映画批評家として知られる波多野哲郎が批評される側となって監督したのが本作だ。
彼が眼を向けたのはスティーブンソンの『宝島』の舞台となったキューバのフベントゥ島。1920年代、日本政府の移民政策により、沖縄から遠く太平洋とアメリカ大陸を隔ててキューバへと渡った日本や沖縄からの移民たちだった。
しかし、そこに待ち受けていたのは移民ではなく、彼らからすれば「棄民」としての過酷な運命だった。やせた土地、重労働、差別、強制収容。その中でも生き抜いた彼らは、二世、三世、四世と子孫を残し、彼らは地元の風土にとけ込んで行く。波多野哲郎切り取る忘れられた移民とその末裔の物語。
【波多野監督コメント】
「この映画は、キューバと沖縄をつなぐ物語によって構成されるドキュメンタリー映画である。キューバと沖縄、それらは互いにほとんど地球の反対側に位置するカリブ海と東シナ海に浮かぶ島でありながら、かずかずのイメージを共有する。ともにサンゴ礁が点在する美しい海に囲まれた島。凍えるような寒い冬の訪れもなく、サトウキビの畑が一面に広がっている。そこにはひときわ大らかでのんびりした人びとが暮し、独特のリズムとメロディをもった音楽が聞かれたりもする。そしてこうしたイメージが、ときに我々をそれぞれのロマンティックな夢へと誘っていく。『カリブ海の真珠』あるいは『琉球王国のロマン』へと。これはまるで旅行代理店が掲げる宣伝コピーのようだ。
しかしこうしたロマンティックな夢にさえ、どこか悲しげな色調が漂っていることに気付くことがある。それはおそらく二つの島に住む人びとが、ともに味わってきた文明の悲哀のせいであろう。そしてこの悲哀の色調は、ロマンティックな夢に較べると、はるかに個別的な相貌を示している。
二つの島と言っても、一方は一つの国家であり、他方は国家の中の一県であるという事実を忘れてはならない。またこの二つの島は、歴史的にもまったく異なった道を歩んできた。その決定的な違いは、キューバが先住民の絶滅した国、すなわちすべてが外部からやってきた支配者と被支配者(スペイン人とアフリカ人)によって作られた国であるのに対して、琉球=沖縄が先住民を主体に形成され、しかしつねに外部の大国(明、清、日本、アメリカなど)の圧倒的な力の支配下の置かれてきた国であるという事実である。
むしろ二つの島は、いま最もその孤立を深めている点でこそ共通する。キューバはアメリカ合衆国フロリダ半島のすぐ目と鼻の先にありながら、現在アメリカの苛酷な経済封鎖の下にあって極度の孤立を強いられている。ガソリンも電力も乏しく、農産物をはじめとする物資の輸出入には大きな障害が立ちはだかっている。その困窮ぶりは目に余るものがある。一方沖縄は大戦後半世紀以上を経たいまもなお、戦争の傷痕をもっとも深くかつ鮮明にとどめている。米軍基地は一向に減る様子もなく、失業率はつねに全国一。そして何よりも、その傷痕の痛みと記憶とが日本という国の内部でほとんど共有されていないという事実において、沖縄もまた孤立を強いられていると言わねばならない。かくて、人びとの苦悩が深まり、孤立を極めれば極めるほど、その記憶は歴史の深い闇へと消えていく。
しかしながらいま私は、この遠く隔てられた二つの土地の、まったく異なる孤立的状況の間に、一つの紐帯を見出そうとしている。はじめそれはあいまいな輪郭しか持ってはいなかった。しかしもっとはっきり見極めようと、と言うよりは心惹かれるままに、二つの島を行き来するうちに、その紐帯の輪郭が次第に鮮明になりはじめたのである。それをいまあえて一言で言うとすれば、強いられたハイブリッド(混合)的環境を生き抜く者たちから立ちのぼるオーラであり、そうしたエネルギーが無意識に醸成する人間同士の深いきづなである。かれらの歌声に耳をすまし、そのオーラを共有したい」
『サルサとチャンプルー Cuba/Okinawa』(2007年/100分)
http://cuba-okinawa.com/
企画・制作・監督:波多野哲郎
編集:鈴木敏明 音楽:KACHIMBA1551
配給宣伝:シネマチックネオ
アップリンクXにて絶賛公開中[地図を表示]
5月31日(土)~6月6日(金) 連日11:00/16:30
http://www.uplink.co.jp/
★上映終了後、監督とゲストによるトークショーを開催!
5月31日(土)19:30~ ゲスト・太田昌国(民族問題研究家)
6月6日(金)19:30~ ゲスト・諏訪敦彦(映画監督)
会場:アップリンク・ファクトリー[地図を表示]
料金:
特別観賞券1,300円/当日一般1,500円/学生1,300円/
シニア1,000円/ドリンクとセットで1,600円
沖縄/キューバ割1,300円 (沖縄/キューバに関連したグッズ、写真持参で)