骰子の眼

cinema

2014-10-24 16:07


グザヴィエ・ドランの故郷、カナダの“フランス文化圏”ケベック州とは?

映画『トム・アット・ザ・ファーム』が生まれた土壌を知る
グザヴィエ・ドランの故郷、カナダの“フランス文化圏”ケベック州とは?
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より ©Clara Palardy

いよいよ明日10月25日(土)公開のグザヴィエ・ドラン監督『トム・アット・ザ・ファーム』。本作は、物語の舞台もさることながら、ドラン含め主要キャストとスタッフもカナダ・ケベック州出身の、まさに「メイド・イン・ケベック」映画。そこで特集連載第3回目となる今回は、フランス語が公用語とされているケベック州の歴史的背景、および本作の原作者である劇作家ミシェル・マルク・ブシャールについて、カナダ文学専門家の佐藤アヤ子さんに解説していただく。連載第1回のドランによる原作との出会についてのテキストと、第2回のミシェル・マルク・ブシャールによる物語解説も、ぜひあわせてお読み下さい。




ケベック州の歴史的背景と原作から見える社会構造
文/佐藤アヤ子(明治学院大学教授・日本カナダ文学会会長)

カナダには、英語とフランス語の二つの公用語がある。これは、カナダの歴史と大いに関係している。1534年、フランス王フランソワ1世の命で探検家のジャック・カルチエが、セントローレンス湾を横断してガスペ半島に上陸。そこに「フランス国王万歳」と彫り込んだ十字架を建て、この地をフランス領と宣言した。これが、北米におけるヌーヴェル・フランス(フランス植民地)の始まりである。以降、この地が北米におけるフランスの植民地活動の拠点となっていく。しかし、ヨーロッパ人の到来よりはるか数万年前にアジアからやってきた先来の、「First Nation」と呼ばれる先住民の存在がカナダ史にあることを忘れてはならない。

フランスがフランス植民地を建設していたころ、イギリスもまた北米大陸で勢力圏を拡大していた。1755~63年には、フレンチ・インディアン戦争が起きた。北アメリカ大陸の領土支配をめぐって,英仏両国がそれぞれの植民地と先住民をまきこんで戦った最後の英仏の植民地戦争である。イギリスが勝利し、1763年にはパリ条約が締結された。カナダにおけるフランス支配は終わりを告げた。

映画『トム・アット・ザ・ファーム』
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より

 

しかし、イギリス領ケベック植民地では、英国議会が制定したケベック法により、フランス民法典やローマ・カトリックの存続が認められ、フランス色が残った。このため、カナダは英語とフランス語を国の公用語としている。しかし、ケベック州では今日までフランス語が公用語となっている。

ケベック州は、経済基盤は農業中心であった。そして、植民地化された当初から、カトリック主義が極めて強い社会であった。「教会あってこその人生、神の教えあってこその生活」と言われるほど精神的支えはカトリック教会であった。そしてその教えは、「伝統の固守、内面生活の尊重、土地への愛着」となって、フランス系カナダ文化を深く支えることになった。

しかし、そのようなケベック社会の環境は、1960年から始まる「静かな革命」によって変革がもたらされた。中世的なカトリック教会の閉鎖的精神から抜け出し、現代につながるケベック社会の真の近代化である。「今や変化の時」をスローガンに、イギリス系市民と同等の権利・機会の実現、カトリック教会支配からの解放、教育相の設置による教育の近代化と民主化、電力会社の州有化、アメリカ資本・イギリス系資本からの自立等様々な変革を遂げることになった。本作の原作者である劇作家ミシェル・マルク・ブシャールも、この「静かな革命」の時代のエートスを反映した戯曲『孤児のミューズたち〔原題/ Les Muses Orphelines〕』(筆者の訳で彩流社より2004 年刊)を発表している。

映画『トム・アット・ザ・ファーム』
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より

ミシェル・マルク・ブシャールは1958 年、ケベック州サン・ジャン湖に近い小さな村の生まれ。オタワ大学で演劇を学び、これまでに25本以上の戯曲を書き、北米はもちろんのこと、ヨーロッパ、南アメリカ、日本、韓国などで上演され、翻訳出版されている。映画化された作品も多く、仏語系カナダを代表する劇作家として注目される。

『Les Feluettes, ou La répétition d'un drame romantique〔ユリのように汚れのない者たち、またはロマンティックなドラマの再演〕』(カナダ初演1987年)は、ホモセクシャルにテーマを得たブシャールの出世作。嫉妬と宗教と偏見によって悲しい結末を迎えた許されざる愛の物語で、国内外を問わず数々の賞を受賞。カナダ人監督ジョン・グレイソンにより『Lilies〔邦 題/百合の伝説 シモンとヴァリエ〕』というタイトルで映画化もされ、ブシャールの地位を不動のものとした。日本でも劇団「スタジオライフ」によって過去4回上演され、好評を博した。2009年には本劇公演に合わせてブシャールが初来日している。

映画『トム・アット・ザ・ファーム』
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より

『孤児のミューズたち』(カナダ初演1988年/日本公演2007年)は、1965年のブシャールの故郷が舞台。時代はまさに変化の時。社会改革がケベックで進行していた時代である。しかし、産業構造が変わり、生活様式も変わったとはいえ、旧態依然のカトリック教会中心の保守主義的意識は、相変わらず幅を利かせている。そんな人口数百人の小さな村で起こった母親の不倫とそれに続く出奔、父親の自爆的な戦死によって孤児になった四人の子供たち。そして彼らが見たものは……。〈嘘〉でかためられた過去が現在を侵食している。

〈嘘〉のテーマは『トム・アット・ザ・ファーム〔原題/Tom à la ferme〕』(カナダ初演2011年)にも踏襲されている。主人公トムが交通事故で死んだ元同僚で恋人の葬儀に出るために向かったところはケベック州の片田舎の農場。名は明かされていないが、保守的で孤立した地域である。そして時代は今。カナダでは同性婚が2005年に合法化されているというのに、今も同性愛は忌み嫌われる。〈嘘〉は原作者ブシャールの重要なテーマである。嘘と建前。しかし、嘘をつかなければ生きていけないという現実が見えてくる。同時に、人は嘘をついてもつききれない時がある。そんな時、真実が見えてくる。愛欲と残忍性、真実と念入りに描かれたフィクションが次第に融合していくところが、本作品の見せ場だろう。「心理スリラー劇」といわれる理由かもしれない。

映画『トム・アット・ザ・ファーム』
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より




映画『トム・アット・ザ・ファーム』
2014年10月24日(土)より全国順次公開

恋人のギョームを亡くし悲しみの中にいるトムは、葬儀に出席するために彼の故郷へ向かうが…。隠された過去、罪悪感と暴力、危ういバランスで保たれる関係、閉塞的な土地で静かに狂っていく日常。現代カナダ演劇界を代表する劇作家ミシェル・マルク・ブシャールの同名戯曲の映画化で、ケベック州の雄大な田園地帯を舞台に、一瞬たりとも目を離すことのできないテンションで描き切る、息の詰まるような愛のサイコ・サスペンス。

監督・脚本・編集・衣装:グザヴィエ・ドラン
原作・脚本:ミシェル・マルク・ブシャール
撮影:アンドレ・テュルパン
オリジナル楽曲:ガブリエル・ヤレド
出演:グザヴィエ・ドラン、ピエール=イヴ・カルディナル、リズ・ロワ、エヴリーヌ・ブロシュ、マニュエル・タドロス、ジャック・ラヴァレー、アン・キャロン
公式サイト


映画『トム・アット・ザ・ファーム』

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