映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より ©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
ザ・ビーチ・ボーイズの中心人物であり、数々の名曲を生み出してきた不世出のソングライター、ブライアン・ウィルソンの苦節の時代を描くドキュメンタリー映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』が10月18日(土)より渋谷のアップリンクで公開が決定。それに伴い、9月にシネマート六本木で開催した、音楽評論家の萩原健太さんと、ご婦人で同じく音楽評論家の能地祐子さんによる特別トークイベントの模様をお届けする。
5月に上映されたPART1『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』に続く今作の舞台となる1969年から1982年は、ブライアン・ウィルソンの「暗黒期」と称される期間。世界的人気アーティストとなった彼に襲いかかった重圧と焦燥、そして絶望の中から悲しくも美しい音楽が生み出されていった背景と、“孤独な男”の壮絶な人生について、萩原氏と能地氏にたっぷりと語ってもらった。
ブライアンがプレッシャーを抱えながらもがいていた時期(萩原)
萩原健太(以下、萩原):この『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』というのは、ビーチ・ボーイズのアルバムで言うと66年の『ペット・サウンズ』から67年の『スマイル』へ移行する時代など、PART1とダブる時期のことも描かれていますが、メインになっているのは、その後ブライアンが全然ダメになっちゃった時期のことなんですよね。途中、“カール・ウィルソンががんばりました”っていうくだりがありましたよね。ロネッツの「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」をカール・ウィルソンのプロデュースでカヴァーして。あれ、素晴らしい仕上がりだったとぼくは思うんですけど、映画の中では評論家たちが「なんか今いちだった」とか、ずいぶんと浅いこと言ってて……。
能地祐子(以下、能地):こらこら(笑)。
萩原:実は、1969年にその「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」って曲のシングル盤を買ったのが、僕にとっての初ビーチ・ボーイズなんです。
能地:あ、なるほど。
『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』のトークイベントに登壇した萩原健太さん(右)と能地祐子さん(左)
萩原:もちろん、それまでラジオで他のヒット曲も少しは聞いていましたけど、「こいつはすげえ!」と本格的に思ったのは、あの曲で。だから僕のビーチ・ボーイズのスタート地点はブライアン・ウィルソンじゃなかったんです。ブライアンではなく、カールがプロデュースとリード・ヴォーカルを担当した、しかもカヴァー曲。
能地:そうか。そこから始まってるから、もう、ブライアンがビーチ・ボーイズにいるだけでもありがたい、座っているだけで素晴らしい、と。あの段ボールの家に住んでいた芸人さんが、「お湯が出るだけでうれしい」って言ってたけど。なんか、そういう感じですね!(笑)
萩原:そうそう、「段ボールが甘い」みたいな感じ(笑)。僕の場合、そんなビーチ・ボーイズ・ライフですよ。この映画に描かれている暗黒時代を、ずーっとファンとして共に過ごしてきた。正直言って、1969年に日本でビーチ・ボーイズ聞いていた人って……んー、どうだろう、30人ぐらいしかいなかったじゃないかな。
能地:さすがにそれはない(笑)。
萩原:よくわかんないけど、ほんとに少なかったですよ。
能地:確かに、いちばん運の悪い世代のビーチ・ボーイズのファンだよね。だって、もう少し若い私なんかの世代だと、「ブライアン・ウィルソン聴いていれば、おしゃれ!」みたいな。ブライアン・バブルの時代。なんか、「『スマイル』っていいよね!」みたいな時代だったから。そういうチャラいビーチ・ボーイズ・ファン世代なので。それに比べたら、ものすごい不幸ですね。
萩原:不幸……(笑)。でも、確かにそうかも。僕よりもほんの少し上の世代、例えば山下達郎さんなんかと話していると、達郎さんは初期、サーフィン&ホット・ロッド・サウンドでドカンといっている時のビーチ・ボーイズも体験しているわけ。そのピークがあった上で、やがて人気が落ちたっていう流れがわかっているんだよね。でも、僕の場合、始まった時点で底だから。最底。底値の時代(笑)。
能地:なんでそんな時に、好きになっちゃたのか……。
萩原:本当にね(笑)。僕がはじめて「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」を聴いたのは、TBSテレビで朝やってた「ヤング720」って若者向けの情報番組だったんだけど。映画にも出てきたブライアンのスタジオがあったでしょ。家を改装して、いろんな色に塗ったスタジオ。そこでメンバーが動き回っている様子をバックに「アイ・キャン・ヒア・ミュージック」が流れる映像があって。それがテレビで流れた時、「こんなすごい世界があるのか」と思いましたよ。コーラスもすごかったし、音を通して今まで観たこともない光景が目の前に広がって。それで一気にハマってからは、もうダメですね。泥沼。だから、私はこの映画の時代のビーチ・ボーイズには大層思い入れがあるもんで、あの浅い評論家の言っていることが、どうも納得いかなくて。
能地:だよね。後出しだよね。
萩原:そうですよ。とか、画面に向かって突っ込みながらね(笑)。皆さんの中にもそんな気持ちで観ていらっしゃった方も多いと思いますがで、この映画観ててポイントとなるのが、最初のほう、『スマイル』のこととか『サーフズ・アップ』のこととか、その辺まではいろんな人が出てきてブライアンのことを語ってるんですけど……。
能地:そう、ハル・ブレインとか、我が家ではいつも“事情通”と呼んでいる人達がたくさん出てきます(笑)。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より、ハル・ブレイン(レッキング・クルー/ドラマー) © 2012 Chrome Dreams Media, Ltd
萩原:でも、終盤になってくると、もう語り手が3人ぐらいしかいなくなっちゃう。
能地:しかも、ブライアンの本書いた評論家ばっかり。ピアノのおじさんとか。
萩原:そう。あいつ、もうちょっと、ピアノ上手いといいんだけどね(笑)。言わんとしていることは面白いのに、ピアノが今ひとつ下手でなんか伝わりづらいというか。で、言いたいことはですね、つまり、この映画に描かれている後半の時期は、ブライアンの周囲から良き友、良き関係者が誰もいなくなっちゃってたってこと。寂しい時期だったんです。ちょうど79年に来日して、江ノ島でライヴやったころまでの話が多いんだけど。でも、そういった時期でも、ブライアンはプレッシャーを抱えながらも、いろいろ方向性を変えようとしたり、自分がどう音楽をやってきたのか見つめ直したり、もがいていて。その辺が描かれてますよね。中には「ビーチ・ボーイズは早く解散したほうがよかったのではないか」なんて言う人もいたけど。そこら辺の逡巡をね、ファンとしてもどう自分の中で解決していくか、っていうことが当時のポイントだったんですね。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より、ブルース・ジョンストン(ザ・ビーチ・ボーイズ)©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
ビーチ・ボーイズという存在を自身のやり方で必死に守ってきたマイク・ラヴ(能地)
能地:80年のネブワースでのライヴ映像も出てくるでしょ。
萩原:うん。“ブライアン置物状態”時代。
能地:後追いでビーチ・ボーイズに接した世代としても、さすがにあれは観るのがつらいというか、観ていてあんまり楽しくない映像だったんですけど。でもね、「お前のお母さん、ブスだな!」って言われると、そこで初めて、お母さん奇麗だなと気づいたりするのと一緒でね……あ、わかりにくくてスイマセン(笑)。今回の映画の中で、他のメンバーがブライアンをむりやりステージに引きずり上げて、見せ物のように置物状態にしていたんだって評論家の人達が言ってるのを聞いて、ふと思ったんです。
私も置物のように思って観ていたこともあったし、確かにパッと見は置物なんだけど、他のメンバー、カールとかデニスとかマイクとか、彼らは彼らなりにバンド仲間としてブライアンをむりやりにでもステージに引っ張り上げることで、良かった頃の“ステージに立つ情熱”みたいなものを少しでも目覚めさせようとしてたんじゃないかなぁって。それが今回の映画を観ていちばん思ったことですね。確かにマイクは悪者で、ブライアンを置物にしていたというのは正しい見方かもしれない。でも、それはそれでバンド仲間なりのショック療法でもあったんじゃないかな、と。
萩原:世の狂信的ブライアン・マニアさんたちが、ブライアンを褒めたいがためにマイクをこきおろし過ぎるんですよ(笑)。それはいけません。マイク、大事だよ!
能地:大事ですよ! なかなか人にね、「マイク、好き」っていうのは、勇気がいることだけど……(笑)。まあ、わかりますけどね。この映画でも毎回マイクが出てくるたびに、凄い格好してますからね(笑)。
萩原:あの「ロックン・ロール・ミュージック」歌ってる時のゴールドの衣装とか……。
能地:“マイク・ラヴ2:50”みたいなね(笑)。
萩原:上着脱いだら、ノースリーブかよ、みたいな。
能地:でも、マイクはマイクなりにね、ブライアンと一緒に作ってきたビーチ・ボーイズという文化を何とか絶やさず続けていくために、ソングライターでなく、歌手として、パフォーマーとして一所懸命やってきたわけで。だからその情熱がほとばしって、どうしていいかわからないような、“江頭2:50”みたいな衣装を着ちゃうんでしょうね。なんか、こう、ビーチ・ボーイズという存在を、彼なりのやり方で必死に守ってきたんじゃないかな、と思います。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より ©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
萩原:ただね、この、“マイクを褒める”っているのはね、上級ネタなのかも。なかなかむずかしいところがありますよ。
能地:そういえば、私、よく周りから「萩原さんはブライアン派で、奥さんはマイク派ですか?」とか言われるんだけど。
萩原:そうじゃないよね。
能地:うん。“派”はない。
萩原:マイク・ラヴが嫌いなら、それはビーチ・ボーイズ・ファンじゃないです。この映画で語っている評論家達のほとんどが間違っているのは、そこなんですよ。彼らはビーチ・ボーイズ・ファンじゃなく、ブライアン・ウィルソン・ファンなんですね。まあ、これはブライアンの映画だから、そういう方向性もありなのかもしれないけど。でも、ブライアン単独ではビーチ・ボーイズという雄大な文化は作り得なかった。だから、そこの部分をまず根底でみんなで分かち合った上で、ブライアンを語ったり、マイク・ラヴをクサしたり、すればいいんですよ。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より ©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
能地:でも、ブライアンがこうしてソロとしてカムバックして独自の道を歩んでいく過程の中では、この映画に出てくる評論家が言うように、マイクじゃなくてブライアンこそがビーチ・ボーイズなんだ、という風潮があってのことだったのは確かですよね。その流れがブライアンの再評価につながった。それはそれで大事な流れですね。
萩原:まあ、ここにいらっしゃる方々は、そういったブライアンの状況も踏み越えてね……。
能地:花も嵐もふみ越えてきた仲間ですからね(笑)。
萩原:海にはいろんな表情があります、とか、夏にはいろんな表情があります、とかいうのと同じで。真夏のピーカンの空のもとで光る海を体現していたのがマイク・ラヴだとしたら、夏の夕方の切ない寂しい様子とかは、やっぱりブライアン・ウィルソンという人がいなければ表現できなかった。陽と陰、動と静、2つが合わさってなくちゃいけない。で、僕は行ったことないんですけど、ブライアン・ウィルソンの故郷であるホーソーンという街に能地は行ったことがあるんだよね。
能地:そうなんです。いろんなバイオ本とかに書いてある番地とかメモして行って、ストーカーのように車で巡ってきました(笑)。ホーソーンって、昔は新興住宅街で、中産階級の白人達が家を建ててたらしいんですけど、今はわりと風紀の悪い地域になっていて。ブライアンが通っていたハイスクールとかも見にいきましたけど、金網につかまって校庭を覗いてたら、もの凄い怖い黒人の高校生がバスケットボールをドリブルしながら近寄ってきて、逃げた記憶があります(笑)。
海にも行きました。たまたま天気が悪かったからかもしれないですけど、まさにこの映画でブライアンが散歩している時のああいう空で。もう「ロンリー・シー」そのものの世界が広がっていたんですよね。だから、カリフォルニアの海というイメージというよりは、川崎のあたりの天気の悪い状況に似た感じで、何か工場地帯みたいな場所を抜けていくと、バーっと海岸が広がってきて……。
萩原:ビーチバレーとかやってる明るい砂浜から1歩2歩、ふっと奥に入ると、そういう寂しい海がバーンと広がっているというね。
能地:ホント、なんか悲しい!って感じの雰囲気で。こういうところがブライアンの海なのかな、と思いました。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より ©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
ブライアンひとりではビーチ・ボーイズという雄大な文化は作り得なかった(萩原)
萩原:まあ、その辺で彼は悩んで苦しんで、ご覧のようになってしまったわけですが。ただ、映画でも少し語られていたように、苦悩と苦闘の中でブライアンの声が変わってしまって、昔の天使のような歌声、突き抜けるように美しいファルセットが出せなくなってしまった。驚くくらいしわがれた声になってしまって。でも、それによってブライアンは新しいものをつかんだ、と言う発言が映画の中にもちらっと出てきましたよね。個人的にはあそこら辺をもうちょっと深く突っ込んでくれるとうれしかったんですけど。
ブライアンはあのしゃがれ声になってしまったことで、実はものすごく無垢な表現ができるようになったんですよ。それまでは、この上なく美しい世界を描き上げる美声だったブライアンですけど、声がつぶれて、しゃがれてしまったことで、むしろ心の中にあるシンプルな思いを赤裸々に、バーンとぶちまけることができるようになった、というか。
能地:映画では「ラブ・イズ・ザ・ウーマン」という曲がよくかかっていましたけど。
萩原:うん。あのころの歌声ね。あの曲と同じ『ビーチ・ボーイズ・ラヴ・ユー』ってアルバムに入っていた「レッツ・プット・アワ・ハーツ・トゥゲザー」とか、文字通り“二人のハートを重ねわせよう”という、ものすごいストレートなメッセージを、あの声で、まるで子供のように歌う。そういう表現を彼はできるようになったわけ。その後、初めてソロ・アルバムを出した時の「ラブ・アンド・マーシー」って曲にしても、“愛と慈悲の心をもう一回思い出そう”みたいな、普通だったら、ちょっとそれどうなの?と言われそうなストレートで気恥ずかしいメッセージも、彼が歌うことによってすごく深く響くようになった。それは、初期のビーチ・ボーイズでは表現できなかったことなんです。
ブライアンはよく「曲は天から降りてくる」「自分は神様の道具でしかない」ということを言うけど、この新しい歌声を授かった瞬間、ある意味ブライアンにとってそれまでとは違う使命みたいなものが生まれたんじゃないかな、と。もっと深読みすれば、ブライアンは67年に完成させることができなかった幻のアルバム『スマイル』を2004年になってから完成させましたけど。これ、実は往年の美声時代には完成させちゃいけないものだったんじゃないかと思ったり……。なんかデンパみたいなこと言ってますけど(笑)。
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2 ~孤独な男の話をしよう~』より ©2012 Chrome Dreams Media, Ltd
来日したブライアンに近づけなかった(萩原)
能地:ネブワースでのライヴ映像の話に戻るけど。あそこでの「サーファー・ガール」のサビを歌うブライアンの声って、すごくない?
萩原:あ、すごいよね。この映画では、あの頃のブライアンがむりやりステージに出されて見せ物のように歌わされていた、みたいな流れの中で使われていたけど。あれ、すごくグッとくる歌声で。
能地:歌っているときに、デニスがすごくうれしそうな顔でブライアンを見ているんですよね。あれを見た時に、“あー、これはただお金のために見せ物としてブライアンを置いているっているのとは違うんだろうな”と、ものすごく思いました。この映画、わりとどんよりと重い雰囲気がずっと続くけれど、それってもしかしたら、すべてこの「サーファー・ガール」の一節のためにあった伏線だったんじゃないかな、とか思ってしまいますね。
萩原:君もデンパみたいになってきたね!?(笑)
能地:一緒に住んでると、言ってることが同じになってくるわ……。
萩原:ただね、あの頃のブライアン自身はもう何もわかっていなかったんだよ。思考能力なし、みたいな。99年にソロで初来日する直前にロサンゼルスのブライアンのおうちで初めて彼にインタビューしたんだけど。
能地:あ、あの、ブライアンの生バスローブをついに見たとき?
萩原:そうそう(笑)。そのとき、「以前、日本に一回来たことがありますよね。覚えてますか?」って訊いたら、「I know」「I remember」と答えてたんですよ、最初は。「確か野外だったよね」とか。でも、実際あの頃のビーチ・ボーイズのコンサートは8割がた野外だったしねぇ。そんなふうにいぶかしがっていたら、しばらくしてブライアンが「ごめん。ウソついてました。実は全然覚えてない」って(笑)。江ノ島どころか、当時の他のコンサートのことも何ひとつ覚えてない、と。
能地:そういえば、江ノ島のコンサートのとき、楽屋でブライアンを見かけたんだよね?
萩原:あれは「ジャパン・ジャム」ってフェスティヴァルで。他にファイアフォールとか、ハートとか、あと日本からサザン・オールスターズも出ていて。サザンのメンバーと友達だったので、彼らの楽屋に遊びに行ってたんですよ。そしたら、楽屋がヨットハウスみたいなところで。ベランダが全部つながってたのね、他の部屋と。それでベランダにいたら、ブルース・ジョンストンや、マイク・ラヴとか、アル・ジャーディンとか、うろうろしているわけ。なので、Tシャツにサインしてもらったりしてたんだけど。ブライアンにだけは近づけなかった。すぐそこにいたんだけどね。ブライアンがベランダからヨットハーバー越しに夕日が沈むのを見てたりしていて。
能地:でも、近づけなかったの?
萩原:近づけなかった。目の焦点、どこに向かってるのかわからない感じだし(笑)。まあ、実際ファンとして当時のブライアンがどういう状態なのか、いろいろ情報も知っていたしね。おっかなかった。
能地:でも、今でもブライアンっておっかないですよね。サイン会とか行かれた方はご存知だと思いますが、めちゃくちゃこわいですよ。無表情で。
萩原:ニューヨークのレコード屋さんでのサイン会だったかな。お付きのスタッフがサインするためのCDジャケットを1枚ずつテーブルの上に差し出して、そこにブライアンがサインする、という作業を次々繰り返してたんだけど。一回そのテンポが狂っちゃって。スタッフがジャケットを1枚出しそびれたのね。そしたらブライアン、そのままのテンポでテーブルにサインしちゃってた(笑)。あの人、音楽やってるとき以外は何も考えてないし、何も覚えてないんじゃないかな。だから、ブライアンに何か伝えることなんかできないんですよ、ファンとしては。ブライアンの思いを受け止めて、それぞれが勝手に自分の中で育むしかない。
能地:でも、育みがいはありますよ。本当に、この映画にも見たことある映像がたくさん出てくるのに、なんか、こう、また味わい深いというか……。
萩原:ちなみに、今日からトロント国際映画祭でブライアンの伝記映画『Love & Mercy(原題)』がワールド・プレミアされます。そこでブライアン・ウィルソンを演じるのが、ジョン・キューザック。似てるか?って思うかもしれないけど。それがなかなか。
映画『Love & Mercy(原題)』より、ブライアン・ウィルソンを演じるジョン・キューザック(左)
能地:そう、ジョン・キューザックのツイッターにアリッサ・ミラノが軽い気持ちで“ビーチ・ボーイズっていいの?”みたいな軽いリプ飛ばしたら、ジョン・キューザックが“「スマイル」から聴け”みたいな厳しいツイートしてて。すごい頑固オヤジのスパルタみたいになってました(笑)。
萩原:ジョン・キューザックは年齢を重ねてからのブライアン役なんだけど、若い頃のブライアンを演じるポール・ダノも、ブライアンのバック・バンドのメンバーからものすごくきちんとブライアンのベースの弾き方とか、ピアノの弾き方とかを特訓されたみたいだし。そっちの映画もすごく楽しみです。そこでもまたブライアンの魅力を再発見することができると思いますよ。ニュー・アルバムの噂も出てますしね。
能地:次回はデュエット・アルバムかも、みたいな。とにかく、今後のブライアンをみんなであたたかく見守っていきましょう。
司会:今回の映画はパート2ということで、実はこんな暗い映画が公開できようか?という状況でしたが、お陰様でこうやって劇場公開に至ることができたという、うれしいことですね。
萩原:そうですよ! もう、ここに集まったメンバーでブライアンを支えていくしかないですよ!夫婦でこんなにたっぷりブライアンの最底時代の話ができるなんて光栄でした。みんなでこの映画を支えていきましょう!
[2014年9月6日、シネマート六本木にて]
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映画『ブライアン・ウィルソン ソングライター ~ザ・ビーチ・ボーイズの光と影~』を萩原健太氏と鈴木慶一氏が語る(2014-05-02)
http://www.webdice.jp/dice/detail/4177/
映画『ブライアン・ウィルソン ソングライターPART2
~孤独な男の話をしよう~』
10月18日(土)より渋谷アップリンクにて限定公開
製作&監督:ロブ・ジョンストーン
編集:トム・オーディル
出演:ブルース・ジョンストン(ザ・ビーチ・ボーイズ)、ハル・ブレイン(レッキング・クルー)、ダニー・ハットン(スリー・ドッグ・ナイト)、マーク・ヴォルマン(ザ・タートルズ)、バーニー・ホスキンス(音楽評論家)、ピーター・エイムズ・カーリン(伝記作家)、ドミニク・プライア(伝記「スマイル」作者)、スティーヴン・デスパー(元チーフ・エンジニア)、フレッド・ヴェイル (元マネージャー)、ステファン・カリニチ (詩人)、フィリップ・ランバート(伝記作家)、デヴィッド・サンドラー(作曲家)、アール・マンキー(ビーチ・ボーイズの元エンジニア)、デヴィッド・フェルトン(ローリング・ストーン誌)他
2012年/イギリス作品/カラー/ステレオ/ヴィスタサイズ/134分
配給:ジェットリンク/フリーストーンプロダクションズ
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