骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2014-10-01 23:30


哲学と思想に従いグローバルに創作せよ!ヴィデオ・アートの先駆者・中嶋興語る

渋谷アップリンクにて特集上映「ヴィデオ万物流転」を10/10、17開催
哲学と思想に従いグローバルに創作せよ!ヴィデオ・アートの先駆者・中嶋興語る
中嶋興 ヴィデオ・インスタレーションの様子

携帯やスマートフォンで誰もが映像を撮って、世界に配信できる現在。今より50年前の1960年代半ばより手持ちのヴィデオ・カメラが登場し、新しい映像表現に果敢にチャレンジしたアーティストが日本でも現れた歴史がある。そのなかの一人、中島興の特集上映「中嶋興 -ヴィデオ万物流転- Ko NAKAJIMA’s Video Vicissitudes」が10月10日(金)と17日(金)の2回にわたり、渋谷アップリンク・ファクトリーにて行われる。この上映に合わせて、併設のアップリンク・ギャラリーではリソグラフや写真を中心にした平面作品の展示も催される。

中嶋興は1960年代より実験アニメや写真、デザインを手掛け、70年代よりヴィデオ・アート、インスタレーションなど数々の視覚芸術・映像作品の展示を手掛けたメディア・アートの先駆的存在。商業的な映画やテレビとは異なり、『MY LIFE』(1976-)での長期間にわたり彼の人生そのものを映像作品化する作風や、東洋思想の要素を取り入れたコンセプトで、現代メディア社会での生き方・生命の問題を提起するその手法は、海外からの評価も高い。

今回の特集上映の開催にあたりwebDICEでは、自身のキャリアと中嶋流のユニークな発想と表現の源泉を語ったインタビューを掲載する。




60年代後半、映像との邂逅:
フィルムとヴィデオに同時に出会う

──映像との出会いを教えてください。

僕は1968年ごろとヴィデオと出会ってる。お正月に銀座でヴィデオを使った技術デモンストレーションをやってて、「こういうのが出来たのか」って調べたらヴィデオだった。「ポーターパック」という、ヴィデオ初期のオープンリール型の録画ユニットと撮影ユニットのセットだった。

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中嶋興

──新しい技術に興味があったのですか?

それ以前はアニメ、写真、デザインや絵を描いたりして、そういう表現メディアを一つずつ組み合わせて作った方が面白い作品ができるんじゃないかなと思って。だからいろんなメディアを勉強したいと思ってた。まずフィルム映画の勉強をしなきゃいけないと思ってね、映画プロダクションにアシスタントで入って、フィルム撮影を覚えた。ロケ仕事が終わると、アシスタントは車庫まで撮影機材を持って帰るじゃない。その準備中にこっそり持ちだして、翌朝早く行って戻しておくと誰もわからない。

ロケ仕事が1ヶ月ぐらいかかると、30日ぐらい毎日撮影することができる。それでサンゴー(35mmフィルム)の構造を覚えたんだよ。その時作った映画作品は、心臓手術の女の子をテーマにつくったんだけど、それが1968年にモントリオール映画祭で受賞したんで、カナダに授賞式に出かけていった。それからカナダとの付き合いが始まった。だからフィルム映画と同時にヴィデオと出会ったんで、こっちでヴィデオやりながら、一方でフィルムの勉強しなきゃなんない状況でけっこう大変だった。

メディアアートは機材と一緒に発達してくるじゃないか。だからテクニックは大事だから、勉強したんだね。

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「塩の幻想」(1993)

ヴィデオは長期戦で撮れ!

──70年代には「ビデオアース東京」というグループを作られますね。

そう、東京総合写真専門学校ってところで重森弘淹という人がいて、学校に教えに来ないかと誘われて、その条件にヴィデオをやりたいって言ったら、「じゃ、機材買いましょう」って、すぐポーターパック型ヴィデオを買ってもらった。あと自分で買った機材と学校の機材と、モノクロだけど、それで作品をそこの学生さんと一緒に作り始めてそれでビデオアース東京をつくったんだ。

──なぜ「アース」だったのですか?

地球をヴィデオで表現してやろうってことで、地球倶楽部だから「アース」。それで世界中のヴィデオ・アーティストとコミュニケーションをとるために「ビデオアース東京」を作った。10年間ぐらい活動して、その時のメンバーには今でもケーブルテレビに活躍してる人もいる。

ヴィデオは元々パーソナルなメディアだから一人で出かけて行って一人で撮るとか。ま、多くても2、3人で組んで撮るとかってしないと、仲良しクラブで何かオタクになっちゃうとダメじゃないか。ある対象に対して考えるのが表現だし、運動だと思ってるから。

──どういう作品を作られたのですか?

一つには、70年代ごろから自分と家族をテーマにした『MY LIFE』(1976-)。36年ぐらい撮ってるんだけども、ヴィデオはメディアの特性として、長期戦で作らないとだめだってことに気がついたんだ。即興でパッと創るのも一つの手だけども、ヴィデオ・メディアの特性は長く撮ることなんだよ。

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「MY LIFE」(1976-1992)

もう一つには、70年代にはいってからうちの奥さんが道教の勉強を始めたんで、その話を聞いて自分でも日本の文化を調べ始めたら、「木・火・土・金・水」という5つの元素の発想法・コンセプトがあって、それにすごく日本文化が影響を受けてるとわかったんだ。暦や方角などにも浸透してるな、と。

そこで、その考えを素にエコロジカルな作品を作ると面白いんじゃないかと考えて、木、火、土、金属と水の作品を作ってる。「木・火・土・金・水」で一つの宇宙観を作れば、日本の文化は「花・鳥・風・月」の思想だから、連結してくるんじゃないかなと。

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「精造機」(1964)

──世界各国でヴィデオ作品を創られてますね?

五大陸で作るっていうのがテーマなんだ。ニュージーランドは火山があって、日本と似てる。マオリ族という原住民の思想があって、それをちょっと勉強して、日本の神道や道教の考えを少し入れながらニュージーランドで作った。今はインドで作ってる。あとヨーロッパや、あとカナダでも作った。あとアメリカか南米あたりで創れたらいいな、と思ってる。いろんな大陸の面白さとか環境の違い、そこの文化を取り入れて作っていかなくてはいけないと思っている。

海外にも影響を与えた中嶋的発想

──東洋思想を取り入れた経緯をもう少し詳しく教えてください。

さっきの「木・火・土・金・水」は、地球上は五元素で成立してるという考え方。君は時計を持ってるけども、それは金属とガラスでできてて、それも五元素でできてる。道教思想はよくできてて、「木」は日本だと酸素をだして綺麗なイメージがだけど、中国の道教では「木」は体内にアルゴリズムと計算時計を持っていて「すごく構造的だ」という。

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「タオ・インスタレーション」(2011)

それで「火」はエネルギーだから太陽、ガス、発電とかを意味する。このヴィデオ・カメラもバッテリーで動いているからエネルギーじゃないか。だから中国では「火」はすごく大事だと言われている。「火」は突発的で、爆発なんだよね。脳機能的では「火」はインスピレーション。さっきの「木」は構造だから、そういうのを生み出さないということなんだ。

あと「土」は、すごく栄養分が沢山あって生命を育てる素になる、母なる大地なんだ。それは教育も含んでいて、学校みたいに教育機関で人を育てるのが「土」の役目じゃないか。確かに学校とか図書館とかアーカイブなんてのは人を育てるよな。育たないと次が出てこないから。アーカイブとかネットワークは一種のコンテンツになるものを一生懸命育てる。裏をかえせば「土」はアーティストに作品を作れって言ってるんだよ。

「金」は金属のことで、鉄が鉄鉱石からできるように、石が変幻自在に化けたもの。このカメラでも元を辿れば、石が全部化けたもんじゃないか。外側はプラスティック、中身は全部チタンとかでできてる。ヴィデオ・テープは鉄粉を塗ってるだけだからね。そういうものが変化するのが「金」の強さだと。

最後の「水」は中国の五行学で言うと、情報のことなんだ。確かに情報は流れているじゃないか。

そういったことが書物に書いてあるから中国四千年の歴史はすごいなぁと思った。それで5つの元素から発想して、何か構築していけば一つになると思って、インスタレーション作品でも「水」、つまり情報を大事にしたり、「火」の要素を組み合わせていくってことをやってきた。

そういう思想をビル・ヴィオラに一生懸命話をしたんだ。そしたら、あいつ納得したんじゃないかな。でもあいつ極端だから、いきなり火をもってきて、こっちのスクリーンで水をポンってもってきたりするでも、そういう東洋思想が、あいつが日本にいる間に、頭に入力されたと思う。俺はそれをちょっと切り口を変えて、本当の東アジアの立場に立って、その5つの元素の面白さを作品にどうやって面白く組み合わせていくかを考えてる。

『MY LIFE』を作ってもう36年目だけども、国内では中川素子さんや、フランスではジャン=ポール・ファルジェといった人が評価してくれてた。

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「ランギトート」(1988)

「死ぬ」ということに対してもっと目を向けてほしい

──観客にどのように作品を見てもらいたいですか?

観客が自分の人生をどういう風に生きるかっていうのを考えて欲しいね。それがひとつ『MY LIFE』という作品の方向性。例えば、ホーム・ヴィデオはアルバムみたいにいっぱい映像が残る。でも、それを作品化する人はなかなかいなくて、どんどん溜まってるだけ。その映像をどういう風に自分の「生きた」証拠にするかというと、「生きた」という言葉だけじゃダメで、「死んだ」っていうのが片方にないとね。

皆、「生きた」ってことしか撮らないんだよ。「骨が燃える」とか「死体が横たわってる」という「死んだ」っていうのは撮らない。「死んだ」ことを撮ることによって、「生きた」ということが立ち上がってくるじゃないか。皆、脳の構造はそうなってるのにさ、なかなかその「死んだ」っていう方向に向かわないんだな。

ニューヨークで『MY LIFE』を上映しても、「もうちょっと『生きた』作品を持って来い」と言うんだ。プラグマティズムの、「人生今しかない」って人達だから、「『死んだ』ってのがないと意味がない」って言ってもよくわかんない。それはアメリカとの思想の違いだよ。ところが、フランスやベルギーといったヨーロッパの伝統のある場所の人は、「死んだ」ってことに対してかなり理解するんだよね。

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中嶋興 ヴィデオ・インスタレーションの様子

プラスティックでできた骸骨の骨をいっぱい持っていって、インスタレーション作品の周りに石と一緒に敷き詰めて、映像を流したことがあるんだ。そしたら黒人がいっぱい見に来てえらく喜んだ。その骨をつかんでさ、「これどういう関係があるんだ」ってさ、すごく感激してくれた。だから、「死ぬ」っていうことに対してもうちょっと日本人が目をむけてくれればいいなって思う。

カンヌやベルリン映画祭じゃなくても、カナダの映画祭でもどこでもいいんだけど、ヴィデオ・アーティストが作った作品が映画祭に通用するかってのをちょっと試してみたいね。うまくいかなかったら、短編作品としてばらして公開すりゃ、いいんだから。

[「キカイデミルコト -日本のヴィデオアートの先駆者たち-」(2012)インタビューから採録 インタビュー:瀧健太郎(ヴィデオアーティスト)、録音:大江直哉(ビデオアートセンター東京)、書き起し協力=渡邉由紘]



中嶋興 Ko NAKAJIMA

1941年熊本生まれ。九州より上京し60年代より映画技術を学びながら、実験的なアニメーションなどを手掛ける。70年よりポータブルのヴィデオ・カメラを購入し、グループ「ビデオアース東京」を結成。ヴィデオを個人の記録メディアとして、また生命や思想な表現を行う媒体として捉え、ユニークな視点でパフォーマンスやドキュメンタリー、インスタレーションなど広い範囲での活動を行う。『MY LIFE』(1976-)のシリーズは、ビル・ヴィオラの作品『ナント・トリプティック』(1992)など影響を与えたとされるなど、世界的に評価が高く、近年は仏クレルモンフェラ「VideoFormes」で特集が組まれ、また『ランギトート』(1988)を制作したニュージーランドを再訪し、大規模なインスタレーション展示を行っている

中嶋興ウェブサイト http://www.age.cc/~ko-ko-ko/blog/




中嶋興-ヴィデオ万物流転-
Ko NAKAJIMA’s Video Vicissitudes
2014年10月10日(金)・17日(金)
会場:渋谷アップリンク・ファクトリー

19:00開場/19:30開演/21:30終演
料金:一般1,500円/学生1,000円

【両日とも中嶋興とゲストによる対談あり】
10月10日(金)
Vol.1:メディアの精製と流転 Generation and Vicissitude of Media
ゲスト:クリストフ・シャルル(メディアアーティスト)
10月17日(金)
Vol.2:ヴィデオの陰陽五行 5th Elements of Video Art
ゲスト:上崎千(慶應義塾大学アート・センター)

主催:アップリンク、ビデオアートセンター東京
助成:アーツカウンシル東京
ご予約は下記より
http://www.uplink.co.jp/event/2014/31249


中嶋ギャラリー

中嶋興 リソグラフや写真を中心にした平面作品の展示
2014年10月1日(水)~10月20日(月)
会場:渋谷アップリンク・ギャラリー

10:00-22:00
入場無料
http://www.uplink.co.jp/gallery/2014/31652

▼中島興:ヴィデオ万物流転 Ko NAKAJIMA"Video Vicissitudes" trailer

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