みなさまこんにちは。
いかがお過ごしでしょうか。
ちょっと遅くなりましたけど、今回はいちおう恒例の、今年後半のやつです。
その前に、先日来日した映画監督であり、サイコセラピストのホドロフスキーさんのことを少し。
まずわたしはホドロフスキーさんの単純にファンです。「ホーリー・マウンテン」を日本初公開のときに観て、当時はよくわからなかったのですが、とにかくすごいという衝撃が残っていて、デジタルリマスター版公開時にひさしぶりに観て以来、特に「エル・トポ」は自分のいろいろなことの確認のために、年に一回観るようにしています。
そんなわけで、思うことは諸々あるんですけど、ものすごく長くなるので、5月に行われたイベント「人間タロット」の感想を書きますね。
たとえばわたしは戦場や殺人の死体や動物の死骸の写真が、クリックひとつで過剰に流布されることに正直とても嫌悪感をおぼえるし(そこにどんな意図があろうとも、ましてや現状を伝えたいのならなおさら、その現状ごと目を背けてしまう可能性のほうが高い気がします)、残虐シーンが強調されるような作品は好きではないですが、あれだけ死体や死骸や腐敗やスクリーン絞ったらどんだけ出るんだと思われるほどのおびただしい血肉があふれていようとホドロフスキーさんの作品を受け容れることができるのは、皮膚を破れば血が流れ臓器があり、傷つけられれば怒り、度を超えれば暴れる、他者あるいは自分をせめる、なぐる、ころす、というシンプルな事実、それは人間である限りやるやらないは別として、どんなひとでも備えている根本的な性質感情、と同時に無、空といった禅の教え、エンライトメント、さらに根源的な癒し(これも生き物としての本来的な性質、全体性)が軸にあるからだと思うのです。
だから、カルトとか難解とか不思議とかキワモノという印象はあまりぴん、とこなくて、たとえるなら六道絵とか曼荼羅のような趣を感じます。
そんなことから、ホドロフスキーさんが、占断や鑑定や運命診断、みたいな形式、二元論をベースにしたいわゆる“占い”をしているとは思えず、どんな風にやっているのだろうと興味がありました。
で、イベントの様子ですが、こちらに超ダイジェストで掲載されてましたが、実際のところ、カードを媒介としたプロファイリングの感覚に近いなと思いました。ご本人も、未来をみることはできないと言ってましたけど、体系化された象意をもとにインスピレーションをおろし、質問者を腑に落とすことでセラピーとして成立させるというか、禍々しさや妙な神秘性をわざわざ演出することもなく、とてもクール、それでいて劇的で、やっぱこのひと魔術師だろ、という感じ。
なかでも最後の質問の方のときは、まるでラテン・アメリカの小説の実写をみているようで、その場で誰か消えようが、肉体が塩の像に変わろうが突然男のひとのぼんのくぼがぱっくりと開いて中から白い鳥があらわれ飛び立とうが、なんら不思議ではない、すべては起こるべくして起こるのだ、ということを、あたりまえのように受け容れさせてしまう、やっぱこのひと錬金術師だろ、という感じでした。
タロットにもいろいろ種類がありますけど、ホドロフスキーさんのつかっているカモワン・タロットは、いわゆる一般的にタロット・カードとして使用されているものとは別物といっていいと思います。もっといえば、ある意味西洋医学のように対処療法的に問題を扱うのではなく、もっと根本的なこと、幼少期の体験、トラウマといったそれが引き起こされたルーツにさかのぼるように。
いわゆるリーディングというよりセラピーの要素が強く、そういった意味でも、作品の根底にあるものと同じなのだなあと納得しました(作品に関していえば「サンタ・サングレ」が「エル・トポ」、「ホーリーマウンテン」の後、というのがまたすごい! けれども、新作「リアリティのダンス」はその対というか別ヴァージョンというか、すごい飛躍したリメイク的集大成といえないこともない気も…)。
日本だけでなく世界、地球、いや宇宙規模ですけれども、ニュースを知るたびにもう関節が一個ずつ外されてくような衝撃の続くこの時期に、ホドロフスキーさんが来日して映画が公開されるというのは意義深いなあと思いました。特に新作とドキュメンタリー、つまり本人自身とその作品の両方を同時にみられるというのも、もってこいなんじゃないですかね、別によいしょでもなんでもなく(そもそもこの連載、当初からギャラ出てないですし・笑)、ほんとに大好きなのでうれしい限りです。
やっぱりさー、自分が何を発していきたいかだよね、とあらためて思います。 別になんか作品つくるとか不特定多数に向ける、ってことじゃなく、ごくごく日常のやりとり、結局は自分というものの存在の。
というわけで、結局長くなりましたがいきましょう。
今年前半、結構ダイナミックだった気がするんですけど、後半の動きもこれまた、という気がしてます。そういった意味でも、今後の変化を踏まえ、まわりがどう在ろうと、自分というものとしてどう在っていくつもりなのか、みたいな感じでやっていただければと思います。
画像は、「ホドロフスキーのDUNE」の戦士たちにしましたYO!
では、Let's medicine☆.。.:*・゚゚
使い方は、あなたの自由!!
使い方ガイド
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ぴん、ときた画像をひとつ選んでクリックしてください。
そこに書かれているテキストが、あなたのガイドになります。*自由な使い方
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・恋愛、仕事、健康など、自分で決めたテーマごとにクリック!
・毎朝、起きたときに今日1日をイメージしてクリック!
・全部クリックして、好きなテキストを選ぶ!
など、自由に、フレキシブルにつかってください。また、「全体のメディスン」も組み合わせてみてください。
▼直感でクリック!(1クリックでテキストが開き、再度クリックで閉じます)
■「全体のメディスン」(2014年後半)
なんかね、もうむやみやたらと動いてけばいいんじゃね? とか思ったりするんですよね、やけっぱちでいけ、とか暴挙に出ろ、ということではないんですけど、ごちゃごちゃ考えたり綿密な計画とか予想とか懸命な努力とか、それは大事なことかもしれないけれども、結局はどれも一か八かなんですよね、保証なんかないんだもん、がんばったりときに犠牲的な行いをして苦痛に耐えたところで報われるわけでもないことをみんな知ってる、それは“よいこと”と定義されたりはするけど根拠がないどころか特に世界がよくなってる気もしないし、本の通り新聞の通り誰かえらいひとのいう通り常識の通りに動いたって自分がそのようになるわけではない、苦労は買ってまでする必要なんてなかった、なのにまだ“そういうものだから”に従ってく意味って、なんなんでしょ。
むやみやたら、って、漢字では無闇矢鱈と書くみたいなんですけど、いくつかの辞書では「無闇を強めた言い方」とあるので「無闇」を調べてみると、goo国語辞書では「1. 結果や是非を考えないで、一途に物事をすること 2. ものごとの状態が度を超えて甚だしい。ひどい」とあり、家にある旺文社の国語辞典では「1. 前後を考えないで、物事をする 2. 度を越すさま」となっていて、前者の2においては意味の提示を多少超えて感情が入ってしまってる気がします。
で、「矢鱈」においては諸説あるとのことで、辞書は各自調べていただくとして、ここでは諸説のほうを紹介しますが、ひとつは「鱈がほかの魚にくらべて、いやになるほどよくとれるから」という説、また「雅楽の八多羅(夜多羅、八多良)拍子という2・3・2・3と続く拍子が農耕民族である日本人には苦手な拍子だったため、めちゃめちゃになってしまうことからついた」などがあるようです。
ちなみに「矢鱈」は夏目漱石が字を当てたとのことだし、八多羅拍子もちょっと調べましたが、そんなにめちゃめちゃになるかな? という印象で、どちらにしてもなんか曖昧なんでわたしも勝手に一説繰り出してみます。
まず「無闇」は、闇が無い→つまりものすごい明るい、ドピーカン→視界全方位フリー、「矢鱈」は、2拍・3拍・2拍・3拍→リズムがとりづらい合わない→同時演奏すると全員ちがう拍子→つまりポリリズム→それぞれのリズムによる共鳴、ということで、わたしの辞書における「無闇矢鱈」は「太陽の光燦々と降り注ぐ視界全空き翳りなしの真っ只中、己のリズムでルーツを踊れ、さすれば食うに困らん(鱈はたくさんとれるのだから)」みたいな感じかなと思います。
というわけで、本来の自分、原初、というか源泉にかえって動いたらいいんじゃないですかね。
そこはまさに全方位自由、というか、そこからすべてが生まれ来る。
そもそも、ほんとうはそのようにしかできないんだし、なにしろ源泉、ソースなのだから。。
それではまた☆
読んでくれてありがとね!
★お知らせ★
試験的に「動物通信」という読み物をやりはじめました。
よかったら読んでみてください。
■ANANYA(アナンヤ)PROFILE
'93年にネイティヴ・アメリカンの智慧を集約した「メディスン・カード」に出会い、それを元に自らカードを作成、ライフワークとして都内カフェ、雑貨店およびイベント等でリーディング・セッションをはじめる。「SONIC PLATE」暫定運営。タケ・ロドリゲス&ヒズ・エキゾチック・アーケストラにヴォーカリストとして参加。その他、チベットのマントラなどをモチーフとした手芸作品「prana」など。
・ANANYAのサイト
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