映画『トム・アット・ザ・ファーム』より
いよいよ今週土曜日(10月25日)に公開が迫ったグザヴィエ・ドラン監督『トム・アット・ザ・ファーム』。本作の特集連載第2回目となる今回は、原作者ミシェル・マルク・ブシャールによる物語の解説、ドランとの出会い、そしてドランとの脚本執筆の過程についてのエッセイを掲載する。ミシェル・マルク・ブシャールは、これまでにも『百合の伝説 シモンとヴァリエ』をはじめ数多の戯曲が映画化されている、ドランと同じケベック州出身の現代カナダを代表する劇作家である。連載第1回の、ドランによる原作との出会についてのテキストと、ぜひあわせてお読み下さい。
そう、彼らは愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える。
文/ミシェル・マルク・ブシャール
初恋の男を交通事故で失ったトムは、片田舎の見知らぬ人々を訪ねる。亡くなった恋人の家族だ。それまで不幸など味わったことのなかった彼が、その殺風景な自然のなか、うわべだけの真実でできた物語へと身を投じる。
恋人、同僚、息子、兄弟……。名もなきこの死者はひとつの作り話を遺産として残した。十代の頃の彼の日記によれば、それは彼が生き残るために必要不可欠なものだったという。こんなお話だ。かつてその片田舎で、ある日ひとりの若者が、別の若者を愛していたある若者の人生をめちゃくちゃにした。古代悲劇のようにして、この物語は何年ものちにトムの無垢な運命を襲いにやってくる。生きる指標を失い、深い悲しみに沈む彼にとって、嘘は真実となり、衝撃となり、殴られた青あざとなり、またやさしい愛撫となる。
誰かを失うこと。それは1本の糸が切れること。私たちを誰かにつなぎ止めていた糸。だがその人はもういない。トムの人生の切れ端、また死者の母の人生の切れ端、死者の兄の人生の切れ端は、本能的に別のなにかに、つまり別の切れ端に結びつくよう求める。どうやって結びつくかは重要ではない。空虚を埋めねばならないのだ。他者とは必然的に、もうそこにはいない人を指すことになる。つまり兄にとっての弟であり、母にとっての息子であり、トムにとっての恋人だ。
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より
人生における青春時代の特徴とは、子供の人格から大人の人格への発展にある。それはまず性的な成熟から始まり、社会的な成熟で終わりを迎える。まさに個の実存にとって決定的なこの時期、“普通であること”の強制がもっとも激烈にマージナルな存在たちを襲いにやってくる。
来る日も来る日も若き同性愛者たちは、学校の廊下で、自宅で、職場で、攻撃を受ける。都市だろうが田舎だろうが同じだ。来る日も来る日もその若者たちは、罵られ、排除され、犯され、馬鹿にされ、侮辱され、傷つけられ、殴り倒され、物を盗まれ、汚され、孤独に追いやられ、脅され、愚弄される。うまく乗り切る者もいれば、そうでない者もいる。まやかしの人生をうまく手に入れる者もいれば、見せ物の動物になる者もいる。
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より
いまどき同性愛者たちへの憎しみなんて存在しないと、そう信じたがる人々もいるが、そんなことはないのだ。そしてその中には、もうそれについて聴くのに飽き飽きした人々や、メディアの報道を見れば「どうせ他人事だ」と考えるような、そんな人々もいる。東ヨーロッパやアフリカで起きた最近の事件は、この世界におけるLGBT(訳注:レズビアン、ゲイ、バイ・セクシュアル、トランスジェンダーの頭文字を取った、セクシュアル・マイノリティを指す単語)の悲劇的な現実を改めて思い出させる。いまでも80以上の国が彼らのことを犯罪者扱いしているのだ。
そう、彼らは愛し方を学ぶ前に、嘘のつき方を覚える。けなげな嘘つきたち。まさにそんな事実を前にして、私は『トム・アット・ザ・ファーム』を書かねばならないと考えた。ある日ひとりの若者が、殴られ、拒絶されるのを避けるために、自分の家族に嘘をつき、女性との嘘の恋愛関係をでっち上げた。そしてそのごまかしを悟られないまま死んでしまい、最後の恋人に嘘を引き継がせた。
私はこの戯曲に合うタイトルをずっと探していた。『複製のでっちあげ』『死者のフィアンセ』『コヨーテの森』『嘘の美しさ』『未亡人という少年』。結局は『トム・アット・ザ・ファーム』になった。牧歌的で善良な少年を思わせるタイトルだが、戯曲を読めばわかるように、あくまでもそれはうわべだけだ。
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より
2011年冬、モントリオールでの『トム・アット・ザ・ファーム』舞台公演のときだった。グザヴィエ・ドランが私に近づいてきて、この戯曲を映画化したいと言ったのは。やると決めたときの彼の意志の強さと迅速さは見事なものだ。彼は単刀直入にこう断言した。「僕はこの戯曲を映画化する!」
彼の映画はデビュー作から知っていた。その激しい感情のほとばしり、その語りの才能、その美学と形式の探求に、私は魅了されていた。デビュー作『マイ・マザー』(2009)には心を奪われた。強烈な印象を与える作品だ。だから自分の作品がこのスケールの大きな、飛ぶ鳥を落とす勢いの若きアーティストと共鳴したことに、とても心打たれた。
映画『トム・アット・ザ・ファーム』より
すぐさま、2人でやり取りしながら共同で脚本を書こうと話し合った。どちらが書いたものであれ、脚本が進むごとにその都度、2人で作業をした。舞台から映画への移行の際に重要な事柄に関して、私たちの意見は一致していた。まず物語を大きく章立てした。モノローグ、説明的な語り、傍白、言い返しや会話といった、いかにも演劇的で、戯曲の言語に特有のものに関しては、捨てることにした。トムは心情や出来事の注釈を語るのを禁じられることで、より沈黙が多く、より観察者としての色合いが強い登場人物になった。
私たちはトムをつねに前面に置き、この物語の特権的な証言者に仕立てようと決めた。そのため、戯曲のなかで彼がいないシーンは削除した。舞台では物語の筋が大きく12シーンに分けられているが、映画では100以上になっている。そして農場、特にその孤立した様子そのものがひとつの登場人物になるはずだと、私たちは考えた。もちろんこうした作業ではどちらかの妥協が必要な場合もある。たとえばラスト。戯曲のラストに比べて、映画のラストにはずっと大きな希望が託されている。
日本の皆さん。私の友人であり共犯者であるグザヴィエ・ドランの、映画版『トム・アット・ザ・ファーム』に皆さんが触れることは、私にとって本当に大きな喜びです。気楽な作品ではありません。タフな作品です。しかしこれは、いま私たちに必要な作品なのです。
ミシェル・マルク・ブシャール MICHEL MARC BOUCHARD
©Julie Perreault
1958年、カナダのケベック州サグネ・ラク・サン・ジャン生まれ。現代カナダ演劇界を代表する劇作家。オンタリオ州のオタワ大学で演劇を学び、卒業後、舞台俳優および劇作家として活躍しはじめる。1987年に発表した戯曲『Les Feluettes, ou La répétition d'un drameromantique』でモントリオール・ジャーナル賞、文学サークル優秀賞を受賞。その英語版『Lilies』でドラ・メイヴァー・ムーア賞とシャルマー賞を受賞。彼の代表作となったこの戯曲は多数の言語に翻訳され、日本でも劇団スタジオライフにより『Lilies』として上演されており、1996 年には彼自身が脚本を担当しジョン・グレイソン監督によって映画化された(邦題『百合の伝説 シモンとヴァリエ』)。1989~1991年、オタワのトリリアム劇場の芸術監督を務める。1992年、オタワ大学とケベック大学の教授に就任。2012年、ケベック国家勲章を授与された。戯曲『Tom à la ferme』も米国ラムダ文学賞ほか数々の賞に輝いている。
映画『トム・アット・ザ・ファーム』
2014年10月24日(土)より全国順次公開
恋人のギョームを亡くし悲しみの中にいるトムは、葬儀に出席するために彼の故郷へ向かうが…。隠された過去、罪悪感と暴力、危ういバランスで保たれる関係、閉塞的な土地で静かに狂っていく日常。現代カナダ演劇界を代表する劇作家ミシェル・マルク・ブシャールの同名戯曲の映画化で、ケベック州の雄大な田園地帯を舞台に、一瞬たりとも目を離すことのできないテンションで描き切る、息の詰まるような愛のサイコ・サスペンス。
監督・脚本・編集・衣装:グザヴィエ・ドラン
原作・脚本:ミシェル・マルク・ブシャール
撮影:アンドレ・テュルパン
オリジナル楽曲:ガブリエル・ヤレド
出演:グザヴィエ・ドラン、ピエール=イヴ・カルディナル、リズ・ロワ、エヴリーヌ・ブロシュ、マニュエル・タドロス、ジャック・ラヴァレー、アン・キャロン
公式サイト