているが、ガザ封鎖によって人々を封じ込めてぎりぎりの食糧と電気しか与えずに隔離する、事実上の民族浄化とジェノサイドなのだ。第三次中東戦争でイスラエルがパレスチナを全面的に占領した後、イスラエルはパレスチナの地場産業を崩壊して、水道や電気、病院や学校などのライフラインを完全支配した。そして分離壁ができて、人や物資の通過も制限され、学校や仕事や病院に行くにも、この検問を通過しなければならなくなった。そのためにイスラエル政府側が発行する通行許可証は、すべての人が許可証をもらえる訳ではないという。
そうやって、60年間も180万人が閉じ込められたガザの人には「すべて人は、自国その他いずれの国をも立ち去り、及び自国に帰る権利を有する」という世界人権宣言で保証されている自由すらない。そのどこにも逃げ場がない状態で、今回のガザ攻撃が展開されたと思うと言葉を失ってしまう。
長有紀枝氏(立教大学教授)の話で、緒方貞子さんが国連高等弁務官事務所(UNHCR)の代表だった頃「人道支援はただ人の命をつなぐだけで、根本的な解決にはつながらない。政治問題を解決できるのは政治だけです」と話していたと聞いて、納得した。やはりパレスチナの問題は、宗教や民族紛争問題として語るのではなく、イスラエルがパレスチナを占領後、いかにパレスチナ人を迫害しているか、人権侵害問題として語るべきだ。
本作を来年日本で配給するアップリンクの浅井隆社長は、「今年7月のイスラエル軍によるパレスチナ・ガザ地区への集中空爆によって多くの市民が犠牲になったときに、国連人権理事会は、イスラエルの軍事作戦を非難する決議案を採択しましたが、日本は残念ながら棄権しています。現状を変えるには政治を変えること、その政治を変えるのは、選挙しかありません。選挙に参加しましょう」と呼びかけていたが、本当に今私たちができることは、声を上げて、政治を変えていくことからだと思う。パレスチナへの救援物資や募金に協力するなどの人道支援も素晴らしいが、「ガザ地区封鎖」の解除を訴え、イスラエルの暴走を政治で止める行動なくしては、無意識のうちに、イスラエルの共犯者になってしまうことだってある。
webDICEのトピックスより 「国連人権理事会イスラエル非難決議採択 日本棄権」(2014-07-24)
長氏は「日本人は、地震など自然災害の被害者にはとても共感できるけれど、こうした紛争地区の被害者には、“自分たちとは関係ない”と共感しづらい側面を持っているが、ぜひこの映画を観て何かを感じたら、他の人に広めてほしい」と話していたが、これにはマスメディアの責任もあると感じた。例えば、ハマスはパレスチナで貧しい人を支援するNGO活動から始まって選挙で選ばれた“政党”なのに、いまだに得体の知れないテロ組織や過激派のように報じられていること。さらに、ガザの悲劇が、1967年から始まるイスラエルによる非人道的な占領支配、さらに1948年のイスラエル国家建設とパレスチナ難民発生の問題から始まっている事実をおざなりに報道されている現状がある。
金子氏資料より
作家のミハイル・シーシキンが「21世紀に、もはや『遠くのどこかの国とどこかの国がしている戦争』などありえない。すべての戦争がヨーロッパに住む私たち自身に関わる。そしてその戦争が始まっている」と書いていたように、日本とイスラエルも無関係ではない。むしろ安倍政権は急ピッチでイスラエルとの軍事協力を進めてきた。今年5月には来日したイスラエルのネタニヤフ首相と会談後、両国の安全保障に関する共同声明文に署名して“準同盟国”を結んだほか、武器輸出三原則の撤廃、集団的自衛権の行使容認と軍事ビジネスに向けた地ならしを着々と進めている。よりによって、国際世論の批判が集中しているイスラエルと。
欧米そして世界の悲願である中東和平問題において、先進国の中で数少ない非キリスト教国の日本ができることは他にもたくさんあったはずだ。少なくとも、この機に乗じて武器を売って儲けることではない。こうした安倍政権に目をつぶって、中東で起きている戦争にも目をつぶることは、日本でこれから起こる戦争もよしとしてしまうことになるのはあきらかだ。
かつてヒトラー政権下の強制収容所で、ユダヤ人大量殺戮の責任に問われて「自分は公務員として、公務を遂行しただけ」と無罪を主張したアイヒマンに対して、ユダヤ系女性政治学者のハンナ・アーレントが「これは考えることをやめた人間が犯した凡庸な悪」と指摘したその意味を、今、もう一度考えたい。そしてあきらめずに、選挙に行こう。そう強く思った。
(文・鈴木沓子)
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11/29は"パレスチナ人民連帯国際デー"パレスチナ映画上映(2014-11-29)
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映画『オマールの壁』
2016年4月16日(土)より角川シネマ有楽町、渋谷アップリンクほか全国順次公開
監督・脚本・製作:ハニ・アブ・アサド(『パラダイス・ナウ』)
出演:アダム・バクリ、ワリード・ズエイター、リーム・リューバニ ほか
原題:OMAR
配給・宣伝:アップリンク
2013年/パレスチナ/97分/アラビア語・ヘブライ語/カラー
公式サイト:http://www.uplink.co.jp/omar/
公式Facebook:https://www.facebook.com/omarmovie.jp
公式Twitter:https://twitter.com/OmarMovieJP