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『アメリ』のジャン=ピエール・ジュネ監督の新作『天才スピヴェット』が2014年11月15日(土)より公開となる。
10歳の天才科学者スピヴェットは、自分の才能を理解してくれない家族に黙って、権威ある科学賞の授章式に出掛ける為、アメリカ大陸を横断するという、壮大なスケールの家出を企てる。
天才少年スピヴェット役には、これが映画デビュー作となるカイル・キャトレット。7歳以下の武道選手権の世界チャンピオンであり、6ヶ国語を話すという特技も持つ、まさに"天才"と呼ぶにふさわしい少年である。そして、昆虫の研究に人生を捧げる風変りな母親役には、ティム・バートン監督作品でおなじみのヘレナ・ボナム=カーター。
本作で監督は自身初となる3Dに挑戦。独自の世界観を極めたデザインで徹底的に作りこんだ映像は3Dで観る価値あり!webDICEではジャン=ピエール・ジュネ監督のインタビューを掲載する。
「この物語の底辺にはメロドラマが潜んでいて、感情に真っ正面から取り組まざるをえませんでした」
ジャン=ピエール・ジュネ監督インタビュー
ジャン=ピエール・ジュネ監督
──まるでライフ・ラーセンがあなたを念頭に置いて執筆したかのような本「T・S・スピヴェット君 傑作集」はどのようにして知ったのですか?
そうですね、『ミックマック』の後、私はまたオリジナルのものを書く気にはなれませんでした。私は面白いことを代わる代わるやっていきたい性質なのです。そこで"読書家"のジュリアン・メッセマッカーズに、私が興味を持ちそうな本があれば教えてほしいと頼みました。ジュリアンは企画段階でしかなかった時に『アメリ』の概要を私に書いてくれた人物です。それはすばらしい概要で、映画で起きるあらゆることが書かれてあり、企画段階にあった私にとてもいい影響を与えてくれたのです!2010年の春、オーストラリアでコマーシャル撮影をしていた時、彼から電話があり、「いいか、新人のアメリカ人、ライフ・ラーセンが書いた処女小説、『T・S・スピヴェット君 傑作集』をじっくりと読んでくれ」と言われました。彼はその小説を私に送ってくれ、私は時差ぼけだったこともあってたった数晩で読み終わりました。見事な登場人物、感動的なストーリー、豊かなディテール、雰囲気、列車、モンタナ、開放的な空間などに私はワクワクしました。
──原作者とは会ったのですか?
ライフ・ラーセンと始めて会った時、彼は「『アメリ』を見た時、まるで誰かが私の頭の中をくまなく引っかき回したかのようだった」と私に言ってきました。そして私はある写真集をもらったのですが、その写真集は私が友人みんなに以前あげたことのあるものだったのです!年齢や経歴に違いがあるのに、私たちの間にはすぐに連帯感が生まれました。私たちはまるで同じ家族の一員のようでした。テイスト、こだわり、思い入れ、関心事がどれも同じなのです。今の彼は30年前の私です!
彼はこのプロジェクトに最初から最後まで付き合ってくれました。セット現場に来てもらったり、エキストラとして出演もしてもらいました。私たちは会って以来、e-mailのやり取りをしています。私はすぐに彼の本を映像化したかった。これは私自身の世界の一部の映画を作るチャンスだと考えました。しかし、同時に達成にはかなり時間がかかるとも思いました。言葉や、開放的な空間、アメリカの風景、3Dの使用といった理由からです。
──今、感情について話をして頂きましたが、映画の中で直接、特に最後のあのシーンでは、感情について真っ正面から取り組んでいますが、こういうのは実はこれが初めてですね。
その通りです。『ミックマック』ではいかなる感情も拒絶して、より漫画的に考えていました。しかし、あれは間違いでしたね。参考にしていたのはピクサーの映画でしたが、ピクサーの映画には必ず感情があります。感情は個性の問題です。バイオリンの才能を伸ばす必要がある人もいれば、そうではない人もいます。私はかなりの恥ずかしがり屋なので、自分の気持ちを控えめに、遠回しにしか言わないことがよくあります。
しかし、『天才スピヴェット』の物語の底辺にはメロドラマが潜んでいて、感情に真っ正面から取り組まざるをえませんでした。たとえ感情について比較的消極的でいようとしてもね。人は持って生まれた性質を変えることはできません!
──T・S・スピヴェットはあなたの作品である『ロスト・チルドレン』のヒロイン、ミエットや子供のアメリと同じ家族の一員だと感じる人もいます。
先ほども言いましたが、彼は私自身です!繰り返しになりますが、私は彼に一体感を感じています。T・S・スピヴェットは自分の想像力のおかげで成功し、素晴らしい賞を受賞します。そして、自分が注目を浴びているのに気付くと、牧場の家に帰りたいという気持ちになります。まさに私自身のようです。どんな環境でも決して落ち着くことがありません。学校に行っていた時には、自分はここで何をしているだろうと思っていました。兵役の時のことはどうか話させないでください!その後のアニメーション映画やフランス映画の製作の時でさえ、自分が正しい場所にいるとは思ったことはありません。
ハリウッドはさらに最悪です。どこかで落ち着けると感じることは決してないのです。いつも、間違った惑星に到着してしまったと感じています。ニュースを見るたびに、「ここで自分は何をしているんだ?これは間違いだ。最初から間違っているんだ!」と思っています。ただ、うまくいった仕事で私の情熱を共有する人と一緒に仕事をする時だけは落ち着くものです。
──古くからの友人のギョーム・ローランがあなたと一緒に脚色を行いました。この作業の目的はどういったものだったのでしょうか?
原作は膨大で、400ページ以上あります!実際、すべてを脚色するのは不可能でしたが、だからこそ、とても刺激的な作業になりました!我々は主に全体の流れを抜き出しました。おばあちゃんの紹介や虫の歴史などの小説の存在感を強めるサブプロットの多くを省略し、T・Sのストーリーに集中しました。我々はT・Sが、彼の地図、下書き、図面の妙技に対してではなく、永久運動機関を発明したことに対して、ちなみに、これはギョームのアイデアですが、ベアード賞を受賞したという話に変えました。そのほうがより視覚的ですからね。我々は物語の中心に弟を入れ、原作の最後ではほとんど存在感のない母親に重要な役割を与え、T・Sの宣伝の様々な舞台のすべてをひとつの派手なテレビ番組にまとめました。大変な作業でしたが、同時にかなり単純な作業でもありました。
というのも、我々はすばらしい素材の宝庫を元にして作っていたからです。真っさらなページから始めるより簡単なことです。なので、作業量は多いですが、楽しみもたくさんありました。原作本には色付けをしました。とても気に入った箇所や、ストーリーに必要不可欠な箇所には赤色で、ある程度気に入った箇所には黄色で、全く気に入らなかった箇所には緑色で色付けしました。ページを切り離し、フォルダーに分類して、それを元に、ある意味ストーリーを再構築しました。ページを混ぜ合わせるのをためらうことは全くありませんでしたね。
それから我々はじっくりと脚本を書き始めました。いつものように、ギョームがセリフを書き、私が視覚的な説明を書きました。それをe-mailで交換し合い、比較して、仕上げて、さらに書き直しといった具合に続けていきました。それから、ロサンゼルス在住で、私の前作『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を翻訳してくれたフレッド・キャシディーに英語へ翻訳してもらいました。
──「私の前作」と言いましたが、撮影していませんよね!
フロイト的な失言ですね!(笑)でも、その作品にはかなり関わっていました。最終的なストーリーボードの段階まで関わっていたんです。なので私が撮影したかのような気分なんです!もちろんアン・リー版の映画は見ましたよ。映画の中盤は素晴らしかったです。特につい3年程前まで我々には不可能だった技術を彼らは使うことができましたからね。コンピューターで作るトラは当時では夢見る価値もありませんでした。ただ、映画の始まりと終りは、本当の意味での脚色が施されておらず、原作から切り取って貼り付けただけのようなものだと思いました。それに、あの映画は約1億5千万ドルの製作費がかかっていたはずです。間違いなく、アン・リーが熟知する台湾政府からの支援もあったのでしょう。我々は当時、8千万ドルまで予算を下げましたが、フォックスは6千万ドル以上にはしたくなかったようでした。
──あなたがスタジオ撮影を大変気に入っていることはよく知られています。『ロング・エンゲージメント』でさえそうでしたが、戦場やブルターニュの風景はまさに本物に見えました。ロケーション撮影、広い空間への敬意、さらにアメリカという土地、ハリウッドのフォックス・スタジオで撮影した『エイリアン4』以来の英語撮影といったことは挑戦の一つだったでしょうか?
ええ、もちろん、それらが全部一度にやってきたんです!今回の映画は英語です。『エイリアン4』から上達して、現場ではもう通訳は必要ありませんでした。ですが今回、私がかなり重要視したことは「自由」ということです!フランスでは、幸運なことに我々を守り、最終編集権を我々に付与する法律があります。そのため、パリで製作するアメリカ映画を撮るということを考えたんです。Epithèteでの共同製作者フレデリック・ブリヨンとゴーモンという映画会社と一緒にね。ゴーモンはフランシス・ボーフラッグが企画を持っていき、映画化に熱心になってくれました。
アイデアとしては、アメリカとではなく、カナダと共同製作するというもので、ケベック州と、『ブロークバック・マウンテン』のようなモンタナを舞台にしたシークエンスを撮影する際にアメリカ人も来るアルバータ州で、フランス語で撮影をし、映画の管理するということでした。結局、私はアメリカに足を踏み入れませんでした。でも実際には1回だけありましたね。撮影場所を探している時、有刺鉄条網が張られた場所に行きました。それは国境線なのですが、私はそれをまたいでしまったんです!シカゴとワシントンD.C.での必要な外観の撮影は第二班撮影隊が行いました。結局、唯一のアメリカ人は男の子のカイル・キャトレットだけで、ヘレナ(ボヘム=カーター)はイギリス人、ジュディ(デイヴィス)はオーストラリア人、他の役者は全員カナダ人でした。
我々はまず一カ所に山脈、小川、山小屋、牧場がすべてある場所を見つけることを目標としましたが、我々の考えのなんと甘かったことか!最初はインターネットで、それから現場に行ってロケ地探しに奔走しました。アルバータ州でやっと山脈、山小屋のある人の気配がない地方、家畜小屋、小川を見つけ、我々は牧場を建てたんです。牧場の1階部分での出来事はすべてそこで撮りました。扉を開け、田舎の田園風景と山脈が目に入る様子は、それはそれは圧巻でしたね!しかし、それ以外の牧場内のシーンだけでなく、すべての室内シーンはモントリオール、大抵はスタジオで撮影しました。
さらに、本当に幸運なことに、アルバータ州は普段とても風が強い場所なのですが、我々が撮影していた2012年の夏は、まったく風がありませんでした。少なくとも天候は我々の味方だったようです。アルバータ州では、車でセットまで行き、ホコリを舞い上げるSUV車を運転したり、大音量で音楽を流したり、野生動物で移動したり、素晴らしい体験をしました。
──映画が耐えきれる男の子を見つけることは大きな問題だったと思われます。カイル・キャトレットは素晴らしいと認めざるをえませんが、どうやって見つけたのですか?
本作に当たってはドゥニ・アルカンと仕事をしたことのある、ケベック州在住の素晴らしいキャスティング・ディレクター、ルーシー・ロビタイユと仕事をしました。我々はモントリオール、オタワ、トロント、バンクーバー、ニューヨーク、ロサンゼルス、それにロンドンまで才能を発掘しに行きました。どれだけの子供たちと会ったか分かりません。しかし、誰1人面白い子はいませんでした。私は心配になり始め、『ヒューゴの不思議な発明』でスコセッシの2番目と3番目の候補だった子を確認するように頼むと、ルーシーは、「あなたはすでに確認して、却下もしている」と言うのです!もうパニック状態でした。ある日、彼女は私にある子供のテストを見せてくれました。とても小さな子でした、9歳の子ですが、7歳に見えました。しかし、彼には何か感じるものがありました。風変わりで引き込まれる力、唯一無二のものを感じたのです。それがカイルでした。その時私は、「ダメだ。彼はこの役には小さすぎる。T・Sは12歳の設定なんだ」といった感じでしたが、カイルのことが頭から離れませんでした。
そこで、スカイプで彼とのミィーテングを行いました。彼は大熱弁をふるいました。「必要に応じて泣くことができます。僕はタフで、強いです。7歳以下の武道選手権の世界チャンピオンにもなりました!」と。私は突然、この並外れた子供が面白いシーンを完璧に理解していて、適役だと思ったのです。そういった訳で、カナダに到着するや否や、彼をテストするためにニューヨークに向かいました。2日間躊躇しましたが、彼は非常に素晴らしかったので、身長の問題はあっても、彼をT・S・スピヴェット役に決めました。でも、その前日に彼がアメリカのテレビシリーズ『ザ・フォロイング』出演の契約にサインをしたと発表があったのです!彼のエージェントは、他に出演依頼はないので映画出演は可能だと嘘をついていたわけです。我々は戸惑いましたが、彼があまりにも完璧だったので、諦めることができませんでした。我々はリスクをとり、彼にオファーすることにしました。少し経つと、そのテレビシリーズが動き出しました。我々の撮影が半分終わるころでした。そして、その時に問題が発生しました!
──他の出演者はどのようにみつけたのですか?
ずっと以前からヘレナとは仕事を一緒にしたいと思っていました。デヴィッド・フィンチャー監督の『ファイト・クラブ』のセットで彼女と会って、彼女がフランス語で「いつでもあなたが好きな時に私はあなたと映画を作りたいわ」と言って以来、彼女の創造性と狂気が好きになりました。なので、少し危険な面もありましたが、彼女を念頭に置いた役を書き、脚本を彼女に送ったところ、「あなたの脚本がとても気に入りました」と返事をもらいました。そういう風にとても簡単に物事が進んだんです。実際、彼女自身もとても誠実な人です。他の役者については、ルーシー・ロビタイユとたくさん話し合い、ケベック在住の素晴らしい役者に会わせてもらったり、トロントやバンクーバーのキャスティング・ディレクターを紹介してもらったりしました。そうやって役者に会い、決めていったんです。父親役のカラム・キース・レニーは、『バトルスター・ギャラクティカ』や『カリフォルニケーション』などのテレビシリーズで有名な役者で、T・Sの姉のグレーシー役にはニーアム・ウィルソン、T・Sの弟レイトン役にはジェイコブ・デイヴィーズが決まりました。ところで、カイルよりも背が低い子役を見つけられなかったため、レイトンは二卵性双生児の片われという設定に変えました。
──そして、ジュディ・デイヴィスはスミソニアン博物館の次官として、すばらしい演技を披露しましたね。
キャスティングするのが最も難しい役でした。原作では男だったこのキャラクターについて、いろいろと考えました。決定をする前には多くの男優、女優と連絡を取りました。ある時点では、我々はキャシー・ベイツと連絡を取りました。少なくとも我々は彼女と連絡を取ったと思っていました。なぜなら彼女のエージェントは私に、彼女が私と脚本を敬愛し、映画を一緒にやりたいと伝えてきたからです。
しかし、返事を待つこと2ヶ月、撮影のわずか2週間前になってから彼女が脚本をまだ全く読んでいなかったことがわかったのです!それで私は彼女に直接手紙を書き、脚本を送りました。すると彼女は興奮して、すごく熱心にキャラクターについて語り、その役をやると言ってくれました。ところが、彼女が、必須である健康診断を受けると、がんが見つかり、両乳房切除手術を受けることになったのです!何というショックでしょう!しかし、我々は先に進まなくてはならなかったので、ロビン・ウィリアムズはどうかと考え、良い返事をもらいました。けれども彼は撮影数日前に突然ノーを突きつけてきました。ジュディ・デイヴィスの起用を考えたのはカナダ人のプロデューサーのスザンヌ・ジラルドでした。そこで彼女と連絡をとり、彼女には撮影の2日前にシドニーからやって来ました。まったく、彼女はいつも私を大笑いさせてくれましたよ。
(オフィシャル・インタビューより)
映画『天才スピヴェット』
2014年11月15日(土)シネスイッチ銀座、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国順次公開(3D/2D)
監督:ジャン=ピエール・ジュネ
原作:「T・S・スピヴェット君傑作集」ライフ・ラーセン著(早川書房刊)
出演:カイル・キャトレット、ヘレナ・ボナム=カーター、ジュディ・デイヴィス、カラム・キース・レニー、ニーアム・ウィルソン、ドミニク・ピノン
原題:『The Young and Prodigious T.S. Spivet』
105分/フランス・カナダ合作
配給:ギャガ
公式サイト