骰子の眼

cinema

東京都 渋谷区

2014-09-04 12:00


「物語」から離れることで生命力が溢れる─ツァイ・ミンリャンが引退作『郊遊〈ピクニック〉』を語る

14分に及ぶ長回しなど「芸術とはゆっくりとあるべき」という哲学を突き詰めた最後の長編作品
「物語」から離れることで生命力が溢れる─ツァイ・ミンリャンが引退作『郊遊〈ピクニック〉』を語る
映画『郊遊〈ピクニック〉』より ©2013 Homegreen Films & JBA Production

台湾のツァイ・ミンリャン監督の『郊遊〈ピクニック〉』が9月6日(土)より公開される。ツァイ・ミンリャン監督は2013年9月のヴェネチア国際映画祭で引退を発表。最後の長編作品とされる今作は、彼が一貫して描き続けてきた現代社会における孤独をさらに鋭敏に突き詰めた内容となっている。ツァイ・ミンリャン監督の常連であるシャオカンことリー・カンションが主演を務め、幼い息子と娘とともに空き家で貧しい暮らしを営む男の漂流を忘れられない存在感をもって演じている。ツァイ・ミンリャン監督が今作について、長きに渡り彼の作品の顔となったシャオカについて、そして引退の理由について語った。

プロットと呼ばれるものを捨て、物語を削いでいくこと

──この映画には、たいへん驚かされました。住む家もなくホームレスのように暮らしている父親とその息子と娘、父親の悲しみが胸に迫って溜らない気持ちになりますが、「物語」という意味では、一体どうとらえていいのか分かりませんでした。なぜ、こうしたスタイルの映画を撮ろうと思われたのですか?

実は、面白い話があるのです。ベネチア国際映画祭で大きな賞をいただいたので、台北でその後すぐに上映したのですが、ある人は、この映画を「現代の台北の経済格差を描いた社会的な映画」と言い、ある人は「これはゴーストたちのファンタジー映画」だと言い、ある人は「ホラー映画」だと言いました(笑)。私は、観客のその反応をとても嬉しく思います。
いま映画館で上映され、たくさんの観客を集める映画は、多くが「物語」を語るだけの道具になっていると感じています。観客に素早くたくさんの情報を与える分かりやすい映画が好まれる傾向にあるからです。でも、そういう映画は観客を「物語」に縛りつけているとは思いませんか?
基本的に私は、最近の作品で「物語」を語ることから離れようとしてきました。ですから、『郊遊〈ピクニック〉』での最も重要な仕事は、プロットと呼ばれるものを捨て、物語を削いでいくことでした。
そのために、ひとつのシーンと次のシーンの間に直接の繋がりを持たせず、始まりも終わりもない感覚を与えることも重要でした。実はこの映画はカット選びを少しでも間違えたら、すべてが変わってしまうので、完成させるまでに少なくとも30ヴァージョンもの編集版をつくりました。「物語」を離れることで、それぞれのシーンに生命力に溢れた瞬間が生まれたと思います。観客の皆さんには、私の映画を「物語」を追うのでなく、自由に感じ取って欲しいですね。

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映画『郊遊〈ピクニック〉』のツァイ・ミンリャン監督

──「物語」はなくても、脚本はありますね。主人公と言える親子の設定を思いついたきっかけは何だったのでしょうか?

まず、製作の経緯をお話ししますと、この映画は、着想の元となった脚本ができてから3年かかって製作が動きだしました。台湾の公共テレビ局が、ある女性脚本家の書いた脚本を私にTVドラマにして欲しいと言って来たのです。正直に言って、その脚本はあまり好きではなかったのですが、ただ1点、失業者の男が出てくるところに惹かれました。その失業者のイメージが、10年ほど前に台北の路上で初めて見かけて以来ずっと気になっていた「人間立て看板」の男のイメージと重なりました。私が最初に見たのは、旅行会社のパッケージツアーの広告看板を持って、信号機のそばに立っている男でした。私は、その男を、私の映画の主演俳優であるシャオカン(リー・カンションがツァイ・ミンリャン作品で演じてきたキャラクターの名前)に演じさせてみたいと思いました。
そこで女性脚本家に提案して脚本を練り直してもらいました。彼女は8稿まで書き直して、毎回、脚本は変わっていったのですが、8稿目ができた時、一度作業を中断して、プロデューサーと話し合い、これはTVドラマではなく映画にしようと決めました。こういうケースでは通常、脚本の権利はテレビ局が離さないものですが、そのテレビ局は快く私たちに権利を売ってくれたのです。それから製作費を集めるのに3年もかかり、ようやく本格的に製作が始まった時点で、自分自身で脚本を書き直しました。

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映画『郊遊〈ピクニック〉』より ©2013 Homegreen Films & JBA Production

──この親子に『郊遊〈ピクニック〉』というタイトルをつけたのは、どのような意図ですか?

私はもともと「ピクニック」というものに興味がありました。そこに、都市の中を漂流する壊れた家族のイメージを重ねたのです。彼らは家もないし、食べていくためのギリギリの生活をしていますが、決して可哀想な悲惨なだけの人間を描いたつもりはありません。見方を変えれば、父親は毎日会社に行かなくてもいい、子供たちは学校に行かなくてもいい、空き家に暮らせば家賃も払わなくていい、というある意味での自由を彼らは得ています。私は、現代の人間は、「生活をする」ということに束縛されていると感じています。彼らはその束縛から解き放たれている。これは私が尊敬する老子の世界観に通じる考え方です。
撮影中、私はよく老子の「天地は仁ならず、万物を以って芻狗(すうく)と為す」という言葉を思い起こしていました。これは、天地には特別な思いやりや情があるわけではなく、人間もあらゆる命と変わりなく、ただ藁でつくった犬のように扱われるだけだという意味ですが、この言葉を残酷と思うかもしれませんが、そうではありません。人間は草木と変わらない、ただ生きるという存在なのです。それが老子の無情です。この映画の貧しい家族はまるで世界から見放されているようですが、それでも彼らは生きていく。「生活をする」という束縛から解き放たれて、そこにはある種の純粋な生があります。

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映画『郊遊〈ピクニック〉』より ©2013 Homegreen Films & JBA Production

人生の20年をかけて、シャオカンはキャベツを食べた

──あなたの映画で子供たちが主要な登場人物であるのは珍しいことですね。

二人の子供は、シャオカンの甥と姪です。妹の方はこれまでまったく演技の経験がありません。彼女は最初、出演することに強く抵抗しましたが、カメラの前での振る舞いは驚くべきもので、演技について指導する必要などないほどでした。兄の方は、私の『楽日』に出てもらったことがあります。私は彼らの自由にさせただけです。二人は、世界の悲しみを知らず、ただ楽しい時間と戯れている小さなゴーストのようでした。私も幼い頃、きっとそうだったのだと思います。

──いくつもの忘れ難いシーンがありますが、とりわけ印象に残るのは子供たちがいない部屋で父親がキャベツを貪る場面です。あれほど心に迫ってくるシーンはめったにないと思いますが、どのように演出したのですか?

日本のあるインタビュアーの方が、「この映画は〈キャベツ〉というタイトルにしたら良かったんじゃないか」と仰ってくださいました(笑)。実はあの場面では、私はシャオカンにキャベツを渡し、食べるように言っただけです。あの日の撮影はとても感動的でした。彼は、哀れみと後悔、悲しみと孤独、満足感と暴力性が噴出させ、怒りの感覚をたたえながら、静かにキャベツを食べました。彼は静かにキャベツを噛み、愛と憎しみの混ざったこもごもの思いでキャベツを齧り、むしゃむしゃと食べました。彼が私の映画で演技を始めて20年、人生の20年をかけて、彼はキャベツを食べたのです。あの場面を撮りおわったとき、彼は泣き、そして私も泣きました。シャオカンはこの映画で、金馬奨の主演男優賞などたくさんの賞をもらいましたが、彼が役者として評価されたことを心から嬉しく思っています。

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映画『郊遊〈ピクニック〉』より、シャオカン(リー・カンション) ©2013 Homegreen Films & JBA Production

──では、テイクの長さについてお伺いします。これまでもあなたの作品は「長回し」が多用されていましたが、過去の作品と比べても長回しのシーンが非常に多く、最後には「長回し」という概念さえ超越するような14分にも及ぶ長いカットがあります。なぜあんなに長いカットを撮ったのですか?

この映画が東京フィルメックスで日本で初めて上映されたとき、黒澤明監督のスクリプターとして知られる、私の愛する野上照代さんが会場にいらしていて、「長過ぎる!」とおっしゃったので、私は野上さんに「ああ、野上さんが私のプロデューサーでなくて良かったです」とお答えしました(笑)。あのシーンは、私にとってはとても意味のある長さです。5分では意味がないのです。私は映画にとって「物語」は最重要ではないと言いましたが、私にとって映画とは「映像」と「時間」です。あのシーンを撮るときに考えたことは「無為な時間」ということです。私は、シャオカンとチェン・シャンチーに、感情過多にならないようにただ立って欲しいと言いました。あの長さは俳優たちが無為になるために必要な時間です。あそこは、シャオカンが無為に「立つ」ということを完成させたシーンなのです。
現代は情報や物語があふれすぎていて、そこに価値はなくなっています。だからこそ無為である時間は人に届くのではないでしょうか。アジアの都市では、西洋に影響されて急速な開発が進み、あらゆることが加速しています。でも本来、芸術とはゆっくりとあるべきなのです。

──最後に。あなたは本当に劇場映画から引退するのですか?

私は、世界の映画を支配している市場価値による配給システムに疲れてしまったのです。この映画を撮っているとき、とても体調が悪く、もう生きられないかもしれないというような状態にもなりました。だから、私は興行価値など何も考えず、ただ私の映画をつくろうと思いました。この先どうなるかはわかりませんが、今は、この映画が最後となってくれたらと願っています。『郊遊〈ピクニック〉』が、最後の映画になるとしたら、私には一点の後悔もありません。でも、美術館で上映する映画をつくったり、舞台を演出したり、創作活動は続けていますよ。私の舞台を日本で公演してもらえたら、嬉しいですね。

(オフィシャル・インタビューより)



ツァイ・ミンリャン プロフィール

1957年、マレーシア生まれ。77年に台湾に移り、大学在学中からその才能で注目を集める。91年、テレビ映画「小孩」で、後に彼の映画の顔となるリー・カンションを見いだし、92年彼を主役にした『青春神話』で映画デビュー。つづいて発表した『愛情萬歳』、『河』が世界中で絶賛され、世界の巨匠のひとりとなる。2013年ヴェネチア国際映画祭にて、本作『郊遊〈ピクニック〉』を最後に劇場映画からの引退を表明。現在は、アートフィールドにて、映像作品や舞台演出などを手掛けている。




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映画『郊遊〈ピクニック〉』より ©2013 Homegreen Films & JBA Production

映画『郊遊〈ピクニック〉』
9月6日(土)より、シアター・イメージフォーラム、シネ・リーブル梅田他全国順次公開

現代の台北。父と、幼い息子と娘。水道も電気もない空き家にマットレスを敷いて三人で眠る。父は、不動産広告の看板を掲げて路上に立ち続ける「人間立て看板」で、わずかな金を稼ぐ。子供たちは試食を目当てにスーパーマーケットの食品売り場をうろつく。父には耐えきれぬ貧しい暮らしも、子供たちには、まるで郊外に遊ぶピクニックのようだ。だが、どしゃ降りの雨の夜、父はある決意をする……。

監督:ツァイ・ミンリャン
出演:リー・カンション、ヤン・クイメイ、ルー・イーチン、チェン・シャンチー
製作:ビンセント・ワン
脚本:ドン・チェンユー、ツァイ・ミンリャン、ポン・フェイ
撮影:リャオ・ペンロン、ソン・ウェンチョン
美術:マサ・リュウ、ツァイ・ミンリャン
衣装:ワン・チアフイ
編集:レイ・チェンチン
原題:郊遊
英語題:Stray Dogs
2013年/台湾、フランス/136分/DCP/カラー/1:1.85/中国語
後援:台北駐日経済文化代表処
配給:ムヴィオラ

公式サイト:http://www.moviola.jp/jiaoyou/
公式Facebook:https://www.facebook.com/jiaoyoumovie
公式Twitter:https://twitter.com/JiaoYou_movie





DVD『黒い眼のオペラ』

監督:ツァイ・ミンリャン
出演:リー・カンション、チェン・シャンチー
2006年/台湾、フランス、オーストリア/118分
定価:5,076円(税込)
ULD-465 アップリンク

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▼映画『郊遊〈ピクニック〉』予告編

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