骰子の眼

cinema

東京都 品川区

2014-07-23 20:11


河瀨直美監督が自らのルーツとなる奄美大島を舞台に『2つ目の窓』を撮った理由

自然という「神」の存在と、そこに生きる母と子のつながりを描く
河瀨直美監督が自らのルーツとなる奄美大島を舞台に『2つ目の窓』を撮った理由
映画『2つ目の窓』より ©2014“FUTATSUME NO MADO” JFP, CDC, ARTE FC, LM.

河瀨直美監督の最新作で、今年の第67回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品作品された『2つ目の窓』が7月26日(土)より公開される。奄美大島を舞台に、雄大な自然のなか、島の高校生・界人と杏子の初恋とふたりの家族たちを巡る物語が描かれる。界人を俳優・村上淳の長男である村上虹郎が演じ、吉永淳がヒロイン・杏子に扮し存在感を示している。今回は制作にあたっての河瀨監督が今作への思いを綴ったディレクターズ・ノートを掲載する。

養母の死を契機に生まれた物語

「別れ」はそこに遺された人間の「孤独」と「焦燥」をもたらす。しかし、その「孤独」は人の痛みを知る「やさしさ」に昇華され、人々の心をあたためるのだろう。その「孤独」が深ければ深いほど、そのやさしさも増してゆくように。けれど人の孤独や焦燥などはおかまいもせず、この宇宙の摂理は等しく人々の上にある。
養母が逝ってしまっても、また太陽は昇り、月は満ちてゆくのだ。その偉大さ。わたしはその自然の偉大さをこの作品で最大限に描きたいと思う。

河瀨直美監督
映画『2つ目の窓』の河瀨直美監督

奄美大島が自身のルーツだった

今から数年前、実の母が養母と旅行に出かけようと誘ってきた。ホテルで夕食をとっている最中に同行した実の祖母から「あんたの血は奄美にあるんだよ」と言われた。旅の最中。皆で入った温泉の洗い場で養母、祖母、母の三人が背中を流しあっている姿を見て、得も言われぬ感情が湧きあがった。

年月を超えて、母から娘へ、そのまた娘へ、つないでゆくもの。その時、わたしはお腹に新しい命を宿していたのだ。人間の形もしていないその「命」は確実にわたしの血をひいて、この世に生まれでる運命であった。

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映画『2つ目の窓』より ©2014“FUTATSUME NO MADO” JFP, CDC, ARTE FC, LM.

初めて奄美を訪れた印象

戸籍を辿りながら、先祖のいた土地に降り立った。行く前から、南方の海岸線の集落を地図で俯瞰に眺めながら、ここにいろんな想いを重ねてわたしの先祖がいたことに心を震わせていた。空港から約10分で到着したその集落のどこかに先祖の暮らした土地がある。わたしは翌朝、まだ日が明けて間もない頃、一人でその場所に立った。ざぶんざぶんと寄せては返す波の音をご先祖様も聞いたのだろうか?まだ青い朝の光の中、空には月。やがて太陽が降り注ぎ、なんの変哲もない今日の一日が始まるのだ。しかし、きっと、なにかに導かれるようにしてここにたどり着いたわたしは、それから4年後の2012年暮れに本格的にこの島で映画を撮るべく動き始めた。

山や森、奄美の「緑」のイメージを描く

奄美の自然をそこに暮らす人々は「神」とあがめて拝む。その波の向こうにはネリヤカナヤという豊穣をもたらす国があるという。そこは魂の還る場所なのだ。その国ではいつかの人々が幸せそうに島唄を歌いながら高らかに笑い合っているのだろう。そうして木々のひとつひとつに神が宿っていると皆が信じている。石や草のひとつにも、だ。それらは彼らを見守ってくれる。つまりそこに暮らす人間はその確かな息吹を感じながら、フラットにオープンに心をあるがままにしていることができるのだ。たとえば誰かの死に向き合ったときには、憂い嘆くのではなく、その時間の流れの中で一時の別れがきただけのことだと認識する。逝ってしまった魂は、そうしてネリヤカナヤでずっと息づいてその笑顔は変わらずそこにあるという具合に。

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映画『2つ目の窓』より ©2014“FUTATSUME NO MADO” JFP, CDC, ARTE FC, LM.

生態系を脅かす開発と環境破壊の問題

奄美大島では、生と死の境界があいまいだ。そこをつなげているのは、自然という「神」の存在。それは、海であり、山であり、草木であり、石であり、水であり……そんな物言わぬ「神」たちは、開発という名の大義名分のもと、簡単に殺してしまうことができるけれど、その代償はじわじわとわたしたち人類を苦しめてゆくだろう。

漠然とではあるが、確信をもってわたしの中に沸きあがった「神殺し」というテーマをこの作品の根底に流れる大切な柱にしてゆこうと思った。

この作品を鑑賞した人々が、わたしたち人間が起点なのではないということを悟ってもらうこと。そしてわたしたちは、その巡りの一部なのだということを知ってもらうこと。わたしたちを含むその大きな大きな循環こそが、「神」なのだということに行き着く物語を構築してゆきたい。

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映画『2つ目の窓』より ©2014“FUTATSUME NO MADO” JFP, CDC, ARTE FC, LM.

自然と人との共存というユニバーサルなテーマ

人間の心は複雑であいまいで、どうしようもないものだからこそ、そんな「こころ」の成熟を「自然」という名の「神」から学んでゆく物語であれればと願う。その物語の「時間」は「魂」とともに刻まれ、この世界に誕生する。

いつも振り返ればだれかが去ってゆく。そのように内在するものの奥底で感じていた私は、奇跡的にも映画という表現手段を得、この世界に自分の役割を見出した。世界中の人が大きな輪の中でおだやかに漂って、かつ自分という存在を確かめ、認め、生も死も存在しない。そんな世界の到来。この『2つ目の窓』の着地点はそんな世界だ。

(河瀨直美監督の言葉はプレスより引用)



河瀨直美 プロフィール

映画作家、奈良市生まれ。大阪写真(現ビジュアルアーツ)専門学校映画科卒業。映画表現の原点となったドキュメンタリー『につつまれて』(92)、『かたつもり』(95)で、1995年山形国際ドキュメンタリー映画際国際批評家連名賞などを受賞。1997年初の劇場映画『萌の朱雀』(97)でカンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)を史上最年少受賞し、鮮烈なデビューを果たす。その後、『火垂(ほたる)』(00)、『沙羅双樹』(03)、『垂乳/Tarachime』(06)などで映画祭での受賞を重ねる。2007年『殯の森」でカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。2009年カンヌ国際映画祭に貢献した監督に贈られる「金の馬車賞」を受賞。2011年『玄牝-げんぴん-』(11) で、第58回スペイン・サンセバスチャン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞。2013年カンヌでは、日本人監督として初めて審査員を務めた。2010年から2年に1度開く「なら国際映画際」ではエグゼクティブディレクターとして奔走する。




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映画『2つ目の窓』より ©2014“FUTATSUME NO MADO” JFP, CDC, ARTE FC, LM.

映画『2つ目の窓』
7月26日(土)全国ロードショー

奄美大島で行われる8月踊りの満月の晩、高校生の界人は海に浮かぶ男の溺死体を発見する。その場から走り去った彼を見ていた同級生の杏子に、翌日問いかけられながらも、界人は自分の中にあるわだかまりを口にすることができない。ユタ神様として、島人の心の拠りどころになっていた杏子の母イサは病を抱え、死期を迎えつつあった。「たとえこの世を去っても、お母さんの想いはここにたしかにある」。ユタの親神様にそういわれても、肉体が消えたら会えないという現実を、杏子は受け入れることができない。だが、イサは「自分の命は杏子につながっているし、いつか杏子が生む子どもともつながってゆく。だから死ぬことはちっとも怖くないの」と、娘に優しく語りかける。一方、多感な界人はいつも男の影を感じさせる母・岬の女の部分にけがらわしさを感じてしまう自分を持て余していた。

監督・脚本:河瀨直美
出演:村上虹郎、吉永淳、杉本哲太、松田美由紀、渡辺真起子、村上淳、榊英雄、常田富士男
撮影:山崎裕
照明:太田康裕
録音:阿尾茂毅
美術:井上憲次
音楽:ハシケン
企画・制作プロダクション:組画
配給:アスミック・エース
2014年/日本・フランス・スペイン/120分/R15+

公式サイト:http://www.futatsume-no-mado.com/
公式Twitter:https://twitter.com/futatsumenomado


▼映画『2つ目の窓』予告編

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