映画『ジプシー・フラメンコ』より、カリメ・アマジャ
2010年にユネスコ無形文化遺産に指定された民族音楽舞踊フラメンコ。そのフラメンコを芸術の域にまで高めた存在として知られるダンサー、カルメン・アマジャ(1913年-1963年)の生誕100年を記念して制作されたドキュメンタリー『ジプシー・フラメンコ』が8月9日(土)より公開される。アマジャの血を引くメルセデス・アマジャ・ラ・ウィニーとカリメ・アマジャという母子のフラメンコへの情熱を軸に、ダンサー志望の少年と彼の家族など、バルセロナのジプシー・コミュニティのなかでフラメンコがどのように受け継がれているのかを、ダイナミックな踊りそして歌とギターの響きとともに描く作品だ。これまでも映画を通してスペインの芸術に迫ってきたエヴァ・ヴィラ監督が、今作制作の経緯を語った。
芸術としてのフラメンコをフィルムに収める
──どのようなきっかけで今作の制作がスタートしたのでしょうか。
『ジプシー・フラメンコ』は、カタルーニャのジプシー・コミュニティに属することによる、その意識の奥にあるものを明らかにしています。前作のドキュメンタリー『B-Side』の撮影中に、異なるルーツを持ちながら、ただ一つの共通点で結ばれたミュージシャンたちの知られざるコミュニティを発見しました。彼らの共通点は、音楽は自分の人生そのものであるという強い信念。それによって、より大きなミュージシャンのコミュニティに属しているという意識を持っているのです。
映画『ジプシー・フラメンコ』のエヴァ・ヴィラ監督
バルセロナのジプシー、バハリ(Bajari)がここで生き続けていることも、バハリがジプシーの言葉でバルセロナを意味することも、現在ではほとんど知られていません。その軌跡を辿ると、観光客や住民が持つイメージとは異なる現実が見えてきます。歴史ある街が、時の流れを経ても変わっていないという現実。街の魂とアイデンティティは、演じる者たちによって守られ伝承されてきた芸術の形だからです。
今も生き続けるバハリの姿が映し出すのは、ある場所に属するということが意味する普遍的な物語です。カリメ・アマジャがメキシコを離れたのは、世界的な踊り手となった自分の芸術家としての血筋を見つめ直すためでした。カリメと家族の人生は、彼女の大おばであるカルメン・アマジャの名前の重みと共にあります。一族の故郷ソモロストロがあるバルセロナでは、その名前はより大きな意味をもって受け止められているのです。
映画『ジプシー・フラメンコ』より、カリメ・アマジャ
──情熱溢れるフラメンコを映像に収めるにあたって、どのような点にこだわりましたか?
私たちがこの映画でやろうとしたことは、とても内的な感情を表現する芸術としてのフラメンコをフィルムに収めるということでした。踊りの名手であるカルメン・アマジャが生まれてから100年、その記念すべき年にこの映画をつくろうと思いました。カルメンが伝説的、神話的存在になっていて、彼女が残したものが孫のカリメを通してどのように継承されているか、それを追っていこうとしました。世代に受け継がれてきているものをフィルムに収めることが、 このフラメンコという芸術を記録するのに最良な方法でした。
フラメンコの神髄は、
その地域の人と交わってみないと分からない
──鳩の羽音と馬のひづめの音が、フラメンコの足音と合わせて編集されているシーンがありましたが、どのような意図があるのでしょうか?
音の側面は非常に重要な要素であって、神経を使いました。ジプシーの生活と芸術は非常に密接です。それらが分かれているのではなくて、ひとつであるということを示したかったのです。フラメンコは耳で聞くものでもあります。鳩や馬、それはジプシーの生活にとって非常に重要で、その要素をなんとかして映画の中にも取り入れて表現したいと思いました。
映画『ジプシー・フラメンコ』より
──バルセロナという大都市で、ジプシーの強固なコミュニティが現在まで続いているのはどうしてなのしょうか?
バルセロナのジプシーのコミュニティにはいろいろな儀式や習慣があり、彼らのアイデンティティに深い影響を与えています。フラメンコはそれらを保っていくことに、非常に大きな役割を担っていると思います。ジプシーの中にあるドゥエンデ(魔力)という魂、それこそがフラメンコの神髄です。フラメンコの本当の姿というものは、中に入ってその人たちと交わっていかないとわかりません。そのフラメンコの神髄がどんなものかというのはスペイン人も知りません。彼らとつきあってはじめて分かることです。今回私はカリメと知り合い、映画を制作していく中で本当のフラメンコの姿に触れることができました。そうしたことを、いろいろな人に知ってもらえたらいいと思います。
──今作で、アマジャの娘と孫の姿とともに、ダンサー志望の少年を撮ることにした理由を教えてください。
アマジャの孫であるカリメのフラメンコへの情熱と並行して描かれるのが、5歳の少年フアニート・マンサーノの旅です。彼の旅はどうしても叶えたい夢から始まります。自分が生まれたジプシーのコミュニティで認められる踊り手になりたい、という夢です。
映画『ジプシー・フラメンコ』より、フアニート・マンサーノ(左)
バルセロナのフラメンコとルンバの世界で、自分が何者かという問いの答えを探すカリメとフアニートの魂の旅。誰かの血を引く子孫だということ、自分を育んだ文化・芸術や受け継いだ遺産を最も自然に表現することにより、自分が何者かを伝えていくこと。それが、これほど重要な芸術の形はおそらく他にはないでしょう。
ルイス・ブニュエルの伝説的な作品のように“忘れられた人々”を見つめながら、この映画は、自分が何かの一部であり、現代社会で薄れつつあるルーツのすぐ近くで生きていることを知る喜びを歌い上げているのです。
──映画監督としてフラメンコを見たとき、フラメンコと映画にはどのような点が似ていると思いますか?
フラメンコとドキュメンタリーは決して遠く離れた別のものではなく、共通点があると思っています。踊る人・ギターを弾く人・歌う人、この3つの要素が一緒になってフラメンコはできています。映画では、監督・カメラ・音響などいろいろな人がいて、撮ろうとしている対象にカメラを向けて、真実がその姿を現す瞬間、魔力が立ち上がってくる瞬間をずっと待っているのです。私はチームと一緒にその瞬間を見守りながら、撮ったものをデザインして観客にみせるのです。
(プレスより引用)
エヴァ・ヴィラ プロフィール
2003年からバルセロナのポンペウ・ファブラ大学で、ドキュメンタリー制作の修士課程のコーディネーターとしてホセ・ルイス・ゲリンなど著名なドキュメンタリー映画監督とプロジェクトを行なう。またイサキ・ラクエスタなど、才能あるクリエイターの映画製作に参加。大学の援助を得てヴィクトル・コサコフスキー、クレール・シモン、アヴィ・モグラビ、セルゲイ・ドヴォルツェヴォイによる共同製作の映画にも携わる。第一回長編作品『B-Side』(2008年)が、ロッテルダム国際映画祭などに出品。その後、『Personal Space』(2009年)では、カタルーニャ出身の作曲家ジョセフ・ソレルの人物像に迫る。一方で映画や音楽に関する記事を寄稿。クリエイターとして展覧会やレコーディングに参加すると共に、インディペンデントな専門家たちで構成されるバルセロナ市文化執行委員会のメンバーとしても活動している。
映画『ジプシー・フラメンコ』より、メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニー
映画『ジプシー・フラメンコ』
8月9日(土)よりユーロスペースにて公開
脚本・監督:エヴァ・ヴィラ
登場人物:カリメ・アマジャ、メルセデス・アマジャ・ラ・ウィニー、フアニート・マンサーノ
撮影:ホアン・ティスミネツキー
編集:エルネスト・ブラシ/ヌリア・エスクエラ/ヴィクトル・コサコフスキー
美術:カンディド・アルヴァレス
音響効果:フアン・サンチェス
音響:ナチョ・オルトゥサール、フランセスク・ゴサルベス、マルコス・カサデムント
製作総指揮:ホルディ・アンブロス、ホルディ・バリョ
プロデューサー:トノ・フォルゲラ、オリオル・イベルン
制作:ラストル・メディア、クロモソマ
共同制作:カタルーニャ・テレビ
協力:スペイン国営放送
企画:ポンペウ・ファブラ大学ドキュメンタリー制作修士課程
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会、公益財団法人日本スペイン協会
原題:BAJARI
2012年/スペイン/デジタル/1:1.66/ドルビーSRD/84分
提供・配給:パンドラ+ピカフィルム
公式サイト:http://gypsy-flamenco.com/
公式Facebook:https://www.facebook.com/pages/ジプシーフラメンコ/1452015611712164
公式Twitter:https://twitter.com/picafilm0809