骰子の眼

cinema

2014-09-27 12:24


亡命作家ベストセラー映画化、双子の少年が記した戦争『悪童日記』

「戦争が無垢な子供から何を作り出してしまったのか」ヤーノシュ・サース監督インタビュー
亡命作家ベストセラー映画化、双子の少年が記した戦争『悪童日記』

1986年にフランスで刊行された、作家アゴタ・クリストフによる『悪童日記』が映画化され2014年10月3日(金)に公開される。

第2次世界大戦末期、双子の「僕ら」が小さな町の祖母の農園に疎開する。粗野で不潔で、人々に「魔女」と呼ばれる老婆に預けられた双子は過酷な日々を生き抜くため様々な"練習"を自らに課していく。そして、目に映った真実だけを日記にしていくのだった。

ハンガリー出身の亡命作家アゴタ・クリストフによる原作は、彼らの日記という体裁をとり、殺人も躊躇しない彼らの行動が簡潔につづられたものである。40カ国以上の国で翻訳され今でも戦争の残酷さ悲しさを伝える作品として読まれ続けている。作家の故郷であるハンガリー出身のヤーノシュ・サース監督が映画化した本作は、カルロヴィ・ヴァリ映画祭でグランプリを獲得したほか、 アカデミー外国語映画賞のハンガリー代表にも選ばれた。

原作を読んでいる人なら、双子の「僕ら」の姿をみるだけでこの映画が素晴らしい予感がすると思う。監督がハンガリー中の学校に連絡し、そして見出した美しさと野性味をもったジェーマント兄弟は、ハンガリーの貧しい小さな村出身で「僕ら」が疎開先で経験する過酷な生活とは何かを既に十分に知っていたという。

webDICEではヤーノシュ・サース監督のインタビューを掲載する。




ヤーノシュ・サース監督インタビュー
「戦争がこの2人の無垢な子供から何を作り出してしまったのか」

──原作小説の「悪童日記」はいつ読まれましたか?映画化するに至った経緯を教えてください。

90年代半ばに読みました。その時すでに映像化権の獲得を試みていました。しかし権利はアグニェシュカ・ホランドからトマス・ヴィンターベア、そして最終的にコンスタンティン・フィルムに渡り、何年もの間、我々は権利獲得を逃しつづけました。そしてたまたま、私のドイツのプロデューサーであるサンドル・ソスが、権利がオープンになったとの情報を得たのです。彼は、翌日にはすでに権利を獲得し、3日後にはアゴタ・クリストフ本人にヌーシャテルの彼女の家で会っていました。

映画『悪童日記』
ヤーノシュ・サース監督

──原作者のアゴタ・クリストフ氏とはどのように親交を深めていきましたか?そして、彼女は映画化に対しどのような意見を持っていましたか?

最初からかなり近しい、よい関係を築けました。彼女は私の映画をすべて観た上で、映画化へのゴーサインを出したのです。私は映画人として3部作すべてではなく、「悪童日記」にだけ興味があると伝えました。この小説はフランス語で書かれ、戦争中の話なのですが、その戦争自体にも舞台となる場所にも名前はつけられていません。映画化するにあたり、私はこの物語を第二次世界大戦中のハンガリーに設定したいと思っていました。アゴタは彼女の書いた物語が自分のルーツである場所、彼女の思い出の残る場所に帰郷することをとても喜んでいたと思います。

それから私たちは定期的に会うようになりました。もちろんハンガリーでも。いつも新しい経験をさせてもらいましたよ。彼女はとても強い女性で、激しく愛することも、また強烈に憎むこともできる人でした。恐れるものは何もなかった。死ぬことなんてこれっぽっちも恐れていないような人でしたね。私は定期的に進行状況を彼女に伝えていました。映画制作の準備、子役の発掘なんかの状況をね。アゴタはとても喜んでくれていたみたいです。でもある日、彼女が亡くなったという電話が入ったんです。映画のことは全く関係なく、仲のいい親戚を亡くしたような気分でした。彼女は素晴らしい女性でしたよ。

映画『悪童日記』

──なぜ、それほどまでにこの本に興味を抱いたのですか?

難しい質問ですね。1つ目は子供たちです。基本的に重要となってくるのがこの2人の子供がどのようにして生きることを学んでいくかということでした。さらに、どうして彼らが心を閉ざした冷血な怪物となってしまったのかということもです。アゴタ・クリストフの本を読むと、内側にある、人間の内部にある感情を感じることができるのです。2つ目はこの物語の舞台が戦時下だということです。戦争というものを直接見せずにどう戦争の物語を語ることができるでしょうか?この本のそれぞれの場面が自ら戦争がどんなものか、戦争が人間の性格をどう変えていくのか、戦争がこの2人の無垢な子供から何を作り出してしまったのかを語りかけてきます。それは戦争の破壊行為といえるものです。

映画『悪童日記』

──小説と比べると映画は性的、暴力的描写が顕著な場面も含めいくつかの場面がカットされていますよね。

この本の一番際どい箇所ですね。映画の中で少女の身に起こったことはとても過酷であり、アゴタ・クリストフの身に起こったことを映画化することは私には不可能です。このことが私にとって大事なことであったのなら、この映画を撮ることはなかったでしょう。将校と双子のシーンは小説で描写されていたように映画にすると小児愛好の域に達してしまうでしょう。私はそれをもっと繊細に扱いたかった。この映画ではそんな中でバランスを見つけるのが問題であり、難しいことだったのです。

結局のところ将校が双子を拘置所から連れ出すシーンの表現はかなり特別なものになりました。残虐性や性的倒錯をそのまますべて見せてしまうと、とてもつまらないものになってしまうと思います。この酷な、痛みの伴うシーンを意識的に扱いたかったのです。決して、すべてが小説からなるものでなくてはならないわけではありません。文学がもたらす効果は映画とはまた違うのですから。

映画『悪童日記』

──以前、演出解説においてタルコフスキーとロベール・ブレッソンの間の手法を念頭においていたと書かれていましたね。

この映画を撮影するずっと前に書きました。でも今では全く違う意見です。撮影していく内にその映画が様式上、実際どの方向へ進んでいくのか、どの手法で撮られるべきなのかを感じられるようになります。誇張した映画にしないことが私にとっては重要でした。この映画は現在を含んでいるべきで、言うなれば今、この場所で繰り広げられるべきなんです。それが今回の手法でした。芸術的な手法に捕らわれるのではなく、物語を語ること、物語に寄り添い続けることに集中する。とても難しいことですがね。例えば小説の中で最後に父親が戻ってくる場面。妻の安否を心配し、子供たちのことは全く気にかけていない様子。そして妻の遺体を掘り起こすシーン。アゴタ・クリストフにかかるとこの場面はたった10行です。これを映画にするとなると話は全く違ってきます。アゴタ・クリストフの書いた状況設定やリアリティーにおいて、文学的手法と映画的手法では表現方法が大きく異なるからです。

──双子の子役はどう見つけ出したのですか?

ものすごく時間がかかりました。まずハンガリーのすべての学校に連絡し、双子を探しました。学校から返事をもらうのにさえ3~4ヵ月かかりましたよ。双子を見つけるだけでも難しいのに、この役を体現できる双子を見つけるのは至難の技で、半年後にやっと見つけることができました。彼らはハンガリーの非常に貧しい地域の小さな村の出身です。困難な状況下で生活し、厳しい肉体労働をするのが日常。過酷な生活とは何かを彼らに説明する必要は全くもってありませんでした。私なんかより彼らの方がよく知っていますからね。この双子と出会えたのは奇跡でした。

映画『悪童日記』

──撮影にあたって一番難しかったことは何ですか?

シンプルで有りつづけることですね。正しい映画言語を見つけ出すことが大切なんです。演出をし過ぎないで、物語に従う、そしてクリスティアン・ベルガーや俳優たちにいろいろと試すチャンスと時間を与えることも大事です。私は自宅でシーンについて机上プランを詳細まで練るタイプの演出家ではありません。私にとって映画作りは旅のようなものです。私自身、好奇心が強くいろいろなことに驚かされるのが好きなんですよ。2人の子供たちの話に耳を傾け、しっかりと聞くことはとても重要でした。彼らはハンガリーの実際の貧困地域の生まれで、自らの経験から厳しい生活がどのようなものか熟知していました。私たちはこの映画を作るにあたり、彼らがいなければ、映画人として意味を成す仕事はできなかったはずです。毎回演出を与えることはせずに、彼らが示す方向性を尊重したりもしました。その都度、状況を説明すれば、彼らはいとも簡単にその渦中にいることができました。彼らはたくさんの生と魂を与えてくれ、私はそれに従ったまでです。

──今回、初めてカメラマンのクリスティアン・ベルガー氏と一緒に仕事されたわけですよね。

クリスティアン・ベルガーは確たる距離感を大事にします。この映画の中ではクローズアップが非常に少ないんです。でも彼は熟練したマイスターのごとくロングショットを使って深みのある映像の中に何か奥深い人間性を反映させるみせるのです。アゴタ・クリストフが言ったように、これは内に、それもかなり奥深いところに、ある種の愛が存在する平凡な人間の話なんです。恐らくこれがこの映画の中で一番の課題だったのでしょう。すべての冷血性、残酷性からこの物語が人間そのものについてであるということを感じなければならないのです。

映画『悪童日記』

──物語の過程において、子供たちは純真さを失い、罪人となるのでしょうか?

表面的に見ればそうです。しかしそれは誰の責任なのでしょうか?私たち、大人の責任です。とても短い、幸せなプロローグから映画は始まります。その後、2人は祖母の元へ預けられ、母は去るわけです。その母に道すがら2つの約束事を与えられます。「決して学ぶことをやめてはいけない。何があっても生き延びなければならない」人間のモラルが平和な時代とは全く区別されてしまう戦時中において、それは重荷のように2人にのしかかるんです。 そんな時、人は純粋無垢ではいられなくなります。それは不可能です。この双子は道徳に対してとても強い感受性を持っています。この点においてこの小説は大変優れています。まさにこの基本的道徳観が2人を罪へと導くのです。下女のストーブを爆発させたのは彼女が理由もなくユダヤ人に野蛮で残酷な扱いをしたからです。

映画『悪童日記』

──「悪童日記」の本質的なモチーフは記憶、真実、そして誠実性への問題定義です。このこととどのように向き合ってこられましたか?

子供たちが綴る日記がこの映画の主役になることが大事だと思います。実際起きたことをそのまま書き綴ることが子供たちにとって重要なのです。私たちにとって肝心だったのはできるだけ飾らない、自然でストレートな映画を撮ることでした。まるで本当に起きた出来事のようにこの映画を撮りたかったのです。

ですからクリスティアン・ベルガーと共に仕事をすることができたのは大変有難かった。なぜなら彼は自然な光の演出に非常に長けたスペシャリストだからです。彼の光の演出によって役者の表情に、ある種の特別な簡素な性質をもたらし、それを観る者に感じさせます。そのことが観客に「これは現実だ」と思わせる映画を作ることを容易にしたのです。双子の子役、ピロシュカ・モルナール、ウルリッヒ・マテス、ウルリッヒ・トムセンや、その他すべての役者が素晴らしく、彼らの演技は常にシンプルで成功に媚びていなかった。質素でドライでしたよ。

アゴタ・クリストフの極端に短い文章の中にもある種の簡素さがある。すべての映像もまたシンプルであったと思います。私たちはとてもシンプルな方法で話を物語ることに挑戦しました。私は自身の大ファンではありません。ただ自分自身がこの映画の中でおもしろいと思ったことを語っているだけです。それこそが旅であり、私自身を強くひきつけるのです。




ヤーノシュ・サース Janos Szasz

1958年ブタペスト生まれ。演劇映画アカデミーで演出を専攻後、ブタペストの国立劇場で4年間を過ごす。80年代中頃から映画作家として活躍。作品には「Woyzec」(94年/ヨーロッパ映画賞最優秀新人賞、シカゴ国際映画祭撮影賞受賞、アカデミー賞外国語映画賞ハンガリー代表)、「The Witman Boys ウィットマン・ボーイズ」(97年/未/カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品、モスクワ国際映画祭、テッサロニキ国際映画祭演出賞、ゲント国際映画祭最優秀賞受賞)、「Broken Silence」(02年/スティーブン・スピルバーグ製作)、ウルリッヒ・トムセン出演「Opium-Diary of a Madwoman」(07年/ポルト国際映画祭優秀作品賞、ハンガリー映画ウィークに演出賞&評論家賞)などがある。また、演劇界でも演出家としても活躍しており、ワシントン、オスロ、モスクワ、ブダペストで活動をしている。またブダペストの演劇映画アカデミーにおいて俳優上級クラスの講師も務めている。




映画『悪童日記』
2014年10月3日(金)、TOHOシネマズ シャンテ、新宿シネマカリテほか全国順次ロードショー!

監督:ヤーノシュ・サース
原作:アゴタ・クリストフ 『悪童日記』ハヤカワepi文庫
出演:アンドラーシュ・ジェーマント、ラースロー・ジェーマント、ピロシュカ・モルナール
2013年/ドイツ・ハンガリー合作/111分
後援:駐日ハンガリー大使館
提供:ニューセレクト/ショウゲート
配給:アルバトロス・フィルム
公式サイト


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